2021年2月28日日曜日

20210228 先日ラーメン二郎目黒店さんを訪問して不図思い出したこと・・

現在から20年ほど前、新卒にて某会社に入社し、会社が運営する札幌市郊外の某ホテルでの勤務となり、そして、その中のラウンジ喫茶・売店・バー・ラーメン屋などを管理する部署の配属となりました。当時の客層は未だ国内の団体宿泊客がメインであり、それら宿泊客の方々を対象として、私の配属部署は毎日忙しく活動していました。

一般論としても云えるかもしれませんが、こうしたホテルでは、チェックアウト周辺の時間帯にはラウンジ喫茶・売店が混雑し、その後、宿泊客チェックイン後の夕刻から深夜までの時間帯では、バーとラーメン屋がよく賑わいました。

その中で、新卒のボクはラウンジ喫茶や売店よりも、バーとラーメン屋での勤務の方が多く、そうした日は、午後からの出勤、そして深夜の退勤といったシフトとなり、時間帯的にはフロントの夜勤シフトに近いものであり、昼夜はほぼ逆転していました。

それらの中で特に面白かったのがラーメン屋での勤務でした。とはいえ、勤務当初はよく先輩スタッフの方から、さまざまなことで注意を受け、時には小言やイヤミも云われましたが、それでも、このラーメン屋にて働くことは、当時のボクとしては興味深いものがあり、現在でも良い経験になったと思っています。

また、ホテル内のラーメン屋とは云っても味は本格的であり、それは「ラーメン好きのボクが云うのであるから信じて頂きたい。」という曖昧な主張ではなく、その調理過程にて最も重要な要素と云える、スープの調理を、当時の札幌では料理旅館として知られていた勤務ホテルの調理場の方々が行っていたためそのように考える次第です。

とはいえ、ラーメンのスープとは、あまり保存のきくものではなく、予め、宿泊客の入り具合から予想し、月に何日かスープを作る日を決めておき、それに合わせてラーメン屋のチーフが用度係を通じスープ材料などを発注し、また調理場にもその旨を伝えておきます。

そして、私のようなラーメン屋スタッフ末輩が、ラーメン屋が閉店した後の深夜、店内を一先ず片付けてから、階下にある用度の冷凍庫に行き、予め発注しておいた10㎏以上の豚骨を取り出し、カートを用いてラーメン屋の調理場に運び、キレイに清掃した「流し」で一本づつ豚骨をキレイに水洗いし、余分な肉やスジなどを取り除き、キレイになった豚骨を今度は玄能で叩き割り、それらを寸胴鍋に入れて行くのです。

こうして洗い、叩き割られた豚骨が収められた寸胴鍋をカートに載せ、今度はさきほどの用度と同階にある調理場まで運び「調理場の皆様 お疲れさまです。麺亭の**です。またラーメンスープの調理をお願いいたします。」といった内容のメモ紙を添え、寸胴鍋を調理場の所定の場所に置いておきます。この時間帯に調理場の方々がおられたことは一度もありませんでしたので、時刻は2~3時を過ぎていたと思われます。

そこからラーメン屋に戻り、後片付けをして、夜勤のフロントスタッフに業務終了の報告をしてから帰宅することになりますが、大体ここでタバコを1~2本喫っていました・・。

そして翌日の昼前に、早番のラーメン屋スタッフが豚骨からスープに中身が変わった寸胴鍋を調理場に引き取りに行くのです。このスープで満たされた寸胴鍋のラーメン屋への運搬は鍋を倒すと大変なことになりますので、毎回緊張していました。

こうした感じで、ラーメン屋スタッフが下準備をして、それを用いて調理場の方々がスープを作って頂いていましたが、このスープは実際に評判が良く、それを食べるために当ホテルを訪れる方もいらっしゃるほどでした。

場所が札幌であることから、麺は中太の黄色い縮れ麺であり、味は味噌・醤油・塩の3種類あり、それらのスープは共通して、さきのものが用いられていました。札幌だけに道外からの宿泊客の方々には味噌ラーメンが好評でしたが、常連の多くの方々には醤油ラーメンが人気でした。

くわえて、当ラーメン屋にはネギをラードで煮た「ネギ油」という独特の調味油があり、これもなかなかの人気であり、プレーンの醤油ラーメンの上に、白髪ネギと、細かく切ったチャーシュー、同様に切ったキュウリ、少しのカイワレ大根を和えたものをのせ、そして、その上に熱したネギ油をおたまから注ぎますと「ジュージュー」といった食欲を誘う音と香ばしい薫りが発生し、それはそれで美味しそうであり、ここでは「ネギラーメン」と呼ばれていました。

とはいえ、こうしたことを唐突に思い出したのは、先日ラーメン二郎目黒店さんに訪問したからであると云え、そこでの調理過程をカウンター越しにて見ていますと、上記のような記憶が呼び起こされるのです。また、上記以外にも書きたいことがありましたが、今回はこのあたりで一端止めようと思います。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!




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2021年2月27日土曜日

20210226 興味・関心の方向性と作成文章の文体について・・

 つい先日、ようやく宮地正人著「幕末維新変革史」上下巻を読了しました。以前にも書きましたが、当著作では初めて知る史実の記載が比較的多く、また、当時の文体のままでの引用なども少なからずあったことから、読み進めるのに多少時間が掛かりました。この文量であれば、本来ならば上下巻を2カ月程度にて読了出来たと思われます。

加えて、ここ最近は季節のためであるのか、あまり調子が優れず欝々とし、書籍を読み進めていても、その記述内容が頭に入って来ないことが度々ありました。

そうした時は読み進めていても、徒に時間を無駄にするだけであることから、何か違うことを行えば良いのですが、しかし、それもまた困ったことに、行っていますと、さきの読書と同様、どうも、身が入らなくなってくるのです。

