2023年9月28日木曜日

20230928 一連の(試作文章)そして当ブログ作成の起点にあるものについて

今回の記事投稿により、総投稿記事数が2045に到達します。去る5月の2000記事到達、そして6月には丸8年のブログ継続となり、その後はかなり長期間ブログ記事の作成は休止する予定であり、実際そのように認識はしていますが、それでも、怠け過ぎない程度に記事作成を続けておかないと、その後の再開が困難になると思われますので、このように時々は、自らの文章による新規の記事作成を行っている次第と云えます・・。

とはいえ、昨日も一応、新規での記事投稿は行っていましたので、そこから考えますと「時々ではないのでは・・?」と思われる方々もいらっしゃるのではないかと思われます。この疑問はその通りであり、以前に投稿した記事にて述べましたが、ここ最近で新規投稿した記事で題名の後に(試作文章)と記しているものは、テーマが共通する複数の既投稿記事に書かれている内容を集めて、それらをChatGPTに放り込み、そこに指示をして生成された文章に手を加えたものであり、私としては、未だにこの作成方法には違和感がありますが、それでも、どうにかそれらしい文章は出来るようですので、今しばらく用い続けますと、あるいは、もう少し面白く読むことが出来る文章を作成することが出来るようになるのではないかと思われます。

とはいえ、現時点では、こうして自らの文章にて、はじめからブログ記事を作成する方に馴染みがあり、さきのChatGPTを用いた作成方法は、その「あっけさな」あるいは、なかば単純作業のようにしてブログ記事作成が出来てしまうことに強い違和感を覚え、さらに、そこで生成された文章に加筆修正したブログ記事は、どうしても、これまでの方法で作成したブログ記事と同じものとして認識することが難しく、これはこれで一つの実験として、これらの(試作文章)の投稿ブログは、後日、少しづつ、そして継続的に加筆修正を行うことにより、認識が徐々に変わり、ChatGPTを用いる以前に作成したブログ記事と、概ね同じものとして見ることが出来るのかを検討したいと考えています。

また、これまでに何度か記事題材として、当ブログ作成の来歴について扱ったいくつかの記事についてですが、この題材は、私にとってはそれなりに重要であり、これまで私が、まがりなりにもブログを継続することが出来た背景には、和歌山や鹿児島での経験があるのですが、それだけでは、たとえ、どれほど多くの経験や知見を得たとしても、ブログ記事の作成には結びつくことはないと云えます。これを自らの行動として始めた経緯には、ある種の焦燥感があり、それが日を追う毎に大きくなり、自分なりに悩んだ挙句「書いてみます・・。」といった態で始めた当ブログですが、この「ある種の焦燥感」は思い返してみますと2013年の学位取得を起点にしているように思われます・・。

つまり、私は2013年から焦燥感を抱くようになり、これが次第に大きくなり、2015年に(ようやく)当ブログを始めたということになりますが、では、そこから8年間以上ブログ記事の作成を継続して当初の焦燥感は感じなくなったのかと自問しますと、これは明らかに感じられなくなりましたが、他方で、それまでの期間、ブログ記事作成を継続したことにより、今度はブログ記事の作成が半ば習慣化してしまい、そこから現在のように自分で設定した2000記事到達後の休止期間であっても、このようにしばしば記事作成を始めてしまうのです・・(苦笑)。

ともあれ、そのおかげもあってか、どうにか、その起源あるいは源泉にあるものにブログ記事として文章で著し、以前よりかは、どうにか「にじり寄る」ことが出来ているのではないかと思われるのです・・。しかし「にじり寄る」は良いとして、そこに至るまでに8年以上の期間を要しているということは、適当な比較対象を知らないため判断は出来ませんが、一般的によくあることなのでしょうか・・?

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20230927 我が国の宗教について(試作文章)

我が国の宗教は、西洋や中東の一神教であるキリスト教やイスラム教とは大きく異なる特徴を持っています。我が国の神道は多神教であり、神社では大抵複数の神を祀っています。

こうした多神教を視座として眺めますと、我が国の神道には同じ多神教ではありながらも、ギリシャの古代宗教やインドのヒンドゥ教などと共通点もあるものの独自の特徴を持っていると云えます。

その最も顕著な違いは、ギリシャの古代宗教やヒンドゥ教の神々が具体的な肉体を持ち、目に見える存在として祀られていたのに対し、我が国の神道では、神々の存在は概して抽象的であり、その具体性が相対的に希薄であることです。

確かに我が国の記紀神話には多くの個性を持った神々が登場しますが、それらの肉体的な実在性はギリシャ神話やイリアスやオデュッセイアなどに登場する神々と比較しますと希薄という印象を受けます。

また、19世紀から広まった進化論の視座からは、キリスト教以外の宗教、特に多神教などは原始的な段階に留まった宗教とされ、これが時間の経過とともに、一神教へと発展していくといった、いわば西欧中心的の見解が一般的なものでした。

しかし、この考えは後に徐々に否定され、現在では一神教のみが優越であり、多神教が未発達な原始的宗教であるという見解は精確ではないと云えます。

とはいえ他方で、我が国においては、宗教に関しては、特に知識階級の無関心が著しいことが、たびたび指摘されています。この無関心は実業界やジャーナリズムにおいても明らかであり、多くの人々が日常生活において宗教について、ほとんど関心を持っていないと云えます。

