2019年8月25日日曜日

20190825 書籍からの抜粋引用「白洲正子自伝」pp.14-17

「私は、父も母も、そのまた先祖も生粋の薩摩隼人だが、東京生まれの山の手育ちで、一度も鹿児島に住んだことはない。にも拘わらず、東京が故郷とは思えないのである。そうかといって、薩摩の国も、多くの人々が考えているように異郷の地であり、日本の中の外国という感じから逃れられない。

「私は誰でしょう」というのは、青山二郎が私の本の序文に書いてくれた題名だが、さすがによく見ていたと今になって感謝している。それについては、別のところに書いたので省略するが、要するに、近頃のはやり言葉であるアイデンティティを求めて、私は長い間さまよっていたのである。そのうちアイデンティティなんかどうでもよくなって、そんなものは他人に任せて何とか生きている次第だが、自分の元型というものを、目に見せてくれたのは、津本陽氏の「薩南示現流」であった。

私はその極く一部分の祖父についての話だけ取り上げたが、全編を読むと実に面白い本で、剣道の精神について余すところなく語っている。今時、剣道なんか持ち出すと、やれ時代錯誤とか、戦争礼賛だとか、悪くすると右翼の片棒をかついでいるように見られかねないが、そんな簡単なものではなく、日本の文化の中心を形作っていた一つの「芸」であったことは疑いもない。
  
長いのでここに全部を紹介することは出来ないが、示現流は、はじめ「自顕流」といった。桃山時代に京都の寺でひそかに行われていた剣道で、薩摩藩士の東郷重位が苦心惨憺して鹿児島に伝えた流儀である。ところが血の気の多い兵児二才の間では、「自顕」を自分流に解釈して、前後の見境もなく自分を顕せばいいのだろうと、勝手気ままな振舞をするようになった。もともと受ける太刀もなく、斬る太刀だけが命の剣道のことだから、「気ちがいに刃物」もいいところで、しめしがつかなくなったのである。

そこで当時の藩主、島津家久が、大龍寺の文之和尚と相談して、重位に命じて「示現流」と名を改めることにした。これは観音経の中にある「示現神通力」からとったもので、神仏が此世に姿を現す意味である。家久自身が剣道の達人であったから、勢のいい若武者たちもいうことを聞いたに違いない。物の名は恐るべき力を持っているが、以来島津藩のお留流として、他見無用の剣道となった。名前を変えた程度で、野蕃な人種がどうなるわけでもなかったが、示現流を習うことによって、我慢することぐらいは覚えたであろう。まして達人ともなれば、精神的にも謙虚で誠実な人間に育ったことは間違いない。

示現流についてはまた別にふれることにして、再び祖父の想い出に戻りたい。彼は至って無口な老人で、いつも黙っていたのが幼い頃の私には安心できるものがあった。

大磯の「鴫立沢」の前にささやかな別荘があり、二股にわかれた老松があったので「二松庵」と呼んでいた。晩年はそこで暮らしていたが、別に園芸場と名づける別荘が山手の方にあって、花や野菜を育てており、毎日そこに通うのを日課としていた。朝起きると、まず海岸へ口を洗いに行く。私はちょこちょこその後から従いて行くのだが、孫がいようといまいと意に介さぬという風で、「太平洋の水でうがいをしよると気持ちよか。あの向こうにはアメリカ大陸があっとよ」と、はるかかなたの空を眺めやりながら、鹿児島弁丸出しの口調で誰ともなくそういうのであった。

明け方の浜辺には地引網をひく漁師たちののんびりした掛声が流れ、網がひきあげられるとピチピチした魚の群れが朝日のもとで銀色にかがやく、漁師はみんな祖父を見知っているらしく、鉢巻をはずして会釈した後、魚をわけてくれる。それが朝食の膳にのぼるのであった。

朝食にはその魚のほかにハム・エッグスがついたが、全部食べるわけではなく、残したものをナイフとフォークでこまかく切る。何もそんなに丁寧にする必要はないと思うのに、まるで重要な仕事でもするように、細心の注意のもとに切りこまざいて、「ソイ、ソイ」(それ、それ)といいながら雀にやる。雀はそれを知っていて、毎朝窓の外に集まり、勇気のあるものは彼の肩や頭にとまったりして待っていた。

