2015年10月30日金曜日

竹山道雄著「昭和の精神史」講談社刊pp.113-119より抜粋

米国戦略爆撃調査団の証言記録によると、終戦当時の陸軍参謀次長の河辺虎四郎中将はつぎのようにのべている。
―参謀次長として、私は最後まで戦ひ抜くといふ意見を堅持してゐました。
今でもなほ、われわれは最後まで戦ふべきであつたといふ信念に変りはありません。
・・私は、たとへわれわれが上陸軍に痛撃を与へたりすることができないにしても、いな戦局がもつと悪化して重要地点を上陸軍に占領されても、第二のドイツとなる犠牲を払はうとも、とにかく戦争を続けるべきであると考へてゐました。

問―最後まで、とにかく抗戦するといふことが、陸軍全般としての態度なり意見だつたといはれるのですか。それとも、それは上級指導部の考へ方だつたのですか。

答―それは大体全陸軍を通じての考へ方であつたといへると思ひます。
・・私にあの時やめたのが正しかつたのか徹底的に抗戦した方が正しかつたのかは分りません。しかし、私自身に関する限りは、あくまで最後まで戦つたでせう。―

このような熱情を抱きながらも、この将軍は国策の終戦決定には従ってそれ以上の妄動はしなかったのだから、武人としての進退を非難されるところはないと思う。
しかし軍人が団体としては、その狭い職業的激情によって終始して国をあやまった方向に引きずったことは否定できなかった。
もし軍人がはじめから、このような武人精神はいだきながらも、しかもなおそれが守るべき限界を守っていたらどんなによかっただろうに、と残念である。
戦争終結は真にむつかしいことだったのだろう。
全国民は鼓舞され、勝った、勝つ、ときかされていたのだし、無条件降伏の宣言は発せられていて降伏すれば亡国と考えなくてはならなかったのだった。
そして陸軍はまだほとんど毀れない戦闘力を擁していて、責任からも面目からも不敗の信念からも、あくまでも戦おうとしていた。
その視野は狭く、その闘志ははげしかった。このころのアメリカ人が戦局をどう見ていたかを、リップマンの書いたもので読んだことがあるが、むこうにも厭戦気分はみなぎり日本の戦力を過大評価して、ことによったら波打際で撃攘されはしないかと心配していた。
「陸軍が自信を喪失するまでは終戦をはかることはできない。
うっかりそれをくわだてれば逆効果となって、平和のくわだてそのものが一掃されてしまう」―米内海相たちは層考えて時機をはかっていたということである。
このあいだにも、たくさんの将士が仆れていった。実に痛ましいことだった。
特攻隊や「七つボタン」は真に悲劇だった。あれがナチスのような人間奴隷視から生まれたのなら、まだしも救いはあるが、日本の場合はそうではなかった。
絶体絶命の窮余の戦術だった。その責任者の大西中将は自刃した。そして、あのくわしい日記「戦藻録」をつづった宇垣纏海軍中将は、みずから八月十五日に「まだ停戦命令がでてゐないから」とて、沖縄に特攻突入した。そのときのことを、この日記のあとがきにつぎのように記してある。
―参謀長は列の先頭に立ってゐる七〇一空大分派遣隊指揮官伊藤大尉に、
「指揮官、命令は五機の筈だったが・・・」と言ひかけると、伊藤大尉は若々しい頬を紅潮させて怒鳴った。