そして、この宗教に関する無関心は、我が国の宗教と一神教の宗教との間に大きな違いがあることが原因になっているのではないかと考えます。

我が国の土着的な多神教の伝統は、本質的に、西欧諸国が奉じる一神教とは異なった価値観や宗教観に根差しており、そのため知識階級や一般の人々が宗教についてあまり関心を持たない、あるいは持ち得ないといった傾向があるのではないかと考えます。

しかしながら他方で、この宗教に対する我が国の知識階級の無関心は一神教と多神教を比較する際に重要な視点を提供す
るものと云えます。

何故ならば、宗教への関心の有無や強弱は、その国や地域の文化や社会を考え、そして理解する上で大きな鍵となり得るからです。具体的には、宗教が個人や集団の価値観、行動、意思決定にどのような影響を与えるのか、宗教的な儀式や信仰が社会の構造や文化に、どのように組み込まれるのかといった問題は、現実の政策決定などに際して重要なことであるということになります。また、おそらく多くの海外の報道機関や調査機関などの組織は、我が国に対しても、こうした視座からも眺め、そして考えているものと思われます。

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2023年9月26日火曜日

20230925 歯科衛生士の養成課程について思ったこと(試作文章)

現状での歯科衛生士の養成は、いまだその大半が3年制の専門学校および短期大学にて行われています。そして、その背景には「同じ歯科衛生士の国家試験受験資格を得るためであれば、修業年限がより短く、学費も抑えられる専門学校や短期大学の方が良いのではないか」といった考えも少なからずあるように思われます。

たしかに、この考えは経済合理性の観点から、現時点では妥当であると云えます。しかし同時に2001年まで遡りますと、歯科衛生士の修業年限は2年でした。そこから3年制への修業年限の延長、そして、その後の4年制大学化に至った背景には、主として歯科医療全般の高度化による、歯科衛生士として必要とされる教育内容の増加がありました。

この傾向は医療分野においてはさらに顕著であり、近年の医療現場においては、ごく普通に四年制大学卒の看護師や、その他の医療専門職の方々がいらっしゃり、現在も、そうした方々が増えつつあります。そして、その背景にある要因もまた、さきの歯科衛生士をめぐる状況と同様、必要とされる教育内容の増加があります。

また、別の視点からこの傾向(医療専門職の修業年限の延長、高学歴化)を観察しますと、今なお続いている経済的低迷のなかで、高等教育を受けるにしても、将来の職業に結び付きやすい国家資格の取得を目指した医療系大学に進むことが堅実であると判断されるご家庭が増えたからであるとも考えられます。

くわえて、この先の社会では、さらなる高齢者人口の増加が進むことから介護職はもとより、医療専門職の不足も懸念されています。そのため、さきほどの高齢者人口の増加とともに少子化も進んでいるなかであっても、歯科衛生士を含む医療専門職全般の養成課程の新設が続いているのだと推察されます。 こうした事情もあってか、以前と比較しますと、多少は関心を持って頂けるようになったと思われる歯科衛生士ではありますが、そうしますと今度は「歯科衛生士にはどのようにしてなるのか?」あるいは「歯科衛生士はどこで、どのように働いているのか?」といった、より具体的な疑問も自然に出てくるものと思われます。

専門学校や短期大学、大学を卒業して無事に歯科衛生士免許をしてからの勤務先は、大別しますと、比較的規模の大きい病院などの医療機関、企業や公的機関などでの関連部門、小規模な歯科医療機関の三種に分類出来ます。そして、それぞれで勤務する歯科衛生士の割合は、最も多くの歯科衛生士さんが勤務しているのは最後に挙げた 小規模な歯科医療機関です。 何故ならば、我が国の歯科衛生士さんが勤務する歯科医療機関の大半は、従業員数が10人以下の小規模な、個人による歯科医院であるからです。さて、この小規模な歯科医院は、一般的な事務職での大企業と比較しますと、やはり安定感は異なると云えます。

しかし、歯科医療を含む医療機関などは一般的な企業とは異なる価値観があり、それは、たとえ一零細企業とも云える医療機関であっても診療内容が、大学や学会などのアカデミアでの研究を基準として高水準であるならば、優れたものとされること、つまりは組織の規模よりも、その診療内容の方が重視されることであると云えます。

そして、そうした医院の診療内容の水準をはかる一つの簡単な方法として、勤務している歯科医師や歯科衛生士さんが、その専門性を示す指導医や専門医や認定医、認定歯科衛生士などの資格を確認することがあります。こうした資格は、ただ診療を続けていても取得できるものではなく、大学や学会などに所属して、ある程度の期間研究を続けて、論文執筆や学会発表などをして、さらに試験を受けて、はじめて取得出来るものですので、少なくとも、その歯科医師、歯科衛生士さんの勤勉さと臨床知識については問題なく、そこから臨床技術も同様であろうと推測されるわけです。

そして、こうした 一市井の機関でありながら、大学や学会などに属してアカデミックな活動を行うことは、おそらく、一般的な企業さまではまだ稀であると思われることから、これが、歯科医療を含む医療機関全般の持つ一つの大きな特徴であり、異なった価値観であると思われます。

