2017年10月31日火曜日

20171031 ①~⑤それぞれの種族・民俗文化の歴史的関係について

これまでに5つの民俗文化を述べてみたが、もちろん、これはある程度仮説的なものであり、さらにまた、それらのみが我が国文化の基層を構成したものであるという意味でもない。

はじめに述べた①母系的・秘密結社的・芋栽培-狩猟民文化の我が国への伝来は縄文時代中期以後(後期)に置いたが、無論、それ以前にも何らかの民俗文化が列島に存在していたのであるが、それについては知識不足でもあることから、ここでは触れない。

ともあれ、この①母系的・秘密結社的・芋栽培-狩猟民文化は伝来以降、日本列島に広く拡散伝播し、また同時期の土器(縄文)においても、それぞれの地域的特徴が看取出来るものの、同時に繁縟的といった縄文土器一般における共通した意味合い、要素をも付与したとのではないかと考える。

そしてその後、縄文時代末期になると②母系的・陸稲栽培-狩猟民文化が伝来し、これが①を含む在来文化に加わり混淆し、そして日本列島西部を主として徐々に農耕文化的様相へと変貌していった。

さらにその後、弥生時代に入った紀元前4~5世紀頃になると、大陸での戦乱の影響により、中国南部の江南地方(呉・越)より④男性的・年齢階梯制的・水稲耕作-漁撈民文化そしてそれとほぼ時代を同じくして朝鮮半島を経て③父系的・「ハラ」氏族的-狩猟・飼畜民文化が列島に流入し、①と②を含む在来文化の混淆にて形成された、ある程度農耕への比重を持つ文化の上に③、④の文化が加わり、交流、混淆し、次の時代への胎動をもたらす弥生時代の社会が成立した。

とはいえ、もちろんここで述べた①~④それぞれ文化の交流、混淆の様相とは多種多様であり、また、それらの様相こそが我が国の多彩な背景を持つ地域民族文化の基層、マトリックスとなったと云える。

具体的には、縄文時代以来の狩猟採集と共に母系的畑作農耕を主たる基盤とする種族文化は主に内陸地域へ、新たに伝来した水稲耕作を主たる基盤とする種族文化は概して河川下流域、海岸付近へと居住するといった様相である。

そして、弥生時代も末期に近づいた頃に至ると水稲耕作を基盤とした酋長(首長)が治めるクニが各地に少なからず存在していた。

こうしたクニグニの成立の背後には共通して③、④の父系的農耕種族の文化要素が(ある程度)強く作用したのではないかと思われる。

また、この時代より言語的にはアルタイ語系の言語が徐々に浸透し、支配的言語となりつつあったのではないかと考える。

ともあれ、こうした様相、状況を示していた弥生時代末期~古墳時代初期の我が国に⑤の天孫族が朝鮮半島より渡来し、父権的・支配者文化、支配体制を持ち込むこととなる。

この天孫族は在来の諸種族、クニグニを征服し、大和にそれまでよりも巨大な国(大和王権)を建てた。この大和王権の政治支配は徐々に確立され、支配領域は拡大し、在来諸種族はその独立性、独自性を喪失し、漸次、この大和王権社会に組み込まれていくことになる。

それらは王権社会内部にて階層化し、農民、漁民、手工業者あるいは奴婢といった被支配層となり、またさらに支配種族自身も諸族としての独立性を喪失し、そして王朝制が確立するに至った。

以上の過程により大和王権内部社会の諸文化は、徐々に一様化、均質化の傾向を進み、かくして量的、質的にも一つの大きな文化共同体と称すべきものが形成され、またこれに伴い(より広域な)意識共同体も惹起され、ここに日本民族という新たな民族集団が発生するのである。

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

昨年から現在まで日本列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被災された諸インフラの復旧・回復そして復興を祈念しています。

昨今新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。』















2017年10月30日月曜日

20171030 『父権的・「ウジ」氏族的・支配者文化』其の5

父権的・「ウジ」氏族的・支配者文化
『この文化は日本列島に支配者王侯文化と国家支配体制を日本列島に齎した所謂『天孫族』を中心とした文化である。

この文化における社会構造の特徴とは、大家族・『ウジ』族・種族(小→大)というように、縦の三段に構成される構造を持っていることである。

『ウジ』は父系的親族ないし氏族組織で、おそらく外婚的であったと考えられる。
また、このコトバは古くはudiと発音され、朝鮮語のul(族)、蒙古語のuru-q(父系親族・同族)、トルコ語のuru(親戚)、ツングース語のur(息子)という語に連なり、アルタイ語系諸族の『父系の親族集団』を意味するコトバであった。

こうしたこと、およびその他の当民俗文化に含まれるとされる習俗について考え合わせると、この文化の起源とは北方アジアの騎馬民族のそれと本質的に同一であるように思われる。

くわえて、この民俗文化の宗教観における特徴とは、其の3にて述べたものとほぼ同様であり、神は天上にあって、人間界へは山頂、樹頂に降下して出現するといった、いわば垂直的な世界観、表象であると云える。

また、神道における樹木、樹枝、柱の重要性あるいは依代といった観念とは、全てこの垂直的な世界観を持つ信仰形態において固有であり、起源であったものと考える。

あるいはこうした世界観とは、その神話における主神タカミムスビ(別名 高木神)の名称によっても理解されるのではないかとも思われる。

ともあれ、この主神とは天孫族の主神であって、彼らにとって大きな意味を持つ中津国平定神話とは、この神を命令を下す最高神として物語り、そして、この神の命令により天孫ニニギノミコト(瓊瓊杵尊)が三種の神器を具して、配下の五伴緒(イツトモノオ)を随え、高千穂のクシフルの峰、あるいはソホリの峰に降臨したのであるが、これは古朝鮮の開国神話である檀君神話とまったく同系の神話である。

また、ニニギノミコト(瓊瓊杵尊)より三代のちの子孫である神倭伊波礼毘古命(カン-ヤマト-イワレヒコ)すなわち初代天皇である神武天皇が九州を出立し、対在来勢力との大阪、浪速での上陸戦に苦戦した結果、紀伊半島を周り、新宮付近より上陸し、大和盆地を目指す道中、昏睡してしまい進軍できなかった際に八咫烏(ヤタガラス)が現れ、先導し、めでたく大和盆地に至るという物語(神武東征)があるが、こうした内容を含む我が国のそれと類似した建国神話が遠くハンガリーのマジャール族にも存在する。

もちろん、これら双方の神話を直接に結び付けることは論外であるが、中央アジアの蒙古族、トルコ族の間には、王朝と猛禽との密接な関係を物語る話が少なからず見受けられることから考えると、双方神話の起源、根源とは、やはり中央アジア遊牧民の神話、伝承にあるのではないかと考える。

古代のユーラシア大陸東端においては、北方の遊牧民と南方に住む漢民族との抗争が繰り返されていたが、その過程においてかなりの数の遊牧民は、中国東北部、朝鮮半島にも侵入し、その際に在来土着の半農半猟のツングース系種族を征服し、配下としてある種の階層化された社会を形成していたのではないかと考える。そして、それらが徐々に小国家として発達していったものと思われる。

そして、この『半農半猟のツングース系種族』が先日の『其の3』にて述べたものと同系の民俗文化であったのではないかと考える。

小国家から拡大していく際に、この組織は流動性を増し、さらに軍隊化し、中国東北部からさらに朝鮮半島を南下し、さらには幾度かの波となって日本列島にまで至ったのではないかと思われる。

また、こうした変化の経緯を大陸もしくは朝鮮半島にて経ていることから、この民俗文化とは純粋に遊牧民、騎馬民族オリジナルのままにて列島に渡ってきたとは考えられない。

あるいはそのことを異言すると、中国東北部の古代国家扶余や、その南方にある高句麗も、我が国の天孫族文化と類似したような種族構造、民俗文化を有していたであろうし、また古代朝鮮半島諸国家の支配層も天孫族と程度の差はいくらかあれども、概ね類似あるいは共通した性質を保持していたのではないかということである。

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年より現在まで日本列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被災された諸インフラの復旧・回復そしてその後の復興を祈念しています。