もちろん、それは毎度というわけではありませんが、それでも全体的に、以前の「単純に没頭・集中出来ていた時期」と比べますと、明らかに「何かが違う」といった感覚を覚えるのです。また、この感覚は、当ブログを始めたのと同時期から何となく感じており、あるいは、この感覚とは、当ブログでの記事作成を行っていないと、更に肥大化し、自身を押し潰そうとするものであり、それを毎度の記事作成によって、抑えているのではないかとも思われます。

実際、しばらく記事作成を行っていないと、何故だか調子が悪くなったり、更に欝々とした気分に沈み込むことがあり、そこで、当初は嫌々ながらであっても記事作成を行い投稿してみますと、どうにか人心地が付いて落ち着いてくるのです。現在思い返してみますと、2019年での投稿記事の大半は、そうした状況下にて作成したものであると云えます。

あるいはこれを異言しますと、私は、この6年近くは、他のさまざまな物事よりも、当ブログ記事の作成の方を優先してきたのだとも云えます。また、その期間での日常的な出来事などはあまり記事として記していませんが、むしろ、そうした観念的な内容の文章の方が、ブログの継続などにおいては適しているのではないかと私には思われます。

このことは、あまり指摘されることはありませんが、書き手の興味・関心は、あくまでも外界に向けていた方が良いとは思われますが、他方で、その作成する文章に関しては、そうした興味・関心を糧として、内面的なことに重点を置き、当初は多くの理解は得られそうでなくとも、抽象度を少し上げた、どちらかと云えば観念的な文章を作成し続けるのが良いのではないかと、私のこれまでの経験は語ります。

それは「そちらの方が優れているから」というわけではなく、文章作成の練度を上げるためには、おそらく、そちらの方が適していると実感を通じて思われるからです。ご興味のある方は是非、先ずは1年程度続けられてみますと「何か少し変わった」と感じられてくるのではないかとも思われます。よろしければ、どうぞお試しください。

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2021年2月24日水曜日

20210224 議論や話し合いが行われる前提にあるものについて

新たな記事作成により、目標としている1500記事まで徐々に近づきつつありますが、最近はそうした(目標に近づきつつある)状況のためか、記事作成に対して変に意識して、あれこれ考えてしまう傾向があると云えます。そこで考えを変え、その時の思い付きにて書いてみることにしました。

とはいえ、そうすれば自然に記事主題が湧いてくるというものでもなく、ここでもまた立止まり少し考え始めてしまいます・・(「その時の思い付き」って・・何だ?)。

しかしながら、よく考えてみますと、こうしたことは、何もここ最近はじまったわけではなく、内心で半ば無意識にて思っていたことを文章にすることにより、ある方向からの概念的な理解が可能になってきた(意識化される)ということになります。

また、その様に考えてみますと、こうしたブログ記事の作成であっても、多少は創造的要素があることに気が付き、そして、それはそれで意味があるようにも思えてくるのです。

こうした「気付き」は、決して気力が横溢している状態とは云えない現在の私にとっては、貴重なものであり、また、それをこうして文章として著すことが出来るということは、それなりに貴重なことであるとも云えます(笑)。

即ち、こうした自転車操業的活動にも、固有のそれなりの価値があるのではないかと云うことになります・・。

また、そうしてある独特のフェーズに自身の精神を嵌め込み、多少強いてでも記事作成を始めますと、次第にあぶらが乗ってくるのか、この辺りまで書きますと、割と早いスピードにてキーボート上の手が動いていることに気が付かされます。

こうした、ある程度の長さの文章作成能力とは、やはり書き続けていないと鈍化していくようであり、現在は以前、1000記事への到達を目指して作成していた頃に比べますと、やはりいくらか鈍化しているように感じられます。しかし他方で、進化していると思しきことは、記事作成に費やす全体の時間であり、より具体的には、記事作成の波に乗るまでに費やす時間が短くなったということです。

またそれは、記事主題を見出すまでに掛かる時間というわけでもなく、むしろ、主題の決定をも含めて、ある方向への文章の展開を予測し、それに沿って書き始めるまでの時間の短縮化と表現する方が、より精確であるように思われます。

そして、こうした変化の認識は、たしかにあまり大したことではないのかもしれませんが、しかし同時にそれは、これまでどうにか記事作成を継続していなければ知覚・認識し得なかったことであると云え、また、それ故に、これまでの全てのブログ記事には、それぞれの記述内容に対しての価値(あるとすれば)とは別に、単純に自分自身の精神の変化を見出すことが出来たことに対する価値もまた、あるように思われるのです。

そういえば、小林秀雄氏がどこかで「精神とは記憶のことですよ。」と述べていましたが、その伝にて考えてみますと、私は現在では、以前ほどの熱意(必死さ)を以てブログ記事作成を行っているわけではありませんが、同時に、これまで記事作成を行ってきた記憶に基づいてこそ、新たな記事作成を行うことが出来ていて、それは「記憶を文字を用いて記録に変換する」ことにより、以前程の熱意や精神力を用いなくとも、どうにか新たな文章の作成が出来ているということになります。(雪ダルマ式とも云えるのかもしれません。)

そうした意味においても、やはり文字は重要なものであると云え、始めに記憶に基づき記録されたコトバがあってこそ、次の記録されるコトバもまた生まれ易くなるのだと云えます。そして、未だ上手く表現することが出来ませんが、これこそが、こうしたブログであれ、継続的な文章作成に普遍的に付随する価値であると云え、さらにまた、古来から続く伝統的な人文社会科学系学問の根源的な価値と云えるのではないかとも思われます。

しかしながら、これら全ての記述された記録に対し前提として云えることは「如何なる内容であれ、書き手の内心に対して正直に書かれたもの」であるということです。

そして、昨今の我が国社会での風潮を鑑みるに、おそらく、これが我が国では極めて難しいのではないかと思われます。そして、こうした内心に対し必ずしも正直とは云えない記述の氾濫・増殖によって我が国の文化とは、徐々に悪い方向に行くといった傾向があるのではないかと思われます。少なくとも近代以降については、こうした視座は全くのナンセンスとは云えないと考えます。

