2016年6月26日日曜日

20160625 「Erdgeist」

A「おかげさまで6月25日(土)も1日の閲覧者数が1000人に到達しました。
どうもありがとうございます。

また、最近は欧米からの閲覧者の方々が増加してきました・・。
一連の記事がどのように読まれているのかわかりませんが、とりあえず今後も記事を書き続けようと考えておりますので、今後ともどうぞよろしくお願いします。

さて6月25日(土)も東京に行き、書店(複数)に立ち寄り、面白い書籍をいくつか見つけました。

ここ最近、我が国の古代史に関しての書籍をあまり読んでおらず、そのため、この方面での知識を想起させる機会もあまりなく、実際困ったものであると思います・・(苦笑)。

また、そうであるからといって、そうした書籍を意識的に読み込む、詰め込むのもあまり良いものではないようで、丁度それは旬の食材を食べるのが最も健康的で良いとされることに似ているのではないかとも思います・・(笑)。

では「私にとって古代史関連の書籍を読むのに最も適した時期とは何時であろうか?」と考えた場合、それは九州を含む西日本に在住していた時期であったのではないかと思われます。

当時、少し足を延ばせば、そうした遺跡、旧跡が(自然なかたちで)割合多くあり、また、その気候風土がそうしたことを受容、考えさせるのに適していたのであったと思います。

また、私が我が国の古代史についての知識を得たのは、ことごとく、西日本在住の時期であったため、少なくとも関東で育った私にとって周囲の気候風土、環境とは、何かしら少なからず心身に対し影響を与える要素であっのではないかと考えております・・。

そして、このことを異言しますと、外に出ず、知らずの関東在住の頃の私とは、多少言い訳じみてしまいますが、母国の古代史についての具体的な関心を持つきっかけを持つことが日常生活において困難であり、その代わりに欧米の歴史文化について興味を抱き、それに関しての知識見識を持つことに捉われていたようにも思えます・・。

こうしたことをマクロの視点から極言しますと、首都圏特に東京とは、あくまでも欧米文化の影響を強く受けた近代(明治時代)以降の我が国の文化の最先端であり、それ以前の時代においては、覇権勢力(徳川幕閣)の本拠が存在したかもしれませんが、同時にそのことが必ずしも日本全土の様々な文化の最先端であったということにはならないということです

このことは特に近畿、関西方面に住んでみますと実感、納得することが出来ると思いますし、また、さらにそれ以前の時代においては、九州に住んでみますと考えがさらに変わるのではないかとも思います。

ともあれ、私の場合、西日本のいくつかの地域に各々数年在住する機会を得たことにより、それぞれの地域の歴史文化について能動的な興味を抱くに至り、自分なりにそれらを学び、調べていった結果、どうにか自身の国の古代史(あるいはその他時代)について、ある程度まとまった学識、見識(研究者レベルではないにしても)を得ることが出来たのではないかと思います・・。

また、当然といえば当然ですが、こうしたことは学ぶ主体(自身)が実際にその土地、地域に赴きそして(数年程度は)住んでみなくては本当の意味で「理解できた!」という感覚を得ることが困難なのではないかと思います。

また、そうすることが各々土地、地域の歴史文化に対する尊敬、尊重の態度なのではないかと思いますが如何でしょうか?

そして、そうであればこそ、はじめて、ある程度自由に自信を持って、その土地、地域の歴史文化についての見解を(自然に)表出することが出来るようになるのではないでしょうか?

また、そのように考えてみますと、それは何も国内地域間に関してのみならず国家間、国際的な場合においても同様であるのかもしれません・・。

このことに関しては特に残念であるとは考えておりませんが、私は海外留学をする機会がありませんでした。

しかし、それに代わるもの、いや、それ以上に大事な何かを得ることが出来たのではないかと考えております・・。

それが世間一般の客観的な評価に耐え得るものであるかどうかは別として・・(笑)。

とはいえ、少なくとも今後の我が国においては、近年のインターネットによる情報網の普及そしてその定着により、何もかも全て首都圏、東京が最先端、一番であると考えるのはどうも違うと思うのですが、これを読んで頂いた方々はどのようにお考えになるでしょうか?

ともあれ、ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

そして、さる4月の九州・熊本での大地震により被災された地域の諸インフラの早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」