昨今、新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。』











2017年10月29日日曜日

20171029 『男性的・年齢階梯制的・水稲耕作-漁撈民文化』其の4

男性的・年齢階梯制的・水稲耕作-漁撈民文化
『この民族文化は、弥生時代の民俗文化を構成するもっとも重要なものであり、おそらく弥生時代における南方的といわれる文化要素を齎したものであると云える。

この民俗文化は、在来の我が国における農耕文化と比べ、技術集約的な水稲耕作を行うと同時に沿岸漁撈にも従事し、進んだ漁撈技術を持っていた。

また、この民俗文化が持つ社会組織として特筆すべきことは、主に関東~西南日本にわたる太平洋岸、瀬戸内海、そして新潟県から島根県にまで連なる日本海沿岸の漁村にて現在に至るまで多く見受けられる年齢階梯制は、この民俗文化に特有ということである。

また、この民俗文化は、これまに述べた列島に伝来、定着した民俗文化と比べ、すぐれて男性的なものであったと評し得る。

その一方において親族組織としては、父系的ではあるものの、母・妻方の姻戚の地位もまた高く、故に多少の双系的傾向をも示し、社会構造における構成原理あるいは上下の秩序原理として年齢、世代区分原理が支配的であった。

また、村内婚が一般的であり、村内における家格の上下意識はあまり強くない。

くわえて、この民俗文化における著しい特徴とは、分散的といってもよい傾向、習癖である。具体的には一軒の家敷地内に二世代の複数家屋を持つ、もしくは世代別居に関連する家慣習(若者宿、娘宿、寝宿、産屋、月経小屋、喪屋)を持つことであり、これらは当文化において独特の要素であり、そして、それに付随するともいえる成年式、成女式といった習俗もまた、この文化と深く結びついている。

こうした機能、世代に応じて独立の家屋、舎屋を建てる文化形態とは、本来アウストロアジア系ミクロネシア人の文化形態であり、また同時にそれは我が国のみならずポリネシア、メラネシア、ニューギニア、フィリピン、台湾そして中国南部にまで及んでいる。

我が国にこの民俗文化が伝来した時期とは、中国南部の江南地方より紀元前四、五世紀の頃であったものと考えられる。

その理由とは、揚子江(長江)の下流地域から南の沿岸地域一帯とは、三国志の呉・越の地であったが、それら両国(呉・越)の滅亡は紀元前五世紀頃から同四世紀後半であり、この時代は漢族の南方への進出に伴い、非漢族居住地域の動揺、混乱の激しかった時代であったことによるものと考えられる。

そして、この時期と軌を一にして西日本に本格的な弥生式社会が成立すると云える。

それ故、これらの現象の間には浅からぬ関連性があるものと考える。

さらに、この呉・越の文化とは、古来より南船北馬が中国文化の概括を示すコトバであるように、すぐれた船舶、漁撈文化を持っており、同時にそれは魏志倭人伝にて述べられている紀元二世紀代の倭国習俗とも類似、共通する点が多いことにも留意する必要がある。

とはいえ、我が国における弥生式の文化は、おそらく、いくつかの文化が流入したものであり、インドネシアの島々を北上してきた水稲耕作文化もあったかもしれない、あるいはベトナム北部のドンソン(東山)青銅器文化の流れも流入しているかもしれない。

そうして我が国に伝来した文化とは、これまでに述べた他の在来民俗文化とも、その発祥とされる地域的に遠くないことから、比較的受容、結合され易く、そして短期間のうちに列島内にて混淆し、新たな(列島独自の)民俗文化生成の母材(マトリックス)となったのではないかと考える。

もちろん、そうではあっても、伝来された文化も在来のそれも、列島内において順次一様であったはずはなく、その融和、混淆もまた、かなりの地域差、バラつきを持ち、またそれが現在の我々が列島内各地の文化において地域性を看取することが出来る、起源の主たる要因となっているとも考える。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年より現在に至るまでに日本列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った諸インフラの復旧・回復そしてその後の復興を祈念しています。

新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。』



















20171028 『父系的・「ハラ」氏族的ー狩猟・飼畜民文化』 其の3

父系的・「ハラ」氏族的ー狩猟・飼畜民文化
『この民俗文化を一つの複合として再構成することは現段階において難しい。

とはいえ、弥生時代初期に、東北中国、朝鮮半島よりツングース系の種族がその民俗文化を携えて列島に渡来してきたのではないかと考えられる。

いわゆる弥生式文化のなかの北方的要素である櫛目文土器、穀物の穂摘み用の半円形石器などは、この民俗文化に伴われ伝来したものと考えられる。

また粟、黍といった穀類の焼畑農耕と並行して狩猟、飼畜も行っていたものと考えられる。

こうした農業技術的な基盤を有していたことから、この種族は朝鮮半島南部や日本列島西部において水稲耕作を基軸とした社会文化を急速に受容していったものと思われる。

くわえて、北方アルタイ語系の言語を最初に日本列島に齎したのはこの種族であったものと考えられる。

具体例として古くから日本語に、人間集団を意味するウカラ、ヤカラ・ハラカラというコトバの語要素となっているカラ~ハラというコトバがあるが、このコトバの語源にあたるものが東北中国、北東アジアに広く分布するツングース諸族の外婚的父系同族集団を意味するハラ(Xala)というコトバではないかと考える。

また、南朝鮮古代の韓(カラ)というコトバは種族名を示すものではあるが、本来はさきのカラ~ハラと同意であったものと考える。

ともあれ、このツングース系種族のカラ~ハラ集団(外婚的父系同族集団)とは系譜的出自意識が強く、本家から枝分かれして分家を作り、また、それが定住農耕に携わると大家族的傾向を著しくする。

我が国におけるハラというコトバや、父系的系譜意識の強い本家・分家結合の強い同族、親族集団とは、類型的にさきのツングース諸族のハラと類似し、またおそらく、そこに起源があるのではないかと考える。

この文化の特徴とは
*父系系譜意識的な社会
*宗教的には神が天上より山頂、樹頂などに降臨するといった神出現の垂直的表象の傾向
*北アジア的シャーマニズム
などが挙げられる。

また、この民俗文化大系の中におそらく大陸にその起源を持つとされる我が国の弥生時代において用いられた青銅製祭器(銅鏡、銅鐸、銅剣、銅矛、銅戈など)が含まれるのではないかと考える。

そして、その青銅製祭器種類において列島西部内にて嗜好の地域差、地域性が看取される大きな要因とは、さきの記事に書いた地域における先行在来民俗文化と、この『「ハラ」氏族的ー狩猟・飼畜民文化』の結合の過程、仕方にあるのではないかと考える。

くわえて、この民俗文化のなかに狩猟にて得た動物ではない家畜、特に牛を犠牲獣として用いる祭祀が含まれていたのではないかと考える。

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

昨年から現在に至るまで日本列島各地において発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った諸インフラの復旧・回復そしてその後の復興を祈念しています。

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2017年10月28日土曜日

20171027 『母系的・陸稲栽培-狩猟文化』其の2 

2:母系的・陸稲栽培-狩猟文化
この民俗文化複合はおそらく縄文時代末期に列島に伝来したものと思われる。

河川下流域沖積層地域を主要な耕作地とする水稲耕作文化の伝来に先行し、この民俗文化は列島に定着し、主に丘陵地斜面の焼畑にて陸稲栽培をしていたものと考える。

さきの記事にて述べた通り、我が国のおける本格的な農耕文化とは縄文時代晩期~弥生時代に盛行となった水稲耕作よりもかなり遡るものであると考える。

概括的な経過として、縄文時代後期における芋栽培、そして縄文時代末期における陸稲栽培といった段階を経て、はじめて水稲耕作文化の流入、定着が可能な状態が招来されたのではないかと考える。

また、そこから一般的な歴史発展の様式とされる農耕文化とは河川流域において発生、発展し得るという考えは訂正される必要があると思われる。

すなわち、大河川の氾濫を制御、管理する技術およびそれを為す組織の発達がなければ、河川流域の沖積地に定住し農耕に従事することは不可能であるからである。

それ故、列島を含む東アジア地域における農耕文化とは、南アジア地域の谷川、河川から遠くない丘陵地斜面での焼畑農業より発するものと考える。

我が国のおいても丘陵地およびその斜面に縄文時代の遺跡、居住址が多く看取されるが、特にその後~末期とされる遺跡、居住址を農耕以前の狩猟採集文化(のみ)と結び付けるのは疑問であり、むしろ狩猟採集と並行し焼畑農耕を営んでいた集団を想定するのが妥当であるものと考える。

