2023年2月8日水曜日

20230207 光文社刊 宮台真司・野田智義著「経営リーダーのための社会システム論 構造的問題と僕らの未来」 pp.189‐193より抜粋

光文社刊 宮台真司・野田智義著「経営リーダーのための社会システム論 構造的問題と僕らの未来」
PP.189‐193より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4334952933
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4334952938

宮台 スローフード運動は、1986年、イタリアのローマにマクドナルドの第1号店がオープンした際、市民の間え「僕らはパニーニを食べるんだ」という声が上がり、反対運動がわき起こったのをきっかけに発展しました。99年8月には、ジョゼ・ボヴェという有名なフランスの農民活動家(現欧州議会議員)がマクドナルド店舗解体キャンペーンを始め、その様子は世界中に伝えられました。人間が社会の、あるいはシステムの奴隷になってしまうのを避けようとする戦略的な運動は、90年代をピークに一定の広がりを見せたのです。

 しかし、その後の運動には陰りが見え始めます。それは、とりわけ90年代半ば以降のグローバル化の急進展で、地元商店が大規模資本の直営店やフランチャイズに置き換えられて、ファストフードが雇用を生み出す重要なシステムとして見直されるようになったためです。2018年には、フランス、マルセイユ郊外のバルテルミー地区で、地域経済の落ち込みによってマクドナルドの閉店が決まると、住民たちが「閉店反対運動」を起こしました。

これは、残念であると同時に、非常に重大な展開です。共同体が共同体であり続けるための条件はいろいろありますが、そこには経済的環境も含まれます。具体的には、グローバル化の影響による格差拡大で貧困化が進んだコミュニティでは、人々は生きていくためにあえてシステム世界を選択せざるをえず、それによってコミュニティはますます壊れて、ますますシステム世界に依存していきます。ヨーロッパ的アプローチの限界はそこに表れています。

 マクドナルド化をディズニーランド化で埋め合わせる

宮台 これに対し、アメリカではシステム世界を重視し、システム世界の全域化そむしろ徹底しようとしています。

 移民国家アメリカの社会は多人種・多民族で構成されており、人間関係は互いを知らないという「不信ベース」で成り立っています。人間集団の基本は、同じ価値や目的を持つ人たちが集まるアソシエーション(組織集団)で、行動に責任を負うのはあくまでも個人です。また、キリスト教原理主義の国なので、人々は神に見られていると感じており、汎システム化によって人間が経験する精神的不安定にも比較的耐性が強い土壌が備わっています。

 システム世界の全域化を徹底するアプローチは、こうした歴史や文化を反映したものです。一口で言えば、成員が「動物」でも回る社会の仕組みを構想しようというものです。ここで「動物」というのは、不快を避け、快に向かう性質を持つという意味です、つまり、人々の内発的な善意ー良心ーを用いる代わりに、アメとムチだけでなく、快・不快の巧妙なコントロールを行うアーキテクチャ(仕組み)による管理下を進めるという戦略です。

 飲食店を例に取ると、大資本の直営店やフランチャイズ店では、BGMの音量、照明の明るさ、座席の硬さ、家具や調度のアメニティを使って、客の滞留時間をコントロールし、単位面積当たりの収益率を上げようとします。客は、そうした戦略に気づかず、「疲れたな」とか「飽きたな」と感じて、主観的には自発的な選択として店を出ますが、そうした自発的な選択がアーキテクチャによってコントロールされています。ローレンス・レッシングは「CODE-インターネットの合法・違法・プライバシー」(山形浩生・柏木亮二訳、翔泳社、2001年)という著書で、これを「アーキテクチュアル・パワー」と呼びます。

「人間が快・不快を感じる動物でありさえすればよい」とするこうしたアプローチは、収益率上昇にとっては有効ですが、副作用をともないます。こうしたアーキテクチュアル・パワーを用いたシステムは、客の常識的な価値観を一切当てにしないので、システム世界の全域化が進んでいけば、社会はその分、さらに「不信ベース」になりがちです。

 そうした流れを象徴するのが、モンスター・クレーマーによるカスタマー・ハラスメント(顧客・取引先からの嫌がらせ・過度クレーム)です。不信や不安が原因で、損得勘定に過剰に敏感になって、些細な不利益でヒステリーを起こす人が増えるのは、システム世界の全域化にともなう当然の副作用です。

 そうした副作用にどう対処するのか。アメリカ的アプローチでは、システム世界の全域化による副作用には、システム世界の全域化の徹底によって対処します。アメリカのマクドナルドでは、商品を受け取るまでの時間が長いことを理由に店員を殴ったクレーマー事件が発生すると、すぐさま警察に突き出して解決します。警察=行政というシステムで解決するのです。さらに、Airbnbなどでは、プロバイダーのみならず、消費者・ユーザーの振る舞いも評判スコアにカウントされますが、そうしたシステムを使うわけです。

 ここから少し話を進めます。マックス・ウェーバー研究で知られる社会学者ジョージ・リッツァは「マクドナルド化する社会」(正岡寛司監訳、早稲田大学出版部、1999年)という本を書いています。元になっているのは1980年代に書かれた論文ですが、そこで彼は「マクドナルド化(McDonaldization)」と「ディズニーランド化(Disneylandization)」という言葉を使います。

 リッツァの言う「マクドナルド化する社会」とは、人間が「動物」でありさえすれば回るような脱人間化・没人格化・損得化が進んだ社会です。そういう社会では、人々は「かけがえのない人間として扱われたい」という感情を無視されることで疎外感や不安感を抱くようになり、カウンセリングを受けなければ押しつぶされてしまうような心理状態に置かれます。

 それを対処するために使われるのが「ディズニーランド化」、すなわち祝祭的消費に因る感情的回復です。アメリカでは、マクドナルド化によって人々が抱くようになった疎外感や不安感を、ディズニーランドによって与えられる祝祭体験で埋め合わせることで、人々が感情的に破綻してシステム世界からこぼれ落ちることがないようにしているのだ、というのがリッツァの図式です。

 そこには「システムがつくり出した裂け目を、システムで埋める」というシステムのマッチポンプがあり、人間はマッチポンプの素材へと貶められています。そこには、人間を動物のような制御対象と見なすシステムの自己運動があるだけで、社会の主人としての人間という存在はほとんど完全に消え去っています。われわれの尊厳は、果たしてそれで保たれるのか。保たれないからこそ、トランプ現象や、Qアノン現象のような陰謀説のまん延があるのではないでしょうか。みなさんにじっくり考えていただきたい点です。