そしてまた、この医療機関と大学や学会との連携が出来る体制から、大学などでの最新の研究からの知見が、市井の医療機関に速やかに伝達出来るのだとも云えます。そうした価値観に基づいて考えてみますと、歯科医院をはじめとする様々な医療機関の診療内容などについての評価は、やはり、ある程度余裕を持って勉強が出来た、また、異なった分野も学ぶ機会があった四年制大学での養成課程を卒業して、さらには修士課程も修了した方が、より精確に理解出来るのではないかと思われます。

その意味においても、我が国の歯科衛生士養成課程は今後、最終的には全面的に四年制大学化した方が、高齢化が進む我が国の社会状況、さらに先進諸国もそれに続くとされる世界情勢を鑑みて、より多くの人々に、高水準の歯科医療を提供できるようになるのではないかと思われるのです・・。

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2023年9月19日火曜日

20230919 歯科材料の歴史について(試作文章)

我々の身の回りにあるものと同様、歯科治療で用いる材料もまた、主に以下の四種材料により構成されています。

①有機材料(高分子材料、例:プラスチック)
②無機材料(セラミックスなど)
③金属材料(金属や合金)
④複合材料(これらの材料の組み合わせ)

①の有機材料(例:プラスチック)は、歯科治療において、口の中の型取り(印象採得)に使用されたり、入れ歯(義歯)の材料として使用されます。これらの材料は比較的柔らかく、変色や着色が生じやすいといった特徴があります。

②の無機材料(セラミックスなど)は、焼成や焼結工程を経て加工されます。材料としての特徴は、高硬度であり、変色や着色も少なく審美性にも優れており、また体内での安定性に優れ、為害性が極めて低いことが挙げられます。

③の金属材料(金属や合金)は、概して機械的強度に優れていますが、透過性や透光性に乏しく、口腔内の色調とは異なる特有の金属光沢があります。近年は金属アレルギーのリスクや価格高騰と技術進化の影響により、歯科材料として用いる利点が減少しています。

④最後の複合材料は、有機材料、無機材料、金属材料の特性を組み合わせたものです。これらの特徴は、機械的強度は金属や無機材料と比べて、概して低いですが、審美性や価格などの点からは、多くの場合、金属材料よりも用いる利点があると云えます。

如上の各歯科材料の性質概要を念頭に置いて、各歯科材料の歴史について考えますと、当然であるのか、驚くべきことであるのか、世界各地において、紀元前の頃から原始的ながらも歯科治療は行われていました。そして、そこで用いられていた各種材料が、現在の歯科材料の起源・始祖ともいえるものであるといえます。

そして、紀元前のいわば、歯科医療草創期の時代から各地で共通して歯科材料として用いられていたのが金です。金は展延性に富み加工が容易であり、且つ化学的安定性に優れていることから、各種加工技術が未熟であった時代から、歯科の補綴装置に用いられてきました。

そして、現代においても一部の臨床家や材料研究者は、金を最高の歯科材料であると考えていますが、貴金属の価格高騰と加工技術の進歩により、その評価は変化しつつあります。端的にそこから、時代と技術の進化に伴い、歯科材料に対する見解も変化するということが理解出来ます。そして、こうした変化を柔軟に対応するためには、歯科治療は自然科学とアートの融合であり、常に変化して進化し続ける分野であることを知ることが重要であると思われます。

さて、さきにアートと述べましたが、アート(芸術・技芸など)と親和性のある歯科材料として、たびたび取り上げられるのは磁器です。西欧において磁器生産が始まった18世紀以降、さらなる技術の進化発展に伴い、磁器の作製技術は当時の歯科材料にも応用されるようになりました。

18世紀に西欧での磁器生産が始まり、その技術が歯科医療へと波及する一方で、ポール・ケネディによる「大国の興亡」やジャレド・ダイアモンドによる「銃・病原菌・鉄」などでも述べられているように、16世紀以降から、西欧諸国が世界各地からさまざまな植物やその加工品を供給するために新大陸へ進出していました。

西欧が磁器を知ったのも、そうした大陸進出を通じてであるのすが、その中でも特筆すべき産品はサトウキビを材料とする砂糖です。砂糖の普及に伴い、さきの18世紀頃の西欧社会では虫歯の増加が顕著となりました。現在では西欧は虫歯予防や歯科医療において先進的な国々となっていますが、18世紀当時には虫歯と砂糖の因果関係は理解されておらず、虫歯治療は未発達な原初的なものであり、その多くは抜歯を行っていました。抜歯には専門の「歯抜き師」という職業があり、この職業は、17世紀初頭の文学作品「ドン・キホーテ」にも伝説の兜を被っていると誤解されるキャラクターとして登場しています。

ともあれ、18世紀の西欧社会には砂糖の普及に伴い、虫歯が増加し、「歯抜き師」が一般的な職業となりました。やがて、抜歯のみならず、口腔内全般の治療を行う「歯の治療者」と呼ばれる職業も登場し、これが現代の歯科医師の直接的な起源とされています。ただし、この時代の治療は、現代の歯科医療と比較すると、知見不足の原初的なものであり、決して適切とは云えないものでした。