また、この民俗文化もさきの『母系的・秘密結社的・芋栽培-狩猟民文化』と同様、母系的社会であったと思われ、その文化差異を判然と区別することは困難であると云える。

神の死骸より穀物が生じたとされる屍体化生神話とは、この『母系的・陸稲栽培-狩猟文化』によってもたらされた可能性があり、神の三貴子、その末弟(スサノオ)の暴行により生じる日食神話の神話複合とは、ビルマのパラウン族からクメール族にかけてアウストロアジア語系の諸族に見出され、三貴子の長子であるアマテラスの岩戸隠れの神話は、中国南部の苗族のアッサムのアウストロアジア系のカシ族、語族的にはチベット・ビルマ語群に属するナガ族、アボール族の神話からも看取される。

とはいえ、三貴子以前のイザナミ・イザナギ神話が、この『母系的・陸稲栽培-狩猟文化』に伴うものであるかどうかの明確な見解はない。

その一方で、中国南部、東南アジア諸族のあいだに分布する洪水神話とは、洪水のために人類が死滅し、生き残った兄妹が近親相姦の禁忌を呪術儀礼的に解消し、各々他人として子孫を生み、そして種族が繁栄するといったものであるのだが、これは中国南部の苗族において特に顕著であり、また地域的な分布においては台湾、フィリッピンさらにはインドにおいても看取される。

そして、さきのイザナミ・イザナギ神話とは、この洪水神話前段にある洪水の部分が欠落したものであることは疑い得ない。

また『母系的・陸稲栽培-狩猟文化』とは言語的には、おそらくアウストロアジア語系の言語を話していたものと考えられる。

日本語の語彙にはアウストロアジア語に起源を比定される語が少なからず存在すること、さきの神話がアウストロアジア語系の諸族に分布している事実を勘案すると、アウストロアジア語系の諸族の我が国への渡来とは十分に考えられる。

この文化の特徴とは
*母系的な社会
*太陽神アマテラスの崇拝
*家族的、村落共同体的なシャーマニズム
*司祭的な女酋の存在
*穀物の屍体化生神話
*焼畑による陸稲栽培
などが挙げられる。

そして、所謂『照葉樹林文化』とは、さきの『母系的・秘密結社的・芋栽培-狩猟民文化』および『母系的・陸稲栽培-狩猟文化』を包摂した民俗文化大系に対する異なる視点からの呼称であるとも云える。

今回もまたここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

昨年より現在までに日本列島各地にて生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被害を被った諸インフラの復旧・回復そしてその後の復興を祈念しています。

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2017年10月26日木曜日

20171026 『母系的・秘密結社的・芋栽培-狩猟民文化』昨日の続き 其の1

A「昨日分の投稿記事はどうしたわけか投稿翌日にしては、かなり多くの方々(60以上)に読んで頂けました。もちろん、本日投稿分の記事に関しては、昨日書いたとおりの題材にて書き進めようとは考えていますが、これには多少のプレッシャーを感じないこともありません・・(苦笑)。

さて、昨日分の投稿記事にて書きましたが、岡正雄によりますと、我が国の民俗文化とは本来多元的に構成されており、その構成要素とは概ね五つ程度存在するのではないかということでした。

本日はこの五つの要素について、先ずはじめの要素の概括を同著『異人その他』記述に基づき書き進めていきます。

1:母系的・秘密結社的・芋栽培-狩猟民文化
この民俗文化を持つ社会とは、灌漑等を用いた水稲耕作社会とは異なり、農業においてはあまり複雑高度な発展はせず、タロ・ヤムのような芋栽培(我が国では里芋)を行っていた。

我が国における本格的な農耕文化は、水稲耕作が西日本において一般的となった弥生時代(紀元前600~700年頃)からであると考えられているが、さきの芋栽培などを含む農耕文化は、縄文時代後期(紀元前2000年~3000年頃)に既に我が国に広く根付いていたものと考えられている。

芋栽培は東南アジアからオセアニアにかけて稲栽培に先行しており、その分布圏は東南アジアをはじめポリネシア、メラネシア、インドネシア、日本列島にまで及んでいる。

また我が国の古来からの農耕儀礼等祭祀においても供物に稲を用いずに里芋を用いる例が少なからず見受けられる。

また、ここでいう秘密結社とは、異様な格好をした仮面装者たちが祖先、祖霊として出現し、その来歴を語り、女性、子供を脅かし、食物を強請し、子供に対し秘儀的なイニシエーションを施す組織、結社といった意味合いである。

こうした仮面装者たちの振舞い等の文化とは、メラネシアにおけるそれと本質的な部分にて一致する。

この秘密結社文化の起源は未だ明瞭ではないが、同時に、この文化がさきの母系的、芋栽培文化に付随するものであることは間違いない。

くわえて、この文化における宗教観念の基層にあるものは、霊魂、祖霊、祖先崇拝であり、その祖霊が、彼方にある死者の国から訪れるという考えである。

そして、こうした民俗文化を持つ集団が時代を通じ波状的に我が国に渡来した。また、その中でも、どの地域において特に強く根付いていたかは未だ判然としない。しかしながら、これらの民俗文化がセットになった文化体系は。メラネシアを対象とした研究によって認められており、さらにこの民俗文化に含まれる要素として、以下のものが挙げられる。
*霊魂、祖先崇拝が顕著(祖先像、祖霊祠の存在)
*女酋の存在が多く見られる(母系社会)
*既婚男子による集会所(秘密結社の形成)
*頭蓋崇拝
*渦巻文様の盛行
*土偶、土面の存在
*仮面
*切妻家屋・・
といったところであるが、しかしながら、こうした民俗文化がメラネシアより直接我が国に齎されたとは考え難い。

おそらく、この民俗文化は中国南部沿岸の何処からか、一つの流れは南洋方面に、そして他方が日本列島へ流入したのではないかと考えられている。

ともあれ、今回もまたここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

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20171025 ある書籍から別の書籍に読み遷る理由について・・明日以降の新たな試み

A「以前読了した『銃・病原菌・鉄』と同著者ジャレド・ダイアモンドによる『昨日までの世界』を先日から読んでいます。

この著書はさきの『銃・病原菌・鉄』と同様に大変面白いのですが、個人的な興味を基準として評価しますと現在読んでいる『昨日までの世界』の方が幾分興味深いといえます。

その理由とは、こちらの著作に記されている内容の方が、より多く、かつて自身が専攻した地域学、民俗学といった学問分野に近いと思われるからです。

それ故、この著作を読んでいますとフレーザー著『金枝篇』に記載されているような民俗風習の事例が散見され興味深く、さらにそうした手法を我が国の民俗風習の理解、解明に応用した著作ともいえる岡正雄大林太良編『異人その他』は、参照するために頁を広げたところ、こちらの著作の方がさらに面白く感じられるようになり、ひとまず『昨日までの世界』を置き『異人その他』をあらためて精読してみることにしました・・(笑)。

こうしたあちこちに飛び移るような読書の手法とは、あまり良いものではないのでしょうが、しかし、興味が新鮮であり気分がノッている時にその著作を読み込むということは、ある程度まで年齢が行き、体力に任せ書籍を読み込むことが困難になってきた場合においては、少なからず有効な手法ではないかと考えます。

さて、この『異人その他』著者岡正雄によると我が国の民俗文化全般とは、列島外の北・西・南より、いくつかの民族がそれぞれの文化を携え列島に渡来し、それが時代の経過と共に積層し、さらにそれらは列島内部においてもさまざまな要因によって反応をし、活性化したり衰退化したりし、そしてそれが列島各所の地域性の基層となり、現在に至っているということになります。

そしてその具体的な渡来してきた各民族およびそれらが持つ文化の特色を述べているのですが、これを考察する際において冒頭に挙げた著作『昨日までの世界』とはかなり有効ではないかと考えるのです・・。

