2023年12月6日水曜日

20231205 岩波書店刊 ジョージ・オーウェル著 小野寺 健訳『オーウェル評論集』pp.321-323より抜粋

岩波書店刊 ジョージ・オーウェル著 小野寺 健訳『オーウェル評論集』pp.321-323より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4003226216
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4003226216

現実逃避 ナショナリストはすべて、そっくりの事実をいくつ見ても、それら相互の類似性を認めないという特技を持っている。英国の保守党員は、ヨーロッパでの民族自決主義なら擁護するくせに、インドのそれに反対して、これを矛盾だとは思わない。行為の善悪を判定する基準はその行為自体の功罪ではなく、誰がやったかという点であって、拷問、人質、強制労働、強制的集団移住、裁判なしの投獄、文書偽造、暗殺、非戦闘員にたいする無差別爆撃ーこうしたいかなる無法きわまる行為でも、それをやったのが「味方」だとなれば、まずたいていのばあいは道徳的な意味が微妙に変わってしまうのだ。自由党系の「ニューズ・クロニクル」が、恐るべき残虐行為だとして、ドイツ人によって絞首刑にされたロシア人の写真を掲載したことがあったが、その一、二年後にこれとほとんど同じ、ロシア人の手で絞首刑にされたドイツ人の写真を掲載したときには、熱烈に称賛したのだった。歴史上の事件についても同じである。歴史は、多分にナショナリスチックな観点から見られているのだ。異端審問所とか、星法院(一四八七-六一の、英国の高等裁判所、陪審がなかった)による拷問とか、英国の海賊の手柄(例えばサー・フランシス・ドレイクは、スペイン人の捕虜を生きているまま海中に投じたと言われる)とか、フランス革命における恐怖時代だとか、何百人というインド人を大砲につめてぶっ放した、ベンガルの反乱(1857-58)鎮圧の英雄たちとか、アイルランドの女たちの顔を剃刀で切ったクロムウェルの兵士たちとかーこんなことも、「正義」のためだったということにさえなってしまう。過去二十五年をふりかえってみると、世界のどこかで残虐行為の行われた報道がなかった日は、ほとんど一日もない。ところがスペインで、ソヴィエトで、中国で、ハンガリーで、メキシコで、インドのアムリツァールで、トルコのスミルナで行われた残虐行為のうち、一つでも英国の知識人が一致してその事実を認め、かつ非難した事件はなかったのである。こういう行為が非難すべきものかどうか、それどころかそもそもそれが事実だったのかどうかということさえ、いつも政治的偏向にもとづいて制定されたのであった。

*〔原注〕『ニューズ・クロニクル』誌は、処刑の全貌がクローズアップで見られるニュース映画を見に行くことを読者にすすめた。『スター』紙は対独協力者の女性が全裸にちかい姿でパリの暴徒にいじめられている写真を、まるでこの行為を称賛しているかのように掲載した。これらの写真は、ナチスが発表した、ベルリンの暴徒にいじめられているユダヤ人の写真と酷似していた。

 ナショナリストは、味方の残虐行為となると非難しないだけではなく、耳にも入らないというすばらしい才能を持っている。英国におけるヒットラー崇拝者たちは、六年ものあいだ、ダッハウやブッヘンヴァルトの存在に耳をふさいできた。そしてドイツの強制収容所をもっとも声高に弾劾いた人びとのほうは、ソヴィエトにも強制収容所があることはぜんぜん知らないか、知っていてもごくぼんやりした知識しかないことが珍しくないのだ、何百万という餓死者が出た一九三三年のウクライナの飢饉のような大事件でさえ、驚いたことに英国のソヴィエトびいきたちは、大部分が気づかなかったのである。こんどの大戦中におこなわれたドイツ、ポーランドのユダヤ人の絶滅策について、ほとんど何も聞いていない英国人はいくらでもいる。彼ら自身にユダヤ人差別意識があるからこそ、この大犯罪も意識にひっかからなかったのだ。ナショナリストの考え方の中には、真実なのに嘘、知っているのに知らないことになっているという事実が、いろいろある。知っている事実でも、認めるのに耐えられないというので脇へ押しのけられたまま、意識的に論理的思考から外されてしまうことがあるかと思えば、綿密に検討されたにもかかわらず、自分一人の心の中でさえ、事実であることをぜったいに認めないといったことが起こるのだ。