2020年10月24日土曜日

20201023 岩波書店刊 岡義武著「近代日本の政治家」内「挫折の政治家・犬養毅」pp.205-207より抜粋

岩波書店刊 岡義武著「近代日本の政治家」内「挫折の政治家・犬養毅」pp.205-207より抜粋

ISBN-10 : 4003812654

ISBN-13 : 978-4003812655

大正7年(1918年)における原内閣の成立は、戦前の政党内閣制の糸口をつくたものといってよい。原敬は平民で首相になった最初の人であるとともに、政党党首であり、且つ衆議院に議席を有して組閣したのも、このときの彼が最初である。ところで、戦前における最後の政党内閣は、犬養内閣(昭和6年~7年)である。そして、首相犬養毅は全くの党人出身であった。彼が組閣したときに、第一議会以来の衆議院議員が二人いたが、一人は尾崎行雄であり、なお一人は犬養であった。犬養は過去に文相に一回、逓相に二回就任したが、しかし、通常の官歴としては、明治14年に約3カ月間統計院権少書記官を勤めただけである。そして、組閣までの過去のその生涯のほとんど政党生活に送って来た。このような閲歴は、それまでの、どの政党内閣の首相にも見出すことはできない。原によって端緒をひらかれた政党内閣制が、この生粋の政党政治家である犬養の組織した内閣をもって終止符を打たれたということは、まことに奇しき偶然である。

犬養毅は安政2年(1855年)4月備中の小藩である庭瀬藩の郷士の家に生まれた。儒学が代々の家学であったので、少年時代には儒学で身を立てることを考えていた。勝気で負け嫌いなこの少年は、郷里の塾で家格を誇る藩士の子弟たちの中に入り交わって勉学しながら、学力をもって彼らを見返そうと力めた、と伝えられている。

儒学の家に生まれた関係によるものであろうが、犬養は生涯いわゆる東洋趣味を身につけていた。彼は漢籍を愛好した。書道にも長じて、風格にとんだその書は有名である。筆墨・紙・硯についても一家言をもち、現に「木堂翰墨談」の著もある。刀剣を愛して鑑識眼を具えていた。以上これらの方面についての犬養の趣味はきわめて深かった。彼の死後には内藤虎次郎(湖南)は回想して、犬養は一般の政治家と肌合いが違って趣味がひろいので、国民党時代地方に遊説に出かけても土地の学者や書家などと話し込む時間が多く、党員たちが政談をしても一向乗気にならないというので、苦情を受けたりした、と述べている。

彼の思想にも、この東洋風が現れていた。たとえば、大正11年夏に座談の中で述べて、東洋4000年の文明を研究する上から漢学は保存しなければならない、東洋道徳の根底をなして来た儒学はとりわけ保存すべきである、東西の学問を融合、淘汰して「東洋の新学問」を建設するのには、先ず東洋在来の学問を研究することが必要である、と語っている。また弁論について述べて、西洋では演説の技巧的な面についていろいろ工夫がされ、聴衆を感動させることを試みているが、それでは不充分である、釈尊の無所畏心、孔子の自省 不疚 何憂 何惧の心境で聴衆に臨むことが実はきわめて大切なのである。技巧などは問題ではない、と語っている。また、西郷隆盛を崇拝していた。彼は、由来自身は「前賢」について偉人とか英傑とかいう言葉を無暗に用いないが、西郷だけは偉人と呼びたい、但し、一般世人とは違って、彼の軍事上・政治上の業績を偉大とは考えない、「絶対無辺の心境」に感心しているのである、としばしば語っている。