そして、その考察を行うための土台として『異人その他』にて述べられている各民族について明日以降、少しづつ書き進めてみようと思います・・。

また、これは自身のブログとしては新たな試みであり、どの程度まで継続出来るか多少不安ではありますが、とりあえず明日以降しばらくはこれを題材として書いてみます。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年より現在に至るまでに日本列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った諸地域のインフラの復旧・回復そしてその後の復興を祈念しています。

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2017年10月25日水曜日

20171024 歴史の流れと時代精神そして運動競技試合の『流れ』、賭博の『ツキ』について思ったこと・・

A「余すところ20未満の記事投稿にて、とりあえずの目標としている800記事に到達しますが、ここ最近は多少息切れ気味であり、800記事到達までは継続して書き続けようと考えてはいますが到達しましたら一旦、数日間ブログ記事作成を止めて休んでみようと考えています。

これまで2年半近く、ほぼ毎日記事作成を継続してはきましたが『それによって自身とはいくらか成長したのか?』と考えてみますと、正直なところ、そうした確信を持てる部分とはありません・・(苦笑)(しかし、そもそも確信自体と、ここ最近は縁が遠いように思われる・・(苦笑))。

しかしながら、同時にそこで思うことは『これまでどうにか書き続けることが出来たという自覚が、今後どのように作用するのか?』ということの方が、今現在の段階にて実感、確信できる『成長』よりも重要ではないか?ということです。

この考え方は、どちらかというと一昔前の運動部的な色彩が強いものであるのかもしれません。

また同時にそれは昨今運動競技の場面において主流とされる科学的知見に基づいた合理的な考え方、すなわち、その場面にて最も効果を発揮し得る方法をまさしく合目的に(データに基づき)追求する姿勢とは、結果的には同一、被る部分もあるのかもしれませんが、それでもやはり基本にある考え方が大きく異なるように思われるのです・・。

そして、おそらく、こうした考え方の相違が先日投稿の 『最近傘をなくし、そして貰ったハナシから思ったこと(関連性と因縁)』での主題と何らかの関連があるのではないかと考えさせるのです・・。

しかし、もしも科学的知見に基づいた見解のみが正しいとされず、あるいは『その場』においては正しいのかもしれないが、同時にその見解とはあまり発展可能性のないものであると考えられるようになると、果たしてどちらの方が正しいのか?あるいは『正しい』とはどのような意味であるのかといったことすらも、疑問に思えてくるものです・・。

そして、おそらくこうした現象が我々人類の精神において広汎に生じる時期、時代といったものがあるのではないかと考えるのです・・。

もちろん、それもまた一つの時代精神といったものでしょうが、ともあれ、そうしたことが大きな契機となり歴史上のさまざまな変転、栄光盛衰が為されたのではないかと思われるのですが、こうしたことを(さきの歴史の流れに比べれば)ミクロの視点にて考えてみますと、運動競技などの試合などにおいてよく云われる『流れ』であるとか、賭博などであるとされる『ツキ』といったものと類似した性質を持っているのではないかと思われるのです。

そしてまた、こうしたことはおそらく今現在の科学では明確に理解されていないのではないかと考えます・・。

さらに今後もなかなか一般レベルにて理解されることはないものと考えます・・。

自身はこれは人工知能によっても理解という名の征服は為されることはないのではないかと考えますが、さて如何でしょう?(そもそもこうしたことに制御し得る再現性はないのでは・・?)

そして、あくまでも私見ですが、そうした人工知能があまり予測、介入できない未来の方が(人工知能が)理詰めで考える未来に比べ、より大きな発展可能性があるのではないかと考えるのですが、さて如何でしょうか?

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂きまして、どうもありがとうございます。

昨年から現在までに日本列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被災された諸地域のインフラの復旧・回復およびその後の復興を祈念しています。

引き続き、先日より新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。」


















2017年10月24日火曜日

20171023 ブログ記事の作成を容易にする方法を考えてみたところ・・一長一短?

A「昨日の天候が荒れ模様であり、本日に関してもまた、そうした一日になるものと考えていましたが、本日はこの時季にしては温暖な一日になったのではないかと思われます。

さて、本日に関してもまたほぼ通例の如く、ブログ記事の主題は決まっておりません。

『日中に記事題材を考え、その素描だけでも書いておいた方が良いのではないだろうか?』と、たびたび思うところではあるのですが、どうも日中は日中にて、それとは別の何か(原理)が意識面にて優位にあるのかもしれません・・。

とはいえ、それ(日中にブログ記事の題材を考える)は毎日ではないにしても、必ずしも出来ないこともない(実際に以前は行っていた)と考え、また、そのことをここに記事として書いることから、今後は折を見て日中にブログ記事題材について(多少は)考え、そして素描程度は(出来る範囲にて)書いておくことを心がけます・・。

また、上記に示したように、今現在の如く、記事の着想がない状態にて書いておりますと、今度は『では比較的容易に記事の着想が湧き、また書くに伴い、さらにそれが湧いてくるといった状態において共通する要素とは何かしら存在するのであろうか?』といった疑問もまた生じてくるのですが、これに関しては、ここまでブログ記事作成を継続してはきましたが、明瞭に分かることはなく、また、そうであるからこそ、さきに書いたように『日中に記事題材の素描を試みる』といった記事作成行為の軽減をはかるような考えが未だ出てくるのです・・(笑)。

おそらくこうした文章の着想とは、その選択が自由であるからこそ(特に継続して書き続ける際に)ある程度の困難さを感じるのであり、たとえば毎日ある決まった時間帯に
『本日のお題は***です。』といった感じにて題材を告知されるのであれば、少なくとも記事作成時の着想に関しての苦労とはかなり軽減されるのではないかと思われます・・。

しかし、そのように考えてみますと、こうした記事題材が随意に出てくるようなシステムを自身が持っていれば良いのかもしれません・・。

そして、そのタネになりそうなものとは、たとえば何らかの辞書であったり、地図上の地名であったりすれば良く、その記載されている語句の順番にしたがい、各々記載語句を題材として記事を書いていけば良いのかもしれません・・。

たしかにこの手法とは、記事を書く側からしますと、比較的容易に記事作成が為されるのかもしれません・・。

とはいえ、この手法にて、これまでにあまり縁のない、知らない語句について何かしら書かなければならない時はそれなりに辛く、今以上に面倒と感じるのではないかと思われます・・(苦笑)。

そのようなことをしばらく考えあぐねた結果、今後のブログ記事作成を円滑にし且つ内容の充実をはかるため、可能な範囲において日中に記事の題材を考え、それをメモしておく手法を採ることにしました。

また、ここまで書くまでに、何かの参考になるのではと考え、大分以前に投稿した記事を幾つか読んでみますと、面白いことに『ブログ開始当初期に投稿した対話形式の文体を用いた記事とは、あるいは今現在では作成することが困難ではなかろうか?』と強く感じられたのです・・。

それらの多くは会話の内容がしばしば飛躍するにもかかわらず、場合によっては現在用いているこの文体においては描写することが難しいことをも、まさしく対話形式にて書き、そして描写しているようにも思われるのです・・。

それ故に、今後も鋭意、あまり前後との脈絡を感じさせることなく、自然なカタチで対話形式の記事を書いてみたいと考えています。

そしてまた、そうしたことを考えてみますと『果たして文章能力の向上とは、結局のところ一長一短であり、実際のところあまり進歩していないのかもしれない・・。』とも考えさせられるのですが、果たしてその真相とは如何なるものなのでしょうか・・(苦笑)?