それはまったく一介の田夫野人としか見えぬ姿であった。私の記憶にある祖父は、着古したセルの着物に、太い兵児帯を無雑作に巻きつけた平凡な老人で、それ以上でも以下でもない。」
白洲正子自伝 (新潮文庫)
薩南示現流 (文春文庫)
ISBN-10: 4101379076
ISBN-13: 978-4101379074

20190825 横溝正史の作品にて描かれている社会について

どうしたわけか、一昨日(8/23(金))は新たな記事投稿や既投稿記事の再投稿をそれほど行わなかったにも関わらず、ブロガーでの記事閲覧者数が1000人を越えました。

一昨日のような、あまりブログに手を付けない日の閲覧者数は、多い場合でも50人程度であることから、これには多少驚かされました。ともあれ、読んで頂いた皆様どうもありがとうございます。

また、ここでもう一つ気になることは「どの記事が多く読んで頂いていたか」であり、これについては、それなりに分散はしていると云えますが、同時に、最近投稿した記事の方が、より多く読んで頂けている傾向があるとも云えます。一方で、数年前の投稿記事で多く読んで頂けているものもいくつかありますので、そうした記事を読みつつ「何故、この記事が多く読んで頂けたのだろうか」または「誰が、どのような方々が、この時期に、この記事を読まれたのだろうか」などと考えてみるのも、それなりに面白いと云えます・・(笑)。

ブロガーの記事管理では閲覧者数は分かるのですが、実際に閲覧された方々の個人識別については困難であり、また、自身の場合、こうしたことをあまり気に留めず、記事作成に取組む方が性に合っていると思いますので、去る4月からアメーバブログも開始しましたが、こちらは基本的にブロガーにて投稿した記事のコピペ記事であり、現在のところ、オリジナルの記事はありません。また、今後もこの投稿スタイルにて続けていこうと考えています。

そういえば、去る8月11・19日での記事投稿以降から数人の文系院時代の知人から連絡を頂きました。この文系院時代の知人達からは、かねてより「私のブログを時折読んでいる」と聞いていたため、それが何かしら効いているのではないかと思われましたが、こちらからそのことを質問することは差し控えておきました。

さて、そこから話は飛びますが、先週、首都圏にて活動した疲れが出たものか、ここ数日間はあまり書籍を読む気力が湧いてきませんでした。しかし、先日購入の横溝正史による「八つ墓村」は300頁過ぎまで至り、さらに先の展開も大変興味深いと云えます。

また、さきに読了の「獄門島」そして、この「八つ墓村」といった戦後ごく初期といった、それ以前の因習・習慣が強く残存あるいは支配している社会を描いた作品を読んでいますと、これまでに読んだ民俗学さまざまな著作、とりわけ宮本常一等による「日本残酷物語」が想起されてきます・・。「日本残酷物語」のような著作は、来年2020年開催の東京オリンピックに向けた「日本文化を世界に向けて広くアピールしていこう」といった、ある意味火照っている社会風潮に対して冷水を浴びせるものであり、そしてまた、そこに描かれている社会的文脈こそがある意味、真正な我が国の社会像であるのではないかと考えます。それ故、おそらく、この著作を読んだ後に、私もその中に含まれる所謂「ロスジェネ世代」の背景、もしくは問題作とされるドキュメント映画「ゆきゆきて神軍」作中にて追及される(到底)直視出来そうもない惨状を醸成するような社会のメカニズムも理解出来るのではないかと思われるのです・・。

くわえて、こうしたことは、おそらく外国の方々にはあまり理解されないと考えていましたがローレンス・ヴァン・デル・ポストによる太平洋戦争中での体験を描いた「影の獄にて」を読みますと、さきに述べたような我が国社会のメカニズムをかなり抽象化して理解されているといった感じを受けました。ちなみにこの「影の獄にて」は映画「戦場のメリークリスマス」の原作であり、(かなり)皮肉なことであるのか、この映画はその内容、主題よりもテーマ音楽によって国内にて広く知られています・・(苦笑)。

また、こうした構図自体もまた、一つの我が国社会の構図を示すものであるようにも思われますが、さて、如何でしょうか?

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。








日本福祉大学
オープンキャンパス

~書籍のご案内~
新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5

~勉強会の御案内~
前掲書籍の主著者である師匠による歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に関しての勉強会・講演会の開催を検討されていましたら、ご相談承ります。師匠はこれまで長年、大学歯学部・歯科衛生・歯科技工専門学校にて教鞭を執られた経験から、さまざまなご要望に対応させて頂くことが可能です。

上記以外、他分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。
~勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス~
conrad19762013@gmail.com
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