あるいはこれを異言しますと、我が国の社会では「正直に内心を述べることは、少なからず社会通念と反してしまうものだ。」といった認識が常識・通念として存在しているようであり、それだけに常識や通念が社会にて「重い」ということになりますが、しかし、その重さは、長年積み重ねられた議論の過程によって生じる重さとは異なり、上手く表現できませんがコトバにならない「社会での無言の圧力」のようなものであるように思われます。

これにつきましては、ボク自身未だよく分かっておりませんので、また機会がありましたらさらに深めて、何かしら書いてみようと思います。しかし同時に思うことは、「正直に内心を述べる」という行為が常識・通念と反するか反さないかということには、その「述べる」という行為に真の能動性があるか、ないかが強く関与しているのではないかと思われます。そして、そうした能動性によって、組み立てて行くことが出来るような議論が可能になり、そしてそれが社会にて広がり、次なる時代精神を惹起させ、駆動していくのではないかと思われるのです。そして、それ故に議論や思想・哲学が重要であり、また、その蓄積とも云える歴史、そして人文社会科学全般もまた、重要であるのではないかと思われるのです。

そうした意味から、端的に、おそらく戦後の我が国の高等教育は、間違った方向に舵を切ってしまったのではないかと私は考えます。

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2021年2月22日月曜日

20210222 1480記事の到達、ここにきて「祭政一致」の重要性

今回の記事投稿により、総投稿記事が1480に到達します。そしてまた、当面の目標としている1500記事まで、あと20記事の追加にて到達出来ることになります。とはいえ、相変わらず、そうした実感らしきものは皆無に近く、ただ、投稿記事数といった数値的な要素により、そうした状況が認識されていることになりますが、しかし、今後、実際に1500記事にまで到達した場合、何らかの感情の変化といったものは生じるものなのでしょうか?そして、そこで生じた感情の変化とは、私の平均的な心境に対し、何らかの良い変化を齎してくれるものなのでしょうか?

とはいえ、現在のコロナ禍、そしてまた、徐々に暗雲が立ち込めていくように見える全世界の状況から考えてみますと、少なくとも今後の近い将来においては、自身を含め、我が国にて何か良い出来事が生じるとは到底思うことが出来ないのが正直なところです・・。

また、それは実のところ広汎に理解されているとも思われるところであり、そして、こうした国全体を覆っている絶望感あるいは虚無感を除くために東京五輪も開催されるのだとも思われますが、これはかなり博打的であると云えます。それは、これを契機として、世界全体が「コロナ禍の中にあっても五輪開催が出来た!」といった希望や自信に繋がれば、それまでの我が国の開催に向けた活動は評価されるのだと思われますが、他方で、内実を伴わない、つまりは多くの国民に支持されない状況にて開催されても、それは冷ややかに「結局それで誰が得をするの?」といった、更なる官民間の離開が進行すると思われるからです。

そういえば、この「官民間の離開」が、ここ最近の我が国の政治状況を示すコトバであるようにも思われます。また、そのように考えてみますと、我々が意識する所謂「官」というものにも、何と云うか地域性といったものがあるように思われます。現在私が住む首都圏とはいわば「官」のお膝元ではありますが、同時に当地は経済活動のお膝元でもあることから、端的に云えば「官」は自らの実入りとなる高い税収のためにも、経済活動を支援・促進する必然性があり、そのため「官」は「民」たる私企業に対し、比較的腰を低く、丁重な対応をとる傾向があると云えます。他方、あまり地場産業そして自主財源に乏しい地域においては、中央からの地方交付税交付金・国庫支出金などにより「官」を回しているといった状況があり、そうした地域においては、さきに述べた首都圏での「官」と「民」の関係性は、あるいは我が国近代初期での状況に近くなり、端的には「官尊民卑」の傾向がより強くなると云えます。

そして、そうした状況にて「官民間の離開」が進行しますと、首都圏などの経済力により「民」が強い地域にあっては、より功利主義的な指標が「官」に対しても用いられるようになり、本来「官」が保持していた「福祉」や「「公共」といったものが弱くなっていくのではないかと思われます。

他方で、これが地場産業や自主財源に乏しい地域にあっては、中央からの指示によってかベンチャー起業や大企業誘致などが盛んに行われるようになりますが、しかし、元来、彼等は「民」たる経済活動を知らず、あるいは内心、下に見てこうした活動に対する理解もなく、ただ上からの指示通りに動くといった状況となります。そして、こうした状況にあっては、中央から流れて来る資金をより多く「我がとこの組織」に落ちて来るように働くことが、より功利的な活動と見なされるようになります・・。そして、こうした状況下での「官民間の離開」は、首都圏などよりも更に深い禍根を地域社会に齎すのではないかとも思われるのですが、さて如何でしょうか?

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2021年2月20日土曜日

20210220 食べ物のハナシから始まり、感覚的な才能の仕組みの認識、そして時代精神について

これまでにも何度か書いてきましたが、ここ最近になり、また記事作成が難しく感じられるようになってきました。こうした時は、あまり深く考えずに、とりあえず何かしら書き始めてみるのが良いのではないかと思われ、そして、今回もまた、その伝にて書き始めた次第です。

また、どうしたわけか、一昨日投稿の記事は思いのほか多くの方々に読んで頂き、ボクとしても驚いています。あるいは、何かしら「食べ物」に関しての記事であると閲覧者数が伸びるといった傾向があるのかもしれません。さて、一昨日の記事にてとりあげました「ラーメン二郎」目黒店さまは、以前ボクがほぼ週一にて通っていた10年以上前と変わらずに続いていました。また、店主の方も少しだけ年齢を感じさせはしましたが、ほぼそのままであり、またラーメンの味の方も変わらずに「悪魔的なうまさ」でした・・。こうした継続的な事業が出来ることは、それだけでやはり「気骨」のあらわれであると云え、正直なところ、その「気骨」の1000分の1程度でも、このブログ記事作成に頂きたいと願うところです・・。

