2020年11月23日月曜日

202011123【架空の話】・其の47

ここでBにご馳走になる理由は特にないことから、その旨を伝えると「いやいや、Cさんのこともあるから・・。」と云われ、そこで「ハッ」と感覚的には納得するに至ったものの、ここでの支払いとBとCさんが付き合っていることの明確な関係性は、イマイチよくわからなかった・・。

ともあれ、結局ここでの支払いはBが持つことで落ち着いた。店を出てから夜寒きT文館をぶらぶらと歩きながら私はBに「そういえば、あれからCさんとはどうなっているのか?」と訊ねると「うん、お蔭さまで続いているよ。昨日も電話を掛けて初の赴任先が延岡になったことを伝えたよ。」との返事であった。どうやら頻繁にやり取りはしているようだ。そしてなおも「それでCさんは延岡のことを聞いて何か云っていた?」と聞いてみると「ああ、よく分からないけれど「夏目漱石の「坊ちゃん」のうらなり君?みたい。」とか云っていたよ・・。」とのことであった。私はその意味が理解出来たが、どうもBは分かってないらしかったが、別に取り立てて説明を要することでもないと思い「ははあ、なるほどね。」と返事をした。また、Bもそのことをあまり気にしていないようであった・・。

Bは「新卒の赴任先は大体2年程度の勤務で次の転勤になると聞いているから、この次は多分K市内か、県内の近場がいいな。」と話したが、それは、これまでの6年間の東京での暮らしと比べると、特に長い期間ではないから余裕があるのかもしれない。他方で、私の場合、今回、24歳にして初めて一人暮らしを始めるわけだが、この先、無事に3年(2年次編入)で卒業したとしても、その後は一体どうなるのであろうか・・?と、この異郷の地の繁華街の真中で不図、漠然とした不安に襲われた・・。

そこへBが「じゃあ、明日はまた空港まで車で送るから、たしか17:00過ぎの便だったね。」じゃあ、昼前にホテルに着くようするから、車をホテルの駐車場に停めて、またこのあたりで昼食でも食べようか。」とのことであった。おそらく、この時期、Bも色々と大変であったのだと思われるが、こうして世話をしてくれるのはとてもありがたかった・・。

21時半過ぎ頃にBと電停で別れ、私はホテルに帰る前にコンビニで暖かいお茶でも買おうと思い、T文館を再びブラブラ歩いていると、向かいの方から背広を着た5,6名の集団がやって来るのが目に入った。その声色からして多少酔っていると思われたが、迷惑というほどでもなく、まあ「陽気な感じ」といったほどのものであった。さらに近づいてくると、その中の一人が、見覚えのある顔であることに気が付いた。先方もまた、私の視線に気が付いたようであり、なおも近づくと、その顔が編入試験の面接の際に右側に座っていた頤の立派な若手教員であることを思い出した。そして先方も、私のことを認識したようで、少し態度を取繕うかと思いきや、私に「おお、来年度入学の***君じゃないか?」と大きな声で話しかけてきた。私は「はい、その節のどうも・・。今日はアパートを探しに来ていました。また明日東京に戻ります。」と返事をすると教員は更に思い出したように「・・ああ、そうだ***君は向うの人だったんだ!いやあ、Kへようこそ!勉強頑張ってくれ給え!」と握手を求めて来られた。周囲の方々はそれを見て「ああ、Eがいる大学の新入生らしい」と言い合っていたが、E先生はどうやらこの中で一番若手のようであり、しかも何か嬉しいことがあったように見受けられた。とはいえ、それをこの場で質問するのも変であると思い、簡単に礼を述べてから立ち去ろうとすると背後から「また四月に会おうなあ・・!」と、これまた大きな声で云われた。

後になって知ったことだが、この日はE先生の学位審査の結果が出た日であり、私と遭遇したのは、その祝賀会の後であった。当時、E先生は専門職大学口腔保健工学科の助教を勤めつつK大学大学院医歯学総合研究科にて研究を続けており、学位取得が期待されていたのだが、この時はそれが達成出来て嬉しかったのだと思われる。ちなみにE先生は年齢がこの時29歳であり、比較的私とも近く、その後、色々とお世話になることも多かった。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!





ISBN978-4-263-46420-5

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202011123【架空の話】・其の3・4加筆修正

「あと、大学での数少ない友人もこのK県の出身者でして・・」と話しているうちに、数少ないというよりも、唯一と云っても良い友人であるBのことを思い出していた・・。
Bは、経済学研究科の修士院生であり、会計学を専攻している。そして、さきにも触れたがK県の出身であり、その父親は公立病院にて院内薬剤師として勤務しているとのことであった。そのため、時折、医療系の話題になることもあったが、歯科医療については話題になったことはなかった。とはいえ、B自身は、銀行など金融系への就職を希望しており、その頃、就職活動の最中であった。

