2024年2月2日金曜日

20240201 株式会社河出書房新社刊 ウンベルト・エーコ著 和田 忠彦監訳 石田 聖子・小久保 真理江・柴田 瑞枝・高田和弘・横田さやか 訳「ウンベルト・エーコの世界文明講義」 pp.17-18より抜粋

株式会社河出書房新社刊 ウンベルト・エーコ著 和田 忠彦監訳 石田 聖子・小久保 真理江・柴田 瑞枝・高田和弘・横田さやか 訳「ウンベルト・エーコの世界文明講義」
pp.17-18より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4309207529
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4309207520

 科学とは、この時代を生きる愚か者が、前世代の天才が到達した地点を越えることを可能にするあらゆる訓練のことである。この引用句とベルナルドゥスが言ったとされる文言のあいだには、八世紀の時間が経過しており、そのあいだに何かが起った、つまり、哲学的および神学的思想における父と子の関係について言及していた言い回しが、科学の進歩という性格を示す言い回しへと変化したのである。

 その起源である中世にこの箴言が人気だったのは、前世代の紛争を、一見変革的ではない方法で解決することに役立っていたからだ。古人はまちがいなくわたしたちよりも巨大だった。だがわたしたちは、小人ではあっても、巨人の肩に座ることで、すなわち、かれらの知恵を利用することで、かれらよりもよく見ることができる。この箴言は、元来慎ましいものであったのだろうか、それとも傲慢なものだったのだろうか。はたしてその意味するところは、わたしたちは古人よりもよく知っているが、それはかれらがわたしたちに教えてくれたことだ、ということだったのか、それとも、古人に負うところはあるにしても、わたしたちはかれらよりかなり多くのことを知っている。ということだったのか。

 世界はしだいに年をとる。というのが、中世文化のなかでよく扱われるテーマのひとつだったことを考えると、ベルナルドゥスの箴言はこう捉えられるのではないか。〈世界は年をとる〉mundus senescit〉からこそ、わたしたち若い世代は古人より年をとる、しかし、古人のおかげでわたしたちは、かれらの成し遂げられなかったことを理解したり、実際に云ったりすることができる。シャルトルのベルナルドゥスは、この箴言を文法の議論の分野で提案した。そこでは、古人の文体の知識とその模倣という概念が鍵であった。だが、証人であるソールズベリーのヨハネスによれば、ベルナルドゥスは古人たちを卑屈に真似する師弟たちを叱ったという。問題は、古人のように書くことではなく、かれらと同じくらい上手に書くことを学ぶことであり、わたしたちが古人に着想を得たように、後世の人たちがわたしたちから着想を得るようでなくてはならない。と言っていたそうである。したがって、今日のわたしたちの解釈と同じではないにせよ、オリジナリティや革新しようという勇気に対するよびかけが、ベルナルドゥスの箴言にはあったわけだ。 

 箴言は「わたしたちは古人より遠くが見える」と言っていた。この隠喩は明らかに空間的なもので、地平線へむかう歩みを意識している。歴史を未来へとむかう前進的な運動として、万物創造から贖罪へ、贖罪からキリストの復活の勝利への歩みとする見方は、カトリック教会の教父たちによる発明だったということを、わたしたちは忘れてはならない。したがって、好むと好まざるとにかかわらず、キリスト教が存在しなければ(ユダヤのメシア信仰が背後にあったとしても)、ヘーゲルもマルクスも、レオパルディが懐疑的に「偉大で進歩的な未来」とよんだものについて議論することはできなかったわけである。