2022年2月22日火曜日

20220222 株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」 pp.299-302より抜粋

株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」
pp.299-302より抜粋
ISBN-10: 4309227880
ISBN-13: 978-4309227887

私たちはぞくっとするような「ポスト・トゥルース」の新時代に生きており、どちらを見ても嘘と作り事ばかりだと、近頃繰り返し言われている。例はいくらでも出に入る。たとえば2014年2月下旬、軍の徽章をつけていないロシアの特殊部隊がウクライナに侵入し、クリミア半島の主要な軍事基地を占領した。ロシア政府とプーチン大統領本人が、彼らをロシアの部隊であることを再三否定して、自発的に組織された「自警団」だとし、地元の店でロシア製のように見える装備を手に入れたかもしれないと主張した。この荒唐無稽な説明を口にしたとき、プーチンとその側近たちは、嘘をついていることを百も承知していた。

 ロシアのナショナリストたちは、より高い次元の真実のためになると言い張って、この嘘を大目にみることができるだろう。ロシアは正義の戦争を行っていたのであり、大義名分のためには人を殺すことが許されるなら、嘘をつくことも当然許されるのではないか?ウクライナ侵攻を正当化するとされる、このより高次の大義名分とは、ロシアという神聖な国家の維持だった。ロシアの国家神話によれば、ロシアは神聖な存在で、不埒な敵たちが侵略して分割しようと何度も試みたにもかかわらず、1000年にわたって持ちこたえてきたことになる。モンゴル人、ポーランド人、スウェーデン人、ナポレオンのグランダルメ(大陸軍)、ヒトラーのドイツ国防軍に続いて、1990年代にはNATOとアメリカとEUが、ロシアの一部を切り離してウクライナのような「似非国家」に仕立て上げて、ロシアを破壊しようと試みたという。ロシアの多くのナショナリストにとっては、ウクライナはロシアとは別個の国家であるという考え方のほうが、ロシアという国家を再統合する神聖な使命を果たす間にプーチン大統領が口にしたことのどれよりもはるかに大きな嘘となる。

 ウクライナ国民や傍から見ている人や専門の歴史学者がこの説明に呆れ返り、それをロシアの欺瞞の兵器庫から跳び出した「原爆級の嘘」と見なしたとしても当然だろう。ウクライナは一つの国民としても独立国としても存在しないと主張すれば、多くの歴史的事実を無視することになる。たとえば、ロシアが統合されていたはずの1000年間に、キエフとモスクワが同じ国に含まれていたのは約300年にすぎない。また、ロシアが以前は受け入れ、独立国ウクライナの主権と国境を保護してきた、非常に多くの法律や条約に違反することになる。そしてこれが最も重要なのだが、その主張は、自分はウクライナ人だと考えている何百万人もの人々の意見を無視している。彼らには、自分が何者かについて発言権がないというのだろうか?

 世界には似非国家がいくつかあることに関しては、ウクライナのナショナリストもロシアのナショナリストに間違いなく同意するだろう。だが、ウクライナはそのような似非国家ではない。むしろ、ロシアがいわれもなく行ったウクライナ侵攻を隠蔽するために打ち立てた「ルガンスク人民共和国」や「ドネツク人民共和国」こそが似非国家だ。

 どちらの側を支持するにしても、どうやら私たちは本当に、ポスト・トゥルースの恐ろしい時代に生きているらしい。今や、特定の軍事紛争だけでなく、歴史全体や国家全体が偽造されうるのだ。だが、もし今がポスト・トゥルースの時代ならば、いったいいつが、のどかな真実の時代だったのか?1980年代か?1950年代か?1930年代か?そして、何がきっかけで私たちはポスト・トゥルースの時代へと移行したのか?インターネットか?ソーシャルメディアか?プーチンとトランプの躍進か?

 歴史にざっと目を通すと、プロパガンダや偽情報は決して新しいものではないことがわかるし、ある国家や国民の存在をまるごと否定したり、似非国家を創り出したりする習慣さえ、はるか昔までさかのぼる。日本軍は1931年に自らに対して偽装攻撃を行って中国軍の犯行とし、中国侵略の口実とした後、翌32年に満州国という似非国家を設立して、征服行為を正当化した。その中国にしても、チベットが独立国として存在したことをずっと以前から否定してきた。オーストラリアのイギリスの植民は、無主の地(テラ・ヌリウス)という法原理によって正当化され、それによって五万年に及ぶ先住民の歴史が事実上消し去られた。

 20世紀初期には、シオニズムのお気に入りのスローガンは、「民なき土地[パレスティナ]への、土地なき民[ユダヤ人]の帰還を謳うものだった。地元のアラブ人住民の存在は、都合よく無視された。1969年、イスラエルのゴルダ・メイア首相は、パレスティナ人などというものは今も昔も存在したためしがないという、有名な言葉を残した。存在していないはずの人々を相手にした武力戦争が何十年も続いているというのに、そのような見方は今日でさえごく一般的だ。たとえば2016年、アナト・ベルコ議員はイスラエル議会で行った演説の中で、パレスティナの人々や彼らの歴史が現実に存在することを疑った。彼女が挙げた証拠は?アラビア語には「P」という文字が存在してさえいないのだから、どうしてパレスティナの人々など存在できるだろうか、というのだ(アラビア語では、「f」が「p」を表す。だからパレスティナのアラビア語名はファラスティンだ)。