2016年6月9日木曜日

20160608 地下鉄にて・・

A「本日は所用にて夕刻前(17:00頃)地下鉄に乗ることになりました。

この時刻は帰宅の混雑は未だはじまっておらず、空席が目立ち、その中の一つに座り、ノートにブログの下書きを書きはじめました。
それは「おそらく本日も帰宅は遅くなるであろう・・」と考えたためです。
こうして何かしら書いておけば、帰宅後、ブログ記事の作成が多少速やかに行うことが出来るのではないかと思いましたが、残念ながら、そこで書いた内容とは、現在ここで記したいと考えている内容とはなかなか結び付かず、少し難儀しております・・(苦笑)。

とはいえ、そこ(車内)で書いたことを少し取り上げてみますと、地下鉄の中で座っている方々の殆どがスマートフォンに向かい何かしてしていること、また、私のとなりに座った海外からの観光客(壮年男性)がいくつも付箋が貼ってある東京、京都の観光案内本(おそらくフランス語)を熱心に読んでいることが、なかなか面白い対照をなしているのではないかといった内容でありました。

しかし、このようなことを現在書いてみても、さきに書いた通り、あまりその先の文章を展開させてゆこうとは考えないところもまた、なかなか面白いのではないかと思います・・(笑)。

また、それと関連することとなりますが、ここ最近は特に週末に書く記事以外は、あまりノートに下書きをすることなく、即興にて作成していることが多いです。

以前は一つ一つの記事に対し、下書きをしてから作成していたので、こうした変化とは、一面においては技術の向上、あるいは他面においては省略化、省力化とも見做すことが出来るのではないかと思います・・(苦笑)。

そして実際、下書きをしてから作成した記事の方が内容的に深いものが多く、自分なりにひねっていたり、努力していることがうかがわれます・・。

しかし、そうはいうものの、以前も当ブログにて記しましたが、かつて主流を占めていた対話形式の一連の記事とは、概ね実際の対話に基づいたものであるため、多少の「努力」や「ひねり」はあるものの、創造といった要素はあまり多くないと思われます・・(苦笑)。

それ故、これまで一応300以上のブログ記事を作成してはきましたが、それでも私は小説家が書く物語のようなものが書けるなどとは到底思えません・・(苦笑)。

そして、それがおそらく今現在の私の限界ではあるのでしょうが、その一方で小説、物語などを書かない著述家、随筆家などもおりますので、こうしたことはおそらく、各々の性質に合ったところに自然とおさまってゆくものなのではないかと思います・・(笑)。

とはいえ、私はこの先、文章を書いて生活してゆくことが出来るとはあまり考えておりません(当たり前ですが)。

しかしながら、私の場合、このブログ形式でも、何かしら書き、発信し続けないと「マズい」と強く思うところがあるため、これまで何かしら書き続けているのです・・。

そして、その「強く思うところ」の原因がこれまた以前ブログにて記した「学位の持つ毒」です・・。
これを読まれている方々は「そんなもの本当にあるのだろうか?」と思われるかもしれませんが、私の実体験からしますと、それは心理、精神的な部分が殆どであると思いますが実際に存在すると思います・・・。

そしてそれは、少なくとも私のような本質的に決して、あるいは到底勤勉とはいい難い人間(笑)が300程度のブログ記事を概ね連投気味で書き続けさせる程度の重みがあるのではないかと思います・・(笑)。

また、今現在、私はその重みを十二分に支えられているとも考えておりませんので、今後もうしばらくは書き続けなければダメなのかもしれません・・・(苦笑)。

しかし、それでも私などは随分と異なった学問分野を横断してきましたので、悪い意味ではなく、こうした形式(ブログ)の発信が相応、似つかわしいのではないかとも思います・・。

ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
そして、さきの九州・熊本での大地震により被災された地域の諸インフラの回復、復旧そして今後の復興を祈念しております。」