2016年12月26日月曜日

20161226 いくつかのストーリーに共通すると思われることについて・・

本日の首都圏もなかなか寒い一日でした・・。
そして、昨日もブログ記事の更新を行ったため、本日に関しては「特に無理をして書く必要もないのではなかろうか・・?」と思った次第ですが、書きはじめた手前、やはり何かしら続けて書く方が精神衛生的にも良いのではなかろうか・・?と続けて思った次第です・・(苦笑)。

そういえば、12月はじめに投稿記事数が500に到達してから、ほぼ20日近く断筆を試みた(笑)わけですが、その後、現在再度書きはじめるのは、特に苦痛ではありません。

ただ、問題となるのが、ブログ記事のネタであり、これはその場その場の想念に尾鰭を付けて書けば良いのでは?と考えた時期もありましたが、どうもそればかりでは、記事の内容が深化し辛いようです・・。

その意味において、比較的初期のブログ記事の方が内容としては深いものが多かったのではないかと考えます。

とはいえ、現在もまた、それなりにさまざまな著作は読んでおりますので、やり方、考え方次第では、今後更なる文体の洗練、内容の深化を図ることができるのではないかといった期待もまたあります・・(笑)。

そして、そのためには、やはりまた、ある程度文章を書き続けなければならないのかもしれません・・。

このようなことを記しておりますと、以前読んだアルベール・カミュ著「シューシュポスの神話」を思い出します・・。

また、シューシュポスで思い出すのは、これも以前読んだロバート・グレイヴス著の「ギリシャ神話」にてトロイア戦争終盤で木馬の詭計を考案したアカイア勢の将オデッセウスは、このシューシュポスの息子であると記されていたことです。
たしかに、人も神々も怖れぬその豪胆、大胆さ、詭計の巧みさとは、二人に共通する性質であるといえますので、この記述に妙に納得した記憶があります。

そしてまた、二人ともその豪胆、大胆さによって苦難に身を投じることになるのです・・。

そして、そのように記しておりますと、今度はつい先日に共有した動画「アギーレ/神の怒り」(1972年西ドイツ映画)を思い起こさせます・・。

そして、私はそこに関連するものとしてジョセフ・コンラッド著「闇の奥」冒頭からの抜粋引用を示しましたが、これらの断片的なストーリーには共通する何かがあるのではないかと思われるのです・・。

無論それらに共通する性質を自身が保持しているということではありません。

しかしながら『明瞭ではありませんが、共通して認識することができる抽象的な観念』といったものが存在するのではないかと思われるのです・・。

とはいえ、こうした観念といったものは明瞭に言語化することはネット上での保身とは異なる意味・次元で危ないことではないかと最近不図思いました・・(笑)。

さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。





2016年12月25日日曜日

20161225 興味の循環らしきものについて・・

以前、かなり興味を持っていたが現在ではかつてほどの興味を感じないものといったものがあります。

最近何故か、そのことを考えてみたところ、おそらく古墳についての興味とは、かつてほど持っていないかもしれないと思うに至りました。

しかし、そうした時期(ある事物に対し興味が減衰する)とは、過去に他の興味においても類似した現象がありましたので、一概にその時期・状態が永続・継続するものばかりでもないと思われます。

つまり、ある程度の期間で見れば、潮の満ち引きから生じる潮位の高低差のようなものではないかとも思われるのです・・。

そして、これを前提としてハナシを進めます。

かつて西日本在住時は書籍などで特徴的な古墳、遺跡の存在を知ると、機会を設け実際の見分に出向いたものでした。

大抵の場合、その見分とは、かなり精神的に高揚するものであり、なかんずく、それがあまり整備されておらず、周囲に草木が生い茂っているような状態であればあるほどに、その高揚の感覚とは(かなり)大きいものであったといえます・・。

