2017年4月30日日曜日

20170430 書籍の整理をしていて思ったこと・・

A「現在住んでいる場所が取り壊されるため、現在さまざまな荷物の整理を行っております。

『断捨離』が流行っていることもあり、出来るだけ必要のないものは捨てようと試みておりますが、それら荷物の中でも、とりわけ書籍に関しての取捨選択とは、大変難しく、いざ一冊一冊手に取り、それぞれ残すか捨てるかの判断をする際、不思議なことに大概の書籍に何らかの『思い』があり、その多寡を以って概ね判断をしているわけですが、それでも『いや、この書籍は今後あるいはもっと読むかもしれない・・』などと考えてしまい、判断に躊躇することが度々あります・・(苦笑)。

こうした躊躇あるいは判断力の鈍さとは、以前にはあまり感じなかったことですので、あるいはそれなりに自身も年齢を重ねてしまったということになるのかもしれません・・(苦笑)。

とはいえ、こうして書籍の取捨選択を行っておりますと、これまで思いのほか多くの書籍を読んできたことが分かり、そこから『果たして自身とはこのままで良いのだろうか・・?』と、不図、考えてしまうのです・・(苦笑)。

しかし、もう少し考えてみれば、それは仕方のないことであり、あるいはそれだけの書籍を読んできたにもかかわらず、現在一応普通に働いているのであれば、それはそれで、よくやっている方であり、むしろ、それを今後、如何なるカタチでか有用化していく以外、善処の方法とは、ないのではないかと思われます・・(苦笑)。

さて、近在の古くからの古書店に書籍の出張買取に来て頂き、蔵書もおそらく半分以下にはなったと思われますが、それでもいくつかのカラーボックスに満載程度となりました・・。

そして、今現在記事作成を行っている周辺には雑然と書籍類が散在し、おそらく今GWとは、これら書籍を含めた荷物全般の整理にて明け暮れるのではないかと思われます・・(苦笑)。

また、それらの中で比較的面白いと感じたものは、修士論文の下書き、草稿であり、これは主題が概ね日本を題材とするものでありながら、そうしたことにお構いなく、さまざまな分野の和洋文献からの事例を多数引用をしており、これはこれで現在読んでみますと、より精確に当時の自身の読書、思考の足跡が辿ることが出来るものと思われます・・。

そしてまた、一応当時の自身とは、おそらく周囲からの影響も多くはありますが、それなりに自発的な努力をもしていたことが理解出来、あるいは当時の自身とは、現在よりも知的、優秀であったのではないかとも思われることもあるのですが、しかしそれでも、現在の方が当時よりも明らかに優っている、進歩していると思われることは、一連の当ブログ記事が示すように、ある程度の期間、ほぼ毎日、継続的何かを書き続けていることであり、これはおそらく当時の自身が知識の吸収に重きを置いていたとはいえ、なかなか難しかったのではないかと思われます・・。

しかし、そこで同時に思うことは、現在こうして、一応ある程度の期間、継続的に記事、文章を作成出来ている基盤とは、まさしくこの時期にあったのではないかということです・・。

そしてまた、今後もいくらかは、その伸びしろがあるとは考えますが、しかし、とりあえずは、そうしたことはある程度の期間を設けて考えなければ分からないようであり、それ故、今後も休みを入れつつも、出来るだけ継続的に記事作成を行おうと思います。

そういえば、昨日投稿の記事もまた思いのほか多くの方々に読んで頂けたようであり、また、その反応も大変興味深いものでした。

ともあれ、今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

去る2016年、熊本、山陰東部そして福島県周辺にて発生した地震によって被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」



2017年4月29日土曜日

20170429 対話形式から独白形式への文体に変化に関して記事閲覧者数から思ったこと・・

A「昨日の投稿記事は思いのほか多くの方々に読んで頂けました。

加えて、昨日の記事投稿直後から現在に至るまでの一連の記事閲覧状況を見ておりますと、大変面白い反応が為されていたことから、それを取り入れさせて頂きました・・。

また、上記のような読んで頂いた方々からの反応を含め、さまざまな要因により、当ブログ記事作成は継続することが出来ていると云えます。

そして本日もまた、その調子にて記事を書いていこうと思います・・(笑)。

そういえば、今週に作成された記事において最も読まれた記事は4月24日投稿分の『『ハレ』を生じさせる地域の『何か』とは・・?』であり、これには多少驚かされ、またそのことから、再度記事を読み直し、全体の流れは変えない程度に、いくつかの表現を改めました・・。

とはいえ、普段であれば、こうした既投稿記事への改変は行わないのですが、特にこの記事に関して、そのようなことを敢えて行ったという背景には、作成者として、その記事に書かれている内容が、より正確に読んで頂いている方々に伝わって欲しいという、一種の欲が湧いたことがあるのかもしれません・・(苦笑)。

また一方、その欲?とは、ある程度多くの方々に読んで頂いていたからこそ湧いたものであり、そうしたことからも、自身が継続的にブログ記事の作成が出来ていることの裏面を理解することが出来るのではないでしょうか・・(苦笑)?

つまり、当たり前ではあるかもしれませんが、自身は特に文章の作成に秀でているわけでも、また、その才能があるわけでもありません。

しかしその一方で、これまでに挙げたような反応に対し『たしかに面白い!』あるいは『そういった理もあるのか!』と正直に感じることが出来る程度の感性と、それを基点として新たな着想が湧き、そしてまた新たな文章、記事を書ける程度の文体は、どうやら持っていたとは云えるようです・・(笑)。

とはいえ、それは特に自信と云える程度のものでもなく、またそれは一面において当初、自身の作成した記事の多くが対話形式を採っていた要因であったのかもしれません・・(苦笑)。

つまりは、文章作成という、いわば能動的、創造的な行為において、当初、自身は通常の状態であれば、そこに至るための出力が若干乏しく、対話をも含めた他者との応対によって生じる、いわば内面での動きに乗じ、文章を作成してきたものと云えます・・。

そして、そこである程度の期間書き続けておりますと、今度はこれまである程度の時間を費やしてきた、さまざまな分野における書籍の読解、読書もまた、本質的には一種の他者との応対であることを(あらためて)感知、認識し、今度はそれを応用し、文章を作成することが可能となったのではないかと思われます。

また、その時期とは、文体の対話形式から独白形式への移行期と、ある程度重なるのではないかとも思われます・・。

その間に一体如何なる関連があるのか不明ではありますが、おそらくそうしたことは世界史的に見てもある程度普遍的見解とも云える青銅器使用の普及と都市国家の成立時期が概ね被るのと次元は異なりますが、何かしら類似したメカニズムが作用しているのではないかとも思われます・・(笑)。

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

去る2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震によって被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」




2017年4月28日金曜日

20170428 最近よく眠くなること、および読んでいる著作について【抜粋引用あり】

先日の600記事到達から本日の記事投稿によって10記事作成したことになります・・。

この10記事とは案外早く感じ、あるいはこの調子で書き続ければ700記事への到達もまた、そこまで先ではないとわずかに錯覚を覚えるのですが(笑)、その一方で、やはりある程度疲労は蓄積しているようであり、先日の記事にも書きましたが、少し気が抜けるとすぐに眠たくなってきます・・。

また、そのように書いておりますと、不図思い出すのは、このようなことは以前にもあったということです・・。

それは鹿児島在住初年目2009年の暮れ頃であり、当時はどうしたわけか、常時眠くて仕方がない状態でした・・。

具体的には、電子顕微鏡で試料を観察しながら、いつの間にか意識が飛んでいたり、パソコンの前で何か作成している時もそうしたことが生じていました・・(苦笑)。

現在になり考えてみますと、それは同年11月に兄が亡くなっていたことが何かしら関係していたのではないかと思われますが、その詳細な原因とは今もって不明です・・。

また、そうしたことを思い出してみますと、今回のそれは前述2009年に経験したものに比べれば、大したことではなく、また、その原因とは継続的なブログ記事作成にあることは感覚的に理解できますので、これを改善するためには、ある程度記事作成の頻度を抑えることが効果的であろうとは自然に思い至るのですが、それでも、このように記事作成をほぼ習慣的にはじめてしまうことが、まさしく『分かっちゃいるけど止められない』といったところではないでしょうか・・(笑)。

とはいえ、そうした状態にて記事を作成しておりますと、不思議なことに比較的スムーズに文章は湧くようであり、ここまでの記事作成も割合速やかに為されております・・。

また、それは現在読み進めている夢野久作の著作の影響によるものであるかもしれません・・。

この著作もおそらく本日あるいは近日中に読了に至ると思われますが、その中で述べられている時代、地域の状況とは、おそらくある程度史実に沿った、近いものであり、また、さらにそこから既読の複数著作に思い至るわけですが、中でも中江兆民著『三酔人経綸問答』あるいは福沢諭吉著『文明論の概略』などは、この著作の時代、地域などの背景を理解する上において効果的であるのではないかと思われます・・。

また、それをさらに『地域』に重点を置いてみますと、大西巨人著『神聖喜劇』、野上彌生子著『迷路』などに描かれている世界にも相通じる部分が少なからずあるのではないかと思われます・・。

ちなみにこの夢野久作の著作とは『犬神博士』であり、その独特の文体から繰り広げられる世界観はなかなか面白く一読の価値があると考えます。
そこまで長い著作ではなく、比較的気軽に読むことが出来ると思いますので、興味のある方は読んでみてください。

では下に、この著作冒頭一部分の抜粋引用を示します。

株式会社KADOKAWA発行 夢野久作著 『犬神博士』 pp.10-11
『その次は何だ。エッ。犬神博士。
どう言う意味だ、それは・・。我輩は
大神二瓶という立派な姓名があるのだ。
その大神のアタマの大の字の横ビンタへ何で石ころをブッ付けた。
誰にことわって犬にしてしまった。我輩が犬を飼っているからと言うのか。
フーム。そうじゃない。吾輩の言う事が犬神さまみたいに適中ると言うのか。馬鹿にしている。
我輩の予言と犬神様の御託宣と一緒にする奴があるか。元来ここいらに犬神が流行るものか。
ナニ。俺がいるから流行らない。馬鹿にするな。そんなら犬神の故事来歴を知っているのか。
知らない。ソレ見ろ。知りもしないのにいた風な事を言うな。

ナニ。犬神の話を聞かせろ。ウン。知らなきゃあ話してもいい。元来犬神というのは吾国に伝わる迷信のうちでも一番下等なものなんだが、それだけにトテモ愚劣な、モノスゴイ迷信なんだ。主として中国、山陰道方面に流行したものだがね・・。

先ず或る村で天変地異が引き続いて起る。又は神隠し、駈落ち、泥棒、人殺しなんどの類が頻々として、在来の神様に伺いを立てた位では間に合わなくなって来ると、村中の寄り合いで評議して一つ犬神様を祭ってみようかと言う動議が成立する。

そこで村役、世話役肝煎役なんどが立ち上って山の中の荒地を地均して、犬神様の御宮を建てる一方に、熱心家が手を分けて一匹の牡犬を探し出して来る。

毛色は何でも構わないが牝犬では駄目だそうだ。牝は神様になる前にヒステリーになってしまうからね。

その牡犬を地均した御宮の前に生き埋めにして、首から上だけを出したまま一週間放ったらかして置くと、腹が減ってキチガイのようになる。そこでその汐時を見計らって、その犬の眼の前に、肉だの、魚だの、冷水だのとタマラナイものばかりをベタ一面に並べて見せると犬は、モウキチガイ以上になって、眼も舌も釣り上った神々しい姿をあらわす。
その最高潮に達した一刹那を狙って、背後から不意討ちにズバリと首をチョン斬って、かねて用意の素焼きの壺に入れて黒焼きにする。
その壺を御神体にして大変なお祭り騒ぎを始める。
ところでその犬神様に何でもいいから、お犬様のお好きになりそうなものを捧げて、お神籤を上げると、ほかの神様にわからなかった事が何でも中ると言うから妙だ。
天気予報から作の収穫、漁獲のあるなしはむろんの事、神隠しが出て来る。
駈落ちが捕まる。間男、泥棒、人殺しが皆わかると言うのだが、成る程考えたね。
人間だってそんな眼に会わせたら大抵神様になるだろうが。』

・・・たしかに我々日本人にはどうもこうした傾向があるように思われ、また、現代においても、そこからあまり進化はしていないのかもしれないと考えさせることがあります・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

去る2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺にて発生した地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。







2017年4月27日木曜日

20170427 コンステレーション、深化そして進化発展の契機となるもの・・?