他方で「歯の治療者」が歯科医療に大きな貢献を果たしたのは、歯科補綴装置の分野でした。これと関連して、18世紀に錬金術師によって開発された中国由来の磁器の作成法が歯科医療において重要な役割を果たしました。まとめますと、18世紀には、砂糖の普及による虫歯増加から、歯抜き師が登場し、やがて「歯の治療者」が誕生しました。この変化には同時代に西欧ではじまった磁器製造も関連しており、歯科医療の進化に寄与したということになります。

この18世紀での砂糖の普及と虫歯の増加は、歯科医療に大きな変化をもたらし、それまでの「歯抜き師」による虫歯の抜歯から、「歯の治療者」が抜歯後の外観や機能の改善、修復を行う職業として認知されました。この変化には、お口を含む人体の構造や材料に関する幅広い知識が背後にあり、これは錬金術師からの系譜であると云えます。

ヨハン・ベトガーなどの錬金術師が18世紀、西欧で初めて磁器の製造に成功し、歯科医療にも影響を与えました。例えば、英国のウェッジウッド社は陶磁器の技術を用いて陶歯を製造し、その美しさで人々を引き寄せました。しかし、当時の入れ歯は不完全で、食いしばることができない仕様でした。

ジョージ・ワシントンの描かれた1ドル紙幣にもその影響が見られます。一方、日本では木製の入れ歯が15世紀末から16世紀初頭に作成されました。これらの木製入れ歯は柘植から作成され、熟練の職人によって個別に作られました。この技術は、室町時代末期から戦国時代にかけての社会変化により、職人たちが新しい職業を模索する中で発展しました。

しかし、西洋の歯科医学の導入と共に、木製入れ歯の技術は衰退し、20世紀初頭には西洋式の歯科医療が主流となりました。現代でも、我が国の歯科技工は高い技術水準を維持しており、そのルーツには古来からの技術と職人のこだわりが息づいています。

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2023年9月18日月曜日

20230917 ブログ記事の作成方法について思ったこと【*2040記事到達】

昨日の記事投稿により、総投稿記事数が2040記事に達しました。そして、投稿から概ね一日が過ぎた現在に至るまでで、思いのほかに多くの方々に読んで頂けました。読んでくださった皆さま、どうもありがとうございます。これまで私が作成したブログ記事の中では、歯科医療を題材とした記事は、その他を題材としたものと比較して、そこまで多くの閲覧者数は得ていないことから、少し不思議に思われましたが、昨日の投稿記事について、特徴的であると思われたのは、その作成方法と云えます。

ブログ記事の作成方法は「PCキーボードで文章入力をするだけではないか?」と考えられる方々もいらっしゃるとは思います・・。たしかに、それはそうであるのですが、私は、これまで8年間ブログ記事の作成を行ってきましたが、その期間、しばしば、いえ、どちらかというと、慢性的に近いくらいにスランプ気味でした・・。また、毎度訪れるスランプには軽重がありましたが、どうにか記事作成は出来ました。そして、スランプ気味ではありながらもブログ記事の作成を継続していますと、少しずつ、自分なりに練られた文章を作成することが出来るようになるのではないかと思われます。

その意味で、半ば強制的に毎日の記事作成を課す期間を数年程度行っていますと、明確、あるいは判然としたものではありませんが、当初に作成したものと、直近に作成したブログ記事との間にある、違いのようなものを感じることが出来るようになったと思われます。

そして、そこからさらに継続していますと、ブログの記事数もまた徐々に増えていきます。そうしたなか、ChatGPTが登場しました。これも色々と自分なりに操作を行いつつ、何に用いようかと考えたところ「当ブログ記事の作成に応用出来るのではないか・・」と考えました。ChatGPTに入力する文章の材料としては、これまでに作成したブログ記事があります。書籍からの引用記事は除いても、おそらく1500記事ほどはあると思われますので、これら記事を材料として、それぞれをあまり長くないセンテンスに分けて、そこから不要なセンテンスは削り、この行為を複数の内容が類似・関連したブログ記事に対して行い、数記事分の断片的なセンテンスをChatGPTに入力し、さらに、それら統合して、脈絡のある論旨の文章を作成するように指示を出しますと、とりあえずは、それらしきものは即座に出来上がります。そして、そこからまた、加筆修正を行い、それらしい文章にしてみたものが、これまでに作成した一連の(試作文章)であると云えます。

しかしながら、上述のブログ記事作成方法にて作成した一連の(試作文章)は、現在ここで作成しているようなオリジナルの独白形式の文章よりも、私にとっては何といいますか、創造の楽しみといったものが乏しいと思われるのです。とはいえ、こちらもこちらで新しく、興味深いものではありますので、また今後も、自分なりに
ChatGPTを用いた文章作成は行いたいと考えています。

しかし他方、もしも、私が当ブログを始める以前に、新たな道具としてChatGPTが世に普及していたならば、おそらく、私はブログ記事の作成を行っていなかったのではないかと思われます・・。その意味で、当ブログがある程度の期間継続したあとでChatGPTが世に普及するようになったことは、私にとっては、それなりに大きな幸運であったのではないかとも思われるのです・・。

