2016年12月1日木曜日

20161201 500記事に到達したならば・・昨日の続き主に「邪視」

A「今回の記事投稿にて500記事到達まで残り5記事を切ることになりますが、あまりそういった実感といったものはありません・・(苦笑)。

また、たとえ500記事に到達したとしても、その後自身がどうすれば良いものかとは考えておりません・・。

そうしたことは、実際に500記事目の投稿を終えた後になり、自然と内面から涌出してくるのではないかと考えております・・。

とはいえ、この程度まで継続的な記事の作成を行ってきたのであれば1週間程度の「意識的」な断筆を試みることは、それはそれで面白い実験ではないかとも思われるのです・・。

そして1週間経た後、猛烈に何かを書きたいと思うか、あるいは、そのまま自然に何も書かないで大丈夫であるかとは、自身の性質の一つを知る上において、ある程度有効であると考えます。

これまでに何度かブログ記事において記してきましたが、おそらく私は文章を記すことが、少なくともキライではないと考えます・・・。

しかし一方において、自身が記すことの出来る内容、主題とは、ある程度限定されるということも、これまでの記事作成において知り得ました(あまり知りたくなかったのかもしれないが・・)。

また、それは、記事を投稿した直後において示される反応の一つである、過去に投稿した直近記事と類似した主題、内容を持つ記事の閲覧者数が増加するということにより否応なく知覚されるのです・・(苦笑)。

しかしながら、そうした反応も含めて示される全般的な反応とは、基本的に悪意に基づくものではなく、何といいますか「もっと書け!」と励まされているように思われるのです・・(笑)。

そうしたことの直近の具体例を示しますと、昨日投稿した「シンボル、フィギュア、祖霊像などについて」を投稿した直後、4カ月近く前に投稿した「20160810」の閲覧者数が増加し、そこから、この記事を直近投稿記事のコメントとして追加した次第です・・。

両記事を読んで頂きますと、その関連、類似性に納得できるのではないかと思います。

とはいえ、そうした反応が速やかに為されるのは、少なくとも現在のAI、人工知能では、なかなか難しいのではないかと思われます・・。

こうした文面表層に示されない文脈、コンテクストの関連、類似性などの知覚とは、また、ある種複雑なものであると思いますので・・。

恥ずかしながら、両記事を記した本人が、そうした反応により、その関連、類似性を知り得たくらいです・・(苦笑)。

それ故、この反応とは、ブログ記事を閲覧して頂いている方々によるものであると考え、また同時に、そうした方々とは、文章の読解(自身の悪文も文章と見做して(笑))のセンスが、少なくとも私よりも上等であると思われます・・(苦笑)。
(そうであるからといって何も自慢にはなりませんが・・(笑)。)

そして、ここまでは認めますが、しかしながら・・では、そうした関連、類似する主題、内容を持つ記事をほぼ無意識で4カ月の間隔を空けて記すことは可能であるか?と問うた場合、おそらくそれは意識的には可能なのでしょうが、そうしますと、それは企図されたものとなり、果たして閲覧して頂いた方々が反応を試みるに足るものとなるのでしょうか・・?

・・いささかヤケクソ気味の答弁、抗弁とも聞こえましょうが、しかし我々人間の創造性の原初的な発動とは、こうしたほぼ無意識による「やり当て」に近いものであり、また、そうであるが故にそうしたものに対して、これまた原初的な反応が為され、結果的に、更なる創造性が惹起、発動されるのではないでしょうか・・?

ヤケクソにはじまり、いささか希望的な観測でもありますが「創造のはじまり」とは、そのようなものであると私は考えます・・。

また、昨日投稿の「シンボル、フィギュア、祖霊像などについて」をもう少し考えてみますと、いかめしい顔(笑顔でない)を持つ男性像が現れる大隅の大人弥五郎どん、悪石島のボゼ、東北のねぶた祭り、なまはげ・・の持つ意味とは、その根源においては、おそらく邪視による破邪の効果を狙ったものではないかと思われます・・。

(そういえば南方熊楠の論考で「邪視(Evil eye)について」というのがありました・・。)

また、私見ではありますが、こうした邪視による効果を願った祭祀全般とは、我が国の辺縁地域に比較的多く認められるのではないかと思われます・・。

それは、辺縁であるが故に古い祭祀形態、観念が残存したことによるのか、あるいは当初より、それら地域には、邪視が効果を持つという祭祀、民俗文化が定着、継続し易い文化的土壌がかねてより存在していたことによるものであるかは分かりません。