そして、その高揚感を再び得るために更に書籍文献をあたり、そして他の古墳、遺跡の見分に出向いたものでした・・(笑)。

そのように想起してみますと、上記のような行動の連鎖により、古墳、遺跡そして古代に対する興味とは継続することが出来ていたのではないかと思われるのです。

無論、現在なお古代に関する書籍を読むことはありますが、その読む際のスタンスとは、かつてそうした見分を定期的に行っていた際のものと異なり、実際に存在する古墳・遺跡の案内書としてよりも、古代史の文献資料として読んでいるような感覚が強いように感じられます・・(苦笑)。

つまり、それら古墳・遺跡を身近なものとして感じることが出来なくなっているのかもしれません・・。

では『現在は何かに対して、かつての古墳・遺跡に対するような興味を持っているのか?』と問われた場合『よく分からない・・。』と返答するのではないかと思います・・。

これはもう少し考えてみる必要があるようです・・。

さて、先日、当ブログにても示した映画「大魔神」を何気なく観ておりますと山中の大魔神の遥拝所(主人公たちの潜伏先)に描かれている壁画が福岡県在の竹原古墳のそれにそっくりであることに気が付きました(あの時代の映画の美術班とはなかなかスゴイものであったのかもしれません・・)。

竹原古墳の壁画とは、かつて金関丈夫谷川健一が、それぞれ大変興味深い論考を記しておりましたが、史実としては金関丈夫の記した内容がより適当であるように思われます。

しかし、それよりもあらためて、かつての解剖学者(金関丈夫)には、とんでもない博識の方がいたことを思い知らされます・・。

また、そのことから興味が促され宮崎市定著の「アジア史論」を読んでおりますと、ここでもまた竹原古墳を生んだ古代九州について考える際の大変興味深い考えが記されておりました・・。

しかし、さきにも述べたように歴史とは、こうした文献を通して学ぶのと同時、やはり実地見分を行わないでいると、多少味気ないものになってしまうのではないだろうか・・?

このことは以前読んだ森浩一の著作にも記されておりましたが、実際にその通りであると現在痛感しております・・(苦笑)。

さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」











2016年12月24日土曜日

20161223 501回目の投稿 創造性を生む文化的土壌としての議論の重要性

直近の500回目の記事投稿からしばらく経ちました。
そして、本日新たに記事を作成することにしました。

さて、500回の記事投稿の後「何か大きなことが起きるか?」と多少思いましたが、残念ながら、明らかにそれが原因であると断定できる出来事は生じませんでした・・。

生じたといえば500回目投稿直後の晩はなかなか寝付けなかったことぐらいです(これは何故であろうか?)。

また、その後の毎日においても自身の考えなどに大きな変化が生じることもなく、どちらかというと平穏に過ぎていったのではないかと思います。

また「猛烈に何かを書きたい!」といった心境が生じることは特にありませんでした・・。

ただ、ほぼ毎日ブログ記事を投稿していた時期に比べ、500記事到達後は書籍を深く読むことが出来るようになったのではないかと思われます・・。

それは、この時期(500記事到達後)、直近に読了した長編小説「楡家の人びと」を再読、また再読しましたが、以前に比べ、純粋に楽しんで読むことが出来たという自覚から判断した次第です。

また、他のこの時期に読んだ書籍においても同様の自覚、感想を持ち得ました。

そうした自覚、感想から、今後のブログ記事作成は、書籍を読むことを楽しむことの出来る程度の頻度にて作成していくのが良いのではないかと思いました・・(笑)。

また、その頻度を高める何かしら具体的な方策を得ることが出来ましたら、ブログ記事の文体、内容において漸進的な変化が生じてくるのではないかとも思われます・・。

しかし、であるからといって、以前のほぼ毎日ブログ記事を更新していた行為が、無駄ということではなく、むしろ、そうした経験、時期、段階とは必要であったのではないかとも、さきに述べた自覚、感想と同程度、あるいはそれ以上に持ち得ました。

しかしまた、それ(必要性云々)は、特に「何のため」というものではなく、ただ「自身の文章をより明瞭に記す」という、いうなれば、自己満足の充足を目指す類いのものであるということが出来ます(苦笑)。

そうしますと、上に記した一連の内的現象とは、一面において、まさしく「自縄自縛」と評することが出来ると思います・・(苦笑)。

とはいえ、そうした能動者の自己満足の充足行為全般に対する他者による判断、評価基準の「選択」こそが、かなり難しいものであり、そこには形而上的な思考つまり哲学といったものが要求されるのではないでしょうか・・?