しかし、やはりこうしたオリジナルの独白形式の文章は、作成していて脂がのってきたときがとても楽しく、おそらく、これが「フロー」であるか、あるいはそれに近い感覚であると思われますが、こうした感覚、体感を比較的簡単に得ることが出来るのが、さきの文章作成であるのではないかと思われます。ともあれ、また今しばらくは、基本的に休止期間としながらも、時々はこれまでとは異なった方法も用いつつ記事作成を行い、また新規の試み(3000記事?)まで、たとえ断続的にではあれ、今しばらく記事作成を継続したいと考えています。

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2023年9月17日日曜日

20230916 歯科技工について(試作文章)

歯科技工士は歯科医療分野の専門職のひとつであり、専門学校や短期大学や大学での養成課程を修了して、国家試験を経て免許取得に至ります。その主な職務内容は、歯科医師の指示に基づき、来院された患者さんのために歯科補綴装置を製作することです。そのため、歯科技工士は歯科材料や補綴装置の製作技術に詳しく、また、歯の解剖学的な形態やその特徴なども熟知している必要があります。その存在は決して目立つものではありませんが、歯科医療においては必要な存在であると云えます。

また、かねてからの我が国の社会全体の高齢化の進展に伴い、入れ歯や銀歯などの補綴装置の需要も増加しており、そこから、歯科技工士の重要性が増しているとのことです。

多くの場合、歯科技工士は歯科技工所で働きます。ここでは、各種歯科補綴装置の作製が行われ、歯科技工士の約7割が勤務しています。また、一部の歯科医院には歯科技工室が設置されており、ここで働く歯科技工士も約2割ほどいます。さらに歯科関連の企業などにおいても、多くはありませんが技術職や営業職として勤務している歯科技工士もいます。

歯科技工士は独立して開業することも可能であり、歯科技工所での勤務経験を経て、独自の技術を研鑽して独立される方々もおられます。また、その場合、新たな雇用を創出して歯科技工士の育成にも寄与することが出来ます。

とはいえ、歯科技工士の職業には、いくつかの難問があります。それは、高い離職率や後継若手技工士の不足、そして養成機関の閉鎖といったものであり、比較的近い将来、歯科技工士の需要と供給のバランスが崩れてしまうといった懸念も現実的であると云えます。

また、近年、歯科技工はデジタル化(DX)による影響を強く受けており、くわえて、CAD/CAMや3Dプリンターといった、現在、巷を賑わせている新技術も続々と導入されておりますが、これからの歯科技工士は、こうした新たな技術体系全般に、ある程度は適応する必要があると云えます。

こうした新技術の導入や、若年人口の減少により、歯科技工士養成校の閉鎖が続く一方で、歯科衛生士の養成機関は新設が相次いています。この、ある意味対照的とも云える状況は、おそらく、歯科技工士と歯科衛生士の専門職としての性質の違いに起因しているのではないかと思われます。歯科衛生士は臨床にて患者さんと接する機会が多く、また、養成課程もそれに合わせています。一方、歯科技工士は各種歯科補綴装置の製作に専念し、対人的な要素は少ないと云えます。

将来、歯科技工士の養成機関がどのように変化するかについて、その具体像は未だ不明ではありますが、デジタル化の進展とともに、その役割は歯科医療において、もう少し重要なものになるのではないかと思われるのですが、現実的に考えますと、歯科技工は、歯科衛生士の一職分となるのが妥当ではないかと思われるのですが、さて、如何でしょうか?


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2023年9月15日金曜日

20230914 株式会社講談社刊 東浩紀著「動物化するポストモダン」オタクから見た日本社会 pp.101-104より抜粋

株式会社講談社刊 東浩紀著「動物化するポストモダン」オタクから見た日本社会
pp.101-104より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4061495755
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4061495753

 スターリニズムの支持者は、本当はそれが嘘であることを知っている。しかしだからこそ、彼らはそれを信じるふりを止められない。実質と形式のこのねじれた関係は、コジューヴが「スノビズム」と呼んだ態度と同じものである。

スノッブでシニカルな主体は、世界の実質的価値を信じない。しかしだからこそ、彼らは形式的価値を信じるふりを止められないし、ときにはその形式=見かけのために実質を犠牲にすることもいとわない。コジューヴはこの「だからこそ」を主体の能動性として捉えていたが、ジジェクは、その転倒はむしろ主体にはどうにもならない強制的なメカニズムだと述べている。人々は無意味だと分かっていても切腹を行い、嘘だと分かっていてもスターリニズムを信じる。そしてそれは嫌でも止められないのだ。

 ジジェクの理論によれば、この逆説は人間心理の原理に関係している。したがって彼の著作を読むと、「だからこそ」の転倒は、ギリシャ哲学からヒッチコックやコカ・コーラまで、あらゆる時代のあらゆる場所で確認されるように記されている。

 しかし筆者の考えでは、そのような普遍性はいささか疑わしい、ここでその詳しい根拠を述べる余裕はないが、ただひとつ。「イデオロギーの崇高な対象」のシニシズム論が、そもそも、ドイツの批評家、ペーター・スローターダイクが83年に出版した「シニカル理性批判」のうえに作られていることには注意しておきたい。スローターダイクが検討したシニシズムは、あくまでも20世紀の現象である。彼はつぎのように記している。 

