2017年5月26日金曜日

20170526 新規の知見・論証の仕方などについて・・

昨日分の投稿記事も思いのほか多くの方々に読んで頂けたようです・・。

さて、あらためてこの記事を読み直してみますと、記事前半部と後半部の書籍からの抜粋引用部の間に多少論理の飛躍が認められるとも思われましたが、輿論凝集の速度と、それを構成している各個人の意見、すなわち内面における活力とは、輿論の凝集速度が外部環境(機器の整備、上からの政策など)によって、より早くなると、その構成分子である各個人の内面の活力といったものは、その『速度』によって、一見活発に動いているように見えるものの、それは単に周囲の環境に対しての反応あるいは対応しているだけであり、この判断は難しいのかもしれませんが、厳密な意味での内面活力の発露、能動性、内発性といったものに関しては、必ずしも活性化しておらず、むしろ疲弊、劣化していることの方が多いのではないかと思われます。
特にそうした状態が継続する場合においては・・。

そして、そこまで書いてみてはじめて記事前半部と記事後半部の書籍からの抜粋引用部との間に断層のない何かしらの繋がりらしきものを見出すことが出来るのではないかと思われましたが如何でしょうか・・?

また、それに関連して『これまでに作成した一連の記事において果たして新たな知見の指摘などはあったのであろうか?そしてそれは誰が判断するのであろうか?』といったことを書いたことがありましたが、おそらくその『新たな知見』というものにも幾つかの種類があり、それが比較的明瞭であるのが、おそらく理系学問分野のそれであると思われます・・。

自身は以前、そうした分野の一つにおいて、新たな知見とまでは行かなくとも、その一般化にわずかに寄与する程度のデータを示したことはあったのではないかと考えます。

とはいえ、そのデータも現在となっては既に過去のものであり、かつて私が行ってきた実験の対象であった歯科材料およびその加工機器の系自体がその後大きく進化発展を遂げたのです・・。

また、そのような進化発展が速い比較的新しい材料であったからこそ、当時、さまざまな従来の実験方法によって得た知見が新規のものとして認識されていたのではないかとも思われます・・。

そして、ここまで書き、期せずして記事冒頭部に述べたことと何やら類似するような感じを受けましたが、果たしてそれは気のせいでしょうか・・(笑)?

いや、ともかく、気のせいであろうがなかろうが、あくまでも個人的な考えではありますが、現在継続しているブログ記事の作成とは、一面において、その当時行ってきたことを自身への定着化、血肉化を試みるため、あるいは自身を燃え尽き症候群にしない(戻さない)ために行っているともいえるのです・・(苦笑)。

ここまで書きますと『その間に如何なる関連があるのか?』と思われるかもしれませんが、自身にとってはその間には多いに関連があるのです・・(笑)。

さて、ハナシを少し戻して、その他の『新たな知見』について考えてみますと、文系学問分野においては一般的に理系学問ほど、それが明瞭ではなく、文系学問においてはむしろ文章の運び、論の進め方といった『論証の仕方』に、より新たなものとしてのの価値が置かれていることが多いのではないかと思われます・・。

つまり、文系学問の場合、結果は既出の文献と同様であったとしても、その『論証の仕方』の方がより重要であると云えるのです。

無論、これは理系学問においても同様であり、その過程の厳密さが求められるのですが、しかし、理系学問においては、どちらかというと『結果における新しい要素』が我々の生活の変化に何かしら関与することが多いことから、そちらの方により重点が置かれるのではないかと思われますが如何でしょうか・・?

今回もここまで興味を持って読んで頂きどうもありがとうございます。

昨2016年に熊本、山陰東部、福島県周辺の諸地域にて発生した地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」