2017年11月13日月曜日

20171112 九州南部における古墳造営様式について②

さきに述べた九州南部東側地域において特徴的な墳墓様式である地下式横穴墓、薩摩半島南部地域にて特徴的な墳墓様式である立石土壙墓とは別に九州南部西側地域にて特徴的な墳墓様式として地下式板石積石室墓(板石積石棺墓)が挙げられる。

この墳墓様式は薩摩半島部を除いた九州南部地域あるいは霧島山地周辺ともいえる地域一帯においては、さきに述べた地下式横穴墓と併存する。

ともあれ、以上のことから、これまでに挙げた三種の九州南部における特徴的な墳墓様式とは、ある程度、地域的なまとまりがあることが認識されるものと考える。

くわえて、これら三種の墳墓様式が存在する各地域を史書に記されている隼人の居住区域と重ね合わせると、地下式横穴墓が日向、大隅隼人、立石土壙墓が阿多隼人、地下式板石積石墓が薩摩隼人と、粗くではあるが考えることが出来る。

また、この九州南部においては一般的に所謂『古墳』と称される高塚様式の墳墓が東岸地域に集中して存在することもまた特徴的なことであると云える。

さて、この地下式板石積石室墓の具体的な造営であるが、まず地表から一~二メートル程度の竪穴を掘り、その底に板石を立てて並べ、遺体を安置する領域を定める。

こうして定められた石室領域の形状は円形、楕円形、長方形など多様であり、遺体、副葬品などを安置した後、立てて並べた板石の上に横にした板石を積み重ね、天井部に行くにしたがい、徐々に持ち送り、最終的にはドーム状の天井とする。

そして、その上に地表面に至るまで土を埋め戻すのであるが、地表上に何らかの墓標が存在していたのかは不明である。

この地下式板石積石室墓の起源については朝鮮半島より伝来し弥生時代の北部九州にて造営された支石墓であるとされてきたが、その一方で弥生時代の五島列島における特徴的な墳墓様式である石棺墓との造営様式の類似性もまた指摘されている。

とはいえ、これらの墳墓様式とは、何れも地下式板石積石室墓に時代的に先行することから、その伝播経路あるいは変容の過程などは、さらに詳細に考える必要があると云える。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

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