2019年10月27日日曜日

20191026 奈良と和歌山での出来事から・・

先日投稿の「角を矯めて牛を殺すよりは・・と同調圧力?」もコピペ先のアメーバブログにおいて割合多く読んで頂けていました。これを読んでくださった皆様どうもありがとうございます。

さて、今月初旬は奈良市での開催であったデジタル歯科学会、そしてその翌日は、和歌山市にて開催された恒例の勉強会に参加させて頂きました。

徳島市から奈良市への経路としてすぐに思い付くのは、高速バスにて「なんば」まで出て、そこから近鉄大阪難波駅から同奈良駅へと至る経路であり、先日の奈良訪問も、このルートにて行きました。

とはいえ、奈良への訪問の機会自体が乏しいことから、下車後しばらく駅周辺を所在なさげに徘徊したのち、近くの喫茶店に入り、コーヒーを飲みながら一休みしていますと、それなりに落ち着いてくるものです・・(笑)。

しばらくの後、店を出て学会会場である市内フォーラムに向かい歩き出してからすぐに、小西さくら通り商店街かどにて「おおい、オマエそこで何やっとる!?」と懐かしい声が聞こえました。そちらの方を見ますと背広を着てネクタイを締めた師匠が立っていました。「ああ、先生どうもお久しぶりでございます!」と近寄って挨拶をさせて頂き、歩き話をしながら学会場に向かいました。

この時、師匠とは特に時間を示し合わせてはいませんでしたので、これは偶然と云えます。

ともあれ、その日はいくつかの所用を済ませ、師匠を宿泊先のJR奈良駅近くのホテルまでお送りしたのち、今度はJR大和路線にて新今宮まで行き、そこで南海本線に乗り換えて和歌山市駅に向かいました。南海和歌山市駅に到着したのは23時頃であったと記憶しています。そして、そこからしばらく歩いて和歌山訪問時によく宿泊させて頂いているホテルに到着しました。

その翌日は、さきに述べました通り、午後から市内にて勉強会が開催される予定となっていました。翌朝はホテルのレンタル自転車に乗り周囲を巡り、和歌山訪問時には概ね足を運んでいる刺田比古神社にも参拝し、そして昼食を摂るべく、以前から(よく)通わせてもらっている中華そば屋に向かい、開店前10分頃に到着しました。すると、そこでは見慣れたことではありましたが、既に数組のお客さんが、店の前で並んでいました・・(笑)。

その後開店し、店内に入り席に着き、注文を通してから少し落ち着いてきますと、向こうの離れた席から「**さん!」と声が聞こえましたので、そちらを見ますと、この勉強会の常連参加メンバーであり、且つ院の先輩である方がいました。おもむろに、先輩は店の方に席を変える旨を伝え、了解を得てから持参のカバンとグラスを持ってこちらの席に移ってこられました。

「いやあ、**さんと、ここで会うとは思いませんでした!」
「ええ、こちらもです。まあ、しかしここの中華そばは美味しいですからねえ・・(笑)。それで先輩は今日は何を注文されたのですか?」
「私は今回はセットを注文しました。」
「おお、そうですか、それも偶然ですね。私もセットを注文しましたが、麺カタの辛めでお願いしました。」
「ほおお、そんな注文も出来るのですか!」
「ええ・・いやあ、それにしても偶然ですねえ・・(笑)。」
「そうですねえ・・本当にビックリです(笑)。」

和歌山では以上のようなやりとりがありました・・(笑)。
これもまた、事前に示し合せたわけではありませんので偶然であると云えます。

さて、こうした奈良と和歌山、2日間にて生じた偶然の出来事は、自身にとってはなかなか印象的ではありましたが、そうしたことが重なることには、何かしら意味すること、示唆するものなどはあるのでしょうか(笑)。


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2019年10月22日火曜日

角を矯めて牛を殺すよりは・・と同調圧力?【20191022】

まず初めに、先日の台風19号による被害から未だ復旧していない諸地域の速やかな復旧を祈念いたします。

さて、おかげさまで去る10月13日投稿分の『鹿児島での出来事について(変性意識?)』がコピペ先のアメーバブログにおいてランクインしました。これを読んで頂いた皆様どうもありがとうございます。

この『鹿児島での出来事について(変性意識?)』のような、いわば自身の経験を述べた記事がランクインすることは、記事作成者としては、たとえば書籍からの抜粋引用部を記事としたものがランクインすることと比較して、やはり相対的に嬉しく、そしてまた事後の記事作成の意欲にも繋がってくると云えます。