そして、その意味において、現代とは「普遍的な知識の普及、定着」では、おそらく過去のどの時代に比べても、より高い水準に達しているといえるのかもしれませんが、さきに述べた形而上的思考、哲学に関しては、それ(「普遍的な知識の普及、定着」)と反比例とまではいきませんが、おそらく過去のどこかの時代の方が、より高水準であったのではないかと考えさせられるのです・・。

また、ここまで記していて不図思うことは、さきに述べた能動者の自己満足の充足行為に対する他者による判断、評価基準の選択」に形而上的な思想・哲学が介在されなくなると、ある種の相互作用の結果、能動者・評価者共に虚無的あるいは野狐禅に堕し「後の世」に対し誇れる、評価され「得る』ような文化を創造することが徐徐に『面倒』になってくるのではないでしょうか・・?

しかし、であるからといって、強烈な何かしらの(父権的な)権威の強化および必要性を希求するのではなく、ただカタチだけではない対話・議論を行うことが出来る文化的土壌(それは歴史が培うものではあるのですが)が社会一般において存在すれば、どうにかなるのではないかと思います・・。

いうなれば、血の通った対話、議論が可能な文化的土壌とは、さまざまな創造的な行為を行う際の弾性、靭性を付与するものではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?

さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧および、その後の復旧を祈念しております。













2016年12月5日月曜日

20161205 500記事到達(達成感はあまりないです・・(苦笑)。)

今回の記事投稿によって総投稿記事数が500に到達します・・。

このブログを始めたのが昨年6月であったので、ほぼ1年半つまり540日程度で500記事ということになりますので、10日のうち9日は記事を投稿し続けてきたということになります・・。

これは到達までの期間が早かったとは云えませんが、とりあえずキリの良いろころまでは達したというような幾分アイマイな達成感らしきものはあります・・。

とはいえ、この達成感とは、明瞭なものではありません・・。

明瞭な達成感とは、登山にて山頂に至った時、あるいは学会発表を終えた時、一つの実習を終えた時などの方が余程、明瞭且つ強いそれを感じることが出来ていたように思います。

その理由とは、この500記事という目標自体が自らで定めたものである為であるのかもしれませんが、ともかく「よく分からないまま、ここに至った」と評しても良いと思われます・・(苦笑)。

それ故「果たしてこの程度で良いのであろうか?」と思う反面もありますが、一応ここまで至ったということで、かねてよりの企図に従い、今後一週間程度は意識的な断筆を試みるつもりです。

そして、その断筆の期間に、あるいはその達成感といったものが内面より涌出してくるのかもしれません・・(そうであれば良いのですが、そうしたことはあまり期待しないでおきます(笑))。

また、昨日久しぶりにお目に掛かった師匠とハナシをさせて頂いておりますと、何といいますか鹿児島在住時での(良い)記憶が甦ってくるようです・・(笑)。

それで思い出されるのは、さまざな研究、実験指導と共に、登山の記憶です。

鹿児島での登山は師匠のお供で始めたことであり、それは面白いことに和歌山におけるフィールド・ワークの記憶とも結節するのです・・(笑)。

その意味において、それら在住期間を通じ、いつの間にか私は西日本の自然環境に対し、親近感を抱くようになっていたと云って良いと思います。

いや、あるいはそれは「(勝手に)魅入られた」と表した方がより適当であるのかもしれません・・(笑)。

これは、以前のブログ記事にて記しましたがErdgeist・地霊といった存在に因るのではないかと考えております・・。

また、こうした考えを「非科学的」、「現実的でない」とするならば、何故我々は各地の寺社を参拝するのでしょうか?

