2023年9月4日月曜日

20230904 株式会社東洋書林刊 セバスチァン・ハフナー著 魚住昌良監訳 川口由紀子訳「図説 プロイセンの歴史―伝説からの解放」pp.61‐64より抜粋

株式会社東洋書林刊 セバスチァン・ハフナー著 魚住昌良監訳 川口由紀子訳「図説 プロイセンの歴史―伝説からの解放」pp.61‐64より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4887214278
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4887214279

さて次はいよいよフリードリヒ大王である。大王の言葉、「王は国家第一の奉仕者なり」は良く知られており、しばしばいろいろに関連づけて用いられている。しかしフランス語の初稿では、後にしばしば用いられているように「奉仕者」ではなく、「下僕」-「国家第一の下僕」となっていたことはあまり知られていない。「下僕」となると、この言葉は突然まったく別の響きをもち、やはりいろいろなニュアンスでくり返されているもう一つのフリードリヒの言葉、「私は、出生という盲目的な偶然によって定められたこの仕事がどんなに嫌わしいことか!」を想起させるのである。

 フリードリヒは生まれからの文人であり、「哲学者」(今日ではさしずめインテリとでも言おうか)であり、ヒューマニストであった。それゆえ皇太子時代には、父とのすさまじい葛藤があった。ここでは、それについてはくり返し述べるつもりはない。フリードリヒ大王はその後半生に着用した専用の制服のことを、初めのころ、いまいましげに「死の作業着」と呼んでいた。

 フルート奏者、芸術愛好家、啓蒙主義者で人間愛に満ちた「反マキャベリスト」、ヴォルテールとの昵懇な友情、即位の際に矢継ぎばやに出された人道的な公布のかずかずー拷問の廃止(例外つきの)、「新聞は自由に書いてよい」、「わが国では、誰もが自分の流儀で暮らしてよい」-これらは決して仮面でもなければ、気まぐれのおおらかさでもない。これが真のフリードリヒであり、彼本来の姿である。

 フリードリヒは、彼が宿命と見た「大嫌いな仕事」のためにそれを犠牲にした。より具体的に言えば、彼に権力政治を行わせ、戦争・戦闘を行わせ、領土を強奪させ、同盟や契約を破棄させ、まがいものの金貨を造らせ、彼の臣下や兵士、わけても彼自身に、その能力を最大限に発揮することを要求したプロイセンの国家理性のために、つまりプロイセン王であることのために、である。

 フリードリヒはそのためにひねくれた人間となった。父のような狂暴な人間にはならなかったが、氷のように冷たい皮肉屋となり、周囲の者を手こずらせる意地悪な気むずかし屋となった。人を愛さず、人に愛されず、自分自身におそろしくなげやりで、身だしなみが悪く、身ぎれいでなく、いつも同じ着古した制服に身を包み、それでいてつねに才気に溢れ、しかし絶望的な否定の精神に包まれ、心の奥底は不幸で、しかも休みなく働き、つねに仕事に向かい、つねに職務に忠実で、自分の忌み嫌う仕事に疲れを知らず、ずたずたに引き裂かれた心を引きずりながらも、息をひきとる最後の瞬間まで一人の偉大な王であった男ーこのような人間に、彼はなったのだ。

 ここでぜひフリードリヒの著作の中からー王の著作は二十五巻あるが、不当にも今日ほとんど読まれないままになっているー彼お心の奥底を垣間見せてくれる一節を引用しておきたい。一通の私信からの抜粋である。

「私が天意ということを口にしないのは、私の権利やもめごと、私個人、国全体といったものが天意を引き合いに出すにはあまりにも卑小な対象だと思うからだ。くだらない愚かな人間の争いなどは、天意を煩わせるに値しない。それはまた、神はシェレジェンがオーストリアやアラブ人やサルマチア人[往時、中央アジアに住んだイラン系の遊牧民。象徴的にポーランド人]のものであるよりはプロイセンのものであるために奇跡を起こすようなことをして下さらないだろう。それゆえこのような厳粛さのないものに、かくも聖なる御名を私は濫用しないのだ。」

 フリードリヒは実際そのように考えていた。とはいいながらフリードリヒは、この厳粛さのないもののために無数の人の命を、そしてある意味では自分自身の命をも犠牲にしたのである。

 これを皮肉だと感じることもできようし、あるいは感動的だと感じることもできるだろう。フリードリヒは英国人の言ういわゆる「とっつきは悪いが、だんだん好きになる(acquired taste)タイプの人間で、初対面では反撥を感じさせるが、いったん親しくなった人は彼の虜になり、愛とは呼べないまでも、もしかすると愛よりも強いある種の感情を呼び起こさせる。過去の大いに誇張された愛国的でへつらい敬うような追従によって、「老フリッツ」は人気のある逸話の英雄にまつりあげられている。実際のフリードリヒを知悉すればこれはまったく滑稽でしかないが、今日ではむしろ一般的となっている大王の記念像に爪を立てる誹謗も、妙にフリードリヒから逸れている。どんなに必死に引きずり降ろそうとしても、フリードリヒにはそれは通じない。フリードリヒはそうしたことをすべて誰よりも承知していた。どんなに悪く言われようとも、フリードリヒは結局昔も今も魅力的な存在でありつづける。