その一方で、ここ最近もまた、いくつか書籍を読んでおり、それら著作内記述も大変興味深と思われることから、現在のような記事作成に際しては、自身の文章あるいは書籍からの抜粋引用何れかで行くのかについて、多少考えてしまいます・・(苦笑)。

最近読み進めているいくつかの著作もまた、歴史を扱ったものであり、そのうちの一つである我が国の近現代を扱った著作は比較的硬質な文体の、どちらかといえば専門書に類するものであると云えますが、この著作はこれまでに読んだ我が国近現代を扱った著作のなかでも、内容的に大変興味深く、また、その著された年代を感じされることが少ないことから優れた著作であると云い得ます。

これまでに私はある程度、さまざまな歴史についての著作を読んできたと考えますが、そのはじまりについてはあまり精確に遡ることは出来なく、少なくとも、文字を知る前の段階から、家にあった写真やイラストが割合多く載った分かりやすい歴史についての書籍を好んで読んでいた(ページを捲っていた)記憶は残っています。

その後、小学生になりますと「マンガ日本の歴史」や「マンガ世界の歴史」といった本を毎日飽きもせずにランドセルに詰めては通学電車内で読んでいました・・。さらには小学校の卒業アルバムに載せた自分のキャッチフレーズには「歩く歴史書」と書いていました・・(苦笑)。

そして、そうしたことを思い起こしてみますと、よくもこの年齢に至るまで、多少断続的であった時期はあるものの、継続して、この分野の書籍を読み続けてきたものであると、我が事ながら多少自分の「頑固さ」を不憫にも思います・・。

また、こうした長年にわたり継続している所謂、比較的強い性質とは、一般的に他面において影の部分も強く・濃く形成するものであり、おそらく自身は、出来ることと出来ないことの差が激しい、あるいは端的に「つじつまが合わない」といったような性質を有しているのではないかと思われます・・(苦笑)。

この性質については、幼少期からボンヤリと思い続け、現在に至り割合明確に思うことは「私は自分のこの性質に合った仕事に就かないとダメだ・・。」であり、また他方で「自身のこの性質(歴史好き)は必ずしも捨てたものではない・・。」といった経験に基づく信念のようなものもいくらかか明瞭化してきたと云えます・・。

小学生の頃から、歴史に関して、本当の興味・関心に基づいて話すことが出来る相手がいなく、中学校では、かなり変わった学生が多い学校に進んだことから、多少その芽は伸びて、そしてその先の高等学校では、かなり自由な校風ではあったものの、自身の歴史に関する興味・関心は、周囲の多くの学生と違うことにより多少浮いてしまい、無理に合わせようとして、より浮いてしまうといったことがあったように記憶しています・・。

こうした状況は大学においても同様でしたが、この時期は運動部に所属していたことから、書籍を好んで読むといったことはありませんでした・・。そして、部活を引退する少し以前、文系師匠と出会い、この時「世の中には私より強烈な方もいるのだなあ・・。」と感心を通り越して感激した記憶があります・・(笑)。

若い時期のこうした出会いは、なかなか重要なものであり、その後も社会において、こうした人物に出会うことなく過ごしていますと、物足りなくなり、そしていよいよ自分がオカシイのではないかと思うようになり「やはり自分は人文社会科学系の大学院に進むべきだ・・」と考えるようになり、周囲と相談し、ある程度の貯金をした後に会社を辞めて試験に備えました。

おそらく、ここまでは、どのようなルートであれ、自身の性質を鑑みるに概ね同じようなルートを辿ったのではないかと思われます。しかし、ここで自身が特筆すべきと考えることは、首都圏のそれまでの自身が慣れ親しんだ文化圏の大学院に進まず、自身がかつて職務にて在住した近畿地方辺縁といえる場所の大学院に進もうとしたことです・・。

それは「それまでの自分は、歴史を知っているつもりになっていたが、実のところ自分の国の古くから続く文化の積層、そしてその表層における現出とも云える、さまざまな民俗文化については、ほぼ何も知らなかった・・。」といった一種の強い敗北感・挫折感のようなものが根底にあったからであると云えます・・。