おそらく我々の祖先とは、おそらく現代の我々よりも多く自然に接し、また、その不思議なチカラを目にしてきたものと考えます。

その結果として、何かしらの事物から神聖さを感じ取り、それに対し境界を設け、社殿を建立してきたのではないかと思います・・。

もし私も含め現代の我々が、一般的に、そうしたことを感じ取れないのは、その神聖さを「感知する能力」が減衰してきたことに大きく因るのではないかと思いますが、如何でしょうか・・?

また、それを別言すると、そうした神聖とされる事物の存在を、自身よりも神聖な存在と認めることが困難な社会になってきたからではないかとも云えるのではないでしょうか?

そして、首都圏とは、その意味において先端であるといって良いと思います・・。

さて、そこで思うことは「人間の創造性に対するこうした存在の影響」です。

その具体的なメカニズム・作用機序は分かりませんが、私見としては、少なくとも我が国の場合、そうした神聖とされる存在が地域に「生きたものとして」残存している方が様々な創造性に対しては良い影響をもたらすのではないかと考えます。

これは我が国におけるノーベル賞受賞者の出身地域から類推してみますと納得することが出来るのではないでしょうか・・?

それ故、地域における自然とは、その意味(人間の創造性)においても大きな価値があるのではないかと思われますが、さて如何でしょうか・・?

【煎じ詰めると、当たり前かもしれませんが、それ(神聖さ)は社殿の壮麗さ、祭りの盛大さなどといった所謂カタチとは異なる次元に内在するものではないかと思われるのです・・。しかし、首都圏におけるそれは、それを(いまだに)見誤っているのではないかと思われることが度々あります・・。】

さて、読んで頂いている皆様のお蔭でここまで到達することが出来ましたどうもありがとうございます!

500記事に相応しい名文とはなりませんでしたが、今後もまた(しばらく期間を置いて)何かしら書き続ける所存ですので、どうぞよろしくお願いします!!

さる熊本、山陰東部、福島周辺において発生した大地震により被害を受けた地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そして、その後の復興を祈念しております。




















2016年12月4日日曜日

20161204 自身の性質・性状からの積極的な発露について・・

A「本日久しぶりに焼酎(黒霧島)を飲みました・・。

その酒精あるいは他の何かの影響によるものか、また何かしら記してみようと思い立ち現在こうして記事作成をはじめた次第です・・。


時間も時間ですが、明日(既に本日(20161204)ですが)は休日であるため、大丈夫であると思います。


さて、かねてよりブログ記事にて記したとおり、私はやはり文系の人間であると思います。


それは理系の方々が話す内容をどうにか自身の理解している「歴史の流れ・モデル」に置き換えて理解しようとするところに示されるのではないかと思います・・。


そして、そうである場合、手持ちの運用可能な「歴史の流れ・モデル」が多ければ多いほど理解可能な事象は増加してくるものと考えます。


これに関して私はおそらく、ある程度持っているのではないかと考えますが無論、未だ手持ちのカードが「多い」とは云えません・・(苦笑)。


とはいえ、一応やってきたことはやってきたという自覚もまたありますので、それが私のほんのわずかな自信あるいは自覚の根源であるのでしょうが、これは自身の継続してきた読書、対話の量からすれば、自然と身に着く程度のものであると云えます・・。


そうしますと、そこで大事なことは「それを継続する意志を持ち続けてきたか?」ということになるのではないかと思います・・。

しかし、それも私の場合「それ以外に自身の持つ積極性を活かす術を知らなかった」ということになると思われます・・(苦笑)。


あるいは「それ以外の身の処し様が出来ない」と、ある程度深刻に悩んだことによるものと考えます・・。


おそらく、この自身の積極性(読書、対話そして、それらを統合した研究)の継続が為されていなければ、生きることもツマラナイと思っていたでしょう・・。


それ故、自身の場合(あくまでも)ネガティブ・ケイパビリティー優位の我が国社会において自信を持つことの困難さをおぼえ、また、その価値観からどうにか逃避し、且つあまり他者から非難されない道を選んできたものと考えます・・。