そうしたことを思い出し先生との会話に意識が戻り「ええ、それは少し面白そうですね。それで、その歯科技工士は、どのような仕事なのですか?と素人丸出しの質問をすると、先生は「うん、歯科技工士は平たく云うと入れ歯や銀歯などを作る職人さんと云えるのだが、現在、さまざまな工作機器やそれに使う材料も進歩していて、仕事内容も大きく変化しているところなんだ。そうした、まあ不安定な過渡期とも云える状況から、あまり成り手が少ないのかもしれないけれども、この仕事は、この先もなくてはならない重要なものなんだよ。
それだから最近は色々なところで、これまでの専門学校から大学へと改組されているんだ。だから、このハナシはちょっと検討してみても良いと思うよ・・。」とのことであった。単純な私はそれで少し高揚し、帰宅後に早速Bに電話を掛け、先生から聞いたK県の専門職大学のハナシを伝えたところ「うん、その専門職大学のハナシは前に親から聞いたことがあったが、設置されたのが丁度大学2年の時で、受験するには時既に遅しだったのだ・・。それよりも最近、地元K県の地銀の面接に呼ばれた。」と嬉しそうに話し、さらに「明日は時間があるから少し話そう。」とのことであった。同様に、家族に対し専門職大学のハナシをすると「学費が安ければ、どうにかなるかもしれないが、向こうに行ったら生活はどうするのだ?」とのことであったが、それでもエンジニアの父親からすると、手に職をつけることは、現在の非生産的な文系院生よりかは多少はマシなことであると考えているフシがあるおように感じられた・・。くわえて、K県のハナシでは、K県の県庁所在地K市には、今も先祖の墓があるとのことであり「もし受験して受かれば一度、そこも見てくると良い。」とのことであった。墓は遠い親戚が管理してくれているとのことであり、かなり昔のハナシになるが、先祖がこちらに移住してきたのは明治10年の西南戦争の前であり、戦争当時kにいた親戚の多くは西郷軍側に従軍し亡くなってしまったとのことであった・・。東京に出ていた私の先祖はその後、東京の学校を出て役人になり、最終的には国策で設立した某会社で、ある程度の地位に就き、引退後は故郷K県を思わせる温暖な静岡県沼津市に小さな家を買い、年の大半をそこで過ごしていたという。この沼津の家は現在も親戚が住んでいる。とはいうものの、ズボラな私は、おそらく肝心な話題となる歯科技工士については何も下調べせずに、翌日の昼過ぎに大学近くにある行きつけの喫茶店で、数週間ぶりにBと会っていた。
久しぶりに会ったBは金融系を志望する学生らしく、小ぎれいな服装をしていた。さて、ここで少しBの服装について触れようと思うが、その前に先ず、Bと出会った経緯から書いてみようと思う。

Bと初めて出会ったのは、大学入学後しばらく経ったGWの少し前頃であり、ある履修科目講義の開始時間少し前に講義室入口に一人の学生らしき男がやって来て、そこから教室内全体に聞こえるような声で「すいません。この教室に**ちゅうのはいますか!」と云った。それまで、いくつかのグループに分かれ、雑談や講義の準備などしていた講義室内の全員は、声の主に目をやった後、私のことを知っている数人が、こちらの方を少し見てからまた、それぞれの雑談や準備などに戻っていった。講義室内で**という苗字は私のみであり、且つ、この男性には面識がない。そのため、多少訝しみつつ、席を立ち、おそるおそる講義室入口の男性のもとに行ってみた。そうすると「おお、お前が**か。俺はBと言って経済学部経営学科の一年生だ。それで出身は何高校か?」と唐突に訪ねてきた。私の方は少しためらい気味に「・・僕は文芸学部ヨーロッパ文化学科の**です。出身高校は近所の**高校ですが、そ何か・・?」と精一杯強気な感じで訊ね返した。するとこの男性ことBは「・・そうか、お前は元々こっちの人間なのか・・。それでも、多分親か何かはK県の出身じゃないのか?」と、少し声色を落ち着かせ更に聞いてきた。そこで私は「僕は元々こっちの人間だけれど、たしかに先祖はK県の出身だと聞いているけれども、それが何か?」とさらに訊ね返した。そうするとBの態度はさらに落ち着き、また目のあたりも少し柔和な感じになり「ああ、そうだったのか・・。どうもありがとう。この講義が終わったら学食に行くから、そこで、もう少し話したいのだがどうか?」と、先ほどと比べると大分丁寧に云ってきたことから「うん、分かった。」と一言だけ返事をしてから席に戻った。席に戻る途中で教員が資料を抱え、少しアタフタした様子で講義室に入ってきて周りは静かになった。