私のヨーロッパ文化専攻への希望が地域学専攻へと変化した背景にはそうした事情があります。しかし、それが果たして良かったのかどうかは、今以て明確には分かりませんが、結局のところ進んだ近畿地方辺縁の大学院での院生生活や、周囲の方々、そして何より、そこでの読書量などを思い返してみますと、比較的良かったのではないかと思われます・・。

そして、そこでの院生生活を終える頃の私は、完全に、そして不可逆的に現在の私の原型になっていたと云えます・・(苦笑)。


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2019年10月20日日曜日

法政大学出版局刊 ジャン・カナヴァジョ著 円子千代訳「セルバンテス」pp.73-75

「われわれが病床においてきたあの火縄銃士はその後どのように行動したのであろうか。彼の戦友の証言は明快である。彼は高熱にもかかわらず戦闘開始の前に甲板に現れた。そして艦長や友人が、彼は病気で戦える状態でないのだから床につくようにとすすめたのに対して、彼は叫んだ。
「中甲板に避難してわが身の健康をいたわるよりは、神と王のためにたたかって死ぬ方がよい(・・・)こうして彼は艦長が命じた大型ボートにおいて勇敢な兵士として戦った(・・・)」

船首に位置するランチは、接近戦においてとりわけ危険にさらされた戦場になる。セルバンテスの勇気には疑いの余地はない。中央の神聖同盟戦闘艦隊が風を利して攻勢に転じたときも、彼は持ち場を離脱しなかった。ドン・ホアンのガレー船は舳先の衝角を取り払い、より直線的で有効な砲弾発射を可能にすると、敵陣に突入した。それ以後陣形を整えた総体的戦術はすべて不可能になった。戦闘はいまや三時間にわたる六万人の兵士の大がかりな肉弾戦と化した。一人の目撃者によれば、「この時点で戦闘は血まみれの恐るべき様相を呈した。海も砲火も一体と化していた。」相次ぐ壮絶な撃突の刻をきざみながら、ドン・ホアンのガレー戦はかろうじてトルコ兵の攻撃から逃れたーこの攻撃を受けていたら、この船は恐るべき殺戮の場となっていたであろう。
 われわれの主人公はなんらかの接舷攻撃に参加したのであろうか。彼は、ドン・キホーテが語るあの兵士、二尺の空間に立ち、襲撃中の船首からいまにも海中にとびこもうとしているあの兵士の不安を感じたのであろうか、あの兵士には敵をさけるのに、血で染まった海へのダイヴィング以外の手は残されていなかった。ラ・マルケサ号の損害ー艦長自身も含めて四十名の死者、百二十名以上の負傷者ーから判断してみると、この船はトルコの反覆攻撃にむしろよく耐えたようにみえる。セルバンテスが、のちに栄光の美しい肩書とみなす三発の銃弾を受けたのはこのときである。最初の二発は彼の胸をうった、と戦友の一人が後に述べている。三発目の銃弾が左手を傷つけた。彼はのちに語るだろう、この傷は醜くみえるかもしれないが、しかし、
「彼は美しいと思う、なぜなら彼はこの傷を過去の諸世紀が見てきた、そして未来の世紀がけっして見ることをのぞみえないようなもっとも記念すべきかつもっとも高貴な機会に受けたからである。なおかつ祝福された記憶に鮮やかな、かの雄将カール大帝のご子息の勝ち誇る指揮のもとで戦いながら受けた傷なのである。」

そして彼は晩年にいっそう誇らしげに語っている。

「仮に誰かが今日私のために一つの奇跡を起こしてやろうと提案するとしても、私はあの驚異的な事件に参加せずに、私の傷も癒えた状態にあることよりは、あの事件に参加する方を選ぶだろう。」

こうして、スペイン歩兵隊の優勢のおかげで、戦況が神聖同盟への有利に傾きかかったまさにそのときに、マンコ・デ・レパント(レパントの隻腕兵)が生まれたのである。石弓の矢で傷つき、捕虜によって斧で首を斬られたアリ・パシャの死は戦況の転回点を記したようにみえる。激戦のさなかに、ウルジュ・アリーのバーバリー海賊カレー船が敗走に転じ、ついてトルコ船内の一万のキリスト教徒漕刑奴隷の蜂起がオスマントルコの敗戦に拍車をかけた。午後四時、敗れた敵は潰滅した。勝者は略奪にとりかかった。それは夜までつづいた。戦果はオスマン艦隊にとって過酷なものであった。百十隻の船が破壊されるか流失した。百三十隻が拿捕され、一万五千人近い奴隷が解放された。しかし同盟軍の側でも、勝利の代償は少なくなかった。一万二千人が戦死し、また負傷の結果死亡した。戦死者のなかにはセルバンテスが含まれなかったのは、われわれにとって幸運であった。」
ISBN-10: 4588006894
ISBN-13: 978-4588006890
セルバンテス (叢書・ウニベルシタス)