 第一次世界大戦は、近代シニシズムの転回点を意味する。大戦によって旧来の素朴に対する腐食・分解が本格化する。たとえば戦争の本質や社会秩序、進歩、市民的な価値、要するに市民文明全般の本質についての素朴な見地が崩れてゆく、この戦争以来、ヨーロッパ諸大国を覆うこの散乱した分裂症質の風土が晴れたためしはもはやない。[中略]すべての『肯定』はこれ以後『されどなお』でしかなく、それとて底のほうでは潜在的な絶望によって浸食されている(注41)。

 第一次世界大戦の経験とその結果訪れたヨーロッパの荒廃は、啓蒙や理性に対する19世紀的な信頼を徹底的に壊してしまった、筆者の考えでは、ジジェクのシニシズム論は、彼自身の主張とは異なり、人間の普遍的原理というより、むしろこの戦争の結果生まれた「20世紀の精神」の分析として精緻にできている。これはある意味で当り前で、というのも、彼が頻繁に参照するフランスの精神分析医、ジャック・ラカンの理論そのものが、じつはその同じ大戦の経験から導き出されたものだったからである。たとえばラカンはフロイトのなかでも晩年の仕事(死の欲動や反復強迫)に注目していたが、それらはまさに第一次大戦中から戦後にかけて生み出されたものだ。さらにまた、フロイトに加えて彼に影響を与えたハイデガーの哲学やシュールレアリスムの運動も、すべて同じ時代に生まれている。したがって、前述のようなジジェクの分析は、じつは、第一次大戦によって生まれた現実(冷戦期のイデオロギー)を、同じく第一次大戦によって生まれた理論(ラカン)で説明する試みだったことになる。ここで具体的に紹介できないのが残念だが、ジジェクの様々な文化批評や社会批評は、このような距離を取って読めばきわめてよく練り上げられている。彼の著作では、ほとんどの現象がシニシズムの転倒により説明されるのだが、じつはそれは過ぎ去った20世紀、私たちの社会がまさにシニシズムに支配されていたことの反映なのだ。

2023年9月12日火曜日

20230911 株式会社ゲンロン刊 東浩紀著「観光客の哲学 増補版」pp.292‐294より抜粋

株式会社ゲンロン刊 東浩紀著「観光客の哲学 増補版」pp.292‐294より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4907188498
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4907188498

現在のSNSのユーザーは(とくに日本では)、しばしば「本アカ」と「裏アカ」を使い分ける。前者は、ユーザーの実名と紐づけられ、現実の友人や知人も読むものと見なされているアカウントで、後者は、実名から切り離され、匿名でだらだらと好き勝手なことを書いてよいと見なされているアカウントである。

 この区別を援用して説明すれば、ギブスンが描いたのは、いわば本アカと裏アカがきちんと区別できている世界である。本アカは現実のぼくたちが運営し、裏アカは電子的な分身が運営している。サイバースペースへの「没入」とは、つまち裏アカへのログインだ。サイバースペースの比喩に引きずられた1990年代の情報社会論は、裏アカの確保がいかに人間を自由にするか、その肯定的で解放的な側面ばかりを強調していた。そして、それはまた、主体の分裂を夢みるぼくたちの時代にとって、いかにも都合のいい言説であったのである。ネットワークはぼくたちを「分人」にしてくれる、万歳!というわけだ。

 けれども、2017年のいまでは明らかなように、情報社会の怖さというのは、まさにその夢が夢でしかないこと、すなわち本アカと裏アカの使い分けがだんだんとできなくなっていくことにあるのである。本アカと裏アカの使い分けはしばしば失効する。実名が暴露され「炎上」する。そのような光景は日常茶飯事である。しかしそれだけではない。より恐ろしいのは、本アカと裏アカの使い分けを、その使い分けをしているはずの当人もだんだんできなくなっていくことだ。虚構で毒を吐き続けていれば、やがて現実にも影響を及ぼす。ひとはそんなに器用に「分人」にはなれない。分身が裏アカで吐いた毒は、まさに不気味なものとして本体に貼りつき、少しずつ本アカのコミュニケーションにもゆがみを与えていく。ぼくたちはいま、まさにそのような事例をヘイトやフェイクニュースの隆盛というかたちで日常的に目にしているように思われる。

2023年9月11日月曜日

20230911 某芸能事務所についての報道から、および当ブログの休止期間について思ったこと

ここ最近また、ブログ記事の作成を休止していました。その間に何度か「ブログ記事を作成したい。」といった思いも生じましたが、まだしばらくは基本的には記事作成を休止する予定であることから、この期間は敢えて作成しませんでした。そうしたこともあってか、ここにきて時折、より大きな、記事作成への欲求を感じるようになりました。

それは、これまでにあまり感じたことのないものであり、期せずして、当ブログ開始当初の頃の感覚が思い起こされました。そして、これをしばらく継続しますと、より大きな自らの変化、あるいは、より大きな記事作成への意欲の鉱脈などを見出すことも出来るのではないかと思われるのです。

