2016年7月27日水曜日

20160727 文章の質の向上と相変態 分裂と統一

A「大分前に投稿した記事が何故であるかわかりませんが、突然閲覧者数が増加する現象が時折生じます。

こうした現象を見て、その記事を読んでみますと「おそらく現今記している一連の記事よりもよく書けているのではないか?」と考えさせられます・・(苦笑)。

そして、直近のそうした記事とは昨秋に記した「迦微、神、カミについて・・」であり、何故であるかよくわかりませんが1日で閲覧者数が急激に上昇しました。

また、そのことを不思議に思い、その記事を読み返してみますと、たしかにここ最近ほぼ日課のように記している一連の記事に比べて内容が深いように思われます・・(苦笑)。

また、そこで述べている考えについては、現在なお特に大きく変化しておらず、何れ機会があれば続編らしきものを書いてみようとも思います・・。

さて、そこまで記していると、これからのブログ記事作成の新たな手法として、これまでに投稿した記事に対する加筆訂正、そして、それら内容の更なる検討、考察を行うのもまた、悪くないのではないかと思いましたが如何でしょうか?

とはいえ、そうしたことも、今後ある程度記事作成を行った後にしてみようと思います・・(笑)。

そして、その具体的な「ある程度」とは、区切りの良い400記事ということにします。

ブログ記事作成をはじめて1年以上が経過し、投稿記事数も400に近く(370)なってきましたが、そうした状況においてもよく分からない、判然としないのは、果たして自身の作成する記事、文章の質が(多少は)向上しているのかということです・・(笑)。

さらに一体何を以って「文章の質が向上しているのか」といえるのでしょうか?

これを単純に閲覧者数として認識、考えることも出来ます。
また、たしかに「閲覧者数が多いブログ記事の方が、少ないそれよりも面白い」という蓋然性は高いと思われます。

しかし、それは決してイコールというわけではありません。

そして科学全般の弱味の真髄とは、もしかしたら、ここにあるのかもしれません・・・。

いうなれば、それ(ブログ記事における閲覧者数)とは、あくまでも指標に過ぎず、そのものの実態を絶対的な精確さで評価、表現しているというわけではありません・・。

さらに、振り返って考えてみますと、こうしたことは、実験等を行っていた際に度々考えていたことであり、あるいは、そうした思考のある程度の蓄積の先に、何かしら意識における相変態・相転移といった現象が生じるのかもしれません・・(笑)。

とはいえ、そうした現象がこれまでに実際に生じていたか、生じていなかったか、あるいは、今後生じるか、生じないかとは、今もって分かりませんが、とりあえず出来ることとして、以前よりかは更に肩肘を張らず、力まずにを意識しつつ(・・しかし意識してそうするのもおかしなハナシではありますが(笑))またしばらくブログ記事の作成を継続しようと思います・・(苦笑)。

暗中模索とはこうしたことを示すのかもしれません・・(笑)。

そして、ここまで書いて突然、昨日のブログ記事の概要である「意識、タマシイが分裂している状態である方がそれが統一されている(感動している)状態に比べ、文章などを記す際においては適しているのではないか?」といった主張とは、もしかすると渡辺美里の「My Revolution」の歌詞にも近いのではないかと思うに至りましたが、如何でしょうか(笑)?

そして、ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる四月の九州・熊本における大地震で被災された地域における諸インフラの早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」













20160726 意識の統一と分裂 ナンセンスの暴走そして氾濫

先日記した記事において「何かしら文章などを作成している時の自身と日常生活における自身とは少なくとも、その意識表層の次元において異なり、この時、双方は分離しているのではないか。」と記しました。

では、それとは反対の状態つまり、自身の意識が統一されている時とは、如何なる状態であるかと考えてみますと、それは一つに何かに感動している時ではないかと思われます。

こうしたことを書きますと、そういえば、小林秀雄がどこかで「人は感動している時はタマシイが一つとなり誰であれ自分自身になっている。」といったことを述べていたことを思い起こさせます・・。
また、それは自身の経験、実感より、たしかにそうではないかと思われます。