そして、現在継続して作成しているブログ記事もまた、大きく見れば、そうした自身の性質・性状からの発露であると見做すことが出来ます・・。


それ故、この一連のブログ記事においては、たとえ今後500記事に到達した場合といえども、その根源が「発露したい」という積極性によるものである為、繰り返し、このネガティブ・ケイパビリティー優位の我が国社会においては自讃・称揚に値するものではないとも思われるのです・・(苦笑)。


しかしながら、一方において、こうした「変な人間」が、もう少し大学、アカデミアにいれば、それはそれで「創造性」に関しては」面白い効果もまたあるのではなかろうかとも、いささか手前味噌ながら思うのですが、さて如何なものでしょうか・・?


そして、今回もまた興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。


さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」







2016年12月3日土曜日

20161203 「史跡の発見に関連する感覚」と「500記事到達間近」の類似性・・

本日は事情により早めに記事を作成、投稿しようと思います。
先日悪石島の「ボゼ祭り」動画を共有しましたが、この動画とは、その内容に加え、周囲の自然の音(鳥、虫など)に興味をおぼえました。

「そういえば、現在、こうした音が聞こえる自然環境にいないなあ・・。」といった感じです。

また、それが影響したものか、つい先日みた夢は、樹々植物が茂り日光の透過もまばらな山道を歩いている光景でした・・。

実際のそうした経験とは、鹿児島在住時の登山において得ています。またそれは、和歌山在住時のフィールド・ワークにて書籍に記載されている史跡を自身で検分するために、現在はほぼ人跡未踏とも思える山道を歩いた経験とも類似しております。
そうした時は「これで本当に道は合っているのだろうか?」と戸惑いながら歩いたものです・・(笑)。

また、実際に間違っていることもありましたが、その道の先に史跡を見つけることが出来ると、それはそれでなかなか嬉しいものでした・・。

そして、それで思い起こしたのは、和歌山県のある古墳のことです。

この古墳は何故か分かりませんが、あまり書籍に載っておらず、その存在を確かめようと、ある初夏の週末に記されている書籍を手に探しに出ますと、如何なる案内もなく、ただ書籍掲載の地図を頼りにしばらく歩くことになりました・・。

そして、これ(古墳)を探す道程の状況とは、さきに記した夢の中でのそれに類似しておりました。

また、こうした案内もなく(幾分昔の)書籍にのみ記された古墳等の史跡を発見した時の感覚とは、さきに記したようになかなか興奮するものです・・。

しかし、そうした経験を他者に話してみても、往々にして、あまり共感されないところが良いのだか悪いのだかよく分からないところです・・(苦笑)。

いや、それ以前に案外こうしたことは大仰に話す必要はないのかもしれません・・(笑)。

さて、そしてハナシが変り、今回の記事投稿により、投稿総記事数が498となり、500記事到達まで残り2記事となります。

そして、こうしたこともまた、あまり大仰に話す必要はないのかもしれません・・(笑)。

また、今現在500記事まで到達しているわけでもありませんので、むしろ、こうしたこと「今」記す必要はなく、ただ、現在のブログ記事を書く上でのネタとしては、さきに記した「史跡の発見に関連する感覚」と類似している可能性を示という意味においては悪くないということです・・(苦笑)。

とはいえ、その一方で、その間(「史跡の発見に関連する感覚」と「500記事到達間近」)に類似性が認められるのであれば、その類似性を知覚するさらに普遍的な意識、自我(ほぼ無意識、超自我に近いものかもしれない)の存在に対し言及することが出来るかもしれません・・。

そして、それは書いている本人にとっては多少なり意味があり、また、これを読んで頂いている方々もまた(ある程度)共感、納得できるのであれば、それなりに意味があるのかもしれませんが、これに関しては、その判断が難しいところです・・(笑)。