講義の後、学食に行ってみると、入口近くのベンチに座り、イヤホンを耳に挿し、何か文庫本を読んでいる、さきほどの男性ことBを認め、声を掛けてみた。すると「顔を上げて、こちらを見て、イヤホンを外し「おお、どうもありがとう。それじゃ中に入ろうか。」と云いつつ、イヤホンをポケットに入れ、文庫本を横に置いてあったリュックに入れて立ち上がった。学食に入り、食券を購入し、列に並び昼食を受け取り、食堂内で席を探していると、まさに昼食時であることから食堂内は大変混雑し、空いている席が見当たらなかった。そこで同じく席を探していたBが「外のテラス席が少し空いているみたいだから、そこに行ってみよう。」と提案し、外に出てみた。外のテラス席もたしかに混んではいたが、食堂内ほどでなく、二人分の座席は確保出来た。そこで昼食を食べつつBは出身地であるK県のことを話し、また「同じ学部の同期で、K県出身者が見つからないので、入学式の際に配布された学部毎の新入学生名簿を見て文芸学部に**という苗字を見つけ、それで、さきほど声を掛けた。」とのことであった。そこで、私も自分の知るk県とのつながりを話してみたところ、Bは興味を示しつつ聞いてくれていた。また、こうして話しをしてみると、さきほどまで、全くの赤の他人であったBの服装に、どうしたわけか注意が向き始めた・・。記憶によると、その時Bは、白の無地Tシャツの上にオーバーサイズ気味の黒のオープンカラ―シャツ(長袖)をボタンを多めに外し着て、若干太めの黒の綿パンを穿き、そして靴は結構使い込んだ、これまた黒のキャンバス オールスターを履いていた。髪型は短髪のツンツンヘアと云うのだろうか、そういった髪型をしていた。その恰好からは、服装に気を使っていることは感じ取られたが、しかしながら同時に「もっとセンス良くなるのでは?」とも強く感じられた。そして、その後もBとは度々会うようになり、また、休日に私の家に来たこともあったが、はじめて会った私の両親に対する、その四角張ったとも云えるような礼儀正しさには少し驚き、後刻「なんだか今の日本人じゃないみたいね・・。」と母親が云っていたが、この指摘は必ずしも誇張ではないように感じられた。

 Bは大学近くのアパートが多く建つ地域で一人暮らしをしており、機会があり部屋を訪ねてみると、男の一人暮らしの割にはキレイに片付ており、驚いたことには、急須で淹れたお茶を出してくれた・・。こういうのは、やはり生まれ育った地域の日常性に染み着いた文化と云えるのではないだろうか。また、そのお茶が今までに飲んできたお茶と異なり、味が濃く美味しかったことから、まさに茶飲み話で「このお茶は美味しいけれど、どこのお茶なの?」と聞いてみたところ「ああ、それは実家から送ってきた食料に入っていたものでK県産のお茶だよ。それが美味しいと感じるのであれば**の舌もそれなりのものなのだろう・・。」とのことであった。こうした、時には強烈過ぎるとも感じられるBの愛郷心というか、ある種の自意識は、これまであまり感じることがなく新鮮であったが、それが良いものであるか、あるいはそうではないのかは、今もってよく分からない。
 また、Bとの話題では、あまり専攻分野についてのことになることはなく、読んでいる本や、映画、音楽そしてファッションなどのことが多かった。ファッションについては、やはり最初の観察通り、ある種のこだわりのようなものがあったが、それは未だ美意識によってまとめられたものではなく、いくつかのポリシーと云っても良かった。そのため、休日や講義が早く終わった日に、渋谷、代官山、原宿、表参道、下北沢、高円寺、吉祥寺、アメ横などに一緒に足を運んだ。そうしたことをしばらく続けているうちにBの方は、自分のお気に入りを幾つか見つけたようであり、私と一緒でなくとも、そうした場所に普通に出向くようになった。また、私がさきに述べた古着屋でのアルバイトをするようになると、時々、突然店に現れて、若干困惑している私に、普通の見知らぬ客のように、平然とある商品について訊ねてくることもあった・・。そうした経緯でBの洋服のセンスは、徐々に洗練されていき、あまり金銭に余裕のない学生としては、それなりにセンスの良い小ぎれいなものになっていったのではないかと思われる。

 さて、ハナシを戻し、Bに電話をかけた翌日、待ち合わせの大学近くの喫茶店に着くと既にBは席に着き、その前にはコーヒーカップと水の入ったグラスが置かれ、Bは何やらスマートホンを操作していた。そして店内に入ってきた私に気が付くと、Bは手を挙げて場所を知らせてくれた。席に着き、Bと対座すると、面接の件のためか上機嫌に見えた。また、その恰好は、綿製、濃紺のジャストサイズで着たベッドフォードジャケットのボタンを外し、その下には台襟が高く、クラシックな胸にフラップポケットがあるタイプのボタンダウンシャツの第一ボタンのみを外して着て、下の方は、セルビッチのある生地を用いた、国内大型衣料品店の細身のジーンズの裾をわずかに折り返して穿き、靴は濃いブラウンスエードのクラークスワラビーを履き、髪型は全体的に刈上げ、その上は寝るか寝ないか程度の髪を、光沢の出る整髪料で七三気味でラフに分けていた。話は私の方から切り出した。「やあ、今日はありがとう。それで、そっちの最近の調子はどうだい?」
*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!


ISBN978-4-263-46420-5

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