それ故、今しばらくは記事作成を休止するつもりです。これまでの8年間、平均しますと10日間のうち7日は記事作成を行ってきましたので、目標到達から4カ月ほど経った現在であってもブログ記事作成に関しては、まだ休止・休養期間であって良いと思われます。自分を奮い立たせて記事作成を行うことも、おそらくは可能であるとは思うのですが、おそらくそれでは継続することは出来ないと思われます。また、現状から考えますと、おそらく今後、少なくとも2100記事程度まではブログ記事を作成することになると思われますので、そのためにも、現在であれば休養を優先した方が良いのではないかと思われるのです。

しかし、それでもこうして現在、記事作成を行っているのですが、これもまた以前に触れましたが、休止・休養期間であっても、時々は記事作成を行っていた方が文章作成能力の低下などは避けられるといった実感もあることから行っています。そして、その記事作成のタイミングについては、自らの感覚に委ねており、本日は「久々であるため記事作成をしようか・・」となり作成している次第ですが、特にスランプに陥ることなく、ここまで比較的スムーズに作成することが出来ています。また、こうして久しぶりにブログ記事の作成を行っていますと、文章を考える頭脳の方ではなく、何やらキーボード上の指の方が、ブログ記事の作成をよろこぶような感覚もあり、それはそれでなかなか面白い感覚であると云えます・・。

また、そうした感覚を、来るブログの本格的な再スタート後に繋げるためにも、やはり今しばらく当ブログは休止して休養を優先したいと思います。とはいえ、ほぼ一週間ぶりに記事作成を行い、この程度までスムーズに文章を書き進めることが出来たことは、やはり、これまでの休養期間によるのではないかと思われます。

そういえば、先日来の我が国の某芸能事務所を巡る報道を動画サイトなどで視聴していたためか、一昨日の睡眠時に司馬遼太郎にある短編小説が思い出されました。それは同著者による短編「人斬り以蔵」などと比べると、比較的地味な作品であると思われます。作品の題名は「牛黄加持」というのですが、この作品の内容は忘れて、言語で説明出来る状態ではありませんでしたが、昨日出向いた先にあった書店にて当作品が収蔵された文庫本を購入して、早速、移動の電車内にて読みましたが、そこで何故、夢に当作品が出て来た理由が判りました。また、これをはじめて読んだ頃の私の理解は、意外にも深かったのかもしれないと思われました。少し気になりましたら、文庫本ですので、購入しても昼食代を何日間か少し削れば大丈夫であると思いますので、是非、購入して読まれてみては如何でしょうか?

また後日、当ブログの引用記事として作成したいとも思います。ともあれ、ここ最近はさきの司馬遼太郎による作品「牛黄加持」ではなく、いわゆる思想書に分類される著作を読んでいたため、おそらくは少し脳の方が疲れ気味でしたが、司馬遼太郎の著作であれば、読み始めますと比較的集中して読むことが出来ることが判りました。小学生の頃から現在に至るまで、同一の作家による作品を読み続けておりますので、読み始めますと、ごく自然とその文体に乗せられるのではないかと思われますが、またこうしたことは、人との会話においても同様にあるのではないかと思われますが、さて、こちらも実際のところはどうなのでしょうか?

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

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2023年9月4日月曜日

20230904 株式会社東洋書林刊 セバスチァン・ハフナー著 魚住昌良監訳 川口由紀子訳「図説 プロイセンの歴史―伝説からの解放」pp.61‐64より抜粋

株式会社東洋書林刊 セバスチァン・ハフナー著 魚住昌良監訳 川口由紀子訳「図説 プロイセンの歴史―伝説からの解放」pp.61‐64より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4887214278
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4887214279

さて次はいよいよフリードリヒ大王である。大王の言葉、「王は国家第一の奉仕者なり」は良く知られており、しばしばいろいろに関連づけて用いられている。しかしフランス語の初稿では、後にしばしば用いられているように「奉仕者」ではなく、「下僕」-「国家第一の下僕」となっていたことはあまり知られていない。「下僕」となると、この言葉は突然まったく別の響きをもち、やはりいろいろなニュアンスでくり返されているもう一つのフリードリヒの言葉、「私は、出生という盲目的な偶然によって定められたこの仕事がどんなに嫌わしいことか!」を想起させるのである。

 フリードリヒは生まれからの文人であり、「哲学者」(今日ではさしずめインテリとでも言おうか)であり、ヒューマニストであった。それゆえ皇太子時代には、父とのすさまじい葛藤があった。ここでは、それについてはくり返し述べるつもりはない。フリードリヒ大王はその後半生に着用した専用の制服のことを、初めのころ、いまいましげに「死の作業着」と呼んでいた。

 フルート奏者、芸術愛好家、啓蒙主義者で人間愛に満ちた「反マキャベリスト」、ヴォルテールとの昵懇な友情、即位の際に矢継ぎばやに出された人道的な公布のかずかずー拷問の廃止(例外つきの)、「新聞は自由に書いてよい」、「わが国では、誰もが自分の流儀で暮らしてよい」-これらは決して仮面でもなければ、気まぐれのおおらかさでもない。これが真のフリードリヒであり、彼本来の姿である。