2019年10月13日日曜日

鹿児島での出来事について(変性意識?)【20191013】

はじめに今回の台風19号による列島各地の被害が小さく、そして被災された方々の日常生活が速やかに復旧されることを祈念いたします。

ここ徳島では、風雨の強い日が昨日12日迄に数日間続き、鉄道・航空などの運行に影響が生じましたが、東日本ほどの大きな影響、被害はなかったと思われます。

さて、本日は休日であることから新たにブログ記事を作成しようと、ここ数日間での記事毎の閲覧者数を確認したところ、去る9月15日投稿分の「自身のことについて(2007~2013年)」が最も多く読んで頂いていました。そして、この記事をあらためて読んでみますと、その後の投稿記事において鹿児島在住時の出来事を主題とする旨を述べていましたので、今回は、それを題材として記事を作成します。

以前の投稿記事にて述べましたが、私は2009年から2013年の歯科理工学実習に携わり、また2009年から2011年は主に実習補助として参加させて頂きました。その間、事情により2010年暮れ頃から2011年の期間に研究室スタッフが急激に減少したことにより、翌2012年の実習では、私がいくつかの実習項目を担当させて頂くことになりました。

とはいえ、2009年からほぼ同様の項目を実習補助の立場であれ現場にて関与させて頂いていた経験から、また、それら項目の担当であった准教授の先生が実習要領を私に(親切に)教えてくださっていたことから、実習担当をさせて頂くことに対しての恐れは、あまりありませんでした。

ただ、実習要領を教えてくださった先生が以前から仰っていた「鋳造や鑞付け実習は、高温の炎を扱い、また多くの学生さんは、おそらく、そうしたものを扱うことが初めてであろうから、とにかく火に関係する事故が生じないように注意しなければならない。」に関しては身の引き締まる思いであったことは記憶しています・・。

これは今でも出来るか不明ではありますが、実習項目概要を説明し、班員全員の試料作製を見届け、そして、それら試料を用いて所定項目の測定を行い、測定結果の講評を行い、レポート作成のための要点(これは班毎にそれぞれ傾向のようなものがあり、そこに(出来れば教科書記述に依拠した)理論的背景を肉付けした説明・仮説のようなものを提示する。)を説明するのは、身を入れて行うと想像以上に消耗するものであり、特に高温の炎を扱うバーナー・遠心鋳造機が設置されたストーン・テーブル周辺での実習工程では、機器から生じる熱気も相まって、汗をかきかき、学生さんの手元と同時に全体の様子も把握していなければならなず自身としてはそれなりに大変なものでした・・(苦笑)。

また、実習工程においては、必要以上に学生さんの手助けを行わないことが重要であり、他方で所望項目の測定に供することが可能な程度の試料を(出来るだけ)人数分作製することは、時として矛盾する要求ともなり、熱気が包む実習現場にて突如考えさせられるといったことがしばしばありました・・。

そして、そうした状況の時、私は一体どのような表情をして対応していたのでしょうか・・。面白いことに、いや、残念なことであるのか、そうした状況での自身の行動・言動については、濃淡はあるものの比較的記憶していると思われますが、肝心のそれを行わせた・言わせた精神状態については、現在において再現(追体験)することは困難であるように思われるのです・・(苦笑)。おそらく、心のギアが異なったところに入っているか、あるいは変性意識のような状態になっていたのではないかと思われます・・(笑)。

ともあれ、そうした状態で、鑞付け実習でのハイライトと云える、バーナーで鑞を液相状態にして、それを母材間隙に流し込む工程を見ていますと、バーナーの炎の状態、そしてその当て方が、極めて重要であることから、緊張しないように少し離れて学生さんが持つバーナーの炎の行方を注視しつつ、時折、意見や助言をして、また周囲の気配を察知し、さらに、時には工程についての質問を受けるようなことをしていますと、自然、若干前のめりのいかり肩になり、表情も多少厳しくなっていたのではないかと思われます・・。