ともあれ、今回もまたここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年から現在までに日本列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った諸地域のインフラの復旧・回復およびその後の復興を祈念しています。

また、先日より新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。」

















2017年10月22日日曜日

20171022 最近傘をなくし、そして貰ったハナシから思ったこと(関連性と因縁)

A「本日は終日を通して悪天候であり、また気温も上がらず外出には決して好ましいといえる一日ではありませんでした。

さらにまた、明日もこうした状況が続くとのことであり、こうしたことは、わずかではありますが気分を重くさせるには十分な効果を持っているようです・・(苦笑)。

そして、今後もこうした状況が続き、季節が変化していくと思われることから冬用衣類も近日中に準備しておく必要があるように思われます。

とはいえ、本日に関しては未だ冬用衣類を用いることなく、選挙への投票をも含んだ外出をしておりました。

この時に着ていたものは、オイルを染み込ませた布地を用いた雨用のジャケットであったことから、傘をささずに歩いていますと、後ろの方から『すいません、ちょっといいですか?』と声をかけられ振り返りますと自転車に乗りフード付きのレインコートを着た女性から『よければ、この傘を差し上げますので使いませんか?』といわれました。特に断る理由もなかったため、その傘を『どうもありがとうございます。では使わせて頂きます。』というお礼と共に受け取り、以降、頂いた傘をさしつつ歩きました。

以上の経緯により傘をさしつつ歩いていますと不図、つい先日、所用のため地下鉄三田駅近くの郵便局に出向いた際、この折も雨が降っていたことから傘をさして行き、郵便局前の傘立てに傘を置き、五分程度の所用を済ませ、帰りしなに傘立てを見ますと、置いてあった傘がなくなっていたという出来事が思い起こされました。

この時、その事態がなかなか呑み込めないため、しばらく傘立ておよびその周辺をいぶかしげに見ていますと、その行為とは後から郵便局に来られた方々にとって入口付近を部分的に占拠してしまうことから迷惑であることに気付き、その場を退散し、雨に濡れつつ事務所に戻りました。

その時は、傘を盗まれた、あるいは間違えて持っていかれたにしても、自身にとっては驚くべき出来事であったことから少し落ち込みましたが、本日の先ほど書いた、それとは逆の出来事により、どうしたわけか、いや、もとよりそれらの出来事の間に(科学的な意味での)関連性などはないのでしょうが、それでも、そこに何かしら不思議な因縁らしきものを感じさせられたのです・・(笑)。

また、これらの出来事の間に関連性はなくとも、同時に『不思議である』と感じることには決して矛盾であるとも、おかしいことでもないように思われるのです・・。

そしてまた、それらの(科学的な意味での)関連性について考えることと同時に、そうした不思議さについても考えてみることは、案外と重要なことではないかとも思われるのです。

あるいは、これらの『感じ方』つまり『考えのはじまるところ』に、理系的なるものと、文系的なるものの根源的ともいえる相違が存在するのではないかとも思われるますが、さて、これらのことについては、どのようにお考えになるでしょうか?

とはいえ、今回もまた、ここまで読んで頂きまして、どうもありがとうございます。

昨年より現在に至るまでに日本列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被災された諸地域のインフラの復旧・回復およびその後の復興を祈念しています。

さらに引き続き、先日より新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。」























20171021 ある文化を体現されている方々にお目にかかって思うこと

A「時折お目に掛かるある程度御高齢の女性から伺うお話とは大変興味深いものであり、そうして語られるお話しの中から、その時代の精神といったものが強く伝わってきます。

また、そうした語り口には、もちろん、それぞれに個性があるのですが、それと同時に何かしら共通する要素もまた、少なからずあるのではないかとも思われるのです。

そして、それらの語り口における共通する要素とは、残念ながら現在の自身の文章能力によっては、その真髄を文章にて表現することは困難ですが、別方面からの表現もしくは描写を試みますと、それは『白洲正子自伝』にある文章により、いくらか象徴することが出来るのではないかと考えます・・。

また、その表現をさらに異言してみますと、それは『戦前の東京山手文化』としても象徴することが出来るのではないかとも思われます。

しかしながら、時代の変化により、こうした文化を体現されてているような方々は、あまり見受けらなくなり、また、そうであるからこそ、自身が少数ながら見知っているそうした方々が持つ共通する要素が際立って見えてくるのかもしれません・・(やはり現代の我々が持っているさまざまな特性とは総じて異なり、それは単に御高齢であるからという理由のみによって収斂され得ない何かがあるのではないかと思われます。)。

そしてまた、そうした方々とはある程度の御高齢であるにもかかわらず、大変にお話しが上手であり、またさまざまな活字を読むことを好むといった傾向があるようにも思われます(しかし一方で、読む書籍の好みに関しては、それぞれ確固たるものが確立しているといった感が総じてあります。)。

そうした背景を持ちながら語る過去の我が国社会におけるさまざまな様相とは、かなり生き生きとしたものであり、それは自身がかつて民俗学のフィールド・ワークにて出向いて伺ったお話しとも、その意味(生き生きとしている)においては共通しているのですが、それらの背景にある文化が、どちらかが良い悪いといった価値判断を抜きにして、大きく異なると思われるのです・・。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年より現在までに日本列島各地において生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った諸地域のインフラの復旧・回復そしてその後の復興を祈念しています。

また、先日から新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。」






























2017年10月20日金曜日

20171020 『伸びしろ』ともいえる余白部分に対し、どのように接するかによって未来は変化するのか?

A「昨日分の投稿記事は投稿翌日にしては割合多くの方々に読んで頂けました(43)。

こうしたブログ記事をも含む文章の作成の際に存在する『葛藤』については、これまで自身が作成した文章のなかでは比較的明瞭に述べることが出来たのではないかと思われます。

とはいえ、たとえ、その文章が自身としては上出来と認識されても、あくまでもその(あるいはそれら)文章にて述べたいことは『それだけではく』やはり何かしらの追加、加筆修正を要する部分・余地が存在するものと考えます。

しかしながら、完璧な文章を期し、そうした追加、加筆修正といった作業を行っていますとキリがなく、時間も掛かることから、そうした行為とは、あくまでも、もとにある文章の意味、味を残したままにて体裁を整える程度にて切り上げる方が良いのではないかと考えます。

つまり、こうした公表は前提とするものの、必ずしも公的なものとはいえない文章(ブログ記事のような)を作成する際には、さきに書いたような一種のアバウトさ、あるいは余白らしき部分を残しておく方が、その先にある展開を惹起させ易くするのではないかと思うのです。

そして、それがブログ記事作成の継続に対しても、少なからず寄与する部分があるのではないかと思われます。

また、そこから考えてみますと、昨今の我が国を含む(主に先進諸国)国際社会とは、さまざまな情報機器の進化発展により、演繹的ともいえる科学的知識、知見を社会一般にて広く用いることが可能となった反面、先にある展開を惹起させ易くする要素として前に述べた余白らしき部分、あるいは異言すると、未来において偶然が介入し得る部分を出来る限り最小化しようと試みているのではないかとも思われるのです・・。

もちろん、如何なる分野においても科学的な思考は極めて重要・有用ではあると考えますが、ただ、表層的に利用、応用し易いような科学的知識、知見のみを正義の名のもとに振りかざすような(圧政的ともいえる)姿勢とは、さらに先に存在する面白い、その時点では考えもしなかったような劇的な展開の発生を封殺させるような何かがあるのではないかと思われるのです・・。

また、それが現代(あるいは古来からの)我が国社会に見られる悪癖(凝集性が強い)の一つではないかとも思うのです・・。

しかし一方、かつての我が国には『牛に牽かれて善光寺詣り』といったコトバもまた存在しますので、あるいはこうした風潮とは都市文化限定であるのか、あるいは、これまた我が国にてよくありがちな『一過的な流行』によるものであるのかもしれません・・。

そして、そうしたことを考えてみますと、現在のさまざまな現象を精確に把握、認識するためにも、やはり歴史・思想・哲学などもまた重要ではないかとも思われるのですが、さて、如何でしょうか?

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂きまして、どうもありがとうございます。

昨年から現在に至るまでに日本列島各地にて生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被災された諸地域のインフラの復旧・回復そしてその後の復興を祈念しています。

また、引き続き、先日より新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。」







2017年10月19日木曜日

20171019 入出力の均衡のためには(何らかの)葛藤が必要であるのか・・?