A「これまで継続的にブログ記事を作成していて思うことの一つに「現在こうして記事を作成している環境が大きく変化した場合、これまでのように継続的な記事作成は出来るのであろうか?」といったことがあります・・。

そして、そうしたことを不図思う契機とは、継続している日常とは異なる場所、空間に(暫間的にではあれ)身を置いた時が多いように思われます・・。

自身は心理学に関しては素人ではありますが、あるいはこうした状態とは、我が国では河合隼雄が紹介し、ある程度の知名度を得たユングの心理学における『コンステレーション』といったものに何かしら関係があるのではないかと考えます・・。

心理学での『コンステレーション』とは『一見無関係に並んだ何かを突如として、その(繋がった)意味を感知させるようなこと、状態』を指すコトバであると表して、少なくとも間違いではないと考えます。

そして、こうしたことはたしかに継続している日常生活の環境においてはあまり思い至ることが少ないと考えられます・・。

とはいえ、こうした内面にて生じる出来事とは、さまざまなことを考える、あるいは学ぶ上において極めて重要であり、おそらく時代精神、地域性といった漠然、抽象的なことがらから、主体が相対する具体的な個々の人々に至るまでを理解する上において、欠くことの出来ない要素であると考えます

そして、そうした要素が我々の心理に作用することから、我々の行うさまざまな行為とは内面において深化され、さらに進化発展を遂げることが出来るのではないかと思います・・。

おそらくこのようなことは、これを読まれている方々においても少なからず思い当たるフシがあるのではないでしょうか・・?

また一方、それ(コンステレーション)を感知する契機の多くが、日常とは異なる場所、空間に身を置いた時であるというのは、ある程度普遍化して云えることであり、吉田松陰著の「西遊日記」の冒頭にもその様なことが記され、また、そのコトバとは、映画『長州ファイブ』内にて、その主人公である山尾庸三が異郷の地にて述懐しているシーンがありました・・。

ともあれ、それ故に自身が現今継続的に作成しているブログ記事に対しても、時折、そのようなことを不図思うことがあるのです・・。


また、それ以前に、現在に至るまで、どうにか記事作成を継続的に行うことが出来た要因とは、これまでに作成した記事においても書きましたが、おそらく過去に在住したさまざまな地域での記憶であり、その意味において、あるいは今後、現在とは異なる日常に身を置いた場合もまた、今度は現在の日常の記憶が何かを書くための題材となるとなり得るのではないかとも思われるのです・・。

しかし、おそらくこうしたことは本質的には『賭け』に分類する方が適当であるのかもしれませんが・・(苦笑)。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
去る2016年に熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生した地震により被害を被った地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」






2017年4月26日水曜日

20170426 これまでの4月内で最も多く読まれた記事から思ったこと

A「昨日投稿記事もまた思いのほか多くの方々に閲覧して頂き、そのことから本日もまた記事作成を始めた次第です・・。
そして、本日もまた今現在特に記事の主題は決めておりません・・(苦笑)。

毎回このような調子で書いており、よく続けることが出来ているとは、我が事ながら多少面白く思うところです・・(笑)。

そういえば、今月も月末に近づきつつありますが、今月内に投稿した記事のなかで最も多く読まれていたのは4月2日投稿分の『時代を通じ普遍的に人々に重み、深みを感じさせる「何か」とは』でした。

また、その閲覧者数は、次点との差がかなり大きく、ほぼ独走、ダントツと評しても良い状態と云えます・・。

とはいえ、この記事が(相対的に)多くの方々に読んで頂けた理由とは今もってよく分かりません・・(苦笑)。

どちらかというと、この記事とは、作成当日が休日ということもあり、多少余裕をもって記事作成に取り組むことが出来たことから作成、投稿した二つ目の記事であり、正直なところ、そこまで多くの方々に閲覧されることを当初より期待したものではありません。

またそれは当時目標としていた600記事到達を早めるために作成した記事と評しても決して不可ではありません・・(苦笑)。

このように考えてみますと、こうした記事、文章を作成する一つの面白さとは、そういったところにもあるのではないかと思われます・・(笑)。

つまり『何であれ文章といったものは書いてみないと分からないということであり、また同時に書き続けていると、上記の事象のようなことをも含め、何かしら面白い発見をすることがあるではないか?』ということです・・。

そしてまた、こうしたことは(幾分無謀にも)公表を前提とすることから知り得たことであり、ひいては『それがブログ記事作成なるものの面白さの一つではないか?』ともいうことが出来るのではないかとも思われます・・(笑)。

また、自身とは、あるいは、こうした(手法による)文章作成であったからこそ、公表する文章であったことが補助輪のような役割を果たし、今現在ここまで記事作成を継続することが出来ているのではないかとも思われのです・・(笑)。

しかしそれは同時にさきに示した記事の主題であった『普遍的に重み、深みを感じさせる何か』とはまた別種のものであるのではないかとも思われます。

いや、あるいは、そうしたものとは、記事作成を継続することにより自然、徐徐に文章に魂?が浸透し、読む方々に対し重み、深みを感じさせるようになってゆくものであるのかもしれません・・。
文字および文章の持つ意味が変化するのか?それを作成する自身が変化するのか?それを読む方々が変化するのか?はたまた、それらが複合的に作用するのか?・・(笑))

そして、もしもそこに多少なりとも理があるとすれば、今現在逡巡しながら作成しているこの記事においてもまた多少の意味があるのかもしれない・・。

ここまで(あるいはこれまで通り)かなり身勝手なことを述べてきましたが、それでも実際のところ、ここまで作成してきた記事の中で百分の一、五十分の一、十分の一程度でも、ある程度普遍的に『面白い』あるいは『重み、深みを感じさせた』という記事があれば、自身としては(かなり)上出来の部類ではないかと思われます・・(笑)。

そして、それはやはり書き続けることによってはじめて達し得たものであるので、その意味では、無駄となった記事は無いとも云えるのです・・(笑)。

とはいえ、今後も多少休みを入れることがあるかもしれませんが、もうしばらく書き続けようと思います・・。

そして今回も最後にゲーテの箴言を(二つ)引用します(笑)。

「なんじが終わりえないことが、なんじを偉大にする。」
(西東詩編「ハーフィズの書」から)

「大小を問わず、性格とは、人間ができると感じたことを首尾一貫させることである。」
(「格言と反省」から)

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

去る2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震によって被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」




2017年4月25日火曜日

20170425 夢野久作・谷川健一・大西巨人を結ぶもの・・

A「本日の首都圏もまた日中は気温も上昇し、比較的過ごし易い一日でした。

さて、本日も記事作成を止めておこうと思いつつ記事の閲覧状況を確認しますと、思いのほか読まれていたことから、また記事作成に取り組んでいる次第です・・(苦笑)。

また、先日600記事に到達してからも、まさしくどうしたわけか継続的に記事作成を行い、気が付きますと既に新たに5記事以上を作成しておりました・・(苦笑)。

加えて、直近ここ数回の記事に関しては、先日来より読んでいる夢野久作の著作の影響を受けているようにも思えます・・(笑)。

そして、このように考えてみますと、自身に関しては、何かしら著作を読んでいる時の方が記事作成も速やかにそしてスムーズに為されるように思われます・・(笑)。

その点、ブログ記事作成当初の記事全般とは、それまでに読んだ著作の影響が複合的に見受けられ、また同時に、その文体とは現在に比べ、何といいますか、頑なであり、現在読んでみますと「ああ、たしかにこの文体では長い期間の記事作成は困難であろうなあ・・」といった感想を持つに至ります・・(笑)。

とはいえ、その一方で自身とは、そうした頑なな文体に未だ憧れているようなところもあり、そこから時にはそうした(頑なな)文体を用いて文章を作成するのもまた、大事ではあるまいか・・?といった、さきとは相矛盾ような感想をも持つに至ります・・(笑)。

それ故、今回に関しては、このさきの文章を敢えて頑な、硬質な文体を用いて書いてみようと思い立ちました・・。

さて、現在読んでいる夢野久作の著作とは、偶然ながら、以前抜粋引用した谷川健一の著作においてもその一部分が抜粋引用されていることをつい先ほど思い出した。

谷川健一の著作とは、我が国の歴史の裏面あるいは民俗などについて取り扱ったものが多いと云えるのだが、その中で何故、本来(独特な作風の)小説家である夢野久作著作内の文章が抜粋引用されているのかと考えると、おそらく、その著作内で述べられている内容が、我が国古来よりの民俗的あるいは伝統的な、物事に対する視座に基づく叙述が随所に為されているからではないかと考える。

無論、こうしたある意味、歴史を貫く内容を持つ叙述とは、さまざまな文字文化において見受けられるのであろうが、特に谷川健一、夢野久作間のそれを結んで浮かび上がってくる特徴的な要素とは、おそらく我々が古来より普遍的に持っていると内面においては実感しつつも、同時にそれを表出することは進化発展を遂げた現代の我が国社会においては相応しくないものとされるような、恐ろしくも残忍な要素ではないかと考える。

また、その意味において、著作の中にて上記と類似した要素が随所に認められる著述家として大西巨人が挙げられるのではないかと考える。

そして、そうした要素を文章にて抉り出し露見させるような性質とは、あるいは九州出身の著述家を含めた表現者全般において、ある程度広く認められるのかもしれない。

感覚的ではあるが、そうした、いわゆる露悪的な文章において、前出三者とは、たとえば(九州に出自を持たない)山本七平、大岡昇平、会田雄次、丸山眞男などの類似した内容を持つ文章と比較した場合、その全体的なトーンが異なるのではないだろうか・・?

そして、そこにある程度同意が為されるのであれば、おそらく、その基底にあるものとは、地方、地域独特の口語、文語を含めた言語世界ではないかと思われる。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨2016年に熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生した地震により被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」


2017年4月24日月曜日

20170424 『ハレ』を生じさせる地域の『何か』とは・・?