とはいえ、昨今の首都圏を中心に見られる女性にとって都合の良い笑顔の男性がもてはやされるご時世であるからこそ、一方において、こうした祭祀、民俗文化の持つ意味、価値を再考してみることは、少なくとも、あながち悪いことではないように思われるのです・・。

また、ここまで記して不図思ったことは、これら地域とは、人口の男女比において比較的女性の方が高い比率を示しているということも、あるいは何か関係があるのかもしれません・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる熊本、山陰東部、福島周辺において発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」




20161130 シンボル、フィギュア、祖霊像などについて・・

先日不図見かけた書籍の頁に木彫の大分ディフォルメされた人物像(木像)らしきものの画像が載っていました。
その木像が何時の時代の、どの地域のものであるかの説明は見ませんでしたが、その作風からして南太平洋の何処ではないかと思われました・・。

また、日本におけるこうしたものについては、これまでに幾分か見てきたこともあり、大体の時代および地域の見当をつけることは出来ると考えます。

私見となりますが、それら古の観念に基づき製作された何らかのシンボル、フィギュアとは、現在の我々をも強く惹き付ける何かがあると思います・・。

そして、さらにその中で特に惹き付けられ、心に引っ掛かるものとには、もしかすると、そこには相応の理由があるのかもしれません・・。

そのような理由に基づき、ある古の製作物の来歴等を調べておりますと、その途上において、思いもよらぬ考えが浮かぶ、あるいは現代において見知っている他の何かとの関連を突如、示唆(その多くは明示まで強烈ではない)されることがあります・・。

また、その感じとは夏目漱石著「夢十夜」内の「第三夜」のようであるともいえます・・(そこまで強烈ではないが・・)。

私はこの短編の中に、ある種の人間内面における普遍性を見出します。

ともあれ、ハナシを戻し、そうしたことが自身の内部で、ある程度頻発していた時期に、それら考え、関連性が「何故」浮かんできたのか?とは考えず、ただ、その更なる根源、源泉への遡上を専ら書籍・文献の捕集を通じ試みていたように思われます・・。

こうした作業においては、能動・積極性の方がより有効であると云えます。

とはいえ、これを現在考えてみますと「何故、当時はそうした考え、関連性が頻繁に脳裏に浮かんできたのか?」ということの方が、より不思議、重要なことであるように思われるのです・・。

また、それと同時に、そうした経験の蓄積、複合化により、我々人間とは、何かを『知った』と思い至るのではなかろうかと思います・・。

その意味において、翻って考えてみますと、当初に挙げた古に製作されたシンボル、フィギュアとは、その時代、地域の人びとが「知った・知っていた」考えを具現化したものであるといえます。

そして、それらを現代の我々が見た時に直観的に感じることとは、そこに地域的な繋がりが存在するのであれば、やはり、そこには何らかの意味があり、また言語による概念化を試みる価値(時代を貫く何か)があると云えるのではないでしょうか・・?

そして、特に自国の歴史、文化等においては科学、客観的な認識、概念化と同時に、こうした一種の「同一化」を試みることを通じ、内面から理解する必要性があると思われるのです・・。

また、この「同一化」を生じさせる契機として古来より認識されていたものが「眼」およびその周辺であったのではないかと考えます・・。

ハナシを再び冒頭に戻し、これら古の観念に基づいて製作されたシンボル、フィギュアとは、世界中遍く、両目周辺を強調し、さらにその表情に笑顔が少ないといった特徴があると云える。

多くのそれらは「祖霊像」と認識されているが、たしかに最大公約数的に、その見解とは間違っていないと考えます。

また、我が国における古いその典型とは福田型邪視紋銅鐸であるといえます。

そしてまた、現代においてそれに比定されるものとは「ゴジラ」ではないかと思われますが如何でしょうか・・?

また、その間には「大魔神」といった、より「祖霊像」に近い存在もありましたが、そうしたもの(シンボル、フィギュア、祖霊像)は、往々にして変化なしの直球とは、受け入れられないことが多いのかもしれません・・(笑)。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる熊本、山陰東部そして先日の福島周辺において発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。