そして、実際それを多少なりとも頂くことが出来たのか、今回の記事作成は思いのほかスムーズに進んでいます。また、前回の投稿記事にて学んだことは「何かしら話題となっている食べ物」についての記事は、比較的作成し易く、さらにさきに述べました閲覧者数が伸びる傾向があると思われることです。これは現在スランプ気味のボクにとっては一つの有効な手立てであると云えますが、同時にあまり多用しない方が良いとも思われます。その理由は「食べ物のことを書けることは重要であるかもしれないが、そればかりに頼るようになると、今度は他の抽象的な思索を促すような文章を作成することが困難になる」といった恐れがあるためです。

そういえば、食べ物と云えば「どこに行っても何故だか美味しいお店を見つけてしまう」というある種の才能を持たれている方がいましたが、私はおそらく、その真似は出来ないとは思いますが、同時に、こうした食べ物に関しての記事を書き続けることにより、その才能の「仕組み」については感覚的ではあれ、何となく理解出来るようになるのではと思われるのです。こうした(感覚的な)理解の仕方は科学的でなく、再現可能性がないことから邪道であるとされがちですが、しかし、こうした複数の理解の仕方が真摯な議論を重ねることにより、より普遍性が高まり、科学的と再現可能性を備えた認識・知見に近づいていくのではないでしょうか?

また、そのように考えてみますと、我が国が他国からの文化を取り入れ、それを忠実に真似している段階から、次に、それを自国文化の一つとして認識される段階に入りますと、それは国風化・日本化というのでしょうか、一種独特の変遷を遂げると云えます。それは、その当時の時代背景そして時代精神といったものが作用しているのだと云えますが、まさしくそこに、その時代での「複数の理解の仕方が真摯な議論を重ねる過程」といったものが見えてくるのではないかと思われるのです。

そして、そうやって抽象化・言語化された複数の歴史上事物の変遷過程を調べて行きますと
時々は「あっ!」と驚くような発見もあるのではないかと思われます。そして、こうした
分野横断的な知見の集積そして、さらなる抽象化・言語化が課題先進国とされる我が国の今後において重要ではないかと思われる次第です。

そういえば、先日、臼田篤伸先生より自著であり彩流社刊「銅鐸民族の悲劇」をお送り頂きました。当著作にて描かれている「銅鐸」は、一般的に時代がくだるにつれ大型化・高装飾化していくとされていますが、こうした変遷過程とは、近代に我が国に齎された西洋式軍艦のそれとも類似しており、また結果として銅鐸民族、大日本帝国、双方共に滅びました。そして臼田先生の著書によると、銅鐸民族は滅亡後、天孫族への隷従を余儀なくされ、それは極めて過酷なものであったとのことでした。他方、帝国臣民はその滅亡後、一体、何に対しての隷従を余儀なくされたのでしょうか・・。

より精確な知見を拾い研究を行いますと、少なからぬ相違も見出されると思しきこれら変遷過程ではありますが、こうした文化的事物の変遷過程概要を国内外にて、数多くサンプリングしてみますと、さきに述べた程度の類似性そして、その背景にある共通する歴史の流れ、あるいは時代精神のあり方も見つけることが出来るのではないかと思われてきますが、さて、如何でしょうか?

臼田篤伸先生どうもありがとうございます!
ボクは先生の著作から、お馴染みの江上波夫氏による「騎馬民族征服説」また松本清張氏による、ほぼ同様の御意見、さらに岡正雄氏による「日本民族の古層」などに描かれている歴史像をより具体・明瞭化したものを認識しました。これは昨今も含め、ある種、性善説的描写がされがちな傾向のある我が国の歴史像の対極にあるものとも云え、さらについ先日、当ブログにて引用しました株式会社筑摩書房刊 宮台真司 速水由紀子 著「サイファ 覚醒せよ!」内にある「家畜人ヤプー」をも想起させました・・。

史実をディストピアに近いものとする史観・認識は忌諱されがちですが、他方で、昨今の我が国を鑑みますと、それも「むべなるかな・・」といった思いも残念ながら生じてきます・・。

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2021年2月18日木曜日

20210218 今回のスランプそしてダルさの払拭を試みて思ったこと

昨年10月から読み進めている岩波書店刊 宮地正人著「幕末維新変革史」上下巻は、最近ようやく下巻の終章に近づき、おそらく、ここ数日にて読了に至ると思われます。未だ読了したわけではありませんが当著作上下巻は、しばしば難航しつつも、どうにか読み進め、ここにまで至ることが出来たと云えます。

以前に読んだ、ほぼ同時代を扱った同岩波書店刊 岡義武著「明治政治史」上下巻と比較してみますと、当「変革史」は、古い文体での引用部が多かったことから読み進めるのに難航したのだとも思われますが、他方で「変革史」は、特に社会情勢については、これまで知らなかった具体的な描写の知見が多く散見され、興味深く読むことが出来たとも云えます。つまり、これまである程度知っていると勝手に思い込んでいた時代区分での、新たな知見を含む歴史記述とは、理解しつつ読み進めるのに多少時間が掛かるということになるのだと云えます。

そして、当「変革史」を読了しましたら、次に既読の「政治史」上下巻をザッと斜め読みをして、当時代についての知見をもう少し深めて、固めておくのが良いのではないかと思われます。

また、それに加えて最近は、新書も数冊購入し少しづつではあれ読み進めていますが、これらもまた近いうちに機会を見つけ、集中して読み進めたいところではあるのですが、さて、どうなるものでしょうか・・。書籍はあるけれども、それを読む時間が足りないというのも、それなりに辛いことであるように思われます。

さらに以前にも述べましたが、ここ最近は、ブログ記事作成自体がスランプ気味であると云え、以前の1000記事到達を目指し、ガムシャラに記事を書き進めていた時期と比べますと、よく分からない「ダルさ」のようなものがあり、そのため、ここ最近では、カフェインフリーの第二類医薬品に分類されている栄養ドリンクを度々飲みつつ書き進めていますが、現時点では、これはたしかに効き目があるように感じられます。