A「昨日分の投稿記事において『ブログ記事作成を継続的に行うために大事なことは、日々の文字を媒介とする経験を重ねることではないか』といった意味のことを書きました。

そして、このことは以前にもブログ記事にて書きましたが『入力と出力の均衡』においても深く関連することであり、くわえて、その継続においては『均衡』すなわち『出力されると同時に入力もある』といった状態の保持が重要ではないかと考えます。

その意味にて、自身はおそらく入力については何かしら読み続けてはおりますので、こちらの要素については特に大きな問題はないものと考えます。

しかし他方にある出力に関しては、今現在においても、何と云いますか『ある状態の保持安定』といったものを得られることはなく『毎回とりあえず何かしら文章を作成している』といった状態が継続していると評して良いと云えます。

つまり、多少の欲を述べるならば『出力という文章を書く行為においても、他方の入力である読書と同程度に安定して行うことが出来ないものであろうか?』といったことであり、これまでどうにか継続的にブログ記事の作成が為されてはいるものの、その背景には慢性的にこうした悩みが存在しているのです・・(苦笑)。

あるいは、こうした悩みから一時的に逃れる(忘れる)ことが出来ている時とは、何かしらの着想を得て、比較的円滑に文章を書くことが出来ている時か、ブログ記事作成の必要性から解放されている時であるとも云えます。

それ故、ある種の楽しみといった要素が存在しないことにはブログ記事の作成とは継続し得ないといったことも事実として認められるものの、それと併存して、さきに書いたある種の葛藤とも評し得る状態もまた自身の内面において比較的明瞭に存在しているのです。

そして『今後、恒常的に円滑に文章を書くことが出来る状態が自身内面において達成されるのことはあるのだろうか?』ということは、今もって興味深いことであり、おそらく当ブログ記事の作成をはじめた時期に比べれば、多少の変化は認められるのでしょうが、そうした変化を心ゆくまで味わうといった余裕・感興とは、そうそうありません・・。

それよりも、さきに書いたような日々の記事作成を為す際に(大なり小なり)感じる葛藤と対峙している時の方が、円滑に文章を書くことが出来る自身と為すためには、有益ではないかと思われるのです(そうした状態に慣れてきた?)。

また、そのように考えてみますと、逆説的に日々のブログ記事作成を行うことがなくとも、葛藤らしきものを(全く)感じることがなくなれば、それはさきの『円滑に文章を書くことが出来る状態』が達成された時であるのかもしれませんが、面白いことに、どうやらこうしたことに関しては、自身を偽ることは出来ないようです・・。

もっと器用に自身を偽ることが可能であるのならば、こうした自意識過剰ともいえる行為(ブログ記事の作成)をも行わずに安心出来るはずではあるのですが・・(苦笑)。

また、こうした状態に至ったトリガーとは、現在になり考えてもあまり意味のあることではないのかもしれませんが、それでも一体何であったのでしょうか・・?

おそらくそれは、一般的な意味で健全な感情・情念ばかりではないように思われるのですが、しかしその健全でばかりとはいえないものによって、これまで自身は継続的にブログ記事を書くことが出来ているとも云えます・・。

あるいは、このことは何かしら普遍的な意味合いがあることであるのかもしれませんが、読んで頂いた皆さまはどのようにお考えになるでしょうか?

ともあれ、今回もまたここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年から現在までに日本列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被害を被った諸地域のインフラの復旧・回復およびその後の復興を祈念しています。

引き続き、先日より新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。」



20171018 ブログ記事をある程度継続的に行うために大事なこと・・

本日は帰宅が遅くなったことから一度しばらく休んだのち、記事作成を開始することにしました。

そして午前三時頃に目を覚まし、シャワーを浴び、記事作成を開始し、現在に至っていますが、本日作成分の記事主題においても、概ねこれまで通り、その主題とは定まっておりません・・(苦笑)。

とはいえ、こうして何かしら書いておいますと思い起こされることは、今現在読んでいる著作についてであり、また、こうした題材とは、著作そのものに何かしら大きな問題(ある種の話題性)がない場合、どちらかというと無難であり、自身が(どうにか)現在までブログ記事作成を継続することが出来た主たる要因とは、抜粋引用をも含め、何かしら書籍に関して書くことが多かったからではないかと考えます。

しかし、書籍、文字を媒介としない経験もまた、自身を含め何方であれ毎日経験しているはずです。

そして、そうした文字を媒介としない毎日の経験を文章として書き続けることは、出来ないこともないのでしょうが、そうしますと、それは語義的に『日記』に近いものになると云えます(読書日記といったものも存在しますが、あくまでも一般的な意味で・・)。

当然ではありますが、通常、日記とは一日の出来事を綴るものであり、そこに綴られる出来事が創作ではなく、実際の出来事であり、さらにそれをブログ記事として継続的に公表するといった行為には、私見ではありますが、何かしら書き手自身の精神を制限・束縛し、そして(不自然な)負荷を強いるといった要素があるのではないかと思われるのです・・。
(プライバシーの価値、意味合いといったものは、この辺りにあるのではないでしょうか?)

少なくとも、自身の場合、さきに挙げた日記体でのブログ記事の場合、それを継続することは困難であったものと云えます・・(外からの風が常時流れ込む鍾乳洞には鍾乳石(つらら石)は形成し辛い・・)。

それ故、文字を媒介とし、さらにその文字列が公表を前提とする文章(論文・小説・新聞・雑誌など)である場合、日々それらに接し、その思うところを継続的に書くことは、それが文字を媒介とする『実際』の経験に基づくものであり、そして、その行為には創造性をも要することから、もちろん精神的な負荷も(少なからず)あるのでしょうが、さきの日記様のものとは異なり、書き手の精神を制限・束縛するといった要素については少ないと考えます・・。

そこから、自身の経験から思うところではありますが、ブログ記事をある程度継続的に行うために大事なことは、さきに書いた意味において、日々、文字を媒介とする経験を重ねることではないかと思われます(これはある程度の普遍化が可能ではないかとも考えますが、如何でしょうか?)。

そしてまた、それ以外の経験もまた充実している方が望ましいのでしょうが、公表を前提とするブログ記事の作成においては、文字を媒介とする経験の方が幾分かは重要であるのではないかと思われます・・。

また、以上に述べたことの概括から極言を試みますと、我々が何かを学ぶという行為の根源にあるものとは、こうした『変換』(経験から文章へ、もしくはある種の抽象化)の様式の洗練・上達にあるのではないかと思われるのですが、さて、如何でしょうか?

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年より現在に至るまで列島各地において発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った諸地域のインフラの復旧・回復およびその後の復興を祈念しています。

引き続き、先日より新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。」






























2017年10月17日火曜日

20171017 777記事への到達 感情の精神による変換・・文章作成の要諦?

書くことを忘れていましたが昨日の記事投稿により、総投稿記事数が777に到達しました・・(笑)。

これは特に区切りの良い数字ではありませんが、その一方でこの数値とは、幸運といった意味合い・ニュアンスをも感じさせるため、わずかではありますが嬉しく思います。

しかしながら、今現在自身の身辺において、特に幸運と評し得る出来事は生じておりませんので、こうしたものは迷信の類いであるのか、あるいはまた、いましばらく待ち続けるべきものであるのかもしれません・・。

ともあれ、ここまで(どうにか)到達出来たことにより、次の区切りの良い目標である800記事への到達もまた現実味を帯びてきます。

具体的には、
現在の調子(1日1記事)にて記事作成を継続することにより、来月初旬に800記事への到達が見込むことが可能となります。

未ださきのハナシではありますが、もしもここへ至ったならば、概ね2年半にわたるブログ記事作成の継続により到達したことになります。

それは決して非凡なことではありませんが、同時にあくまでも自身としては初めての経験でもあることから、どうにかそこまでは到達したいとも考えています。

とはいえ、たとえそこに至った場合においても、これまでの区切りの良い記事数への到達の際、くわえて、それが近いものであればあるほど、徐々に達成感が希薄になっていったと感じられたことから、おそらく次の800記事への到達に至った場合も、そうした種類の感情とは、これまで以上に感じることが難しくなっているものと予測します・・(苦笑)。

しかし、そうであるからといって記事作成を止めようとも考えておらず、むしろ達成感といった高揚を齎す要素を出来る限り排除した状態にて800記事にまで到達された場合、如何なる想念が生じる、視野が開かれるのかとは、少なくとも自身としては興味深いことであると考えるのです・・(笑)。

もちろん、であるからといって達成感もしくは内発的な高揚感自体が悪いものと認識しているわけではなく、そうした感情が欠如した状態が継続すると精神そのものが干乾び、また文章作成といった行為も極めて困難になると思われます。