600記事に到達した後も相変わらず記事投稿を行っている自身に多少嫌気が差し、本日こそは記事作成を行うことを止めようと考えていましたが、習慣というものは大変恐ろしいものであり、またブログ記事の閲覧状況などを見ておりますと、ついつい記事作成をはじめてしまいます・・(苦笑)。

しかし、今現在未だ記事の主題は定まっておりません・・(笑)。

そういえば、ここ最近は首都圏においても日中は比較的温暖な日が続き、こうした陽気になってきますと否応なく関西、九州に在住していた日々を思い起こします・・。

そして、これらの日々において大変懐かしいと思うことは、先ずはじめに週末、温泉に行っていたことであり、これは今現在の自身にとってはまさに贅沢そのものです・・(苦笑)。

さらにもう一つ当時習慣的に行っていたことは、同じく週末の長い散歩であり、おそらくこうした行為が当時の自身の活力の源となっていたのではないかと現在となっては思うところです・・。

しかし、これらの習慣とは、特に自身が見出したものではなく、当時の師匠および講座の先輩の習慣をそのまま継承、継続したものにすぎません・・。

それでも、こうしたいくつかの行為を習慣的に継続することがなければ、2010年秋頃から、急激に不安定な立場となった自身の精神とは、どこかでおかしくなっていたのではないかと思われるのです・・。

また、加えて、それを補填するようなカタチで2011、2012、2013年には嬉しい意味での多忙さがあり、おそらくこれがなければ、本当におかしくなっていたのではないかとも思われます・・。

そして、この当時の出来事およびその記憶がなければ、自身はたとえ、どうにか無事に院を修了できたとしても、その後、どこかで挫け、倒れていたのではないかと思われるのです・・。

とはいえ、こうしたことは全て後知恵であり、科学的根拠といったものはないのですが、おそらくこれを読まれている方々の中にも少なからず、そうした意味を持つ経験およびその記憶といったものが存在するのではないでしょうか・・?

また、そうした経験とは、決して捏造すること、あるいは自身の記憶を改ざんすることにより、そうした価値を無理に与えることが出来るような性質のものではなく、どうも何かの拍子に突如訪れるといった性質があるのではないかと思われるのです・・。

また、当時の自身もそうしたことには多少なりとも気が付いたようであり、どうしたわけか書店の占いに関する書籍のコーナーに足を運んでいた記憶があります・・(苦笑)。

それでも、それら占いの書籍から得た知見は、あまり多いものではなく、現在においても「どうしてああいった出来事が連続して生じたのであろうか・・?」と時折考えてしまうのです・・。

・・おそらくそれらは偶然と云えば偶然なのでしょうが、しかし自身のそれまでの人生において、この時期ほど、そうした出来事が重なることもなかったため、その発現の経路・作用機序とは精確には分からないにしても「あるいは必然であったのかもしれない・・」とも考えさせられるのです・・。

そして、もしそれらが必然であったのだとすれば、そこには多少誇大妄想の気味もありますが、本居宣長が『古事記』読解を行うための土台、基礎となった18世紀後半の伊勢国松坂の地域社会のようなものが存在するのではないかと思われるのです・・。

それ故、自身はたとえ非科学的であると批判されても、やはりそこ(さまざまな地域社会)には、ある程度の期間在住することによって感知し感応し得る『何か』があるのではないかと考えるのです。

そして、おそらく、その『何か』は、人間として顕れるならば、男性よりも女性の姿をとることが多いのではないかと思われます・・特に西日本、九州などの場合・・。

また、そうした女性とは、おそらく女王卑弥呼の時代から現今に至るまで、あまり外見的には(にも)大きく変化をしておらず、近代以降の西洋的な美的基準が浸透した我が国社会においては『特に美しい』といった評価を受けることは必ずしも多くはなく、一見すると、ごく普通にその地域にいるタイプの女性に見えつつも、その発する『何か』によって「ハッ!」と目が見開かせる、あるいは心理学でいうコンステレーションを生じさせるような魂?を持っているのではないかと思われるのです・・。

おそらく、こうした才能?もまた、さきと同様、決してマネ・捏造出来るようなものではないと思われます。

私見ではありますが、それは時と共に移ろいゆく『外見的な美しさ』よりも貴重であるように思われるのです・・。

加えて、自身はこうしたことをある特定の人物を想定し述べているわけではなく、おそらく、そういった方が何人かはいたのではないかと思う一方、それが一体誰であったかとは、今となっては問うても仕方のないことではあるまいかと考えるのです・・(笑)。

今回もここまで興味を持って読んで頂いた方々、どうもありがとうございます。

去る2016年に熊本、山陰東部そして福島周辺において発生した地震により被害を被った地域の出来るだけ早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。






2017年4月23日日曜日

20170423 書店に行き、偶然手に取った書籍から思ったこと・・

昨日投稿分の記事においても述べましたが、現在となって思うことは、対話形式の文体の方が独白形式の文体に比べ、同じ文字数を書く場合においては大分書き易いと云えます。

あまり大したことではないかもしれませんが、これは自身にとっては発見といって良いものでしょう。

さて、本日は久しぶりに大規模書店に行き、興味のある分野の書籍コーナーを徘徊しておりましたが、その中で横溝正史の某作品を何気なく手に取り読み、その次に同じ書棚に並んでいた夢野久作の某作品をはじめて手に取り読んでみたところ、その文体が何とも云えず面白く、しばらくの間読み入ってしまいました・・。

この著者による作品は怪しげな作風・内容であるとの評により、これまで敬遠、食わず嫌いであったのですが、実際に読んでみますと『はまる人にははまる』のではないかといった感想を得ました(笑)。

重ねて私見ではありますが、その文体および物語の進行の仕方とは、同じ九州福岡出身の大西巨人による「神聖喜劇」にも相通じる『何か』があるのではないかと思われますが如何でしょう?

また、さらに思うことは、こうした書簡形式の文体、回想などが物語随所に挟まれる物語の進行の仕方とは、読み手側にとっては多少取っ付きにくいのかもしれませんが、我が国における小説、物語の叙述形式としては、そこまで異端視されるべきものでもないと考えます。

また、今後機会を見つけ、そうした叙述形式を採る作品を自身で探してみようと思いましたが、とりあえずは一冊、夢野久作の著作を読んでみようと思います。

また、それと関連があり、以前のブログ記事にも書いた記憶がありますが、昨今どうしたわけかタイムリープ、タイムスリップもののドラマ・映画作品が多いようですが、おそらく現今もてはやされるそうした作品(のみ)によって歴史およびその時代精神を理解しようと試みることは(かなり)危ういものであり、それは我が国において特徴的とも云える、外からの圧力、プレッシャーが生じた際のヒットポイントをずらす、はぐらかすような傾向・心性に親和性を持っているのではないかと思われます・・。

インターネットが普及した現在においては、おそらくそうした我が国の表層のみでの反応・共感しているようなしぐさに隠された真意・底意あるいは場合によっては無気力などは、諸外国に広く認識されつつあるのではないかと思われます・・。

それ故、やはり大事であると思うことは、実際のところ興味を持っていないことに対して、無理に外面を取り繕い、興味があるように見せることよりも、ただ各々主体が能動的な興味を持ち取り組むことが出来る何かを見つけ、そしてそれを社会が容認することではないかと思うのですが如何でしょうか・・?

おそらく、こうしたことは理想論以前の問題ではないかと思われます・・。

さて、そこで不図思い出した文章を以下に示します。

岩波書店刊 中江兆民著 「三酔人経綸問答」P.25より抜粋引用
『人間社会のあらゆる事業は、たとえて言えば、酒のようなもの、自由は酵母のようなものです。ブドウ酒でもビールでも、材料がいかによくても、もし酵母というものがなければ、材料はみな桶の底に沈殿して、アルコールをかもし出させようととしてもダメです。専制国の事物は、みな酵母のない酒です。みな桶の底の沈殿物です、ためしに専制国の文芸を見てごらんなさい。ときには見るべきものもあるようだが、よくよく観察すると、千年たっても一様、万個あっても一種、変化のすがたなどありはしない、作者の視覚聴覚にうったえる現象は、みな桶の底の沈殿物にすぎず、作者もまた沈殿した精神で、これを模写する。変化のすがたのないのは、当然じゃありませんか。』

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨2016年に熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生した地震により被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。






20170422 【対話形式】研究分野と背景文化の違いについて・・

A「最近Bさんはブログに使っている自身の画像をモノクロ写真からイラストに変えましたね?」

B「ええ、あまり大きなことではありませんが、自身の気分の変化を狙ったものです・・(笑)。」

A「はあ、それでもこのイラストはBさんの特徴が出ていると思いますので、これはこれで良いのではないですか?
それよりも、最近何か変わったことはありましたか?」

B「・・いえ、これといって大きな変化はありませんが、ブログ記事も600に到達しましたが、引き続き何かを書いてみたいと思うことぐらいでしょうか・・(笑)?
とはいえ、ここで独白形式にて更に記事作成を継続するのも少し大変なようですし、これもまた、気分を変えるという意味で、何となく対話形式にて直近は書いています・・(笑)。
そうしましたら、面白いことに、あまり閲覧者数は以前と変わらないようですので、今後しばらく対話形式にて記事を書き続けてみようかと考えています・・(笑)。」

A「はあ・・対話形式の方がやはり文章、記事とは書き易いものなのですか?」

B「ええ、自分としてはこちらの方が独白形式のものに比べ大分書き易いと感じています。
しかしそれでも、その基礎にあるものとは、実際の対話の記憶ですので、こちらの方も継続的に補充しなければならないのですが・・(笑)。
ですから、ここでのBさんとの対話もまた、どこかでブログ記事の材料にする可能性は充分あります・・(笑)。
もちろん個人特定はされないようには書きますが・・。」

A「・・まあ、個人特定の件は大丈夫だと思いますが、やはり対話形式の方が文章とは書き易いものなのですね・・。
私も今後その形式にて文章を書く機会があるかは分かりませんが、それは少し大事なことであるのかもしれません・・。
あ!あと、それに加えて最近再度求職活動を開始されたとのことですが、その手応えはどうですか?」

B「それはまだ始めたばかりですので何とも云えませんが、今度は出来るだけ自身に合うと思われる職種に精選して応募しようとは考えています・・。
しかし実際のところ、果たしてそれで良いものであるのかとは分からず、まあこれも暗中模索の手探りで行っています・・(苦笑)。」

A「そうですか・・そんなに簡単に、すぐには見つからないかもしれませんが、粘り強く探して、これまでのBさんのさまざまな経験を生かせる大学職種が見つかることを期待しています。」

B「ええ、どうもありがとうございます・・。
また、そうしたやりとりがなければ、どこかで挫け斃れていたと思いますので、それを糧にして引き続き探し続けることにします・・。
しかし、それでもAさんも現在の職に就かれる前に***で**の仕事をされていた時期がありましたが、あの当時はやはり大変でしたか・・?」

A「ええ、あの当時はやはり自分なりに苦しんでいたと思いますよ・・。
それでも、そうした中、時折Bさんから電話があったり手紙を書いてくださいましたよね・・?
また、他にもそうした連絡を頂くことが時々ありましたので、現在考えてみますと、あの時期は、そういったものに助けられた部分が少なからずあると思っています・・。
それでもBさんの場合は歯科理工学?でしたか、そちらの関係の方々もいらっしゃると思うのですが、そちらの方々からの反応はどうなのですか・・?」