ともあれ、こうしてハナシは循環するのです・・(笑)。

何れにしましても、今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」





20161202 500記事到達後の断筆および自信について・・

A「本日は若干帰宅が遅くなりましたが、それでも時期が時期であるため、本日分のブログ記事を作成しておかねばと思います。

どちらかというと渋々、今現在(23:10)記事作成に取り掛かりました・・(苦笑)。

さて、昨日投稿した記事もまた、思いのほか多くの閲覧者数を得ることが出来ました。

これを読んで頂いた方々、どうもありがとうございます。

また、それに加えて、昨日記事投稿直後の反応もまた大変面白く、考えさせるものでした・・。

そこまで(記している私が思いもよらない程)深く読んで頂けるのでしたら、私も毎回のブログ記事作成の意欲が湧いてくるというものです・・(苦笑)。

しかし、あと数記事投稿して500記事に到達したならば、以前書いた通り、一度、意識的な断筆を試みる所存です・・。

であるからといって、何か大きな変化が起きるとは考えてはおりませんが。

しかし、その一方において、自身の文章作成に対する「思い」といったものは、多少なりとも測ることが出来るのではないかとも思います・・。

そして、その「思い」を自身が認識して、はじめて何かしらの内面における変化といったものは生じるのではないでしょうか・・?

我々は一般に、無意識で「何らかの環境」を当たり前、所与のものとして、その環境の中にいる時は、それが持つ意味、影響力について考えることは困難であるように思います・・。

そして、その環境から抜け出た後、はじめて、その意味、影響力などについて考えることが出来るのではないでしょうか・・?

また、こうしたことを記しておりますと、不図思い起こされることは、以前ブログ記事に書いた煮物などで火をかけている時は具材に出汁はあまり浸透しておらず、より浸透するのは火を止めた後の冷却の過程であるということです・・。

そのように考えてみますと咄嗟に「この時期、季節に冷却というコトバは穏やかではないな・・」と思うのですが「そうであれば記事作成を継続するのか?」ということになりますが、何れにしても、500記事作成の後、一旦ある程度の期間、断筆を試みることは、少なくとも、これまでの人生でなかった面白い試みであるとは思いますので、これは是非行いたいと考えております・・(笑)。

しかし、そのようなことを(笑)で書くことが出来るということは500記事作成においても未だ余裕があるとも推察されますが、たしかに未だ現在、全てを出し切ったという感覚はありません・・。

これは自信過剰からくるものではなく、ごく自然な思いの表出であるといえますので、むしろ、これまでのブログ記事作成が過剰に「偽りの自信」に作用することの方を私はおそれます・・(おそらくそれはないと思われますが・・)。

また、自信というものも本来は内面から涌出するものであると思うのですが、残念ながらこれに関しては未だ「源泉を掘り当てた」といった感覚は得ておりません・・。

とはいえ、その一方で「何か分かった・・」という感覚とは幾つか得てはきているとも考えております・・。

これは私がそうして得た感覚の「取り扱い」を間違ってきたことに由来するのであろうか・・?

しかしながら、私見となりますが、特に夏目漱石の著作の面白さの多くとは、その一種の「自信の無さ」を述べているところに共感できる何かが認められるからではないかと考えます。

そして、それ故にか、彼は近代日本を悲観し、そして結果的に歴史とは、その通りになってしまった・・といって間違いではないように思われます・・。

また、それと同じ意味にて、太平洋戦争の敗戦という大きな痛手を被った世代の多くの著述家が、現代の日本社会を憂慮、危惧しつつ世を去っていったことに対し少なからぬ興味をおぼえるのです・・。

また、彼等世代を目の上のタンコブとし、それが去った後に跳梁跋扈する方々とは、果たして後世から如何なる判断が為されるのであろうか?