そして今後、スムーズに、出来れば、来る四月に入る迄には、1500記事に到達したいと考えています。また、昨日投稿の記事においても書きましたが、もしも無事に1500記事まで到達出来ましたら、しばらく記事作成を休み、その後は、しばらくの期間、書籍からの抜粋引用を主として記事作成をしてみようと考えています。

この「書籍からの抜粋引用」であれば、おそらく100~200記事程度であれば、あれこれ考えずに続けることが出来るように思われますが、同時に、その間に時々は、自身が作成した記事を挟んでいきますと、自身の文体の確立のためにも、何かしら良い効果を齎すのではないかとも思われるところです。

ともあれ、今しばらくは多少辛いところですが、1500記事到達までは、出来るだけ自身の文章にて記事を作成して行こうと思います。

しかし、今回のスランプや
「ダルさ」は本当に、目標である1500記事の到達を間近に控えるようになったことから生じているものであるのかについては未だよく分かりません。また、これまでにも何度か経験したであろうスランプについても同様に、その本当の原因についてはあまり考えず「とにかく記事作成を行ってきた」と云えますが、そうした対処の仕方もまた、それで良かったのかについては、今となっては分からぬことです・・。

ともあれ、さきにも述べました「ダルさ」が続くようでしたら、あらためて考えてみる必要があるようにも思われます。

また、本日は休日ということもあり、この「ダルさ」をどうにか除去乃至は軽減するため、かなり久しぶりに目黒の「ラーメン二郎」さんに行きました。こちらは2007~2009年の間は週に1回は通うほどでしたが、2009年以降、思うところがあり行くのを止めていました。それが昨春、どうしたわけか突然考えが変わり一度行き、そして、本日、再びの訪問となりました。

やはり、ボクにとって目黒の「ラーメン二郎」さんのラーメンは昨今流布された表現を用いますと「悪魔的なうまさ」であり、特にそのチャーシュー(煮豚)を食べると何故だか叫びたくなる衝動に駆られます・・(これについては、実に不思議なことに実家にいる柴犬においても同様と見え、持ち帰り仕様の「ラーメン二郎」目黒店さんのチャーシュー(煮豚)欠片をあげたところ、食べた直後に、それまでになかった吠え方をしました。「犬にとってはこのチャーシュー(煮豚)は、何かしら毒であったのかもしれない!」と一瞬驚きましたが、どうやらそれは違うようでした・・。また、その後、数度こうした機会に遭遇しましたが、その都度同様の反応を示していました・・。)さらに、ラーメン小であろうと完食しますと、よく分からない達成感を味わうことが出来ます。これは大分前にJ-waveのDJであるピストン西沢氏も出演されているラジオ番組にて同様のことを云われており、それは大いに同意し感心したことから記憶に残っています。

現在は未だコロナ禍の中ではありますが、今後収束し、所用等にて東京方面においでになる皆様、是非一度、ラーメン二郎、とりわけ「目黒店」さまに足を向けて頂ければと思います。

また、ここまで書いていて、不図、思い起こされたのは、以前在住した徳島の北隣にある香川の高松市には「ラーメン二郎系」のお店がいくつかあり、また、それらも充分に美味しかったことです。しかし、さきに書きました「そのチャーシュー(煮豚)を食べると何故だか叫びたくなる衝動に駆らる・・」は、なかったことから、やはりよく分からない「何か」が違うのではないかとも思われます・・。

ともあれ、香川は「うどん県」だけに、こうした麺類に関しての興味・関心は強いのではないかと思われました。また、同時に、そうした特徴ある「味」の伝播経路などについても全国規模にて調べてみますと、それはそれで面白い発見があるのかもしれません。

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2021年2月17日水曜日

20210216 ブログ記事作成の継続について(交互に押し寄せる波のようなもの)

 今を去る2015年の6月から、当ブロガーにてブログ記事の作成を続けており、その中では、少なからず書籍からの引用を記事として投稿しています。そして、現在になり、以前投稿した書籍記述を引用し記事としたものを改めて読み返してみますと、それはそれで面白く、当時と意見が変わっているものもあれば、そうでないものもあります。

このことを異言しますと、当時のボクは、それら記述を興味深く感じたため、記事として投稿したのだと云えますが、同時に、現在のボクであれば、記事としなかったものもあるということになります。

その割合は、おそらく、半々といったところであると思われますが、しかしそれでも、それを5年以上にわたり、どうにか続けてきたということは、自身としても興味深いものがあり、あるいは、自身の文体確立のための練習として、今後しばらくの期間、書籍からの引用部を記事として投稿し続けるのも悪くはないのではないかとも思われてきます・・。

そして、それを実行するのでしたら直近の目標である1500記事への到達を果たした後が良いと思われますが、それは当記事を含めて残り24記事の投稿により、どうにか達成される目途が立っています。しかしながら、以前にも書きましたが、ここ最近もまたスランプと云える状態にあり、圧が高い場所にて上手く動くことが出来ない状態に近い感じがあると云えます。しかし、既に忘れてしまったのかもしれませんが、おそらく、そうした経験は過去にもあったと思われます。そして、それをどうにか乗り越えたり、あるいは自分を宥めたりして、現在にまで至っていますので、今回の場合も、あまりそうした思いに囚われることなく、また、たとえ賢明な文面とは云えなくとも、とりあえずは記事作成を継続していくことが重要であろうと思われるのです。

さて、こうした文章の作成とは、少し巨視的に眺めてみると、調子が良い時と悪い時の波のようなものが交互に押し寄せ、そして、それを繰り返すごとに、何と云いますか「自分なりの文章」あるいは「自身の文体の確立」に徐々に近づいていくのではないかと思われるのです。

勿論、今現在、未だボクは「自身の文体の確立」に至っていませんが、それでも2015年当初と比較しますと、多少は「滑らかに」文章作成が出来るようになってきたとは感じています。そして、その先は一体どうなっているのかは、気になるところではありますが、予測してみますと、それもまたこれまで同様「交互に押し寄せる波」のようなものではないかと感じられるのです。そうしますと「自身の文体の確立」という、自身にとってはいわば「相変態的な変化」もまた、そこまで「劇的」なものとは感じられなくなってきます・・。そしてまた、それこそが実際のこうした継続的な活動に概ね付随する感覚であるのならば、むしろ短期に生じる「劇的」な感情の変化を謳う、あるいは誘うものの方が「どうもアヤシイのでは・・」と思われてくるのですが、こういった点がうまく云えませんが、刺激の多い現代においては思いのほかに重要であるように思われてくるのですが、さて、実際のところはどうなのでしょうか・・?

