2021年5月28日金曜日

20210528 左右社刊 大西巨人著「日本人論争 大西巨人回想」 pp.29-30より抜粋

左右社刊 大西巨人著「日本人論争 大西巨人回想」
pp.29-30より抜粋

ISBN-10 : 4865281029
ISBN-13 : 978-4865281026

新聞は、内務班にはなかったけれども、中隊事務室に行けば割合読めたな。ラジオは内務班に置いてあった。さっき言ったように対馬は火力発電だったが、昼間はもちろん送電停止なわけだ。終戦の1945(昭和20)年は、陸軍官舎かの仕事で、寺田軍曹に引率されて、三人だったか四人連れだったかで営外に出ていた。鶏知川から高浜演習砲台のほうへ行ったら、向うでラジオの音がするんだよ。そして、誰か寝そべって聞いているんだ。「おかしいなぁ、送電停止のはずなのに今日はラジオが鳴っているが・・?」と思っていたよ。

 それで用を済まして帰ってきたら、もうラジオも聞こえなくなっていた。その時間だけ、玉音放送のため、特別に電気が通じていたのだな。営門を入ったら、林という屈強な上等兵が「日本は負けたぞ」と言うんだよ。何か冗談言っていると思ったね。私も、だんだん情勢が押し詰まってきて、「ああこりゃ、この対馬も玉砕だ、もう助からん」とは思っていたがね。「冗談言うな」と応えたら、「いや、今、玉音放送があったんだから間違いない」と言う。それでもまだ半信半疑だったが、晩になって、ラジオで再放送を聞いて、「あー、やっぱりポツダム宣言を受けたんだな」と判った。・・・・いや、昼間の玉音放送から夜までの間に、正式な訓示とかは何もなかったよ。

 それから、翌日の16日だったか次ぎの17日だったか、聯隊本部にあるいわゆる「御真影」を焼いて、それから、菊の御紋章を連隊長が力作のハンマーで割ろうとするんだが、連隊長も四十幾つで若くはないから、なかなか割れないんだ。そのときは、みんな巻脚絆・帯剣の軍装で並んでいた、こういう”式”があったなあ。

 戦争が終わったら、みんな腹の中じゃ喜んでいたようだったねぇ。ある曹長が町から帰ってきて憤慨していたよ。曹長は長い剣を吊っているんだが、それまでは言わば"軍人さん、軍人さん”ってへいこらしていた鶏知町の女たちから、「あんた、こんなもんぶら下げて何してんの」と軍刀を持ってからかわれたって。そういうものなんだよ。戦争中は戦争サマサマのようにしていたのに、終わった途端、軍籍にある者を馬鹿にする人間も現れる。