 フリードリヒは、彼が宿命と見た「大嫌いな仕事」のためにそれを犠牲にした。より具体的に言えば、彼に権力政治を行わせ、戦争・戦闘を行わせ、領土を強奪させ、同盟や契約を破棄させ、まがいものの金貨を造らせ、彼の臣下や兵士、わけても彼自身に、その能力を最大限に発揮することを要求したプロイセンの国家理性のために、つまりプロイセン王であることのために、である。

 フリードリヒはそのためにひねくれた人間となった。父のような狂暴な人間にはならなかったが、氷のように冷たい皮肉屋となり、周囲の者を手こずらせる意地悪な気むずかし屋となった。人を愛さず、人に愛されず、自分自身におそろしくなげやりで、身だしなみが悪く、身ぎれいでなく、いつも同じ着古した制服に身を包み、それでいてつねに才気に溢れ、しかし絶望的な否定の精神に包まれ、心の奥底は不幸で、しかも休みなく働き、つねに仕事に向かい、つねに職務に忠実で、自分の忌み嫌う仕事に疲れを知らず、ずたずたに引き裂かれた心を引きずりながらも、息をひきとる最後の瞬間まで一人の偉大な王であった男ーこのような人間に、彼はなったのだ。

 ここでぜひフリードリヒの著作の中からー王の著作は二十五巻あるが、不当にも今日ほとんど読まれないままになっているー彼お心の奥底を垣間見せてくれる一節を引用しておきたい。一通の私信からの抜粋である。

「私が天意ということを口にしないのは、私の権利やもめごと、私個人、国全体といったものが天意を引き合いに出すにはあまりにも卑小な対象だと思うからだ。くだらない愚かな人間の争いなどは、天意を煩わせるに値しない。それはまた、神はシェレジェンがオーストリアやアラブ人やサルマチア人[往時、中央アジアに住んだイラン系の遊牧民。象徴的にポーランド人]のものであるよりはプロイセンのものであるために奇跡を起こすようなことをして下さらないだろう。それゆえこのような厳粛さのないものに、かくも聖なる御名を私は濫用しないのだ。」

 フリードリヒは実際そのように考えていた。とはいいながらフリードリヒは、この厳粛さのないもののために無数の人の命を、そしてある意味では自分自身の命をも犠牲にしたのである。

 これを皮肉だと感じることもできようし、あるいは感動的だと感じることもできるだろう。フリードリヒは英国人の言ういわゆる「とっつきは悪いが、だんだん好きになる(acquired taste)タイプの人間で、初対面では反撥を感じさせるが、いったん親しくなった人は彼の虜になり、愛とは呼べないまでも、もしかすると愛よりも強いある種の感情を呼び起こさせる。過去の大いに誇張された愛国的でへつらい敬うような追従によって、「老フリッツ」は人気のある逸話の英雄にまつりあげられている。実際のフリードリヒを知悉すればこれはまったく滑稽でしかないが、今日ではむしろ一般的となっている大王の記念像に爪を立てる誹謗も、妙にフリードリヒから逸れている。どんなに必死に引きずり降ろそうとしても、フリードリヒにはそれは通じない。フリードリヒはそうしたことをすべて誰よりも承知していた。どんなに悪く言われようとも、フリードリヒは結局昔も今も魅力的な存在でありつづける。

2023年9月3日日曜日

20230903 サルコペニアについて(試作文章)

「サルコペニア」は、筋肉の減少を指す用語で、1989年にアメリカの学術雑誌で初めて提唱された言葉です。この言葉は、ギリシャ語の「サルコ(sarx/sarco)」(筋肉)と「ペニア(penia)」(喪失)を組み合わせたもので、加齢に伴い運動機能や認知機能の低下と関連する虚弱(フレイル)とも深い関係があります。

サルコペニアに関しての研究では、高齢者のたんぱく質摂取について注目されることが多いですが、そうした研究から、たんぱく質のサプリメント単独では十分な筋肉増加が得られないことが分かっています。また、たんぱく質のサプリメントと筋力トレーニングの併用であっても、有意な筋肉増加がないことが確認されています。同様に、さまざまな生活能力の指標を用いた研究でも、サプリメントと筋力トレーニングの組み合わせには、有意な効果を示すことはありませんでした。

かねてより我が国は先進諸国のなかでも比較的平均寿命が高いですが、他方、近年、我が国では低栄養や不適切な食生活などが問題となっています。特に高齢の方々は、摂取する栄養や、それらのバランスが偏りがちであり、そこから体重減少、筋肉減少、免疫力低下などを引き起こす可能性があります。低栄養は高齢の方々に対してはとくに、健康や生活能力に悪影響を及ぼす要因であるとされています。我が国の食生活の変化により、高齢の方々も低栄養に陥りやすく、これがフレイルや生活能力の低下そして感染症のリスク増加につながる可能性があります。

サルコペニアとフレイルは、低栄養が共通の要因であることが指摘されており、栄養状態の改善が対策の鍵とされています。また介護分野の視座からは、低栄養による疲労感、活力低下、筋力低下、歩行速度低下そして活動量の低下などが、介護リスクを増加させるため対策の必要性が高まってきています。

最後に、栄養学の観点からは、伝統的な食事パターンが認知機能の維持に寄与していることが指摘されており、我が国であれば、伝統的な和食の食事習慣が同様に、認知症のリスク低減に寄与していることが示唆されています。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

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