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2021年2月15日月曜日

20210214 ヴァレンタインデーに思ったこと「風向きは変わるのでしょうか?」

 先ずは、昨夜発生した福島県沖を震源地とする地震による被害が出来るだけ軽微であることを願っています。この地震はブログ記事作成中に生じ、またその揺れ方は、ここ最近では珍しいほど大きかったことから、記事作成を一端止め、机に向かったままで、周囲を見回しましたところ、特に変わったことは起きずに、数分経ち、このことをツイートし、また記事作成に戻りました。

そういえば、現在から10年前の東日本大震災時、私は鹿児島在住であり、その日はたしか金曜日であり、発生時刻の頃は自動車に乗って移動中でした。やがて車を下りて入ったお店にあるテレビにて東日本が大変なコトになっていることを知り、すぐに千葉県市川市の実家に電話を掛けましたが、なかなか繋がらずに気を揉んだ記憶があります。

さて、東日本大震災から10年近く経ちましたが、地震発生の期間において10年間はそこまで長いものではなく、分析によりますと昨日発生足した地震も、さきの東日本大震災の余震である可能性が少なからずあるとのことでした。

さらに、かねてより続くコロナ禍の中でもあることから、少なくとも東北・東日本においては、今後もまた、さらにストレスフルな生活が続くものと思われます。また、こうした状況を示すコトバとして「泣きっ面に蜂」あるいは「弱り目に祟り目」などが挙げられると思われるが、それにしても、これだけに留まらず、最近の我が国では、誰かが不幸を被らず、皆が朗らかになれるような良い出来事が乏しいように思われます・・。

そして、こうしたことを書いていて不図、思い出されたのが村上春樹氏による「風の歌を聴け」145頁 内の以下の件です。

「ずっと何年も前から、いろんなことがうまくいかなくなったの。」

「何年くらい前?」

「12、13・・お父さんが病気になった年。それより昔のことは何ひとつ覚えてないわ。ずっと嫌なことばかり。頭の上をね、いつも悪い風が吹いてるのよ。」

「風向きも変わるさ。」

「本当にそう思う?」

「いつかね。」

*この会話シーンはたしか大森一樹監督による同著を原作とする映画作品にもありました。

これを我が国に当てはめてみますと、おそらく今世紀に入ってからは良いことよりも悪いことの方が徐々に多くなってきているのではないでしょうか?

そして、見様によれば、こうした「悪い風」から風向きを変えるため、さまざまなイベントを企図しているようにも見受けられますが、しかしながら、昨今においては、施政者と被治者の向いている方向、さらにはその根底にある価値観にズレがあることが明らかになり、それをどうにか挽回しようとしているのが、現在であるように思われます・・。

また、さきに挙げた引用部は、私自身にとってもいささか身につまされるものであり、それは、以前にも書きましたが、2009年の兄の死と、翌2010年の指導教員の退職から始まり、その後、落胆によって著しく減衰した気力をふり絞り、どうにかやり切ることが出来ましたが、その後は燃え尽き(バーンアウト)症候群であるのか分かりませんが、2010年以前に自身が信じていたものが壊れ、そして徐々に朽ちていくことにより、次第にさきの「悪い風」が吹いているような感じを受けるようになりました・・。

これは、私自身が悪いことをしたわけではないにも関わらず、あまり声高に主張することが出来ず、あるいはまた主張してみたところで「結局自己責任でしょ。」といった返事が主であると予期されることから、さらに、外への行き場を失くし、精神を蝕んでいくように思われます。(疑われる方々は、実際にそうした経験をされてみると良いと思います。)

そして、そうした事情から、やはり2010年に指導教員の退職に関与された方々につきましては、私に対し、よく分からない代替的要素を宛がおうとするのではなく、現在、私の上に吹いている「悪い風」の風向きを、変えるように努力してくださる方がありがたいと云えます。

あの2010年の出来事がなければ、私の人生はおそらく「変わっていた」と思われますが、しかしまた一方で、これまで当ブログを5年以上にわたり作成し続けているのは、その「変わっていた」ということを、さきに述べた出来事に関与された方々、そしてまた上記の事情を御存知である方々にご理解頂くために書いているとも云えます・・。

・・さて本当に今後「風向きは変わる」のでしょうか?

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!



ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

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2021年2月13日土曜日

20210213 株式会社筑摩書房刊 宮台真司 速水由紀子 著 「サイファ 覚醒せよ!」pp.76-78より抜粋

株式会社筑摩書房刊 宮台真司 速水由紀子 著 
「サイファ 覚醒せよ!」pp.76-78より抜粋

ISBN-10 : 448086329X
ISBN-13 : 978-4480863294

森喜朗首相(当時)の「日本は天皇を中心とする神の国」発言で内閣支持率が二割を切ったように、日本を「一君万民」に戻してくれなどと望む人が多数を占める時代は、未来永劫やってこないでしょう。三島が好んだ「家畜人ヤプー」の主人公、燐一郎じゃありませんが、今から振り返ると、「私たち」は『それ』を望んだのだ」というほか、ないんですよ。その意味では、責任というならば、私たちに責任があるというしか言いようがなくなっているわけです。私たちが望んで選び続けている道なんですから。しかし、経済的に豊かな成熟社会を達成したあとの後知恵でしかないけど、私たちが望んで実現した「それ」とは、ひるがえってみると何だったのかということが、問題にならざるを得なくなっている。
 実はパブリックの不在は、耐久消費財が一巡して「経済的豊かさ」が達成された後、何が幸いなのかが人それぞれ分化し不透明化する近代成熟期(成熟社会)が到来した七〇年代前半には、一部で顕在化していたんです。それが三島事件の背景です。つまりこういうことです。戦後はアメリカが、近代天皇制的な擬似公共性(一君万民)を消去るのと引き換えに「政治的自由」をくれた。その自由の担保に必要な公共財を守ってくれるアメリカの核の傘の存在を前提にして、しかし紛うことなき国民的努力によって「経済的豊かさ」を達成した。そのプロセスで、国民的に合意された「経済的豊かさ」という目標の存在がー誰もがアメリカ的生活という輝きを欲望するはずだという前提がー、天皇主義的な擬似公共性が破壊されたあとの「政治的民度の低さ」すなわち近代的なパブリックマインドの不在を覆い隠してきた。正確に言えば、敗戦と経済成長の「共通体験」が、「同じ日本人」という共同体的共通前提を確保してくれた一方で、公共財を自ら守るという意志を欠落させたままでいられるという、両輪の一方を欠く状況が続いたわけです。

 ところが七〇年代の幕開け。国民的目標を達成した「あと」の成熟社会が始まる。そこで誰よりも早く三島由紀夫が、今私たちが右往左往しているような問題に気づいた。君や僕と同じで「SF好き」だった三島なればこその先見性だったと思うよ。国民の大半は、九〇年前後に、冷戦体制とバブル経済がほぼ同時に崩壊するまで、三島的な問題に全く気づかなかったわけです。しかし七〇年に三島事件が起こってしまった以上、この事件が提起している二つの選択肢の存在に、本来私たちは気がつくべきだったんだよ。一つが、三島が言うような一君万民メカニズムへの回帰という選択肢なのは言うまでもないとして、もう一つ、三島的な選択肢を否定するならば当然意識しなければならない選択肢があったはずなんです。すなわち鈍感な国民の多くが未だに「経済的豊かさ」という国民的目標があると錯覚してくれて政治的統合(パブリック)問題を免除されているうちに、否定された一君万民メカニズムに代わる、新しい近代的パブリックを樹立する必要があったということです。

 ところが、そこに起こったのは、新しい近代的パブリックの樹立じゃなかった。むろん三島由紀夫が気づいていたように、一部でアノミー(目標の空白)は確実に進行しつつあったんだが、しかし、それを埋め合わせるべく進行したのは、パブリックの樹立どころか、七〇年代半ばから一挙に進んだ日本的な「学校化」だったというわけなんだね。

2021年2月11日木曜日

20210211 ツイッターとの連動を契機として作成した記事 “大豆ミート”の焼肉について

昨年の1月にツイッターを始めましたので、丁度1年以上経ったわけですが、当ブロガーにて作成したブログ記事をツイッターにて共有しますと、相手が分かるカタチでの反応があり、他方でよく分からない悪意的ともとれるカラミもありますが、全体としては大変面白く、この1年で当ブロガーでの記事を、ツイッターにて共有することは一連の流れになってきたと云えます。

とはいえ、これまでは必ずしも「ツイッターありき」の記事を作成していたわけではありませんが、今回おそらく初めて、ツイッターでの反応に基づきブロガーにて記事を作成することになります。

と云いますのは、先日テレ東ニュースにてアップされた動画「ここまで美味しくなった“大豆ミート” トップ企業の挑戦とは!?【2分で見るカンブリア宮殿】」を興味深く思い共有させて頂いたところ、思いのほかにインプレッションが伸び、さらに、かねてより私のツイートに反応してくださっている方より「良い動画を紹介している」とのコメントを頂き、そこでボクとしても「これは実際に行くべきでは・・」と思い、そして前掲動画にて紹介されていた「焼肉ライク」さんに行き、件の“大豆ミート” の焼肉定食を注文させて頂いた次第です。

ちなみに「焼肉ライク」さん神保町店は、偶然ながら昨年暮れから比較的頻繁に訪問させて頂いていました。また、それまで「一人焼肉」の習慣がなかったボクが、このお店に行くようになった契機は、これまたツイッターにて某作家先生による「たしかに落ち込んでいる時には焼肉が効くようだ」といった主旨のツイートがあるのを見て、それに対しボクも経験から「たしかにそれはあるかもしれない」と思い、そして、よく行く神保町に「一人焼肉」の「焼肉ライク」さんがあることを思い出し、次第に通うようになっていきました。

そうしたことから、この1年にてボクもツイッターからは思いのほか多くの影響を受けているようであり、また、つい先日も、ツイートを拝読させて頂いている感染症を専門とされている某先生と同名が著者となっている新書を見つけ、しばらく間をおいて「あ、同一人物だ・・」と判然とした記憶があります・・。また、これは人文社会科学方面においても同様であり、ツイートを拝読していて「この先生の著書は今度探してみよう・・」といった感じで書店にて探すことは度々あります。そうした意味からもスマホは、やはり検索ツールとしても大変便利であると云えます。

さて、ハナシを“大豆ミート”の焼肉定食に戻します。神保町の「焼肉ライク」さんに入り、スタッフの方に「あの、YouTubeの動画で、こちらのお店に大豆ミートの焼肉があると聞いたのですが?」と訊ねてみますと「ああ、それはこちらです。」とタッチパネルの注文画面から操作をして「NEXTカルビ&NEXTハラミ 匠カルビ&ハラミセット」の画面を開いてくださいました。これまで私はこの定食に気が付かなかったわけですが、ともあれ、こちらを注文しますと、いつも通り、あまり待つことなくプレートに載った定食が運ばれてきました。


上掲画像が「NEXTカルビ&NEXTハラミ 匠カルビ&ハラミセット」200gであり、右側の二皿の左側が「NEXTカルビ&NEXTハラミ」そして、右側が「 匠カルビ&ハラミ」となっています。

