2022年5月27日金曜日

20220526 当ブログ内記述に対する「抽象化の仕方」から思ったこと

先日来より読み進めている、我が国の古代史について扱った著作は、その後も頁は進み、ようやく畿内にて散発的に横穴式石室が造営される時代にまで至り、そして、そこから若干前後して、群集墳の造営が国内各地にて多く見られるようになるといった流れになると云えます。このように一般的に、この時代区分のことを「古墳時代」と云いますが、その時代の中においては、さきの記述(横穴式石室・群集墳云々)から反映・類推されるような社会における大きな変化があったと云え、それらの具体的な様相については、現在読み進めている当著作により、また認識が新たになると思われます。しかし、私の場合だけであるのか、こうした古代史の著作を読み進めていますと、当ブログにて多い、独白形式の文章の作成が少し困難になるように感じられます。あるいは、小説のような文体の著作を読んでいるのであれば、また多少は違うのではないかと思われますが、ともあれ、読書の際は一時的にではあれ、意識が、その記述内容にいくらか過剰に集中されると云えますが、読書後も、しばらくの時間は、この意識の集中からは完全には解放されず、そのために、ある種の文体を持った書籍の読書後では、意識の能動的な活動と云える、文章作成においては、抑制的な効果を齎すことがあるのではないかと思われます。

とはいえ他方で、先日の投稿記事にて述べましたように、硬質な文体の記述を、ブログ記事として手入力する作業にも、それなりの意味はあると考えていることから、こうしたことは、その時の事情も、いくらかは考慮しつつも、あまり深刻には考えずに、ともかく「続ける」ことにより、そうした折々で感じられる出来事も意識され、そして文章化することも可能になってくるのではないかと思われるのです。そして、そうした活動を続けていますと、そのうちに自身作成の記事、書籍からの引用記事にある、何と云いますか、ある種「抽象化の方向性」のようなものが感覚的に理解出来るようになってくると思われるのです。

そしてまた、それら感覚的なものとして理解、知覚された「記述内の抽象化の方向性」は、さらに、いくらかの時間の経過に伴い、ある種の旋律・メロディーのように知覚されて、そうして、あくまでも自分の感覚に基づくものではありますが、機に応じて想起されるようになるのではないかと思われるのです。

くわえて、この機に応じた、いわば関連ブログ記事の想起には、その時の体調も密接に関与しているようであり、具体的には、睡眠時間が少なからぬ比重を占めているものと思われます。

しかしながら、同時に、これまで(どうにか)ブログ記事を続けてきましたが、そこから、私にとってのブログ記事の作成に適していると感じられる時間が深夜であることが概ね分かってきましたが、ここで、さきの睡眠時間と、機に応じた既投稿記事の想起との関係性が問題視されると云えるのですが、この問題は、おそらく改善から定着に至るまで、ある程度の期間を要すると思われるため、とりあえず、ここでは棚上げしておき、1800記事への到達後に、またあらためて考えてみようと思います。

くわえて、昨日の投稿記事にて述べた、書籍からの引用記事のみで1000記事に至った場合、内面にどのような変化が生じるかということは、やはりなかなか興味深いものであるように思われましたが、同時に、現時点にて具体的な書籍からの引用記事数が、どの程度あるのか把握していないため、後日、1800記事に到達出来ましたら、その実際の数を調べてみたいと思います。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

順天堂大学保健医療学部


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