B「ええ、歯科方面の方々がいらっしゃらなければ、現在の仕事もかなり危うかったと思いますし、現在もまた、仕事を含めてさまざまな相談をさせて頂いているところなのですが、しかし歯科方面の方々とは、概ね、現在も何らかのカタチにて大学と関係されていることが多く、おそらく文系ほどに実社会と大学が離れているといった感覚ではないことから、自身としては話していて時折、何とも云えないもどかしいギャップみたいなものを感じることがあるのです・・(苦笑)。
しかし、これは仕方のないことであると思いますが・・。」

A「・・そうですか、たしかに医療関係は普通に開業している医師、歯科医師であっても大学と繋がっているところが多いですからね・・。
これはたしかに人文社会科学系あるいは他の学問分野とは大きく異なるのかもしれませんね・・なるほど・・。」

B「ええ、やはりそれぞれの学問分野とは背景となる文化もまた異なっていますので、そこから見える大学や研究機関といったものの見え方、像が違ってくるのではないかと思います。
とはいえ、自身の場合、幸いにもAさんも含め現在でも連絡を取っている人文社会科学系の大学教員、研究者がおり、またそうした事情とは、これまた幸いなことに歯科関係においても同様ですので、願わくは、今後、それらを社会にて繋ぎ合せるような職種に就きたいと思うところなのですが、なかなか難しく簡単には行かないのかもしれません・・(苦笑)。

A「そうですか・・まあ、いずれにしましても、さまざまな最新の出来事の砂かぶりの地、東京から御自身に合うと思われる職種を探してください。」

B「そうします・・そういえばAさんがいる大学にはたしか医学部はなかったと記憶していますが看護、介護系の学部はありませんでしたか?
そこで仕事のハナシになってしまって恐縮なのですが、少し伺いたいことがありまして・・・・」


ここまで興味を持って読んで頂いた方々、どうもありがとうございます。

去る2016年、熊本、山陰東部そして福島周辺にて発生した地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」







2017年4月22日土曜日

20170421 医療・介護系資格養成課程の一部共通化について【対話形式】

A「作成記事が600に到達した後も、ほぼ流れにて数日間記事作成を行い、本日こそは記事作成を休もうと考えましたが、つい先ほど、不図、先日、知人との会話にて出てきたことを思い出し、これを書いてみようと思い立ちました・・(苦笑)。

以下、対話形式にて・・

B「・・どうだい、仕事の方は上手くいっていますか?」

A「ええ、ボチボチで、あまり良いとは云えませんが、それでもつい先日、直接的には仕事とは関係がないところでいくつか面白いことがありましたので、今後それらがさらに進展し、良い具合で進んでくれたら良いとは考えていますね・・(笑)。」

B「そうですか・・そういえば先日読んだ新聞記事で看護師、理学療法士、作業療法士などの医療資格と介護福祉士、社会福祉士といった介護系資格の学校での養成課程の基礎的な部分が、ある程度共通化することが模索されていると書かれていましたが、これは以前にAさんが話していたことに近くはないですか・・?」

A「・・ええ、たしかにその様な内容のことを以前、B先生にお話ししていたと思いますが、それは本当ですか?」

B「うん、つい先日の**新聞の一面記事に載っていましたよ。
私はこれを読んで「おお、Aさんの云っていたことに近いな。」と思って憶えていたのですが、こうした制度が出来れば、今後の社会にて見込まれる人材不足が、一人が複数の資格を取得することによって、ある程度は解消できるのかもしれませんね・・。
また、それに加えて君が云っていた医療・介護系の資格養成の専門学校と文系大学が合併するような動きが加われば、更に良くなるかもしれませんね・・。」

A「たしかにそれはそうなのですが、しかしそれは今現在の段階では、まだ多少困難ではないかとも思われます・・。
何故ならば、双方共にそれぞれの学問分野における既存の伝統といったものがありますからね・・。
つまり、その場合、それぞれの学校、大学の教育システム、カリキュラムを大幅に変えたり、さらにはそれぞれの組織自体もまた、大々的に変えないと多分ダメですからね・・。
ですから、B先生に云うのも何ですが、それは医学部、歯学部などといった、既に養成課程において伝統のある組織、カリキュラムがある学問分野と同一視して考えることは難しいのではないでしょうか・・。
・・とはいえ、やはり、そうした変革とは、必ずしも必要というわけではありませんが、今後その必要性が増大する可能性が高い、医療・介護分野における多職種連携においては、養成段階基礎教育の共通化によって使用専門用語が共有されることは大変都合の良いことであるとは思うのですが・・。」

B「・・まあ歯科医学分野においても医歯工連携やチーム医療の必要性が叫ばれてはいますが、それはあくまでも既存の各分野研究者、教員に対してのアプローチといった色彩が強く、それらを養成する段階、つまり学生たちに対する学部、学校教育に関してとは聞きませんから、やはり、こうした養成段階基礎におけるカリキュラム、履修科目の共通化とは、現段階では君のいう通り難しいのだろうねえ・・。
それと、資格養成の専門学校と文系大学との合併もまた、現在の社会が示す少子化に伴う大学全体の斜陽化に対して良い効果を齎すのではないかと思われますが、これもおそらく前と同様、難しいのだろうねえ・・。」

A「・・ええ、もちろん、現在の状況とは決して楽観視出来るようなものではありませんが、それでも幾つかの資格間の養成段階基礎における共通化とは、少なくとも悪い兆しではないと考えますので、今後もしばらく情勢を静観するのが良いのではないでしょうか・・?」

B「うん、とりあえず事態は変わってはきているようですから、現段階ではそれで良いのかもしれませんね・・。」

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨2016年に発生した熊本、山陰東部そして福島県周辺における地震によって被害を被った地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。

2017年4月20日木曜日

20170420 昨日の補稿、数においては南多北寡 形式においては南新北古

A「昨日の投稿記事はあまり多くの方々に読まれることはないであろうと考えておりましたが、その予想に反し、割合多くの方々に読まれておりました。

さて、昨日投稿記事の主な主張点とは、紀伊半島における出土銅鐸の傾向とは、一つ目に全体の数においては概ね南多北寡であること、次いで、その出土銅鐸形式においては南新北古であることです。

おそらく古式の銅鐸とは、近畿中央部(奈良平野)あるいは山陰西部(出雲)にそのオリジナルがあり、更にそのオリジナルの祖型とは九州北部にあったのではないかと思われます。

つまり銅鐸という弥生時代の青銅製祭器とは、その製作手法である鋳造の伝来経路(大陸・朝鮮半島➡北部九州➡山陰・山陽➡近畿)に沿って、その祖型、古式そして新式への変遷が為されたものと考えられます。

そして、そこから紀伊半島、和歌山とは、当時の倭国(西日本)の辺縁地域であったと云えます。

また、その点において面白いのは四国であり、四国は東部では銅鐸の出土が多数認められるものの、西部におけるその出土は認められておりません。

さて、四国南部を東西に包括する高知県とは、県東部に銅鐸の出土が集中し、それらは中型~大型の新式およびそれに近いものが多く、その出土傾向とは、対岸の中、南紀での出土傾向と類似しているとも云えます。

また高知県東部に隣接する徳島県においても吉野川流域を中心に多数の銅鐸が出土しており、その形式は、高知県東部と比較した場合、全体的に古段階のものが多いと云えます。

その意味において、さきに述べた和歌山県における銅鐸の出土傾向の特に形式に関してを紀伊水道を挟んで鏡のように類似した様相、像を示しているのが徳島県、高知県東部といった四国東部ではないかと考えられます。

また、さらに北に隣接する香川県については、おそらく四国内にて比較軸となる何かしらの要素が存在するとは考えられるものの、おそらく香川県に関しては、瀬戸内海を挟んだ兵庫県、岡山県あるいは淡路島との関連性が強いのではないかと考え、今後の更なる考察対象としていきたいところです・・。

本日は記事作成を予定はしておりませんでしたが、さきに述べた通り、昨日投稿記事を読んで頂いた方々が思いのほか多かったことから、補稿のようなカタチにて書きました。

とはいえ、今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂いた方々、どうもありがとうございます。

去る2016年、熊本、山陰東部そして福島周辺にて発生した地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」





2017年4月19日水曜日

20170419 具象よりも抽象の方が時としてより写実的・・観念的?【600記事到達】

以前のブログ記事に書いた通り、本格的に暖かくなる前にどうにか600記事に到達することができました。

本日よりしばらくブログ記事作成を止めておこうと考えましたが、いざPCの前に座り、閲覧者数および読まれた記事を眺めますと、不思議なことにまた何か書いてみたいと思い始めるのです・・(苦笑)。

さて、ブログ当初にて述べたいくつかの銅鐸に関しての記事に関連し思ったことですが紀伊半島(主に和歌山県下)にて出土した銅鐸とは、相対的に水稲耕作における可耕面積が広く、多くの人口が居住可能である(県北部の)紀の川下流域にて出土した銅鐸の数が多くなく、またそれら出土銅鐸とは古段階の小、中型(~50㎝程度)のものが多いと云えます。

それに対し、同可耕面積が相対的に狭小であり居住可能人口が多いとは考えられない中~南紀に属する南部川以南の各河川(富田川を南限とする)の下流域にて出土した銅鐸とは、概して、出土数が多く、そして新段階、大型のものが多いと云えます。

その他、幾つかの地域における事例を検討することにより、弥生時代の銅鐸祭祀文化についてある程度普遍的に云えることは、当初、その鋳造技術が十分に進化発展していなかったことから、小型の銅鐸が石による鋳型を以って製作され、それが貴重な祭器として、既存の比較的大きなムラ、集落に一つ、二つ程度ずつ配付されたのではないかということです。

その後、銅鐸祭祀集団の領域拡大、および鋳造技術の進化発展、具体的には、製作に用いる鋳型が石製から砂製に変化したことにより、随意に大型化、多量生産化することが可能となり製作された新式大型の銅鐸とは、新たに開拓、入植したムラ、集落毎に対し配付され結果的に、前段階に比べ相対的に多くの銅鐸が配付されたのではないかと考えます。

そして上記のような、ある程度具体的な歴史の流れ、様相を認識し、出土した個々の銅鐸を検討する際の指標として挙げられることは、その大きさ、形状、装飾の程度およびその傾向などであると考えます。

そして、これら要素を総合的に検討考察することにより、個々銅鐸の凡その出土地域および製作年代とは見当をつけることが出来るのではないかと考えます。

そして、こうしたことは、おそらく銅鐸のみならず、石器、墳墓、他の青銅製祭器(銅鏡、銅矛、銅剣、銅戈など)、古墳造営様式、武具、生活道具などにおいても同様に応用することが可能ではないかと考えます。

そして、そうした見方にある程度慣れてきますと、今度は更なる興味対象への相転移らしきものが生じ、具体的なモノから、その地域、国などの性質、特徴といった観念的な要素への興味へと至ることが少なからずあるのではないかと思われます。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。


昨2016年に発生した熊本、山陰東部そして福島県周辺における地震によって被害を被った地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。




