2020年12月25日金曜日

20201225 岩波書店刊 金関丈夫著「発掘から推理する」pp131-134より抜粋

 岩波書店刊 金関丈夫著「発掘から推理する」pp131-134より抜粋

ISBN-10 : 4006031300
ISBN-13 : 978-4006031305

竹原古墳奥壁の壁画の主題について語る前に、いま一ついっておかねばならぬ重要なことがある。九州地方の、多くのいわゆる装飾古墳の壁画を見ると、竹原古墳以外のものは、その手法においては、もし信仰的な象徴性というものを考えなければ、例外なく、きわめて自由な、児童画に類するものであって、その手法の伝統を語るものは、縦にも横にも、何もない。いずれも絵画以前のものであり、芸術的価値を云々するべきものではない。全体としての画面構成に考慮を払われたあとはなく、描かれた個々の物象がそれぞれ自由に場所を占めている。表されているものは、全体としての一つの情景ではなく、単独の観念のよせ集めである。そこにはひまをかけた鄭重さが、幼稚さをカバーしているところはあっても、手練からくる奔放さというものはない。

 これに対して、竹原古墳の壁画(図版参照)は、まずその全体の絵画的なまとまり、壁画に対する絵の占める面と、その位置のつり合いが、毫も間然するところがない。これだけを見てもこの画の作者の練達さがはっきりわかる。

両側に大きく描かれた一対の翳(さしば)が、全体を強く引き締めて、中に一つの絵画的空間をはさむ。さしばの大きさは装飾的な拡大ともみられるが、下方の立波と共に近景の位置を占め、動物、人物などが、やや遠景的に取り扱われているーとも見える、ということから、このさしばの大きさの不調和があまり苦にならない。中央の空間の下半は、描かれた個々の像の位置が、相互間の調和をとり、実に的確に、ぴったりと嵌め込まれている。これに対して上方の獣形象は、右方にかたよっているが、その空間的波調によって、かえって全体の平板に陥ることが救われている。ひとり絵画とはいわず、一般芸術を通じて、この種の波調は不可欠な要素である。それと同時に、怪獣の姿体の躍動が、これで一層強められる。跳り上がった前肢をおろす次の動きが、それをおろす空間を前にのこしておくことで、実に活き活きと感取される。心憎い手際といわねばならない。

全体として、筆法は雄勁で、ためらうことなく、大胆に落筆している。作者は多年の経験のある玄人の画工であり、その習熟した筆を走らせて、一つの情景を描き表したのである。個々の象徴を語る個々の像が、一画面に寄せ集められた絵ではない。ここでは、それぞれの像の間に緻密な関連があり、一つの全体を構成している。信仰的統一でななくて、絵画的統一がある。

手法は、洗練、精緻というものでは決してない。むしろ粗野である。表現の力はしかし、かえってこの粗野さによって強められている。その効果は実に見事なものである。作者の素性はおそらく職人的画工であったであろうが、それならば、芸術家の素質と手腕を具えた工人であったと認めなければならない。一つの芸術作品としてこの壁画は非常にすぐれた作品である。この壁画の芸術的な価値について、これまでに最も強い感激を表白されたのは、海老原喜之助画伯であるが、考古学者の側からは、そうした評価はまだ聞けない。