そして、おそらく出席番号から考えて、最初の班での鑞付け実習での、まさにハイライトの際、ある男子学生さんが予想外の慌て方をしたのは、大変印象的であり、また、学生さんの手元のバーナーを注視している際、突如横から「何でそんな目をしているの?」と、ある女子学生さんに言われたことがありました。少し驚いて横を見ますと、その学生さんは手を後ろに組んで、本気でない反復横跳びのように、ぴょんと少し横に跳んで、いたずらっぽい笑顔をしていました・・。

後の方の出来事は、突然の予期せぬ質問であったことから、その場では、はっきり返答することなく、工程が一段落してから、柳田國男や谷川健一の著作にあった鍛冶屋と「目かんち」(古俗語で視覚に障害がある方々)との関係性、さらに古代ギリシャ神話における鍛冶神であるキュクロプス(サイクロプス)も隻眼であったことに共通する溶湯(液相)状態の金属を扱う行為の中で、ある程度普遍的と思われる反応(目を細くする・片目ずつ細くして目の疲労を抑える)をそれらしく述べて、その時の自身の目つきの説明に充てたことを記憶しています・・(苦笑)。

他にも、どうしたわけか、2012年の実習から、最初の班にはじまり、これに類するような出来事がしばしば生じ、またそれらを経る毎に、自身の精神状態も徐々に良くなっていったものと記憶しています。そして、それら出来事と自身の精神状態に、何らかの相関関係があるのか、ないのかについては、科学的な説明・立証は困難であるかもしれませんが、自身は(何かしら)あるのではないかと考えています・・。

そして、その媒介となったものは、これまた谷川健一等の著作にて述べられている地域特有の「セヂ」のようなものではないかと思われるのですが、さて、如何でしょうか?

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株式会社幻冬舎刊 森見登美彦著「有頂天家族」pp.56-58

「遥か平安時代から我々の血脈が続いているのは明白である。いかに我々が狸といえども、楠の洞から毛深い飴のようにむくむくと浮き世に押し出されてきたわけではない。私に親父がいる以上、親父の親父もいるのが道理だ。
 私が不本意ながら末席を汚す下鴨の一族やその流れを汲む夷川の一族を例に出せば、桓武天皇の御代、平安遷都と時を同じくして奈良の平群から四神相応の新天地に乗りこんできた狸たちが開祖であるという。どうせ人間がこしらえる旨い飯と汁物の匂いに誘われて、うつつに万葉の地を捨てた烏合の狸に決まっている。頼みもせんのに産み増えて、「開祖」も何もなにものだ。
 平安時代から受け継がれて野放図に枝分かれした血脈は、そこはかとなく我々を縛る。私のような「ぼへみあん狸」ですら、軽々に捨てられないのが血縁というものであり、なまじ血脈があるだけにささやかな諍いが便所に流せず、水ならぬ血で血を洗う争いとなることもある。「血は水よりも濃い」とは、私には手に余る言葉だ。
 
 我が父は、洛中に名高い立派な狸であった。大勢の狸たちから敬われ、その威光で狸界を束ねてきたが、無念なことに数年前に不帰の狸となった。
 その偉大なる親父殿が遺したのは、私を含む四匹の息子たちである。しかし残念なことに、父親の偉大を引き継ぐには、ちょっぴり器の幅が足りない子狸ちゃんが揃っていた。偉大なる父親を持つ子どもたちを巡る、数限りない悲劇のうちの一つである。
 父亡き後、我々が長じるにつれて、長兄のカチカチに堅いわりに土壇場に弱い性格と、次兄の引き篭もりと、私の高杉晋作ばりのオモシロ主義と、弟の「史上未曽有」と評される不甲斐ない化けぶりが満天下に知られるようになると、「あの下鴨総一郎の血を受け継ぎそこねた、ちょっと無念な子どもたち」という我々に対する世間の評価は定まった。
 それを小耳に挟んだ長兄はその憤懣やる方なく、八つ当たりに岡崎公園の松に巻かれた菰を剝がして廻り、「必ず父上を超えてみせる」と右の拳を固く握った。次兄は「そんなこと言われたって、知ったこっちゃない」と井戸の底でぷうっと泡を吹き、私はとっておきの美味しいカステラを食べて腹を膨らまし、弟は「お母さんごめんなさい」と小さく丸まって、これもカステラを食べた。
それでも母は平気であった。
 我が母は、よりにもよって自分の子供たちが、狸界に名高いダメ狸であるとは毛ほどにも信じていなかったからである。我が子は一人残らず、今は亡き父の跡目を継ぐにふさわしい狸だと母は信じた。もはや不条理の領域へと雄々しく足を踏み込んだ、その根拠不問の信念こそ、母を母たらしめて、ひいては我らを我らたらしめるものだったのである。
 我らの父は偉大であったが、母もまた偉大であった。」
ISBN-10: 4344415264
ISBN-13: 978-4344415263