この定食にてホンモノの肉と“大豆ミート”双方を食べ比べることが出来るわけですが、ボクはまずはじめに今回の本命とも云える“大豆ミート”を網の上に乗せて焼きました。写真を見てお分かりの通り、もともと“大豆ミート”は、生肉のように火を通す必要性はなく、まあ焦げ目がついて、それらしくなれば良いとのことでした。

焼いた匂いや焼け目の感じは、やはり、肉特有のそれとは異なるように感じられましたが、これをタレにつけて食べてみますと「ああ、こういう肉もあるのかもしれない・・」といった歯ごたえであり、さきの先入感からしますと美味しく感じられました。ただ、惜しむらくは、ホンモノの肉には大抵少しはある、あの少し硬いゼラチン状の脂肪がないことであり、これ(脂肪)に肉特有の風味を追加すれば、結構イイ線行くのではないかと思われます。

あるいは、人工にて牛脂や豚脂状のものを作成し、それにひき肉状にした“大豆ミート”を加えることにより、既存のホンモノのハンバーグに近いものは出来るのではないかと思われました。これは是非「いきなりステーキ」さんの「ワイルドハンバーグ」にて挑戦して頂きたいところです。

ともあれ、こうして「NEXTカルビ&NEXTハラミ」を食べ終え、次に「 匠カルビ&ハラミ」を焼きはじめましたが、やはり「こちらがホンモノの焼肉だ!」といった感慨が湧いてくることは避けられませんでした。とはいえ「焼肉」という、これまで「ホンモノの肉」のみが肉として、その網上に乗ることを許されたところに“大豆ミート”を乗せようと考えたことは、それはそれで「未来につながる壮挙である」と私には思われました。

そしてまた、この先の更なる“大豆ミート”の新たな展開を期待しています。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!



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2021年2月10日水曜日

20210209 現代版吟遊詩人の可能性について

 かねてより、当ツイッターでの自身のプロフィール、および投稿記事下段にて、勉強会のご案内を掲示してきましたが、どうしたわけか、ここ最近ツイッターを介して(オンライン)勉強会のお問合せを立て続けに二件頂きました。

そこではまず、先方様に開催を希望される勉強会の概要・予算を伺ったのち、私の周囲にて、その講師に適任と思しき先生方がいるかどうかを相談・検討し、そこで適切と思われた先生にこちらからご連絡を差し上げ、勉強会の概要および予算をお伝えし、その可否をお問合せすることになるわけですが、かなり幸運なことに、それぞれのお問合せに対し、国内での第一人者と云える先生方から前向きなお返事を頂くことができました。

これは自身としてもかなり幸運なことであると云え、また今後も、こうしたお問合せを頂きましたら、出来る限り良質な勉強会を開催出来るように進めて行きたいと考えています。くわえて、こうした勉強会は、これまでは歯科医療分野に留まってきましたが、出来ましたら今後は、人文社会科学分野、就中、国際関係論・近現代史などのトピックにて勉強会を開催出来ればと考えています。こちらの分野につきましても、さきの歯科医療分野と負けず劣らずの研究者による勉強会をご案内したいと考えておりますので、特に大学様や医療法人様あるいは地域の医師会・歯科医師会様などで「現在、海外情勢も少し荒れ気味であるため、これを機に、ここに至るまでの近現代史や国際関係を理解するために勉強でもしておこうか。」というご要望がございましたら、是非、お気軽にお問合せ頂ければと思います。

とはいえ、冒頭にも書きましたが、これらは今なお続くコロナ禍のため、オンラインでの開催となっていますが、自身としては、出来るだけ近いうちに実際の対面形式で行う勉強会を開催出来ればと考えています。

さて、こうした勉強会の仲介につきましては、まったくの無報酬にて行ってきましたが、今後、こちらからの収入ではなくとも、理想を述べさせて頂きますと西日本在の医療系学部を擁するいくつかの私立大学様での新たな取組みなどについての記事を週イチ(程度)にて作成し、ブログやツイッターなどの媒体でご紹介させて頂き、そこから、いくらかの収入を頂ければ大変嬉しいと考えてはいますが、いずれにしましても、そのためには、今しばらく書き続ける必要があるのではないかと思われます・・。

さてここで、唐突ではありますが、加藤周一による「日本文学史序説」上巻に以下の記述があります。

「欧州の文学では、その遠心的な傾向が、中国の場合よりさらに徹底していた。欧州の中世は、吟遊詩人の時代であり、各地の大学を渡り歩いてラテン語の詩をつくっていた学生たちの時代である。」

これに対して我が国の文学あるいは文化全般とは、遠心的傾向を示さず、むしろその真逆であると云い得ます。他方で、今後の我が国は「活力のある地方」が極めて重要になってくると云えます。そこで、抜粋文中にある、各地の大学を渡り歩き詩作を行った欧州中世の吟遊詩人の我が国における現代版として、さきに述べたような活動を、ある程度継続してみますと、それはそれで何らかの面白い効果が生じるのではないかとも思われるのですが、さて如何でしょうか?

ハナシを具体的且つ卑近にいたしますと、私は現在の居地と仕事を足場・基軸としながらも、いくつかの大学を定期的に巡り、それぞれの大学にまつわる何らかの情報を継続的に発信するような、現在ではあまり聞かない、かつての吟遊詩人にも比定出来る「職」のようなものを創造出来れば良いと考えています・・(笑)。

また、基本的に自由な発想を創造の源泉として重視する大学においては、そうした緩く紐づけされた職とは、むしろあっても良いのではないかと思われますので、当記事を読まれましたら是非、ご一考頂ければと思います。

追記として、ここまで書いており不図、想起されたのは、主に織豊期大名の側に仕えた「御伽衆」という職です(たしか半村良氏の小説「戦国自衛隊」にて少し知名度が上がりました。)これも、さきに述べました「現代版吟遊詩人」にも似たようなところがあるのではないかと思われます。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!






一般社団法人大学支援機構

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