2017年4月18日火曜日

20170418 【おかげさまで】600記事に到達することができました。

つい先日、先月に続き再び歯科理工学の師匠にお目にかかりました。

師匠は年齢も65歳となりますが、それでも未だなお、御自身の手で試料作製、各種機器分析を行っているとのことであり、そのことから、当たり前のハナシではあるかもしれませんが、本当にこの分野の実験、研究が好きであることを感じさせます・・(笑)。

加えて、今後もしばらく歯科専門雑誌への連載が続くとのことで、その創造性と情熱に素直にアタマが下がる思いです・・。

また自身もそのような師匠のもとで研究出来たことを誇りに思うところですが、その一方、この点では文系の師匠も決して負けてはおらず、あるいは似たようなところがあり、先日お目にかかった際も、昨今より研究、執筆課題として取り組んでいる歴史上の出来事、および、それがどのような意味を現代社会において持つか、といったことを相変わらずの聞き取り易いが早口気味の少し高めの声で説明、話されているのを聞いている時は、さきの師匠とお目にかかった時と幾分類似した『感じ』にとらわれたことが思い起こされます・・。

そして、こうした『感じ』とは、以前もブログ記事にて書きましたがおそらく『情念引力』と称されるものであり、それは学問・研究などにおいて極めて大きな意味を持つのではないかと考えます・・。

自身の場合、幸か不幸か周囲にこうした方々が割合多くいたことから修士、博士での専攻分野の大きな宗旨替えを行ったにもかかわらず、どうにかなった、どうにかなってしまったのではないかとも思われます・・(苦笑)。

それを異言しますと、これら師匠、周囲の方々が持つ一種の『引力』により、どうにか各々の終着点まで辿り着くことが出来たのではないかということです・・。

無論、自身もある程度は努力したとは考えますが、しかし、おそらくそれだけでは、こうしたものとは、どうにもならないことがあるのではないかと思われます・・。

また、そのように考えてみますと、さらに大きくは、その地域が持つ何かしら『不可知な力』によって動かされた部分も少なからずあるのではないかとも思うに至るのです・・。

とはいえ、こうした考えとは、一般的には迷信的、カルト?と、とらえられるところではあるのでしょうが、それでもなお、当時、自身が経験した多くの重要と思われる局面において、自身の知情意では到底及ばない、それこそ『不可知な力』が作用したのではないかと思われるのです・・。

しかし不思議に思うことは『では一体どのような原因あるいは作用機序によって、こうしたことが生じたのか?』ということであり、これはこの先も自分なりに考え続けようと思います・・。

また、そうした一種の『問い続けようという根本にある姿勢』こそが、これまでどうにか継続的にブログ記事を作成することが出来た大きな要因であると考えますので、今回の記事投稿により600記事に至る記事の主題としては、少なくとも不適当ではないものと考える次第です。

しかしながら、ここまで書いて特にこれといった感興などは生じませんが、おそらくそういったものであるのでしょう・・(笑)。

一瞬、短時間の強い感激も時には良いのかもしれませんが、同時にそれは日常的な小さな感興を感知するセンサーに対しては、必ずしも良い影響ばかりを与えるものではないのかもしれません・・(笑)。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。おかげさまで600記事に到達することができました。

昨2016年に生じた熊本、山陰東部そして福島県周辺における地震により被害を被った地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。








2017年4月17日月曜日

20170417 『狂気の沙汰』あるいはそれに近いことから・・

A「昨日投稿の記事は投稿翌日にしては多くの方々に読んで頂けました。

そこから、時には、かつて書いた文章を題材とする記事もまた良いのではないかと思われました。

さて、本日の記事投稿を含め2記事の投稿により目標とする600記事に到達します。

しかしながら、今現在これといった内外の変化も認められず、おそらくこの調子にて、ある意味平穏に600記事まで到達するのではないかと思われます・・。

とはいえ、この600記事というのも、あくまでも『とりあえず』の目標であり、その後もまた暫時の休息をはさみ記事作成を継続するのではないかと思われます・・。

具体的には、ある程度時間、年月がかかっても1000記事程度の記事を作成しますと、何かしら自身でも『得たもの』や『変わったもの』が明瞭に見えてくるのではないかと思われるのですが如何でしょうか・・?

また、たしかに一連のブログ記事作成を開始した2015年6月における作成記事と、昨今のそれを比較しますと、その間には幾ばくかの変化も認められるものの、同時にその変化とは、昨日の投稿記事にて示した2006年に作成した文章と比較しますと、小さなものであると思われます・・(やはり10年の差は大きいようです)。

無論、それら文章作成時における何と言いますか、気合の入れよう、あるいは形式に沿ったものか、そうでないものか、などといった要素が各々作成された文章に何らかの影響を与えているとは考えますが、そうした要素が存在するとしても、やはりそれら作成された文章から、作成者の素の文体あるいは同様の精神といったものが透けて見えるのではないかと思われるのです・・。

それ故、ブログと云った一般に文体の形式が規定されていないものであったとしても、あるいは規定されていないブログ記事であるからこそ、より一層、文章作成者の文体、精神といったものが読まれた方々に明確に認識される(されてしまう)のではないかとも思われます・・(苦笑)。

こうしたことから、ブログ記事のようなネット上に公表される文章の継続的な作成とは、一種『狂気の沙汰』もしくはそれに近いものであると、とらえられるのも、ごく一般的であった(ある)のではないかと思われます・・(苦笑)。

しかしながら、それと同時に強調しておきたいことは、おそらく我々人間の精神とは、時として多少の苦痛を伴い、それを認識しながらも、そうした『狂気の沙汰』あるいはそれに近いことを(割合平然と)行い続けるような状態があり、また、そうした行為、経験を通じて、個々人間そして社会全体が持つ既定概念、通念を打ち破り、成長していくことが出来るのではないかということです・・。

600記事到達を前にして、このようなことを書くのは、多少、時期尚早の感がありますが、こうしたことは600記事に到達したから、特に明言できることでもないと考え、さらに次回600回目の記事投稿はどちらかというと平凡に到達する方が、更なる記事作成継続の持続可能性に結節し易いと考えるため、今回、文章の流れもあり、こうしたことを書く次第です・・。

また、あらためて書くことでもないかもしれませんが、自身の場合、これまである程度の期間、ブログ記事作成を継続出来た要因とは、これまでの期間を通じ、読んで頂いた方々が自身としては少なからずいたこと、および周囲の方々による意識的、無意識的であるかはよく分かりませんが励まし、あるいは作成された記事に対しての反応によってであった(ある)ことを追記します。

人間が、かつてできたことを今でもできると考えるのは、きわめて自然である、未だかつてできなかったことを、できると思う人があるのは、いかにもおかしいが、珍しいことではない。
(ゲーテ「格言と反省」から)

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

去る2016年、熊本、山陰東部そして福島周辺にて発生した地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」




2017年4月16日日曜日

20170416 2006年(和歌山在住時)のメモ帳が出てきました・・

A「本日の日中は天気も良く、気温も上昇したことから久しぶりに部屋の整理を行いました。

そうした中、偶然、ある荷物の中から2006年、和歌山在住時のメモ帳が出てきましたのでこれを少し読み入ってしまいました・・。

その内容とは、現在読み返してみますと、あまり文章化はされておらず、さまざまな思い付きのようなことが記されておりました・・。
とはいえ、その中で、ある程度文章としてまとまっているものを一つ挙げますと以下に示すようなものがありました・・。

2006年11月1日(水)
『朝、自転車で出る。大学に行く。昨日の雨嵐のため大学祭は中止になっていた。その後夕方**に行く。その頃から再び雨が降り始める。自転車で紀の川大橋を渡っていたら雨粒が顔に当たり大変痛かった。あんなのは久しぶりだ。修論の練り直しはまだ必要だろう。あと自転車の手入れも。ずぶ濡れの状態でメッサオークワに着く。人によって違うのだろうが、その時その時で注意を払っていることがある。これが人によって違うから色々な相違が生まれた。(言葉により)
それは争いを生み、文化を練磨し、議論を楽しくする。議論において、自分を絶対化する事は特に悪いことではないと思う。いつもいつも自分を監視し続けている方がよっぽど自分に対し無理を強いているのだと思うのだがどうか?
(他者の声によって知らされる真実もしくは本質の多面性に気が付かされるのだ。)
しかし、それでも見る対象はあくまでも人に属するもの、あるいは人そのものなのだと思う。
また、あくまでも議論とは、勝ち負けではなく、自分がある程度自信を持って言えることを言う場なのだと思う。ただただそれ故、それまでに何も観察し、学ばない人、本を読み学ばない人はコケにされるのだろう。
しかし、自分が知っていることは言葉で表現できるというのがそもそもの誤解なのかもしれない。』

これを見てタイピングしている最中、多少恥ずかしくも思われましたが、自身としては、この時期2006年に比べれば、いくらか文章の質、文体などは向上、洗練しているのではないかと思われます・・。

一方、あまり変わりがないと評価されても仕方のない部分、良く云えば、この期間(2006~2017)を通じて貫く『何か』もまた少しはあるのではと思われます・・(苦笑)。

また、このメモ帳(2006・11・01)に書かれた内容とは、これまでに幾つか投稿した、この時期を題材としたブログ記事内容とも、特に大きな矛盾はないのではと思われるのですが如何でしょうか?

さて、ハナシは変わりまして、昨日は休日ということもあってか、昨日投稿の記事は思いのほか多くの方々に読んで頂けたようです。

また、その後に認められた反応もまた大変興味深いものでしたので、早速活用させて頂きました。
どうもありがとうございます。

ともあれ、さきに述べたこととも関連しますが、昨日投稿記事をあらためて読んでみますと、そこで述べられていることは意外にも、さきに引用した2006年11月1日の日記の内容とも重なる部分があるのではないかと思われましたが、これも如何でしょうか・・?

目標とする600記事まで、もう間もなくではありますが600記事に到達しましたら、しばらくの間、出来るだけパソコンに向かない時間を(積極的に)増やしそうと思います(笑)。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
去る2016年に発生した熊本、山陰東部そして福島県周辺における地震によって被害を被った地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」


20170415 深層意識の駆動を齎すものとは・・?