2019年10月7日月曜日

文藝春秋刊 司馬遼太郎著「翔ぶが如く」第三巻pp.324-326

宮崎八郎は、嘉永四年(1851年)のうまれである。明治十年(1877年)、西南戦争で熊本の協同隊をひきい、西郷軍に加わって八代で戦死する。
 宮崎民蔵は慶應元年(1865年)のうまれで、その末子である真央氏は明治四十五年(1912年)のうまれである。まだ六十一、二といえば、右の歴史時間の規模からいえばひどく若い。「八郎伯父は、あの戦争で」と真央氏がいう戦争は、明治十年の西南の役のことである。八代で官軍の上陸をむかえ、これを拒ぎ、八代の萩原堤で戦死した。
「戦死したのは、四月六日です。それが生家の宮崎家(熊本県荒尾市)にわかったのは十月十一日でした。」
 宮崎家の下男の助市というのが八代へゆき、人のうわさを聞きまわって戦死を確認したという。生家が戦場と同県内にありながら、戦死がその遺族の手で確認されるのに半年かかったというのは、この当時の政情がいかに重苦しいものであったかが想像できる。「賊軍になった人ですものね」と、真央氏の口調は乾いていたが、目もとには、萩原堤の八郎の死骸を瞼の裏で見ているような表情がうかんでいた。宮崎八郎が生まれた村は、その弟の滔天(寅蔵)の文章によると、熊本城から西北十余里のところにあり、「ゆくゆく将に筑後の国境に入らんとする処に一小村落あり、荒尾村と云ふ。民貧なりと雖も純朴に、地痩せたりと雖も形勝を占む」とある。
 いまは、荒尾市上小路という地名になっているが、市という印象からほど遠い田園である。村の入口に鎮守の社があって、境内に、「猿田彦大神」と彫られた石碑がある。八郎が二十歳ごろ村の人にたのまれて書いた文字だという。かれは九歳で村の僧から漢籍を学び、十二歳で熊本城下の月田蒙斎の塾に入り、そののち、郷士身分では入門はゆるされないとされていた藩校の時習館に、月田のかくべつな推薦で入った。この一事でも八郎が当時の水準でいう秀才だったことがわかる。このことが村にも伝わり、ぜひ鎮守の神名を書いてほしいということになったのであろう。
 宮崎家の屋敷は、いまは他家のものになっている、敷地も狭くなり、建物も母家ぐらいが残っているのみで、庭の様子なども変わってしまっているらしい。
 江戸期における宮崎家は郷士の格式をもつ中程度の地主であった。小作米が年に三百俵ほど入り、山林が五、六十町歩あった。
 八郎、民蔵、滔天らの父は、長兵衛といった。他人の悲しみを聞くと涙が流れてどうすることもできないというほどに感情の大きい人物で、この体質はその子供たちそれぞれに遺伝している。
 荒尾村は、当時も家屋が密集していたらしい。あるとき火事があって部落がほとんど焼けた。長兵衛は悲嘆に堪えず、一部落全部の家をかれの自費で建ててやり、このため家産を傾けたといわれる。
 長兵衛のような徳行好みの人物は江戸期の庄屋階級にはわりあい居たようであったが、長兵衛の風変りなことは、生涯に二度、日本中を武者修行してまわったことであろう。かれは熊本につたわっている宮本武蔵の二天一流を山東半兵衛という師匠から皆伝されたほどの腕で、宮崎真央氏宅にその伝書が遺っている。
 かれが諸国を武者修行してまわったときの覚帳というものが遺っていて、それを見ると、江戸の千葉周作の道場や斉藤弥九郎の道場にも乗り込んで行って試合をしている。
 この人物が、八郎以下の子供たちにかねがね言いきかせていたことは、
「豪傑になれ、大将になれ。金銭には手を触れるな。金に執着するのは乞食のなすことである」ということで、滔天もそれを聞いた。滔天が十一歳のときにこの長兵衛が亡くなったが、未亡人の佐喜は長兵衛似の婦人で、子供たちに、「畳の上で死するは男子の恥である」と言い続けていたという。
この家から、およそ金銭や浮世の栄達に無関係の実践的な理想主義者たちが何人も出たというんは、偶然ではなさそうである。」
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ISBN-10: 4167105969
ISBN-13: 978-4167105969