さて、これらの想起、思い描いたことを前提として、もう少しハナシを進めてみますと「では、文章を記しているときの自身とは、自分自身になり、感動を以って記しているのではなく、意識、タマシイが統一されていない分裂した状態にて記しているのであろうか・・?」と考えさせられますが、これは確かに間違いではなく、少なくとも現在の私の場合とは、感動している状態にて何かしら文章を書くことは、かなり難しいといえます・・。

文章を書く際において、意識上に想起される様々な観念、事象などを意識的に留意し、さらにそれらの取捨選択を為し、その適当な配列、配置を検討し、とりあえず書きはじめ、そして、ある程度記した段階において、それがハナシ、物語としてどうにかカタチになっているか、筋が通っているかを実際に読み検討し、さらに推敲、加筆訂正を行うといった行程の繰り返しを辿ることが多く、その場合、さきの「感動」とは、この一連の行程作業を行う上において(積極的に)あまり歓迎されるものではありません。

しかし一方、そのようにして作成された文章を誰かが読み、時として感動するということは、なかなか面白い現象ではないでしょうか・・(笑)。

あるいはそれと関連しているかどうか明確ではありませんが、ゲーテがイタリアに赴いた際、法王庁の誰かに言われたコトバとして「人は決して一つのことを考え続けてはなりません、そのようなことをしているとおかしくなります。人は常時様々なことを心のなかに浮かべておくべきです。」といったものが記録されております。
あるいはこれもまた、何かしら、さきに述べたことを支持する内容を含んでいるのではないかと考えさせられますが、如何でしょうか?

とはいえ、同時にそこにはまた、限度、センスあるいはコトバのニュアンスといった微妙且つ重要な問題もまた存在し、短絡的にハウツー本の要領で鵜呑みにして真似すれば良いというものではないと思われますが如何でしょうか?

そして、何かを学ぶということの真髄とは、こういった感覚の認識、知覚にあるのではないかとも考えさせられます・・。

ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

また、さる四月の九州、熊本における大地震で被災された地域の諸インフラの早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」


Hyoe-Murakami [Japan the years of trial 1912-52] Kodansha America, Inc (1983/8/1) pp.64-65

「Ishihara addressed the group in a friendly manner,
explaining the aims of the central authorities and
expressing his own hopes that the Kwantung Army would
show prudence.
This prompted Lieutenant Colonel Muto, the staff officer
in charge of operation in Inner Mongolia, to ask with a
smile, Are you merely voicing the opinions of your
superiors or do you yourself truly believe what you are
saying?
That’s enough!
Ishihara retorted, his voice suddenly stern.
I’m opposed to any operations whatsoever in Inner
Mongolia.
Just when the building of Manchukuo is finally under
way, you want to risk stirring up trouble with Russia and
China with these clumsy plots.
Doesn’t common sense tell you what the results will be!
You amaze me, Muto said, the smile still on his lips.
At the time when you were so active in the Manchurian
Incident, Imamura and I were working at General Staff
Headquarters.
It was your actions then that opened our eyes; we admired
you.
We are only putting into practice in Inner Mongolia what
we learned from you.
The staff officers laughed in unison when Muto finished,
as if to voice approval of what he had said.
Ishihara, shocked into silence, turned to Itagaki, but his
old friend and ally made no move to speak.
A sudden chill fell over the meeting.
Assistant Chief of Staff Imamura stepped in to act as
mediator.
What do you say sir-he said, addressing Chief of staff
Itagaki, it’s time to eat, so why don’t we discuss this
further tomorrow, when there’s more time…Yes, Itagaki
agreed, greatly relieved, let’s move to the dining room and
relax.
The following day Ishihara reiterated the aims of the
central command to the commander, Itagaki, and
Imamura, but he was fully aware they were not listening
in earnest to what he had to say. It was Ishihara himself,
together with Itagaki, who had created these headstrong
tendencies
in the Kwantung Army.
Now he was partaking of the bitter fruit of a tradition he
had helped create. It was like preaching to a blank wall.
For the first time in his life, Ishihara tasted defeat.
When Imamura saw him off at the airfield, it seemed to
him Ishihara was a different man from when he arrived,
that a shadow of forlornness had fallen upon him. 」


ISBN-10: 087011610X
ISBN-13: 978-0870116100