A「600記事到達まで残り5記事未満の投稿となりましたが、これまでと同様、心境の変化などは特に認められません・・。

また、おそらくこうした心境の方が平穏のうちに600記事に到達することが出来るのではないかと思われますが、その反面において、もう少し何かしらの変化が内面に認められれば面白いのですが・・(苦笑)。

どうやら、こうしたことは自身の意識上ではどうにもならないものであるようです・・(苦笑)。

またさらに、現在継続しているブログ記事の作成なども、おそらく自身の意識(の力)だけでは叶わなかったのではないかと思われます・・。

これには、もう少し意識の深いところの『何か』が変化、駆動しなければ、どうにもならないような気がするのです・・。

とはいえ、この深層の意識とは、一体如何なる外界からの影響、効果により変化、駆動するのかとは、今もって自身のことながら、よく分からないところです・・(苦笑)。

さらにこうした深層意識の変化、駆動を齎す影響、効果とは個々人のそれまでの経験により異なる(食べ物の好き嫌いなどと同様に)と考えられるため、科学的な分析そして普遍化することは困難ではないかと思われます・(ある程度までは出来るのかもしれないが)。

それ故、こうしたことは結局のところ時間をかけ、苦労をしてでも自分自身で探し求める以外ないのではないかと思うのです・・。

つまり、そこにはマニュアルといったものはないのです・・。

そして、その代わりに、さまざまな過去の事例である歴史、あるいはそうした歴史を抽象化したものとしての思想、哲学といったものがあるのではないかと考えます・・。

そうしたことから、上記のような歴史、思想、哲学といったものは本質的に個々人が能動的に取り扱う、取り組むことによってのみ、はじめて何かを開示してくれるのではないかと思われるのです・・(時によってはとんでもないことが分かると聞きますが、その内容の価値とは個々人で大きく異なるため、あまり明言されることは少ない、しかし示唆的に語られることはある・・)。

いや、こうした本質的とも云えることに関して、本来は文系も理系も関係ないのかもしれませんが、理系学問とは概ね、その知識を能動、受動であれ、とりあえず保持していれば、職業に結び付き易く、ひいては生活がし易くなるといった性質があるため、さきに述べた『時間をかけ、苦労をしてでも』といった意味合いが若干異なってくるのではないかと思われるのです・・。

こうしたことは、一見些細且つ微妙ではありながら、実際にそれぞれの分野にて研究に従事されている方々をある程度広く比較してみると、それなりに大きな類型(ステレオタイプ)の相違といったものに結び付くのではないかと思われるのです・・。

また、こうしたことは、地域間、国際的な比較を通じ、更に大きな類型の相違といったものが看取されるのではないかとも思われますが、そこまではとりあえず、現在の自身では手に余るものがあります・・。

とはいえ、そこでまた大事であるのが、さきに述べた各々地域、国々の持つ土着の歴史、思想、哲学といったものではないかと考える次第です・・。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

去る2016年に発生した熊本、山陰東部そして福島県周辺における地震によって被害を被った地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」





2017年4月15日土曜日

20170414 コスプレ化する社会と権威について・・

本日の首都圏は気温も上昇し、日中は特に寒さを感じることはないようでしたが、こうした季節の変わり目になりますと、体調もまた多少変化するようであり、本日はどうしたわけか一日を通し頭痛に悩まされました・・。

そのことから、本日はブログ記事の更新を断念しようかと考えた次第ですが、目標とする600記事到達まであとわずかのところで、何も書かないというのも、多少口惜しいところですので、とりあえず何かしら書いておこうと考え、まだ頭の重さも残るなか記事作成を開始した次第です・・(苦笑)。

そういえば、昨日投稿した記事に多少関連することであるのかもしれませんが、先日知人から聞いたところによりますと『最近の我が国の社会とは何でもコスプレの対象にする傾向がある』とのことであり、これは云われてみますと、たしかに思い当たることが少なからずあります・・。

とはいえ、我が国とは古来よりその物真似の巧みさこそが優れた国民性の一つであると考えますので、それだけでは特に非難されることはないものと考えます・・。

しかし一方において現今におけるそうした傾向(何でもコスプレの対象にする)が目に余るといったさきの意見にも少なからず理があるのではないかとも思われるのです・・。

そしてその理とは、おそらく我々の社会において一般的に『権威』あるいは『禁忌』とされるものに対し、あまりにも手軽、身近(その背景の文脈を考えず)に、それをファッションの一つのように扱い、真似るという昨今のコスプレの傾向に対して感じる『危うさ』のようなものではないかと考えます・・。

また、そうした傾向の背景には、一つ目に、さきに述べた我が国古来からの物真似の巧みさ、そして二つ目には、インターネットの普及により、さまざまな視覚情報もまた容易に入手することが出来るようになったという道具立て、環境といったもの、さらに三つ目として、我が国の国民性である『権威』をバカにしながらも、一方においてそれを極めて重視するといったambivalent、二律背反的な性質が挙げられるのではないかと考えます・・。

また、こうした傾向が以前に比べ非難される程に顕著になりつつあるのであれば、それは端的に現在の我が国のあらゆる『権威』の価値が揺らいでいることを示しているのではないかとも思われます・・。

私見としては重苦しい『権威』といったものは出来るだけない、少ない方が良いのではないかと思う一方、『権威』といった社会、文化における『重石』のようなものがなければ、ものごとの価値とは有耶無耶となり、特に明晰化を求められるあらゆる行為においては『権威』の欠如とは障害になるのではないかとも思われるのです・・(これも二律背反です・・(苦笑))。

また、こうしたもの(『権威』)とは、通常、経時的な文化、伝統の蓄積によって成立しているものであると云えますので、現今『権威』の価値が揺らいでいるのであれば、もしかすると、それはさまざまな『権威』の外側にいる人々によるものであると同時にそれら『権威』の内側にいる人々による部分もまた、少なからずあるのではないかとも思われるのですが、さて如何でしょうか・・?

『権威。権威がなくては、人間は存在し得ない。しかし、権威は真理と同様に誤りを伴うものである。それは個々のものとして消滅すべきものを永遠に伝え、固く把持さるべきものを拒み消滅させる。こうして権威は往々人類をして一歩も先へ歩かせぬようにする原因となる。』
ゲーテ 「格言と反省」から
(これも二律背反のようです・・。)

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年の4月14日に発生した熊本での大地震から丁度一年が経過しました。
また、その後の2016年内に山陰東部、福島県周辺において発生した地震によって被災された地域の諸インフラおよび家屋等の出来るだけ早期の復旧、その後の復興を祈念しております。」



2017年4月13日木曜日

20170413 最近おかしいと思うことについて・・

本日の首都圏は天気も良く、日中は気温も上がり過ごし易い一日でした。

さて、これは最近の首都圏だけの現象であるかは分かりかねますが、やけに『日本が良い、素晴らしい国である』と言い立てる、主張するような言説が目立つように思われます・・。

また、これはインターネットでの言説においても同様ではないかとも思われます・・。

それに加え、特に首都圏においては、誰に対してそのように主張しているのかはよく分かりませんが、さきに述べた日本に対してと同様の調子にて『東京の良さ、素晴らしさ』といったものを主張しているようにも思われます・・。

おそらくこれらは2020年に開催される東京オリンピックに向けた雰囲気作りのための言説、プロパガンダではないかと考えますが、インターネットの普及により、さまざまな言説の凝集、活性化そして沈静化、離散が促進、高速化されている現在の状況においては、実際にそれらの言説、プロパガンダが当初に企図された効果を齎し、そしてそれが(2020年まで)維持されるのかと考えてみますと、なかなか難しいのではないかと思われるのです・・。

とはいえ、このようなことを書くからといって自身は『反日』であるとは考えませんし、否、どちらかといえば自身の祖国、母国そしてその歴史、文化などは割合好きな方であると認識しております・・(笑)。

また、実際に祖国、母国が好きであれば、現在の状況をそのように認識することもまた特段おかしいことではないと考えるのです。

むしろ、現在の酒に酔ったかのようにも見える変に扇情的、熱心な自国、自地域の称揚とは、何と云いますか、端的に、どこかおかしいのではないかと思われるのです・・(笑)。

しかしながら、そのようなことを書いたからといって、上記のような全体の傾向が変化することもないと思われますので、とりあえず書くことは書いて静観するのが適当ではないかと考える次第です・・(笑)。

また、そのようなことを書いておりますと不図想起されるのは、以前読んだ野上彌生子著「迷路」であり、この著作の舞台となった時代と現代とは、案外似ている部分も多いのではないかもと思われます。

加えて、現在世の中を賑わわせております方々の行動、言動などは、大岡昇平著「俘虜記」内に描かれている収容所内での人々のそれとも重なる部分が少なからずあるのではないかとも思われます・・。

こうした著作とは、おそらく後世に残るものとはされながら、同時に現在の世間の動向には大きな影響を及ぼさないものであろうことは、一体どのような(我が国の)世の中のメカニズム、構造が関与しているのかとは、なかなか興味深いところです・・。

あるいはそうした微妙とも云えるところに文学などの価値は存する、立脚している(し得る)のかもしれません・・


とはいえ、そうであれば、せめて竹山道雄著「ビルマの竪琴」のような童話とも云える作品の意味が現在もう少し考えられても良いのではないかとも思われるのですが・・(嘆)。

また、それに関連して、先日知人から聞いたところによりますと、昨今(今年初旬)アメリカ合衆国ではジョージ・オーウェル著「1984」がベストセラーになったとのことです・・。

そういえば、この出来事(2017年)の数年前に我が国が世界に誇るノーベル文学賞候補ともなる作家が、この小説を構想の一つの土台とした著作を発表(2009~2010年)しましたが、これらの間にも何か関連があるのかもしれません・・。

あるいは考えようによっては、なかなか興味深いことであると云えます・・。

ともあれ、以下に今回の記事に関連すると思われる格言を二つ抜粋引用します。

『一体、祖国を愛するとは、どういうことか。愛国的に活動するとは、どういうことか。ある詩人が、有害な偏見と戦い、偏狭な見解を除き、国民の精神を啓発し、その趣味を浄化し、心の持ちようと考え方を高尚にするために終生努力したとすると、それ以上のことがどうしてできよう?これ以上愛国的な行為がどこにあろう。・・
私は拙劣を罪悪のように憎む。特に政治に関することの拙劣を憎む。それは数千、数百万の人にただ禍をもたらすだけだからである。』
エッカーマンゲーテとの対話」1832年3月、から

『愛国的芸術とか愛国的学問とかいうものは存在しない。すべて高尚な善いものはそうであるが、芸術や学問は世界全体のものである。そして一切の同時代の人々の一般的な自由な相互作用により、過去からわれわれに伝えられているものを絶えず顧みることによって初めて、両者は促進され得る。』
ゲーテ「格言と反省」から

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

去る2016年に発生した熊本、山陰東部そして福島県周辺における地震によって被害を被った地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」








2017年4月12日水曜日

20170412 国際間で共有され得る認識に至る方法とは・・

A「本日の首都圏は日中は天気も良く、気温も上昇しましたが、夕刻より降雨となり、今現在では日中に比べ気温も大分下がり、幾分か肌寒く感じます・・。

さて、昨日投稿の記事は、あまり良い出来ではないと感じつつも思いのほか多くの方々に読んで頂けたようです・・。

また、昨今のように多少疲労を感じる時期とは、自身の記憶に頼り、想起に基づいた記事を作成するのが良いのではないかと考えるのですが、しかし、そうした時期に限り、記事の主題となり得るような記憶が甦ってこないのかもしれません・・(苦笑)。

とはいえ、であるからといって本日分の記事作成を断念するのは悔しいため、現在まさにそのことを題材として書いている次第といえます・・(苦笑)。

また、本日これまでの段階においては、昨日の投稿記事に関連する大分以前に投稿した記事が割合多く読まれていることから、こうした指摘、反応とは、どなたにより為されているのかは分かりませんが、少なくとも現今のような、新たな記事の作成を行っている状態においては、大変刺激になるものであり、また、そうした直近に投稿された記事に対する読みの深さ、あるいは的確とも云える指摘が為し得る感性およびその背景知識に敬意を表します・・。

そして、こうした指摘、反応が為されることがなければ、これまで継続してブログ記事を作成することが出来たかどうかとは、大変疑問に思うところです・・。

そういえば、本日になり気が付いたことですが、昨日の投稿記事内容を抽象しますと『温故知新』というコトバに集約されるのではないかと思われます・・。

また、おそらく現在の我が国の社会いや、世界情勢こそ、まさにこのコトバをキレイに忘却しているのではないでしょうか・・?