2019年10月2日水曜日

平日に新たな記事を作成する理由について「SDGs」【20191002】

昨日は所用のため、日帰りにて都心部に行っていました。そして、その所用のある場所が、かつて自分が比較的多く活動していた場所でした。

こうした状況はここ徳島に移って以降、幾度も経験したことではありますが、それが日帰りであり、また時間が多少押して、さらにほんの数分程度、実家が運営しているクリニックに立ち寄り、家族と会話をしますと、その後、どうしたわけか電車・徒歩での移動時に、不図「ああ、このまま電車に乗ってあと数駅行くと、かつて住んでいた家に戻ることになるな・・。それなのに、私はこの用事を終えると徳島に戻るのだな・・。」といった不思議な感情が湧いてくるのです(笑)。

こうした感情はあるいは「しょうもない」ものであるのかもしれませんが、それはそれでなかなか面白いものであるとも云えます・・。

ともあれ、そこからハナシは変わり、一昨日(0930)の投稿記事によるものか、昨日の都心での移動時に以前フェイスブックにて友達申請をしていた方から承認されたとの通知がありました。こうしたこともまた、普段あまり気に留めないようにしていますが、それはそれで興味深い現象であると云えます。

そういえば、ここ最近、世界規模にてよく聞くコトバで「SDGs」というものがありますが、これは「持続可能な開発目標」という意味です。そして、そうした流れを受けて、このコトバを自身の状況に当て嵌め「私にとっての「SDGs」は一体どのようなものであろうか?」と考えることがここ最近ありますが、それは未だ自分のなかで完全に凝集・結晶化されることはなく、はなはだボンヤリとしたものであると云えます・・(苦笑)。

嗤われることを承知で、そのボンヤリとした自身にとっての「SDGs」を書き連ねてみますと、それは「西南日本のあまり規模の大きくない医療系の大学で、季節ごとに産学連携活動、学生さんの就職支援、そして論文英語の基礎ともなり、また、学生さんが興味を持ちつつ継続して学ぶことが出来るような教養科目を教える(あまり任期を気にしなくても良い)職種に就くことではないだろうか・・?」といった感じになります。

また、これら全て(産学連携・就職支援・教養教育)を行うことは難しいとしても、自身としては、さきに挙げた三つのうち、最後の教養教育に関しては比較的強くやってみたい、あるいは自身の性質をより多く生かすことが出来るのではないかと思われるのです・・。

とはいうものの、ここ一年以上は公募サイトを閲覧することなく過ごしてきましたので、今後、公募サイトを閲覧するようになったとしても、都合良く早々に、さきに挙げた職種に合致するものを見出すことが出来るかどうかは甚だ疑問と云えます・・(苦笑)。

しかしながら、これに関しては現実的に公募サイトを継続的にチェックすることが重要と云えますので、とりあえずは、それを新たな習慣とする必要があると云えます・・。

さて、習慣と云いますと、ここ最近は週末・休日に新たな記事を作成・投稿することが多いのですが、何故、ウィーク・デイである本日、こうして新たな記事を作成しているのかと申しますと、それは明日夕刻より数日間、また所用のため国内の幾つかの地域に出向くことになっており、そうしますと、新たな記事の作成も覚束なくなると思われるため、予め本日中に新たな記事を一つでも作成しておいた方が良いと考えたためです・・(笑)。

そして、そうしたスタンスにて記事を作成しますと、以上のような感じとなりますが、これはたしかに以前、ほぼ毎日記事を作成していた時期と比べると、ハナシの筋にまとまりがないように思われますが、その一方で多少は良くなった点といったものはあるのでしょうか・・(苦笑)。

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~書籍のご案内~
新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5

~勉強会の御案内~
前掲書籍の主著者である師匠による歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に関しての勉強会・講演会の開催を検討されていましたら、ご相談承ります。師匠はこれまで長年、大学歯学部・歯科衛生・歯科技工専門学校にて教鞭を執られた経験から、さまざまなご要望に対応させて頂くことが可能です。

上記以外、他分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。
~勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス~
conrad19762013@gmail.com
どうぞよろしくお願いいたします!