2017年3月1日水曜日

20170301 555回目の投稿 主に書籍からの抜粋引用 Alternative Facts of Japanese Modern History?

今回の記事投稿により、総投稿記事数が555記事となります。
この数字は特にキリが良いわけではありませんが、ゾロ目ということで、わずかに気分が高揚します・・(笑)。

さて一方、本日の首都圏は日中気温は多少上がったものの、夕刻よりの降雨により現在はまた肌寒いといっても良い状況であると思われます・・。

また、この降雨は明日一杯続くとのことから気が重く、そのことから、先ほどのゾロ目云々はこれで相殺されるようなカタチとなります・・(苦笑)。

しかし、この現在降っている雨も少し以前の明らかな『冬の雨』に比べると、わずかながら春めいているとも感じますので、やはり季節は春に向かっているのでしょう・・。

そしてお春に向かっている』でもう一つ感じるのは、花粉症の症状が昨今またわずかに認められることです・・。

そういえば、花粉症に関しては首都圏、和歌山在住時のいずれも、そこそこ悩まされましたが鹿児島在住時はすっかり影を潜めておりました・・。

その代わりに鹿児島は降灰があり、これには悩まされました・・。
では『花粉症と降灰でいずれがマシか?』と二者択一で考えてみますと、これまたなかなか悩まされる問題です・・(笑)。

ともあれ、こうしてハナシが鹿児島になったところで以降本日の投稿記事は、昨日の記事にも書いたとおり、橋川文三による西郷南洲翁(隆盛)についての記述を抜粋引用してみようと思います・・。

橋川文三著 文藝春秋刊 「西郷隆盛紀行」pp.202ー207より抜粋
「話は少し変わりますが、西郷が明治二十二年でしたか、名誉回復がなされますね。
少しこだわるようですけれども、私としては、やはり西郷は永遠の逆賊であったとしていた方がよかったような気がします、そして西南戦争の年でしたか、福沢諭吉が書いたような「丁丑公論」のような西郷評価が残っていたならば、日本人にとってもそれはよかったんじゃないかと思います。
だからといって、最近見られるような西郷復活というか、やはり西郷さんは偉かった式の感じ方はそのままでは私は認めたくない。しかし、西郷は逆賊であった、あるいは反動であったというふうにまとめていわれるとそれも違う、それは間違いだと思ってしまう。日本の近代化の問題を考えてみて、今の日本とは違ったものができたはずだという思い―正反合というんですかね、そこで西郷も生きてくるという感じです。」
中略
「西南戦争が難しいというのは、第一にリーダーである西郷自身が、どういう姿勢を持っていたのかはっきりしない点があります。それから政府軍というのは、これはもう近代的な装備を持つ堂々たる軍隊で、西郷軍というのは、それに比べて前近代というか、もっと泥臭い感じ、土俗的な軍隊ですね。
そうするともう勝敗の行方は明らかなんで、敗けるべくして敗けたという感じが強い。
そういう意味で明治十年というのは、従来の土俗的なもの全てが駄目だということを、改めて天下に示すという恰好になって、それ以降は近代主義がもっと羽を伸ばすということになります。
私の感じでは、たしかに日本の近代主義はひとつの成功をおさめます。そしてそれなりに順調に歩みますが、結局、第二次大戦での敗戦という形で失敗してしまう。こう見てくると、やっぱり西郷の方がよかったんじゃないかという気がしてくるんです。
というのは、鹿児島の中村きい子さんの小説「女と刀」の中で、今度の戦争の敗戦場面が描かれていて、そこで一人のお婆さんに、彼女は西南戦争で敗れて帰ってきた自分の父親の話をよく覚えているんですが、つまり西郷さんはあんな戦争をしろとは言わなかったはずだ、だから西郷さんが勝っていたならば、こんなひどい目にあわなくても済んだと語らせているんです。
もう一つは、柴五郎の「ある明治人の記録」(石光真人編著・中公新書)を見ても、彼は会津藩ですから、勿論西南戦争当時は西郷憎しというので志願までしていて、結局、戦争には参加できませんでしたが、西郷敗るの報に非常に喜んでいるんです、しかしその彼が、今度の第二次大戦をかえりみて、反省すべき点がありそうだという意味のことを語っていたように思います、学問的なことからいうと、こういう薄弱なデータしかないんですけれど、今紹介したような、当時のことを経験した人たちが自分の心底から語っているようなことは、この他にも意外にたくさんあったんではないかという感じがして仕方ありません。

本日もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨2016年に熊本、山陰東部そして福島県周辺にて発生した大地震により被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。