とはいえ、こうした情勢もまた、これまでの多くの経緯の蓄積およびそれらの反応により成立しているのですが、一体こうしたことは、どこにその原因の起点を求めれば良いのでしょうか・・?

その意味で現今の世界で見られる多くの不安定な状況もまた、少なくとも共通の落とし所、妥協点を見出せるところまでは時間を遡って考える必要があるのでしょうが、そうしますと、今度はその遡った時点での状況の認識が互いに異なり、そこからの調整、すり合わせがさらに困難を極めるのではないかと思われます・・。

また、そうした過去の状況に対する認識とは、往々にして現在の利害損得に基づいて為されていることから、そうした認識とは時代によって変化するのではないかと思われます・・。

具体例として我が国の場合、戦前と戦後における自国の歴史(過去)に対する認識とは大きく変化したのではないでしょうか?

そしてまた、自然と、そこで登場する人物たちの評価もまた異なってくると云えます・・。

しかしながら、あくまでもたとえ複数の国にまたがった出来事の歴史であろうと、あくまでもその歴史の出来事とは一つであり、パラレルワールドのものではありません・・。

それ故、理屈(のみ)で考えれば、存在するのはただ表現する言語のみの違いであることから、共通の落とし所、妥協点を見出せると思われるのですが、おそらくは、さきに述べた事情により、国際間にて共有される認識が得られることが妨げられているのではないかと思われます・・。

そして、こういったところが歴史をはじめ人文社会科学の学問が同じ科学ではあっても理系学問と大きく異なると思われるところではないでしょうか・・?

しかし、であるからといって歴史という人文社会科学を科学(普遍的)ではないと考えるのは、それこそ本末転倒な見解であり、そうした面倒をも踏まえて史実といえるものを考え続けること(ポーズ、格好だけではない)こそ、どの時代においても重要なことではないかと思われます・・。

これは特に面白い、刺激的なことではありませんが、一方、そうしたことを継続していると、さきとは異なる次元の面白い、刺激的なことをも見出すことが出来るようになるのかもしれません・・。

そして、それを望むかどうかとは一種の自身に対する賭けではないでしょうか・・(笑)?

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

去る2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺にて発生した地震により被害を被った地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」








20170411 蓄積した疲労と能動的、創造的行為について・・(温故知新?)

本日の首都圏は終日の降雨であり、また気温も上がらず肌寒い一日でした・・。

そして、こうした日とはあまり活性が上がらず、記事作成を開始しても、イマイチ滑らかに行きません・・(苦笑)。

また、それに加え600記事到達が現実のものとして認識されるようになった現在、これまでの蓄積している疲労もまた、あらわれ易くなっているようです・・。

具体的には、気が抜ける時間が少し続くと、すぐに睡魔が襲ってくるという現象であり、これは昨今に至るまで認められなかった現象です・・(苦笑)。

それ故、今後600記事に到達しましたら、再度ある程度の期間、断筆を行い、これまでにブログ記事作成に充ててきた時間を読書や早寝あるいは応募書類の作成に充てようと思います・・。

そしてまた、ほとぼりが冷めてきましたら、能動的に文章が書きたくなり、再度何かを書き始めるのではないかと思われます・・。

そして、こういったことを考えてみますと、文章作成などを含む能動的、創造的な行為全般とは、熱中し取り組んでいる最中には特に感じることはないのですが、やはり生命、活力を消耗、削りつつ行っているのではないかと思われるのです・・。

また、我々の行うさまざまなこうした(能動的、創造的)行為とは、一面においては概ねそうした性質を持っているのではないでしょうか・・?

しかし、であるからといって何もしない方が良い、生命、活力を保持出来るというわけでもなく、能動的、創造的な行為とは、たしかに一面において生命、活力を消耗するといった性質を有しながららも、他面において、まさにそのこと(生命、活力を消耗する行為)によって、新たな生命、活力を吸収、得ているのではないかと思われるのです・・。

とはいえ、こうしたことを上記のように文章にて著してみますと平凡、陳腐なことのように捉えられがちですが、それでもなお、我々の生きている社会には、そうしたことまで思い至らずか、いたずらに生命、活力の保持のため活動を躊躇していると見られることも少なからず認められるのでないでしょうか・・?

実はそうしたことは、本末転倒であるにも関わらず・・。

また、そうしたこと(能動的、創造的行為)は、さまざまな時代の事物を観察することによっても認識することが出来るのではないでしょうか・・?

具体的なそうした事例として弥生時代につくられた銅鐸、そして古墳時代に造営された巨大古墳などを想起してみても理解することが出来るのではないかと思います・・。

弥生時代につくられた銅鐸とは、現在においても同様の原理にてつくられる鋳造によるものであるのであるのですが、弥生時代の銅鐸の身の金属(青銅)の薄さ(2㎜程度)とは、現在の鋳造技術においても、その身の金属の薄さとは、再現が困難であると云われております・・。

また、古墳時代に造営された巨大古墳も、重機など存在しない古代において、一体如何なる手法によって造営されたものであるかとは、完全には理解されておりません・・。

しかし、それらはいずれも間違いなく、我々の遠い先祖のつくったものであり、また、それを為さしめた要因とは、当時の技術であると共に端的に当時の人々つまり我々の遠い先祖の生命、活力であるのです・・。

こうしたことはあまり考えられることはありませんが、そこには何か大変深いものがあるのではないかと思われるのです・・。

そして、歴史などを知る、考えるうえでの面白さ、興味深さとは、一つに、これら目に見える遺物から、当時の人々の生命、活力つまり心、魂を(内面から)理解しようとすることではないかとも思われるのです・・(温故知新とはまさにそういった意味ではなかろうか?)。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

去る2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺にて発生した地震により被害を被った地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」






2017年4月11日火曜日

20170410 自身の文体が認識出来るようになるには・・

A「本日の首都圏は先週末に比べ若干気温が低く、肌寒く感じられました・・。

また、明日に関しても、あまり気温は上がらないとのことでした。
おそらく三寒四温と一言で云っても、幾つかの段階において、そうした現象(数日レベルでの気温の上下)を繰り返し、徐徐に平均気温が上昇していき、そして季節が変わっていくのかもしれません・・。

また、たしかに急激な数日レベルでの平均気温の上下とは、身体に対する負担も大きいことから、上記の緩徐的な季節の移り変わりとは、我々の身体にとって上手い具合に出来ているのかもしれません・・。

とはいえ、春も盛んな五月頃になりますと、五月病といったものが見受けられますが、これもその多くの場合、冬から本格的な春に移行した際の一種の体調の変化に因るものではないかと自身の経験からも思うところがあります・・(苦笑)。

また、こうしたことも、あるいは、このように事前にそうした危惧を文章化することによって、ある程度未然に防ぐことが出来るのではないかとも思われるのですが、この検証とは実際その時期になってから改めて行うことにします・・(笑)。

さて、昨日は休日ということもあってか、思いのほか、作成記事に対する閲覧者も増加しました。

しかしながら、自身は昨日投稿の記事を含め、これまでに作成した記事ほぼ全てに対し、どうも『自信』といったものを持ち得ることが出来ません・・(苦笑)。

どちらかというと書籍抜粋引用の記事の方がより『センスが良い』『面白い』のではないかと未だに思われるのですが、一方、それでも自身の文章にて記事を作成した方が良いと思われるのです。

そしてそれは、これまでに書いた記事に対し『御自分で作成された記事の方が**さんらしさが出ていて読んでいて面白いですよ。』といったご意見を頂戴することも時折あり、そのことから、ある時点(おそらく200記事あたり)から、ここに至るまで概ね自身の作成文章にてブログ記事を継続して作成することが出来ているのではないかとも考えます・・(笑)。
(この点、自身とは至極都合が良く出来ているようです・・)

また、それに加えて面白いと思うことは、そうしたご意見の中で『作成者(自身)の文体が認められる』という指摘であり、これをさらに問うたところ『上手く表現することは出来ませんが**さんの文体はありますよ・・』といった曖昧な返答ではありましたが、こうしたもの(文体)とは、作成者自身では明瞭に認識出来ないこともあるものの(ある程度そうした経験を持つ)他者が読むことにより認識出来るような性質であるのかもしれません・・(苦笑)。

また、そのことから想起されたことは、先日お目に掛かった文系師匠との会話にて出た『ある作曲家が楽曲作成の途中にて亡くなり、その後の未作成の楽章を他者が作成し楽曲完成に至った場合、その二者による作成部分とは完成された楽曲全体を聴くことにより明瞭に区別することが出来る』というハナシであり、このことは、あるいは前述のことに多少なりとも関連があるのではないかとも思われましたが如何でしょうか・・?

ちなみに自身はこの会話にて、それに適応する事例としてモーツアルトのレクイエムを想起し、そのことを師匠に話しましたが、この楽曲も、その作風の相違とは分かるものであるらしいです・・。

また、その会話の続きとして、そうした故事(ジュスマイヤーによる補作)から、後年(20世紀後半!)よりオリジナルの作曲者であるモーツアルトの作風様式に近いものが改訂版として複数出版(楽譜)されたとのことです・・。

こうしたハナシを聞きますと、欧州人のクラシック楽曲に対する情熱を感じると共に、我々日本人にはあまり見受けられない一種のリゴリズム(厳格主義)らしきものを感じさせます・・。

加えて双方文化の相違にも気が付かされます・・(笑)。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年に生じた熊本、山陰東部そして福島県周辺における地震により被害を被った地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」














2017年4月10日月曜日

20170409 文章の作成により分かってくること・・

昨日投稿の記事は投稿翌日の割りには多くの方々に読んで頂いたようです。

こうしてみますと、同じ自身が作成した記事ではあるものの、それらを読んでみた際の面白さとは、自身が感じる以上に違うものであるのかもしれません・・。

とはいえ、自身が作成した記事間における面白さの相違とは自身ではイマイチよく分かりません・・(苦笑)。

これがもう少し分かるようになれば、より多くの方々に読んで頂ける記事が作成出来るのかもしれませんが、一方そこで変な欲心を出すようになるのもまた如何なものかと思われますので、とりあえずは、そうしたことをあまり考えず、今後も記事作成を継続しようと考えています。

さて、昨日投稿記事は主に学問分野毎に認められる服装、格好の特徴、傾向について書きましたが、これに関しては、その後、さらに地域性などを加味して考えてみますと、もう少し面白いことが分かるかもしれなと思われましたが、こうしたことも、今後折を見て観察し、考えていこうと思います・・(笑)。

また、ここまで書いて不図気が付いたことは、現在私は首都圏に在住し、仕事は概ね東京でありながら、そこで多く目にする、いわゆる先端的あるいは凝った格好、服装の方々に対し、あまり以前程の興味を示さなくなったことです・・(むしろ全体的な傾向などについては興味を持つようになったといえます)。

そのことから「これは一種の精神的な老化現象ではあるまいか?」と続いて思いましたが、その他の書籍についての興味などは、微妙にその嗜好などは変化はしているものの、特段減衰はしていないと自覚しておりますので、これは格好、服装に対しての興味に限局しているのではないかと思われる次第です。

