2019年9月21日土曜日

20190921 東京創元社刊 ウンベルト・エーコ著「薔薇の名前」上巻pp.30-33

 『私たち主従が行動を共にしていたあいだは、規則的な生活を送る機会があまりなかった。とりわけあの僧院に着いてからは、真夜中に目を覚ましたり昼間から疲れて眠りこんでしまったり、規則的に聖務日課に加わることはなかった。けれどもまだ旅から旅を続けていたころには、終課の後にまで師が目を覚ましていたためしは滅多になく、つねに節度ある習慣を保っていた。それが、あの僧院に入ってからは、しばしば生じたように、一日中薬草園を歩きまわって、緑玉や翠玉を探すみたいに、植物を調べていることがあった。あるいは地下聖堂の宝物庫を歩きまわって、朝顔の茂みを除きこむみたいに、緑玉や翠玉の鏤められた手箱に見とれていることもあった。あるいはまた、一日中文書館の写字室に籠って、自分の楽しみ以外の何ものも求めていないといわんばかりに、写本をめくっていることがあった。(私たちのまわりでは、日一日と、身の毛よだつばかりの殺され方をした修道僧の死体が殖えていったというのに)。ある日など、師は自分の没頭している仕事のために神さまへの務めなど気にかけていられないと言わんばかりに、やたらに僧院の中庭を歩きまわっていた。私が学んだ修道会ではこういう師の行動とはまったく違ったやり方で日課が定められていたから、思いきってそう言ってみた。すると師は、宇宙のすばらしさは多様性のうちの統一性にあるばかりでなく、統一性のうつの多様性にもあるのだ、と答えた。そういう返事は無教養な経験論に基づくもののように思えてなっらなかったが、後になってから、理性の働きはあまり重要な働きはしないという言い方で、師と同郷の人士たちが事物を規定することを知った。
 あの僧院では共に日夜を過ごしていたあいだ、師のほうは書物に積もった塵や、仕上がったばかりの細密画の金粉や、セヴェリーノの施療院で触れた黄色い物質などで、いつも両手を汚していた。それはまるで両手を使わなければ考えは進まない、と言わんばかりの態度であり、当時の私の目に師はときおり機械職人そのもののように映った(そして私がそれまでに受けてきた教育では、機械職人とは〈不倫ナ者〉であり、本来は貞節な結婚で知的生活と結ばれるべきなのに、いわば不倫を犯している者なのであった。)師の手が非常に壊れやすいものを、たとえば細密画を施し終わったばかりの手写本や、古くなって無酵母パンのようにもろくなり、崩れかけたページなどを取り扱うときには、少なくとも私の目には、師が並はずれて繊細な触角の持主であり、職人が自分の機械仕掛けに触れるときとまったく同じ手つきをしているように見えた。じじつ、いずれ述べることになろうが、このように風変りな人物であった師は、旅行用の袋のなかに、当時は私などが見たことも聞いたこともなかった道具類を所持していて、これを大切な機械類と称していた。機械とは技工の現れであり自然の模倣である、と師はいつでも言っていた。また、機械によって再生されるのは自然の形態ではなくて、作用そのものであるとも。こうして師は、時計の仕組みや天体観測器や磁石の秘密などを、私に説き明かしてくれた。しかし初めのうち、私はそれらを魔術のように恐れていたので、晴れた夜に師が(奇妙な三角形の道具を手にして)しきりに星座の観測を繰り返していたときなどには、眠っているふりをした。私がイタリアの各地や自分の故郷で知りあったフランチェスコ会修道士はみな素朴で単純な人たちばかりで、なかには文盲の人も少なくなかったから、師があまりにも博学の士であることに驚いてしまった。けれども師は微笑みながら、彼の故郷の島に住むフランチェスコ会修道士たちも自分とはまったく別種の人間だ、と私に言った。「ただしロジャー・ベーコン、この方を私は師とも仰いでいるのだが、この巨匠の説かれた言葉によれば、神の意図はやがて聖なる自然の魔術すなわち機械の科学となって実現されていくであろうという。また、人はやがて自然の力を用いて航海のための装置を造りあげ、船舶は〈人ノ力ノ支配ニヨッテノミ〉進むことができるようになるであろう、帆や櫂で進むよりはるかに迅速に航行できるようになり、さらには地上を走る車も別種のものになるであろうという。〈動物ニ牽カレナクトモ猛烈ナ勢イデ動ク車、サラニハ空飛ブ機械。人ハソノ機械ノ真中にスワリ、何ラカノ装置ヲマワスト、巧ミニ作ラレタ翼ガハバタイテ、鳥ミタイニ空ヲ飛ブデアロウ〉そしてごく小さな装置で非常に重いものを持ち上げるようにようになり、海底を進む乗物さえ造りだされるときが来るであろう」
 どこへ行けばそのような機械にお目にかかれるのかとたずねると、師はすでに古代において造られた例がある、そして私たちの同時代にはいくつか造られている、と答えた。「ただし、例外は空飛ぶ機械だ。これだけはわたしもまだ見たことがないし、見たという話を聞いたこともない。だが、その装置の考案にたずさわっている博学の士ならば、私は知っている。また、支柱を立てなくとも支点がなくても河川に橋梁を架けることができたり、それ以外にも、まだ聞いたことのない機械装置さえ造られているという。いままで存在しなかったからといって、疑いを抱くには当たらない、将来にも存在しないとは限らないからだ。そこで、おまえに言っておくが、神はなによりもそのような事物の存在を望んでおられるのだ。それが神慮のうちにすでにあることは疑いを入れない、たとえオッカムのわたしの親友〔ウィリアム〕がそのような形での思念の存在を否定しようとしても。なぜなら、わたしたちには神の性格が決定できるからではなく、そこに何らかの限界をも設けることができないからだ」このように矛盾する命題を師の口から聞いたのは、そのときに限らなかった。それにしても、すっかり年老いてあの当時よりはるかに賢明になったはずの私に、いまなお完全に理解しがたいのは、どうして師がオッカムの親友にあれほどまでの信頼を寄せていたのかという点であり、と同時にまた口癖の一つでもあったベーコンの言葉に、師があれほどまでに全幅の信頼を寄せていたのかという点だ。ともあれ、確かに言えるのは、あれが暗い時代の渦中の出来事であり、いかに賢明な人物であっても矛盾のうちに思索を進めなければならなかったということである。』
ウンベルト・エーコ著「薔薇の名前」上巻pp.30-33
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