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる熊本、山陰東部、福島周辺において発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」


















2016年12月1日木曜日

20161201 500記事に到達したならば・・昨日の続き主に「邪視」

A「今回の記事投稿にて500記事到達まで残り5記事を切ることになりますが、あまりそういった実感といったものはありません・・(苦笑)。

また、たとえ500記事に到達したとしても、その後自身がどうすれば良いものかとは考えておりません・・。

そうしたことは、実際に500記事目の投稿を終えた後になり、自然と内面から涌出してくるのではないかと考えております・・。

とはいえ、この程度まで継続的な記事の作成を行ってきたのであれば1週間程度の「意識的」な断筆を試みることは、それはそれで面白い実験ではないかとも思われるのです・・。

そして1週間経た後、猛烈に何かを書きたいと思うか、あるいは、そのまま自然に何も書かないで大丈夫であるかとは、自身の性質の一つを知る上において、ある程度有効であると考えます。

これまでに何度かブログ記事において記してきましたが、おそらく私は文章を記すことが、少なくともキライではないと考えます・・・。

しかし一方において、自身が記すことの出来る内容、主題とは、ある程度限定されるということも、これまでの記事作成において知り得ました(あまり知りたくなかったのかもしれないが・・)。

また、それは、記事を投稿した直後において示される反応の一つである、過去に投稿した直近記事と類似した主題、内容を持つ記事の閲覧者数が増加するということにより否応なく知覚されるのです・・(苦笑)。

しかしながら、そうした反応も含めて示される全般的な反応とは、基本的に悪意に基づくものではなく、何といいますか「もっと書け!」と励まされているように思われるのです・・(笑)。

そうしたことの直近の具体例を示しますと、昨日投稿した「シンボル、フィギュア、祖霊像などについて」を投稿した直後、4カ月近く前に投稿した「20160810」の閲覧者数が増加し、そこから、この記事を直近投稿記事のコメントとして追加した次第です・・。

両記事を読んで頂きますと、その関連、類似性に納得できるのではないかと思います。

とはいえ、そうした反応が速やかに為されるのは、少なくとも現在のAI、人工知能では、なかなか難しいのではないかと思われます・・。

こうした文面表層に示されない文脈、コンテクストの関連、類似性などの知覚とは、また、ある種複雑なものであると思いますので・・。

恥ずかしながら、両記事を記した本人が、そうした反応により、その関連、類似性を知り得たくらいです・・(苦笑)。

それ故、この反応とは、ブログ記事を閲覧して頂いている方々によるものであると考え、また同時に、そうした方々とは、文章の読解(自身の悪文も文章と見做して(笑))のセンスが、少なくとも私よりも上等であると思われます・・(苦笑)。
(そうであるからといって何も自慢にはなりませんが・・(笑)。)

そして、ここまでは認めますが、しかしながら・・では、そうした関連、類似する主題、内容を持つ記事をほぼ無意識で4カ月の間隔を空けて記すことは可能であるか?と問うた場合、おそらくそれは意識的には可能なのでしょうが、そうしますと、それは企図されたものとなり、果たして閲覧して頂いた方々が反応を試みるに足るものとなるのでしょうか・・?

・・いささかヤケクソ気味の答弁、抗弁とも聞こえましょうが、しかし我々人間の創造性の原初的な発動とは、こうしたほぼ無意識による「やり当て」に近いものであり、また、そうであるが故にそうしたものに対して、これまた原初的な反応が為され、結果的に、更なる創造性が惹起、発動されるのではないでしょうか・・?

ヤケクソにはじまり、いささか希望的な観測でもありますが「創造のはじまり」とは、そのようなものであると私は考えます・・。

また、昨日投稿の「シンボル、フィギュア、祖霊像などについて」をもう少し考えてみますと、いかめしい顔(笑顔でない)を持つ男性像が現れる大隅の大人弥五郎どん、悪石島のボゼ、東北のねぶた祭り、なまはげ・・の持つ意味とは、その根源においては、おそらく邪視による破邪の効果を狙ったものではないかと思われます・・。

(そういえば南方熊楠の論考で「邪視(Evil eye)について」というのがありました・・。)

また、私見ではありますが、こうした邪視による効果を願った祭祀全般とは、我が国の辺縁地域に比較的多く認められるのではないかと思われます・・。

それは、辺縁であるが故に古い祭祀形態、観念が残存したことによるのか、あるいは当初より、それら地域には、邪視が効果を持つという祭祀、民俗文化が定着、継続し易い文化的土壌がかねてより存在していたことによるものであるかは分かりません。