そして、おそらくそうした一種の感情の抑制、制御もしくは精神によるその変換の過程が文章作成における一つの要諦ではあるまいかと考えているのですが、そのように考え続けていますと、今度は不思議なことに自身が口語にて話すことがさらに下手になったように感じられるのです・・(苦笑)。

この感覚を信じて良いのか分かりませんが、こうした(話し言葉と書き言葉)のバランスにはなかなか難しいものがあるのかもしれません・・(笑)。

ともあれ、今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。


昨年より現在に至るまでに列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等など大規模自然災害によって被災された地域の諸インフラの復旧・回復およびその後の復興を祈念しています。

そして引き続き、先日より新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。






























20171016 読書から思った『温故知新』について・・

本日の首都圏は昨日より引き続き天気が好転せず、また気温もあまり上がらずに本格的に秋らしい降雨気味の一日となりました・・。
また、街中、電車内などにおいて見かけた人々も、つい一週間程前に比べますと厚着である方々が明らかに多かったのではないかと思われます。

こうして秋の深まりが感じられるなか、先日より再読しているジャレド・ダイアモンド著『銃・病原菌・鉄』上巻を電車移動時にて読み進めている最中、不図思い起こされた著作は、以前投稿のブログ記事にて少し触れましたが、宮崎市定によるアジア史関連のものでした。

そして帰宅後にあらためて宮崎市定の著作の一つを開いてみますと、その文体とは和訳されたジャレド・ダイアモンド著『銃・病原菌・鉄』と異なるものの、記述内容に関しては双方共に(少なからず)関連し合うのではないかと思われました。

もとより以上のことは私見ではありますが、興味を持たれた方々は是非、宮崎市定の著作を読まれて検証されることをおススメします・・(笑)。
(*先ずは『中国文明論集』がおススメです。)

また、宮崎市定に加え金関丈夫、南方熊楠といった方々の著作もまた読んでみますと、なかなかの知的興奮といったものが得られるのではないかとも思われます・・(笑)。
(*マンガでしたら『猫楠』の御一読をおススメします。)

また、それに加え、昨今多くの書店にて名著、話題の著作として扱われる『銃・病原菌・鉄』と(自身としては)勝るとも劣らない、興味深い知見が散りばめられた、織り込まれた優れた著作が、かつての我が国においては少なからず存在し、また、そうした著作を著すことが出来る研究者、著述家が存在していたことを認識することは、我が国が古来より連綿と培ってきた歴史文化に対する、より深くからの敬意、信頼につながるであろうし、また同時に現在の我が国社会に対する一つの警鐘にもなるのではないかと思われるのです・・
(ノーベル賞受賞の数などで一国の研究、学問水準を評価することは一つの評価基準ではあるかもしれませんが、その背後にある構造をより多くの人々が自分なりにコトバを以て認識することが重要ではないかと思われるのです・・。)。

そして、こうした考え、視座とは、感覚的ではありますが、どちらかというと科学技術よりも、人文社会科学分野における、ある程度(自分なりに考えた)精確な知見を積重ね体系化することにより、割合自然に認識し得るのではないかと思われます。

しかし一方にて、これまで幾度か当ブログ記事にて書いていますが、良い悪いの評価は抜きにして、我が国社会とは、こうした種類の認識が(著しく)乏しい、苦手であるように思われるのです・・。

その理由については諸説あるものの、決定的なものは未だ分かりませんが、これもまた我が国が古くから得意とする異文化などに対する受容性、柔軟性の影の側面ではないかと思われるのです・・。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年から現在までに発生した一連の地震・大雨・水害等など大規模自然災害によって被災された地域の諸インフラの復旧・回復およびその後の復興を祈念しています。

また、引き続き、先日より新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。




























2017年10月16日月曜日

20171015 ブログ記事作成手法による段階と自身の心身および慣れに関して・・

本日の首都圏は終日をとおし気温が上がらず、天気もグズついていたことから、あまり活性も上がりませんでした。

それに加え本日は休日ということもあり(特に必要がないことから)電車に乗るような外出はしませんでした(苦笑)。

しかし、
終日外出をしなかったことから読書やブログ記事作成が捗ったというわけでもなく、本日に関しては、これといった理由はないものの、無気力に過ごしてしまったのではないかと思われます・・(あるいは理由がないから無気力に過ごしてしまったのかもしれません・・)。

ともあれ、そうした状態がなし崩し的に続いてしまうのも不味いと考え、さきほどよりブログ記事作成を開始した次第ではあるのですが、本日の作成記事への主題とは未だ定まっていません・・・(苦笑)。

しかしながら、このように一応書き始めてみますと、どうにか文章作成は進むようであり、また、同時に昨日投稿分記事にて書いた『書籍内記述の要旨を用い、それを自分なりの文章にて作成し、ブログ記事とする』といったことも、どちらかというと、これまで用いてきた記事作成手法とは異なるものとして『面倒くさい』とすら考えるようです・・(苦笑)

また、そうした自身の性質について少し考えてみますと『果たして、あくまでも自身のコトバ、文章によって記事を作成することと、他の文章要旨からの転用、改作を以ってそれに充てることの何れの方に、より創造性を要するのであろうか・・?』といった疑問が生じてくるのです。

おそらく、そこで大事なことは『慣れ』ではないかと考えます・・。

昨今よりの当ブログ記事においては、主として独白形式の文章にて記事を作成していますが、これに移行する以前の段階においては対話形式、そして、さらにそれ以前は自身が興味深いと思う書籍内記述の抜粋引用を充てていました。

そして、この抜粋引用を多用していた初期の段階とは、以前に何度かこのブログ記事においても書きましたが、おそらく抑鬱状態あるいはそれに極めて近い状態であり、自身としては大変にツライ状態であったといえます・・。

その
状態において、どうにか書き著すことが出来るものとは、書籍内記述の抜粋引用であったのではないかと思われます・・。

その後、自分なりにどのようなものが書けるかと考え、多少の試行を重ねた結果、現在に至っているのわけですが、自身の『抑鬱状態』に関しては2013年に至るまで、まともに考えたことはなく無根拠に『自身の精神は強い』と考えていました・・(苦笑)。

しかし、現在になり考えてみますと、2013年に至るまでに2009年より生じたいくつかの出来事およびそこから生じた状態とは、自身にとって間断なくストレスを与え続けるものであり、それが2013年に生じた契機により危機に瀕した状態が生じたのではないかと思われるのです・・。

また、こうしたことは、その(生じた)時点において、それを認識出来るとしても、他者に相談することによりどうにかなるものでもなく、おそらく根源的には自身の気の持ち方、心構えといったことによるのではないかと考えます。

この点においては、家族であろうと、親しい知人であろうと、正直なところ、あまりアテにならないのではないかと思われるのですが、如何でしょうか・・?

出来ることならば、自身の精神は2009年以前に戻りたいところですが、そうはいかないのが実状です・・。

少し重いハナシになってしまいましたが、今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

昨年から現在までに列島各地において発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被害を被った諸地域のインフラの復旧・回復およびその後の復興を祈念しています。

また、引き続き、つい先日より新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。』






2017年10月14日土曜日

20171014 ブログ記事作成手法に関しての秘密について・・今後の一つの選択肢

A「まず先日、ブログ記事作成の際に不図考えたことを以下に書いてみます。

『これまでのブログ記事作成の作成過程とは、その初期においては書籍からの抜粋引用を数多く行い、次いで対話形式文章による自身の文章へと変化し、その後、現在のような独白形式の文章へと変化していったと云えます。

そして、現在の独白形式による記事作成において、書く主題に窮した場合、既読の書籍にて書かれていた印象的な文章に多少手を加え加工し、自身の作成した文章として投稿することも可能ではなかろうか? 』

以上が、不図考えた内容です・・。

これまでに自身はブログ記事にて書籍からの抜粋引用を行う場合、概ねその出典を示してきましたが、あるいはそうした手法・様式に沿わなくとも、それを看取し指摘、糾弾する方々がいなければ、また、そうした記事を面白いと感じて頂ける方々の方が圧倒的に多いのであれば、そこには何らかの意味があるのではないかとも考えらます・・。
(この価値判断は難しいかもしれません・・。)

