2016年9月16日金曜日

20160916 読書の種類、環境の変化と文章の作成について・・

A「ここ最近読み進めている、どちらかというと理系分野の著作を読んだ直後とは、少なくとも私に関しては、あまりこうしたブログの文章が(相対的に楽に)思い浮かばなくなるようです・・。

これはここ最近(のみ)の傾向であるのか、今後更なる検証が必要ではありますが・・・。

あるいは、これは単なる経験(N)不足によるものであるのかもしれませんが・・。

しかし、傾向としては、やはり何かしらの文学作品あるいは文系分野の著作を読んでいる時の方が、あまり一つのコトバ(の厳密な意味)に捉われず、あるいは文章の簡潔化にも捉われることなく、何と言いますか、伸び伸びと文章を書けるような感じがします・・(笑)。

そして、もし、こうした傾向が実際に内部において存在するのであれば、やはり私は元々文系の人間ということになるのでしょうか・・?

もちろん断定は出来ませんが・・。

とはいえ、こうしたことに関しては、他者の御意見をあまり聞いたことがないため、どうもイマイチよく分かりません・・。

自分自身のこととは、相対的にはなかなか分からないこともあるものです・・(苦笑)。

しかし、その一方で思うことは、ある種の書籍を読んだり、あるいは誰かと話しますと、理由はよくわかりませんが、文章などの主題を思いつく、ひらめくといったことは(比較的よく)あるのではないかと思われます・・。

そして、その反対といったこともまた、あるのかもしれませんが・・(苦笑)。

その点において、ここ一年程度の周囲の環境とは、果たして好ましいものであったのでしょうか・・?

あるいは、そうした環境に慣れて(しまい)、ここまでどうにかブログ記事作成を継続することが出来ているのでしょうか・・?

そして、今後もし何か(大きな)環境の変化があった場合、それに適応し、記事などといった文章作成を継続することができるのでしょうか・・?

・・こうしたことを考えてみますと、多少不安になってくるものです・・(苦笑)。

しかし、それと同時に、採用されれば必然的に環境が変化すると思われる大学職種の公募に応募しようというのは、これまたさきに述べた不安(環境の変化により文章作成の継続が図れるのか?)と矛盾するものではないのだろうか・・(苦笑)?

しかしながら、その前段階で、このブログ記事作成を開始した主な理由とは、自身の文章を書けなくなったことに対する適当な解決策として周囲の方々に勧められ、また自身もそれに納得、同意したことにより、それは文章作成における環境の変化への心配以前のものであることから、それ(環境の変化)が本心から自身の望む環境の変化であるならば、たとえ文章を一時的に書くことが困難となったとしても、これまでどうにか継続してきた何かしらのコツらしきものを頭よりも身体の方が記憶しており、再度何かしら(案外早く)書くことが出来るようになるのではないかと思います・・(笑)。

とはいえ、こうしたことも冒頭に述べたように、その後の検証が必要であるとは思いますが・・。

どうも、ここ最近は自身の内部に対する興味関心を述べてきてしまいましたので、今後少し趣向を変えてみようと思います・・。

ともあれ、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる四月に熊本を中心として発生した大地震により被災された地域における諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」



20160915 理念と欲、ブログ記事作成について・・

一連のブログ記事も400記事への到達から、もうしばらく経ちました・・。

本日は多少帰宅が遅くなり、記事作成を多少面倒に思いましたが、それでもまた、何かしら作成しておこうと考え書きはじめた次第です・・。

ここまで記事作成を継続して行っておりますと、ほぼ惰性あるいは習慣となってしまっているのではないかと思われますが、たしかに双方共に間違いではないと思います・・(笑)。

また、特に前者に関してはより強くそうであると思われます・・(苦笑)。

もともと私は特に勤勉な方ではありません・・。

しかし一方において、自身の好きなことには昔から没頭するクセがあります。では、昔から没頭しているクセとは何であるかと考えてみますと、それは読書であるといえます。
それ故、その時々において自身の好んだ分野における読書とは、あまり苦にならず、ある程度の量を読み込んでいるのではないかと思われます。

しかし、その読み込んだ書籍の分野、分野があまり(世間一般における)統一性を持ったものでないため、現今のような事態(決して「悪い」とは思いませんが)を招いているのではないかとも思われます・・。

とはいえ、これらは自身としては、ある程度統一されたものであり、それぞれの分野間に結節点、移行部が存在し、それをどうにか文章にて説明しようとする試みが、この一連のブログ記事なのではないかと思われますが、さて、これらを読んで頂いている皆様に納得して頂けるでしょうか・・?

また、納得して頂いたとしても、そこから肯定的な評価を頂けるかどうかもまた、別のハナシになってきます・・(苦笑)。

しかしながら、考えてみますと、何も肯定的な評価を(より多く)得るために一連のブログ記事を作成しているわけではなく、その当初においては「とりあえず自分なりに書けることを書いていこう。」といった理由により、ブログ記事の作成をはじめたわけであり、それは現在なお特に変化しているわけではありません・・。

ただ、ブログ記事作成を継続していくに伴い、読んで頂いている方々の数が当初の予想よりも(大幅に)上回ったため、何かしらの「欲」(もっと多くの閲覧者を得たい)のようなものが出てきたというのもまた事実であるといえます・・(苦笑)。

そして、さきに記したブログ記事作成をはじめた当初の理念(「とりあえず自分なりに書けることを書いていこう。」)と、後に現れ大きくなった「欲」との争いが葛藤となり、それを通じて一連のブログ記事とは作成されている傾向があるのではないかと思われます・・。

そうしますと、これら双方(当初の理念・欲)とは、共に重要、不可欠なものであり、何れか一方により統一されることにより、案外ブログ記事の作成という一応創造的な行為とは、困難なものとなってしまうのかもしれません・・。

また、これらの矛盾するとも見える要素を一人がその内部に包括することにより、ブログ記事の作成を含めた能動的、創造的ともいえる行為が為されるというのは、特に珍しい意見でもなく、ヘーゲルの弁証法、西田幾多郎の絶対矛盾の自己同一なども、大きく見れば、それに適合するのではないかと思われますが如何でしょうか・・(笑)?

しかし一方、ここで大事なことは「矛盾するとも見える二つの要素を一人がその内部に包括すること」であり、おそらくこのこの矛盾する要素の相異、矛盾の度合いが大きくなればなる程に、それを一人格が包括することが困難となり、精神に対し負荷となるのではないかと思われます・・。

そして、そうであれば、こうした負荷を出来るだけ少なくして、より大きな矛盾を包括出来ればそれで良いのではないかとも思われますが、しかし、おそらくそこには「持続可能性」といった概念があまり考慮されていないのではないかと思われます・・。

そして、そうしたところに様々な物質と人間の精神の異なる点が存在するのではないかと思われます・・。

またそれと同時に、昨今流行している人間の心理、精神に関しての問題解決型の多くの書籍とは、おそらくそうした点があまり考慮されていないのではないでしょうか?

もちろん一概にはいえないハナシではありますが・・。

とはいえ、今回もここまで興味を持って読んで頂いて、どうもありがとうございます。

さる四月に熊本を中心として発生した大地震によって被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。