とはいえ、昨今の首都圏を中心に見られる女性にとって都合の良い笑顔の男性がもてはやされるご時世であるからこそ、一方において、こうした祭祀、民俗文化の持つ意味、価値を再考してみることは、少なくとも、あながち悪いことではないように思われるのです・・。

また、ここまで記して不図思ったことは、これら地域とは、人口の男女比において比較的女性の方が高い比率を示しているということも、あるいは何か関係があるのかもしれません・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる熊本、山陰東部、福島周辺において発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」




20161130 シンボル、フィギュア、祖霊像などについて・・

先日不図見かけた書籍の頁に木彫の大分ディフォルメされた人物像(木像)らしきものの画像が載っていました。
その木像が何時の時代の、どの地域のものであるかの説明は見ませんでしたが、その作風からして南太平洋の何処ではないかと思われました・・。

また、日本におけるこうしたものについては、これまでに幾分か見てきたこともあり、大体の時代および地域の見当をつけることは出来ると考えます。

私見となりますが、それら古の観念に基づき製作された何らかのシンボル、フィギュアとは、現在の我々をも強く惹き付ける何かがあると思います・・。

そして、さらにその中で特に惹き付けられ、心に引っ掛かるものとには、もしかすると、そこには相応の理由があるのかもしれません・・。

そのような理由に基づき、ある古の製作物の来歴等を調べておりますと、その途上において、思いもよらぬ考えが浮かぶ、あるいは現代において見知っている他の何かとの関連を突如、示唆(その多くは明示まで強烈ではない)されることがあります・・。

また、その感じとは夏目漱石著「夢十夜」内の「第三夜」のようであるともいえます・・(そこまで強烈ではないが・・)。

私はこの短編の中に、ある種の人間内面における普遍性を見出します。

ともあれ、ハナシを戻し、そうしたことが自身の内部で、ある程度頻発していた時期に、それら考え、関連性が「何故」浮かんできたのか?とは考えず、ただ、その更なる根源、源泉への遡上を専ら書籍・文献の捕集を通じ試みていたように思われます・・。

こうした作業においては、能動・積極性の方がより有効であると云えます。

とはいえ、これを現在考えてみますと「何故、当時はそうした考え、関連性が頻繁に脳裏に浮かんできたのか?」ということの方が、より不思議、重要なことであるように思われるのです・・。

また、それと同時に、そうした経験の蓄積、複合化により、我々人間とは、何かを『知った』と思い至るのではなかろうかと思います・・。

その意味において、翻って考えてみますと、当初に挙げた古に製作されたシンボル、フィギュアとは、その時代、地域の人びとが「知った・知っていた」考えを具現化したものであるといえます。

そして、それらを現代の我々が見た時に直観的に感じることとは、そこに地域的な繋がりが存在するのであれば、やはり、そこには何らかの意味があり、また言語による概念化を試みる価値(時代を貫く何か)があると云えるのではないでしょうか・・?

そして、特に自国の歴史、文化等においては科学、客観的な認識、概念化と同時に、こうした一種の「同一化」を試みることを通じ、内面から理解する必要性があると思われるのです・・。

また、この「同一化」を生じさせる契機として古来より認識されていたものが「眼」およびその周辺であったのではないかと考えます・・。

ハナシを再び冒頭に戻し、これら古の観念に基づいて製作されたシンボル、フィギュアとは、世界中遍く、両目周辺を強調し、さらにその表情に笑顔が少ないといった特徴があると云える。

多くのそれらは「祖霊像」と認識されているが、たしかに最大公約数的に、その見解とは間違っていないと考えます。

また、我が国における古いその典型とは福田型邪視紋銅鐸であるといえます。

そしてまた、現代においてそれに比定されるものとは「ゴジラ」ではないかと思われますが如何でしょうか・・?

また、その間には「大魔神」といった、より「祖霊像」に近い存在もありましたが、そうしたもの(シンボル、フィギュア、祖霊像)は、往々にして変化なしの直球とは、受け入れられないことが多いのかもしれません・・(笑)。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる熊本、山陰東部そして先日の福島周辺において発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。