2017年9月25日月曜日

20170924 読書をする上において重要と思われる感覚・シンクロ化(共感性の一種?)

かなり久しぶりに昨日分の閲覧者数は500を大幅に上回りました。
また、同様に昨日投稿分の記事もまた、おかげさまで投稿翌日にしては多くの方々(37)に読んで頂けました。

これらを読んで頂いたみなさま、どうもありがとうございます。

さて、先日来より読んでいる著作(下巻)も半分以上までに至り、おそらく近日中に読了となるのではないかと思われます。

また、当著作下巻においては特に面白いと思われる記述が頻出することから、今後読了に至った後も折を見て、さらに再読、三読を試みようと考えています・・。

ともあれ、こうした俯瞰的な視点からの歴史を扱う著作とは、その書かれている内容が自身が既知のある具体的な歴史の流れ、出来事に沿っている、適合、類似していると考えられる場合、勝手に何かしら新たな発見をしたような幾分高揚としたものを感じさせます・・(笑)。

また逆に、それが自身の知っているそれと合致しない、相反する場合は、それはそれで、疑問が生じ、赤ペンにて当該記述部に横線を書き、そこに「?」そして合致しない、相反する既知の具体例を書き込んだりといったことになります。

そのように考えてみますと、こうした著作をある程度の精読するうえにおいて、大事であると思われることは、書かれている内容およびその文脈の流れをある程度精確に理解しつつ読み進めているといった継続的な実感であり、これは毎回著作を手に取り読みはじめ、しばらく経つと、何となくそうした感じになっちいるようなものではないかと考えます。

とはいえ、その間に自身の感性、頭脳にどのような変化が生じているのかは、分かりませんが、おそらく言語にて、そこで生じている変化を表現しますと、それは著作文体と自身(読者)の感性、頭脳とのシンクロ化といったところではないかと思われます。

そして、人によりシンクロ化のし易い著作、分野、言語などといったものに傾向があるのでしょうが、こうしたものの柔軟性を鍛えるには、さきのブログ記事にても書きましたが、やはりある程度若いうちの方が良いのではないかと思われます・・。

ある程度の年齢に至り、それまで全く関わることのなかった、いわゆるシンクロ化のされ難い文体が主流の世界にて生きて行こうとすることは、余程の必要性および覚悟がない以外は出来るだけ避けた方が良いのではないかと考えます。

その意味において、自身はかなり稀有な経験を経ることが出来たのではないかと思うところではありますが、おそらくそれと同時に何かしらを得る機会も少なからず失ってきたのではないかとも思うことが度々あります・・(苦笑)。

また、それはさておき、自身の書いているこの文章とは、ある程度広汎にシンクロ化されるような文体といったものを保持しているのでしょうか・・?

あまり他者からの評価を気にしないで書いているつもりではありますが、こうしたことを多少書き連ねておりますと不思議なことに『人の振り見て』で自身のこともまた気になってくるものです・・(笑)。

ともあれ、今回もまたここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年から現在に至るまでに発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った地域における諸インフラの復旧・回復そしてその後の復興を祈念しています。」








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