2018年11月19日月曜日

20181118 照葉樹林文化の縄文、弥生時代の共通、連続性と銅鐸

一昨日投稿分の記事にて述べた『照葉樹林文化』の中に柑橘類の栽培といった特徴があり、それにより、一昨日、昨日投稿分記事はまとめることが出来ます。

さて、以前に当ブログにて述べたことですが『照葉樹林文化』は中国南部、東南アジア北部地域そして西日本、朝鮮半島南部にて多く見受けられる生活文化であり、さきの柑橘類の栽培の他にはすぐに思い付くものだけでも、養蚕、漆の利用、味噌・納豆など大豆を原料とした発酵食品、蒟蒻といったイモの中に含まれるマンナンという成分を固めた食品、芋・穀類と肉・魚などを交互に積層し発酵させた『なれずし』の存在、喫茶の習慣、餅など粘性の強い食品の愛好、小豆に邪霊を祓う力があるといった考え、鵜を用いて漁業を行うこと、などが挙げられます。

また、水稲耕作も照葉樹林文化に含まれるのですが、水稲耕作は,この文化体系の中においては、さまざまな知識・技術が複合・集約化された高度なものであり、そこから、その年代的な起源は比較的新しいと云えます。

しかし、であるからといって日本列島に水稲耕作が縄文時代晩期頃より波状的にもたらされたのと同時期に照葉樹林文化もまた我が国にもたらされたというわけでもなく、それ以前より雑穀、イモ類などの栽培は広く行われており、その中でも特に植生、気候風土がその文化発祥の地に近く、且つまた当時、列島内にて人口密度が希薄であった西日本は、その文化を受容するに好適であったと考えられます。

つまり、水稲耕作の列島流入以前より、我が国の縄文時代文化に紐付けされる照葉樹林文化が既に存在し、また、それ故に、類似あるいは同一の生活文化に属する水稲耕作も比較的容易に受容そして融合することが出来たのではないかということになります。

そして、こうした事情を背景として据えることにより、弥生時代の西日本水稲耕作社会における青銅祭器である銅鐸に、縄文土器に見られるものと同じ紋様が認められることの意味合いといったものを理解することが出来るのではないかと思われます。

しかし、その後、弥生時代から古墳時代への移行は、このような比較的平和裏と思しき背景でなく、もう少し血腥いものであったことを、さまざまな遺跡・遺物は示し、また、さきの銅鐸も、そうした様相を示す遺物の一つであると云えます・・。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

~書籍のご案内~
増刷決定!
ISBN978-4-263-46420-5

医歯薬出版株式会社
~勉強会の御案内~
前掲書籍の筆頭執筆者である師匠による歯科材料全般、あるいはいくつかの歯科材料を主題とした勉強会・講演会の開催を検討されておりましたら、よろこんでご相談承ります。師匠はこれまで長年にわたり大学歯学部・歯科衛生・歯科技工専門学校にて教鞭を執られた経験より、さまざまなご要望に対応させて頂くことが可能です。

*上記以外、他分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談承ります。

勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス
conrad19762013@gmail.com 
どうぞよろしくお願いいたします!

数年前より現在までに日本列島各地・特に西日本において発生した、さまざまな大規模自然災害により被害を蒙った地域の速やかな復旧そして、その後の復興を祈念しています。
↑こちらもどうぞよろしくお願いいたします!