しかしながら、何故か自身は、これまでにそうした行為に踏み切ることはなく、またそれ以前に、毎回作成するブログ記事の主題に対し、そこまで窮することがなかったのかもしれません・・。

そしてそれは、少なくとも今後しばらくは同様であると考えます。また、そのように認識しているからこそ、自身はこうしたブログ記事作成に際しての暗部もしくは創造の秘密とも場合によっては評し得ることを書いているのです・・(笑)。

とはいえ、さきに書いた既存文章の加工によるブログ記事の作成とは、今後用い得る記事作成の際の一つの選択肢であり、自身の創造性の強化・賦活に対しては決して良いとはいえないのかもしれませんが、それに依り毎回の記事作成を行うのでなければ、深刻に悪いものではないのかもしれません・・。

またそれに加え、その手法によって作成されたブログ記事の場合、参考とした著作、記述部分を明確に示すのであれば、隠してそうした行為を行うよりかは幾分かはマシであり、少なくとも糾弾されることではなくなるものと考えます・・。

とはいえ、今後、実際にその記事作成手法を本格的に用いるかどうかは現段階においては分かりかねるところではありますが・・。

おそらく、この『書く』ということを唯一の業務、職務としていない場合の多くにおいては、一日を過ごすなかで何かしら書くに値することを見出すことは可能ではないかと考えるのです。

そして、その見出された事物について書き連ねていく過程において、さらなる考えが誘発・惹起され、結果的にある程度の量の文章といったものを作成することが可能になるのではないかと思われるのです・・。

もとより、それは一種の鍛錬でもあり、また、そうした行為を自然に継続することにより、さらに他の何かが出来るようになるのではないかとも思われますが、その内容もまた現在の自身には分かりかねるところです・・(苦笑)。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年から現在までに列島各地において生じた一連の地震・大雨・水害等など大規模自然災害により被災された地域の諸インフラの復旧・回復およびその後の復興を祈念しています。

くわえて、引き続き、先日より新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。』




20171013 我が国における種族文化の積層・混淆あるいはそれは一枚岩・単結晶のようなものであるのか?

本日の首都圏は日中より現在に至るまで断続的に降雨状態であり、また気温も日中より上がらず現在に至っています。これにより、さらにもう一段階、秋が深まったように思われます。また、昨日から本日にかけてのこの変化とは、ここ最近ではかなり大きなものであり、そのことから本日に関しては、やや防寒に重点を置いた上着を羽織って出て正解であったように思います。

さて、本日もまた電車移動の際にジャレド・ダイアモンド著『銃・病原菌・鉄』上巻および岡正雄論文集『異人その他』を読んでおり、途中どうした経緯か、後著作の末尾にある大林太良による解説を読んでみることにしました。
そこでは先日投稿分記事にて書いたように、著者・岡正雄が研究の際の基本的な視座とした『我が国の有史時代に至るまでの時代の経過のなかで、さまざまな北東・南アジア諸族文化が我が国に、これまたさまざまな経路によってもたらされ、そしてそれらが国内諸地域にて在来のものと混淆し、諸族文化の濃淡、特徴を示しつつ(遺しつつ)地域文化として定着していった。』といった考えは、古くから現在に至るまで我が国において一般化された認識には至らず、むしろそれとは反対の意見とさえいえる『我が国における民族文化とは辺縁地域における多少の例外は認められるものの、概ね一枚岩様である。』といった意見の方が今もって主流となっているのではないか?といったことが書かれていました。
しかしその一方で、ここまで書いていて不図思い起こさせるのは10月4日投稿分記事『習慣・日課となったブログをどのようにして継続するか・・★』での『ジャレド・ダイアモンド著 『銃・病原菌・鉄』上巻作中にて『日本では人種の違いが優劣の原因となっていることが平然と信じられている』といった記述に関してのことです・・。

この記述から考えてみますと、それは国際社会あるいは他の多民族国家社会内部に対しての我が国からの評価であるのか、はたまた自らの国内事情に対しての評価であるのか、もしくはそれら全てであるのかとは10月4日投稿分ブログ記事においても少しは触れましたが、さらに、さきの『異人その他』巻末の大林太良による解説内容とを加味して考えてみますと、そこには明確に矛盾とは評し得ないにしても対立する意見が存在するのではないかと考えられるのです。

あるいはまた、それは本音と建前の間にある対立に近いものであるのでしょうか?いずれにしても、そこにもまた多少なりとも深い何かがあるのではないかとも思われるのですが、さて如何でしょうか?

今回もまたここまで読んで頂いてどうもありがとうございます。

昨年より現在までに列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等など大規模自然災害によって被災された地域の諸インフラの復旧・回復およびその後の復興を祈念しています。そして引き続き、つい先日より新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。












2017年10月12日木曜日

20171012 『読書百遍義自ずから見る』と血肉化(インカーネーション)などについて・・

A「先日投稿のブログ記事に書きましたとおり、ここ最近はジャレド・ダイアモンド著『銃・病原菌・鉄』上巻を再読しています。

再読ということもあり、読み進める速度は初回目よりも若干早いと思われますが、それと同時に、よく分からない表現などがある場合、読み進めるのを止めて、その場で考えてみたりする(そこで述べられている文章が具体的にどのような史実を踏まえているのか、あるいは類似する我が国の史実を検討してみる)のもまた特に再読の際によく行うことです。

そのようにして何度かその著作を繰り返し読んでみますと、大体の場合、著作の概容がある程度深く理解され、一種の血肉化(インカーネーション)が為されるのではないかと考えています。

あるいは故事に云われる『読書百遍義自ずから見る』にもまた相通じるのではないかとも思われます。

そしてまた、そうした読書と並行し、類似した内容の別の著作を読んでおりますと、より一層何と云いますか双方著作に対する、より深くからの理解が効果的に為されるのではないかとも考えられます。

そのことを考えたのは、本日昼に休んでいる時、これまた先日来より一人輪読(笑)を続けているユヴァル・ノア・ハラリ著『Sapiens: A Brief History of Humankind』を読んでおりますと、その最中、冒頭にて挙げた『銃・病原菌・鉄』文中において出てきた単語、コトバが認められ、それにより、その(『Sapiens: A Brief History of Humankind』)文章の背後にある『文脈』を何となく理解、把握出来た感じを持ち得るに至り、また、それはたしかに大意としては間違ってはいないのです・・。

さらに本日に関してはそればかりでなく、これも先日投稿の記事においても挙げた岡正雄論文集『異人その他』を読んでおりますと、これがまた、和書であるにもかかわらず、さきの二つの著作に対してよく調和するように思われたのです(笑)。

食べ物にてたとえますと、適当であるか分かりませんがホース・ラディッシュにて食べるロースト・ビーフは山葵にて食べても決して相性は悪くない、といったところであり、ともかく自身としては、ここに取り上げて書くほどには感心したのです(笑)。

そこで、自身がそのように感じた理由について納得のいく説明を求めようと(これは一つの私の悪い癖であるのかもしれませんが・・(苦笑)。)調べてみますと、この著者、著作とは、扱っている内容が基本的には我が国のことがらでありながら、その扱い方、論述の手法が大変欧米的(?)であり、私なりの表現を用いますと、多少誇張しておりますが、『英論文を和訳した文章』といったような感じを受けるのです・・。

おそらくそれは、著者である岡正雄が長年にわたりオーストリアのウィーンにて学び、研究をしてきたという背景があるのではないかと思われますが、昨今評判の外国人による二著作と決して新しいとはいえない日本人による著作の読み合わせ、相性が悪くないということは、自身としてはなかなか画期的なことではないかと思われたのです・・(笑)。

これがたとえば、当ブログ記事に頻出しております加藤周一著『日本文学史序説』ではこうはいかないのではないかと思われます・・。
(私見によりますと加藤周一も長年欧米に滞在していたのですが、その書かれた日本語の文章から、さきのような感想を持ったことはありません・・。)。

このように考えてみますと、なかなか文章といったものもまた、奥が深いような感じがしてきました(笑)。

ともあれ、今回もまたここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

昨年から現在までに列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った地域の諸インフラの復旧・回復そしてその後の復興を祈念しています。」