そして、それがどのような原因により、何時頃生じた変化であるかとは、さきに述べたブログ記事間の面白さの相違のようにイマイチよく分かっていません・・(苦笑)。
(これも今後追々考えてみます・・。)

このように、あくまでも自身のことであり恐縮ではあるのですが、文章の作成を通じ、これまで、あまり意識していなかったことが意識上に顕れ、明示され、何と云いますか疑問、問題意識といったものを持たせてくれるところが文章作成ひいては創造全般の持つ面白い要素の一つではないかと思われます・・。

そして、それは試料作製からはじまる、さまざまな実験においても同様、類似の過程、経路を有しているのではないかとも思われるのです・・。

また、それに加え、そうであればこそ、そうした創造の際の視座を得、またそれを吟味、洗練させるため、過去の歴史、思想といったものを外部の道具ではあるものの、同時に血肉化された自家嚢中の道具として用いることが出来るようにする意味があるのではないかとも考えられます・・。

とはいえ、これらは本来上記のような目的意識に始原を持つものではないのですが・・(苦笑)。

むしろそれは、どちらかと云うと、内発的、能動的な、ある種の内奥より発する、やむにやまれぬ欲求といったものに基づくものであると思われるのです・・(笑)。

また、それはまさしく自身がこれまでに作成している一連のブログ記事について云えることでもあるのですが・・(笑)。

しかしながら、そうは書きましても、現在に至るまで『自身の文体を得た』という実感はありませんが・・(苦笑)。

ともあれ、今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

去る2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺にて発生した地震により被害を被った地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」






2017年4月9日日曜日

20170408 分野毎に見られる格好の傾向から思ったこと・・

今回作成投稿する記事により、総投稿記事数が590に至り、目標とする600記事到達まで残り10記事となります。
とはいえ、現今に至っても未だ実感、感興などは湧かず、ただただ一記事ずつ書き続けているといって良い状態ではあるのですが・・(苦笑)。

さて、先月以来、これまでにお世話になった師匠、先生方にお目にかかる機会が幾度かありましたが、そこから思うことの一つは、特に衛生環境が重視される歯科医療分野にて働いている方々は、概ね普段着においても、どちらかというと、こざっぱりとした格好、服装をされていることが多いのに対し、文系の中でも歴史、思想関係の学問分野にて研究活動をされている方々とは、決して不潔ではありませんが、着用しているジャケット、セーターなどに継ぎがあったり、あるいは箇所によっては多少擦れていることなどが往々にして見受けられました(見方によれば味がある、深みがある)。

自身としては歯科医療従事者に多く見られる衛生的、こざっぱりとした格好であっても、文系学問研究者に多く見られる継ぎや擦りがある格好であっても構わないのですが、自身の好みでいいますと後者の文系学問研究者に多く見られる格好に強い親近感をおぼえると云えます・・(笑)。

ともあれ、双方分野における、そうした格好、服装の傾向とは、おそらく各分野毎での職務内容、環境といったものが大きく関与しているのではないかと思われます。

また、この点(格好、服装の傾向)に関しては、特に分野における女性勤務者の割合といった要素が少なからぬ影響を及ぼしているのではないかとも考えられます・・(笑)。

その意味において工学部などは、学科などによって多少の偏差はあるものの、概ね男性社会といっても良く、構内においては作業ジャンパーを着用されている率が高く、これにジーンズを組み合わせた格好が最も一般的であったと思われます・・。

また、それに加えて、この構内(工学部)におけるスカート着用率とは、かなり低いのではないかとも考えられます・・(笑)。
(これは実際に統計をとってみても大きく外れることはないと考えます。)

ともあれ、いずれの格好であっても、その分野にてある程度の練達に達すると、やはり何かしら内から発する、輝く(それは頭部のみを指す現象ではない)ものがあるようであり、それが格好といった外見をも包括し『ひとかど以上のもの』に見える、映るのではないかと思われます・・。

また、そうしたことは、ある程度の期間(数年以上)接し続けることによって、はじめて知覚、認識されるようなものではないかと、冒頭に述べた経験を通じて思うに至りました・・。

そして、こうした知覚、認識とは、おそらく各々個別的な経験に依拠するものでありながら、同時にそれらの中には最大公約数的な要素もまた存在するのではないかと思われます・・。

その一方で『こうしたことを科学的に分析し、公式化、開示することによって困るのは一体どういった人々なのであろうか?』と考えてみますと、面白いような、怖いような感じを受けます・・(苦笑)。
(以前のブログ記事に述べた創造的行為の公式化にもつながる)

やはり、人間とは人間にとって古くから最も興味深い対象でありながら、それを(科学的に)簡単に判断出来るようになるということは出来るだけ避けた方が良いのかもしれません・・(笑)。

いや、案外やってみたら面白いのかもしれませんが、途中から(未熟な魔法使いのように)制御がきかなくなるのではないかと思われます・・(笑)。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。おかげさまで590記事に到達します。

昨年に生じた熊本、山陰東部そして福島県周辺における地震により被害を被った地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。














2017年4月8日土曜日

20170407 ある程度の期間のブログ記事作成によって感じること・・

あまり意識して書いたわけではありませんが、昨日分の投稿記事もまた投稿翌日の割りには多くの方々に閲覧して頂けました。

さて、これまで継続してきたブログ記事作成により総投稿記事数600到達に徐徐に近づきつつあります。

これに対し、実感らしきものは湧きませんが、一方においてブログ記事作成の継続により時折強く感じることは、何かしら偶然ともいえない不思議と感じられる出来事が生じることがあります。

それは他者による自身のブログ記事に対する表層的、仄めかし的な言動、反応などといったもの(我々日本人とはこうした表現をことのほか好む・・(笑))ではなく、より必然的に深層から生じたと感じざるを得ないような出来事のことです・・。

そしてまた、こうしたこととは、以前投稿したブログ記事においても書きましたが、そうした出来事の具体的内容を言語、文章化することはあまり行うべきではないと考えます・・。

とはいえ、そうした出来事を通じ、一連のブログ記事が読まれている、あるいはわずかであるとしても、それらが何かしらの影響、効果を持っていると感じ得ることから、これまで記事を書き続けていることが出来ているのではないかとも考えるのですが・・。

ともあれ、そこで考えることは「では、こうした感知し得る影響、効果とは、ブログ記事を公開して閲覧されている方々がいることによって生じているのか?あるいはそれら影響、効果とは、文章を書き続けるという行為そのものに付随するものであり、それ故、公開の有無とは、感知し得る影響、効果に対し、大きくは関与しないのではないか?」ということであり、このことは、なかなか興味深いことであると考えます・・。

そして、自身がそのように考えるに至った原因とは、具体的には、2007年の修士課程修了の直後、さらに2013年の博士課程修了の直後もまた、そのような感覚を持っていたことが記憶されているからです・・。

また、さらにその詳細を述べますと、それら修了に至るまでに作成された文章とは、当ブログ記事のように公開されつつ作成されたものでないにも関わらず、さきの感覚を得たことは、要するに続的な文章の作成そのものに何かしらの影響、効果を生じせしめる要因があるのではないかとも考え得るということになるのです・・。

そうしますと、それらを感知し得る不思議な出来事とは、記事を閲覧された方々による直接的な反応ではなく、文章の継続的な作成を通じ、ある出来事を不思議なものとして自身が感知することが出来るようになった評するべきであるのかもしれません・・。
(一種の遷移、相変態?)

こうしたことは、おそらく当記事を読まれている方々においても、少なからず身に覚えのあることではないかと思われますが、その一方で、そうしたことは必ずしも科学的には解明されていないのではないでしょうか・・(笑)?

しかし、こうしたことの科学的な検証が為され『創造の為される一つのメカニズム』として開示されますと、それに基づいた逆算、検算式な行為を行うといった、いわば『マニュアルに沿った創造?』が為されるに至り、結果、原始以来我々が行ってきた手法による(到底)効率的とは云えない創造行為およびそれに付随する精神が駆逐されていってしまうのかもしれません・・(苦笑)。

果たして、こうしたことは悲劇であるのか喜劇であるのでしょうか・・(笑)?

とはいえ、今回もまたここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

去る2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺にて発生した地震により被害を被った地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」












2017年4月6日木曜日

20170406 高等教育における文系学問と実学系学問との正反合・止揚の具体案・・?

以前より続く不景気の影響によってか、あるいはそれ以前からの文化的土壌によるものか、我が国の高等教育における文系諸学問の価値とは、軽視されがちであると云えます・・。

こうした状況の直接の淵源とは、近代以降の我が国において、欧米文化が大々的に流入、そしてそれ以前の社会に接ぎ木されたことではないかと思われます・・。
現代日本の開化

さらにそこから、実学系の一部の分野を除き、高等教育にて為される学問、研究の内容が、実際の日常生活から縁遠いものとなり、卒業後においては、実質的にその学問に接する機会は限局され、そしてそれに対する興味とは減衰してゆくものと思われます・・。

しかし一方、そこで為される教育が、近代以前から連綿と続く、接ぎ木ではなく、一枚岩的なものであったとすれば、さきに述べたような高等教育と実際の日常生活との乖離は生じなかったのでしょうか・・?

これに対しても簡単に返答することは困難であり、あるいは我が国において高等教育として位置づけられる学問(実学、実務的なもの以外)とは、古来より日常生活を基盤とする感覚、観念から必然的に乖離するような(普遍的な)性質を持っているのではないかとも思われることがあります・・。

いや、こうしたことは世界においても少なくない類例もしくは傾向があるのかもしれませんが・・。

ではそこで特に我が国において何が問題であるかと考えてみますと、文系諸学問の高等教育にて得たことが、その後に接する実社会において役立てられることなく打ち捨てられ、忘れ去られ、単に学歴を示す指標となることではないかと考えます・・。

しかしながらその一方で、自身はこれまでの経験から、何らかの技術体系の習得を要する実学的な学問もまた極めて重要であると考えております。

また、それは同様に自身の経験から文系諸学問とも何らかのカタチで結節することが可能なものではないかと考えます。

さて、そのような状況、考えを正反合、止揚させてみますと、具体的にはどのような考えが浮かぶのかと申しますと・・。

我が国の文系学問を主軸とする諸大学と端的に実学系といえる医療、介護系の諸専門学校とが合併し、ある個人が一つの学部、学科での四年あるいは六年間の科目履修を通じ、双方を融合させたような学問体系を会得し、そして医療、介護系の資格を得ることが出来るようにすることです

これは現時点においては荒唐無稽ではあるかもしれませんが、同時に来たるべき時代情勢に対する一つの創造的そして持続可能性のある対応の仕方、方法ではないかと考えますが、さて如何なものでしょうか・・?

とはいえ、その前提として極めて重要なことは、双方共にホンモノを感知し学問に対する能動性を得ること(それがまさしく持続可能性の基盤、原動力となる)ではないかと思われます・・。

そしてまた、このことはイギリスの経済学者が云う『経済騎士道』あるいは『冷静な頭脳と温かな心』の礎になるのではないかとも思われるのです・・。

また、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。


去る2016年に発生した熊本、山陰東部、福島県周辺にて発生した地震によって被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧そして復興を祈念しております。