2017年4月17日月曜日

20170417 『狂気の沙汰』あるいはそれに近いことから・・

A「昨日投稿の記事は投稿翌日にしては多くの方々に読んで頂けました。

そこから、時には、かつて書いた文章を題材とする記事もまた良いのではないかと思われました。

さて、本日の記事投稿を含め2記事の投稿により目標とする600記事に到達します。

しかしながら、今現在これといった内外の変化も認められず、おそらくこの調子にて、ある意味平穏に600記事まで到達するのではないかと思われます・・。

とはいえ、この600記事というのも、あくまでも『とりあえず』の目標であり、その後もまた暫時の休息をはさみ記事作成を継続するのではないかと思われます・・。

具体的には、ある程度時間、年月がかかっても1000記事程度の記事を作成しますと、何かしら自身でも『得たもの』や『変わったもの』が明瞭に見えてくるのではないかと思われるのですが如何でしょうか・・?

また、たしかに一連のブログ記事作成を開始した2015年6月における作成記事と、昨今のそれを比較しますと、その間には幾ばくかの変化も認められるものの、同時にその変化とは、昨日の投稿記事にて示した2006年に作成した文章と比較しますと、小さなものであると思われます・・(やはり10年の差は大きいようです)。

無論、それら文章作成時における何と言いますか、気合の入れよう、あるいは形式に沿ったものか、そうでないものか、などといった要素が各々作成された文章に何らかの影響を与えているとは考えますが、そうした要素が存在するとしても、やはりそれら作成された文章から、作成者の素の文体あるいは同様の精神といったものが透けて見えるのではないかと思われるのです・・。

それ故、ブログと云った一般に文体の形式が規定されていないものであったとしても、あるいは規定されていないブログ記事であるからこそ、より一層、文章作成者の文体、精神といったものが読まれた方々に明確に認識される(されてしまう)のではないかとも思われます・・(苦笑)。

こうしたことから、ブログ記事のようなネット上に公表される文章の継続的な作成とは、一種『狂気の沙汰』もしくはそれに近いものであると、とらえられるのも、ごく一般的であった(ある)のではないかと思われます・・(苦笑)。

しかしながら、それと同時に強調しておきたいことは、おそらく我々人間の精神とは、時として多少の苦痛を伴い、それを認識しながらも、そうした『狂気の沙汰』あるいはそれに近いことを(割合平然と)行い続けるような状態があり、また、そうした行為、経験を通じて、個々人間そして社会全体が持つ既定概念、通念を打ち破り、成長していくことが出来るのではないかということです・・。

600記事到達を前にして、このようなことを書くのは、多少、時期尚早の感がありますが、こうしたことは600記事に到達したから、特に明言できることでもないと考え、さらに次回600回目の記事投稿はどちらかというと平凡に到達する方が、更なる記事作成継続の持続可能性に結節し易いと考えるため、今回、文章の流れもあり、こうしたことを書く次第です・・。

また、あらためて書くことでもないかもしれませんが、自身の場合、これまである程度の期間、ブログ記事作成を継続出来た要因とは、これまでの期間を通じ、読んで頂いた方々が自身としては少なからずいたこと、および周囲の方々による意識的、無意識的であるかはよく分かりませんが励まし、あるいは作成された記事に対しての反応によってであった(ある)ことを追記します。

人間が、かつてできたことを今でもできると考えるのは、きわめて自然である、未だかつてできなかったことを、できると思う人があるのは、いかにもおかしいが、珍しいことではない。
(ゲーテ「格言と反省」から)

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

去る2016年、熊本、山陰東部そして福島周辺にて発生した地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」




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