2017年9月25日月曜日

20170925 『事実を言語を以って精確に表現することが第一義』ではあるのですが・・

本日の首都圏は日中、割合と気温が上昇し、若干汗ばむような陽気でした。
とはいえ、ついさきほどまで、特に大きな音は聞こえないものの、北の方の空では稲光の明滅らしきものが見える状態が続いていました。

さて、昨日は休日ということもあってか、当日投稿分記事の閲覧者数は意外と伸び、投稿翌日の現在において50となっていました。
読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます!

しかしながら、以前より時折書いていることではありますが、ここに至ってもなお、よく分からないことは、これまでのブログ記事が一体どういった方々に読まれているかということです・・。

これを多少なりとも理解出来るならば、もう少し(自分なりに)サービス精神を発揮し、それに合わせた文章を書くことを試みてみようかとも考えてみることが度々あるのですが・・(笑)。

しかし、そうしたことは、あとでよくよく考えてみますと、作成者が能動的にブログ記事作成に臨んできた場合においては、とりわけ、そうした迎合とも認識され得る態度は避けた方が良いのではないかとも思われるのです・・。

それは、自身のブログ記事作成の持続可能性の保持のために。
このことは、特に自身においては、少なからず痛い目にあって理解出来たのではないかと考えています・・(苦笑)。

また、そのように考えてみますと、これまで作成してきた記事を読んでくださっている方々とは、そうした自身の危なっかしい性質をご理解されているのではないかと思われることもあるのです・・(苦笑)。

おそらく、これも一種の自意識過剰でしょうが、しかし、ここで多少開き直り気味のことを述べさせて頂きますと、多少なりとも自意識過剰気味にでもなっていないと、こうした一種の精神的露出狂とも評し得る、公開を前提としたブログ記事作成(の継続)などは出来ないのではないかと思われるのです・・(苦笑)。

つまり、少なくとも、こうしてブログ記事を書いていて、さらにそれが興に乗っている時とは、ある意味、自身は『世間体』といったものから(完全にではないにしても)解放されているのではなかかということになります・・(笑)。

しかしながら、それと同時に、ここで極めて重要であると思われることは、そうした『世間体』から解放されている状態でありながらも、心のどこかで『世間体・常識・礼儀・良心』といった、自身の放埓な思考の奔流を制御するものが作用しているということ(無意識の意識・自身への信頼?)なのです・・。

私見とはなりますが、案外とこれが難しいのではないかと思われます・・。

特に、周囲のある事物に対し、何らかの評価を含む言説を述べる際において・・(それは一般的な意味での『自制』ともまた多少異なると思われます)。

その点について、特に現代の理系学問分野においては、事実を言語を以って精確に表現することが第一義とされますので、さきに述べたような種類の文章作成の際の困難さが少ないのではないかと思われますが如何でしょうか・・?

それでも、ここで強く思うことは、この『事実を言語を以って精確に表現することが第一義』とは、実は理系のみならず、どの学問分野においてもそれが(探求に基づく)学問であるならば、大事にされることであるように思われるのですが・・。

そして、これに対しての価値の払い方、対応とは、我々人間生来の(知的)好奇心・探求心に対し、少なからぬ影響をもたらすのではなかかとも思われるのです(我々日本人とは、まさしくこのことに対して関心が薄い、あるいは何か他の感覚の洗練に、より重きを置いているのではないかとも思われることが度々あります・・。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年から現在までに生じた一連の地震・大雨・水害等などの大規模自然災害によって被災された地域での諸インフラの復旧・回復およびその後の復興を祈念しています。



20170924 読書をする上において重要と思われる感覚・シンクロ化(共感性の一種?)

かなり久しぶりに昨日分の閲覧者数は500を大幅に上回りました。
また、同様に昨日投稿分の記事もまた、おかげさまで投稿翌日にしては多くの方々(37)に読んで頂けました。

これらを読んで頂いたみなさま、どうもありがとうございます。

さて、先日来より読んでいる著作(下巻)も半分以上までに至り、おそらく近日中に読了となるのではないかと思われます。

また、当著作下巻においては特に面白いと思われる記述が頻出することから、今後読了に至った後も折を見て、さらに再読、三読を試みようと考えています・・。

ともあれ、こうした俯瞰的な視点からの歴史を扱う著作とは、その書かれている内容が自身が既知のある具体的な歴史の流れ、出来事に沿っている、適合、類似していると考えられる場合、勝手に何かしら新たな発見をしたような幾分高揚としたものを感じさせます・・(笑)。

また逆に、それが自身の知っているそれと合致しない、相反する場合は、それはそれで、疑問が生じ、赤ペンにて当該記述部に横線を書き、そこに「?」そして合致しない、相反する既知の具体例を書き込んだりといったことになります。

そのように考えてみますと、こうした著作をある程度の精読するうえにおいて、大事であると思われることは、書かれている内容およびその文脈の流れをある程度精確に理解しつつ読み進めているといった継続的な実感であり、これは毎回著作を手に取り読みはじめ、しばらく経つと、何となくそうした感じになっちいるようなものではないかと考えます。

とはいえ、その間に自身の感性、頭脳にどのような変化が生じているのかは、分かりませんが、おそらく言語にて、そこで生じている変化を表現しますと、それは著作文体と自身(読者)の感性、頭脳とのシンクロ化といったところではないかと思われます。

そして、人によりシンクロ化のし易い著作、分野、言語などといったものに傾向があるのでしょうが、こうしたものの柔軟性を鍛えるには、さきのブログ記事にても書きましたが、やはりある程度若いうちの方が良いのではないかと思われます・・。

ある程度の年齢に至り、それまで全く関わることのなかった、いわゆるシンクロ化のされ難い文体が主流の世界にて生きて行こうとすることは、余程の必要性および覚悟がない以外は出来るだけ避けた方が良いのではないかと考えます。

その意味において、自身はかなり稀有な経験を経ることが出来たのではないかと思うところではありますが、おそらくそれと同時に何かしらを得る機会も少なからず失ってきたのではないかとも思うことが度々あります・・(苦笑)。

また、それはさておき、自身の書いているこの文章とは、ある程度広汎にシンクロ化されるような文体といったものを保持しているのでしょうか・・?

あまり他者からの評価を気にしないで書いているつもりではありますが、こうしたことを多少書き連ねておりますと不思議なことに『人の振り見て』で自身のこともまた気になってくるものです・・(笑)。

ともあれ、今回もまたここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年から現在に至るまでに発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った地域における諸インフラの復旧・回復そしてその後の復興を祈念しています。」