「長官が特攻をかけられるといふのに、たった五機で出すという法がありますかッ。

私の隊は全機でお伴します。」

これをきいた長官はツト前におかれた台に立って、

「皆、私と一緒に行ってくれるのか?」

「ハイッ」間髪を入れず、全員は返事と共に一斉に右手をふりあげた。かれらの純潔な心は死所を得る喜びに躍ってゐるかのやうであった。
「有難う」―

この出撃前の光景が写真にとってある。まことにこれこそ日本軍の光栄と悲惨だった。
それはまれにみる忠誠で勇敢な軍隊だった。
ただその一部の者が現実とずれた世界像に憑かれて、ほしいままの行動に奔ったために、あたら全体が国を亡ばすためにはたらいたようなことになった。
たしかに日本の軍隊には暗いところもたくさんあった。
戦後になってそれをいやというほど聞かされた。
しかし、いま多くの人々は、戦争の悪と軍人の悪とを混同しているように思われる。
また、その末期の症状を日本軍の本来の姿と考えているような気がする。
外地ではたくさんの残虐行為もしただろう。
しかしそれはおおむね戦地の昂奮や、あてのないひさしい駐屯での精神のバランスを失ったり、また相手がゲリラ戦闘員と非戦闘員の区別がつかなかったりしておこったことだった。すくなくともナチスのしたようなことはまったくなかった。あのような冷酷な計算による悪魔的な所業はなかった。内地でも末期になるほど感じのわるいことがあったが、しかしあのころは世の中全体が半ば発狂していたのだった。平常時の標準ではかることはできない。これらのことを弁護できるというのではないが、ただあれは満州事変以来じつにながい、目的も目途もはっきりしない、あてのない戦争だった。末にいたっての困難は言語に絶した。どんな軍隊でも、ああなったら頽落しないではすまなかっただろう。
しかも現代の戦争にはますます人間性は失われて、昔の騎士道も影がうすくなり、多くの国の軍隊が今までにない荒廃ぶりを示した。
すべての軍隊に軍隊固有の悪ともいうべき「真空地帯」があり、下士官気質といったようなものは単純な人々がおち入りやすい世界共通のものである。
私はドイツ軍の末期症状について呼んで、敗戦とはかくも似たものなのかとおどろいた。―戦後の日本軍隊への糾弾には、右のようなことがあまりにも酌量されていないと思われる。かつての日清・日露のころの日本軍の振舞は、世界で敬意をもって取沙汰された。
そのころとてもちろん暗い影はあっただろうけれども、今回とはちがっていた。
マッカーサー元帥は「同じ国の軍人とは思えぬ」といったとか。
(そして、いささか突飛な連想だけれど、日本婦人もわれわれの母親の年代の人といまの若い人では、同じ国の女とは思えぬほどにちがっている。軍人と女が別者になったのなら、国は変わったといえるにちがいない)。
私には、松井大将が死刑になる前に教誨師に語った感想が、歴史の本体を道破していると思われる。「国が変って、若い者が血気にはやって、とうとうこんなことになったと思うのです」この「若い者が血気にはやった」というのは、上述の第二期において中堅以下の軍人が政治意欲をもって、性急な実力行動にうったえたことをいうのであろう。
軍隊が独立した意志をもってそれを強行すれば、いかなる制度もそれを制することはできない。統帥権がどこにあろうと、それは問題ではない。最近にドイツで国防軍をつくるにあたって、統帥権の所属が問題になっている。それを大統領においても、首相においても、議会においても、軍部においても、ヒットラーの再出現をふせぐきめ手はない。軍隊を思想的にリードする者が出れば、それが勝つにきまっている。いまの自衛隊とて、もしそれが左右いずれのイデオロギーに染まれば、それが国を引きずることになろう。
日本では軍隊が無形無名の下克上のうちに政治化したのだった。まことに歴史に稀な例だった。それで、ヒットラーのように演説によって国民を納得させて、その総意を手中に収めることによって、かつて自分を弾圧した軍隊を支配するという、まわり道はなかった。
多く問題にされた統帥権の独立は、その歴史的由来にはあるいは封建制の温存があったのかもしれない。おそらく日本が英米仏のような近代民主国家として出発しなかったことを反映しているのだろうが、それはその出発当時の条件からきたことであって、軍が独立して政策を遂行するという規定をしたものではなかった。これが意識の中に顕在化したのは、軍縮問題の以来のことであって、それまでいわば眠っていた、あれこれの現象はあっても、それは歴史をうごかす力ではなかった。それ以後、政治化した軍人はこの「兵力量の決定と統帥権の独立」という難問題を活用した。そして、これを手がかりにして覇権を握った。総力戦時代の現代では、戦闘力のための統帥権ということを拡張解釈すれば、どこまでも拡張できた。統帥権の独立をもって、ただちに旧体制がファッショだったということはできない。もし軍があのように政治化しなかったら、たとえ統帥権が独立していようとも、またいかに軍部大臣の資格が制限されていようとも、問題はなかったろう。しかし、軍があのような団体精神に憑かれた以上は、たとえ統帥権がどこにあろうとも、また軍部大臣が文官であったとしても、ああなるほかはなかったであろう。統帥権の問題が日本の命取りとなったのはそれが原因だったのではなく、むしろ結果だった。決定的だったものは、制度という前提条件ではなくて、そこにはたらいた意志だった。
昭和の精神史
昭和の精神史
ISBN-10: 4061586963
ISBN-13: 978-4061586963
竹山道雄