2017年3月31日金曜日

20170330 昨日師匠に言いそびれたこと・ケルンの水など・・

A「本日作成する記事により総投稿記事が580記事となります。

そうしますと、残り20記事にて600記事到達ということになりますが、これに関して未だ感慨らしきものはありません・・。

そして、このままのペースにて記事を作成し、600記事に到達した場合においても果たして何かしら感慨らしきものは生じるのでしょうか・・(笑)。

さて、本日もまたつい先ほどブログの頁を開いてみますと、昨日程ではなかったものの、ありがたいことに自身としては少なからず閲覧されている方がいらっしゃるようでした・・。

また、昨日お目に掛かった師匠とのハナシですっかりお話しすることを忘れていたことを思い出しました・・。

それは大したことではありませんが、ここ最近、北杜夫著『楡家の人びと』の英訳版を古書にて購入したことです・・。

この著作は古書になりますと、そこまで高値ではないようであり、また実際に手元に届いた一冊とは、値段の割に古書としては大変状態が良いものであると云い得ます。

とはいえ、この著作は原本の場合、文庫三冊分であることから、それを洋書にて一冊の装丁としますと、かなりの頁数、ボリューム(厚さ5㎝以上はある!)となっておりました・・(笑)。

そのことから、おそらくこの一冊は、気軽に持ち歩くことは出来ないであろうと思われます・・(笑)。

また同時に、現在読んでいる洋書の小説があるため、おそらくこれを読みはじめるのは、しばらく後になるのではないかと思われます・・(苦笑)。

それはさて置き、昨日師匠との会話にて、またどちらかというと重厚な古典とも云える著作を、あるクラシック楽曲とのからみにて聞くことになりました・・。

また、悔しいことに(?)その著作を後で調べてみますと、これがまた大変面白そうなのです・・(苦笑)。

そして、こうした何と云いますか、人を見て、その都度面白そうな著作をからめてハナシをされる技能、才能に関しては(少なくとも今現在)この師匠は自身よりも数段上であると感じざるを得ません・・(苦笑)。

ちなみに自身はこれまで、この師匠との会話にて出て来た著作をその後、少なからず読んでいるのではないかと思われます・・(中には師匠御自身が読了してない著作をも含めて)。

また、多少おかしなハナシになるかもしれませんが、自身はそうした読書経験と、それと直接には関与しないさまざまな経験との複合によって、これまでどうにかブログ記事を作成出来ているのではないかとも思われることもあります・・(苦笑)。

しかしながら、それでも自身の考えを決定付けるような影響を持つ重大な著作とは、やはり各個人が独自に、そして偶然に書棚から見つけ出すようなものではないかと思われます。

自身の場合、その著作が何であるかは書きませんが、お分かりになっている方も少なからずいらっしゃるのではないかと思われます・・(笑)。

あるいはまた、そうした『大きな影響を受けた著作』とは、人それぞれ成長段階ごとに何冊かあるのではないかとも思われます・・。

また、こうした言説とは、おそらく文系の方々にはあまり違和感なく受け入れられるのではないかと思われますが、理系の方々に関してはどうもよく分からない感じを受けることがあります。

無論これは『そうでなければならない』ということではなく、ただ単に、ある種の『気質』の違いによるものではないかと思われますが・・。

さて、そこからハナシは変わりまして、本日講座先輩からドイツのお土産にてオーデコロンの小瓶を頂きました。

『どうもありがとうございます!』(橋のハナシも大変興味深かったです(『モノのカタチ』に対するセンスとは、概して理系の方が優れているのではないかと思われます)。

さて、そこで、このオーデコロンから想起されたことは、昨日の師匠がかつてこのオーデコロンを使用されていたことです・・。

また、当時の自身とは現在に比べ、そうしたことに少なからず興味がありましたので研究室にて『そのハンカチに振りかけているのは何ですか?』と聞いたところ、留学からの帰国後まだ間もない師匠は18世紀後半~19世紀初頭のフランス都市部にける排水、下水、衛生事情からはじまりフランス革命、ナポレオンの台頭、ロシア遠征そして何故、オーデコロンとはフランス語にてケルンの水という意味でありながら、我が国にて、その名称が香水一般を指すかについて一通りの説明をされた記憶があります・・。

こうしたところは昨日の会話においても大きく変わるところがなく、また、こうした性格もしくは才能(こそ)が一つの典型的な人文社会学系の研究者ではないかと思われた次第です・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
去る2016年に熊本、山陰東部そして福島県周辺にて発生した地震によって被害を被った地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」




2017年3月30日木曜日

20170329 みた夢のハナシ、師匠との会話などから・・

A「本日はつい先ほど帰宅しました。
この比較的遅い帰宅により、本日のブログ記事作成は割合本気で止めておこうと考えつつ、ブログの頁を閲覧してみますと、これまでになく多くの閲覧者数を示しておりました・・。

そのため、多少作成される文章は粗く、短くなろうとも、とりあえず何かしら書き、更新する方向に考えを変えた次第です・・(苦笑)。
さて、その閲覧されていた記事は多岐にわたるものの、最も多い閲覧者数を示していたのが、直近に作成、投稿した記事でした・・。

また、それに関連するのでしょうか、昨晩いや、正確には本日の明け方ではないかと思われますが、かなり久しぶりに記憶に残る程に鮮烈な夢をみました。

その夢の内容とは、自身がどこか山荘のようなところに入り、その部屋を見分し、奥にある部屋に入ってみますと、部屋左手の暗がりの方から比較的大きな西洋人をモデルとする古めかしく着飾った人形(フランス人形?)が歩いてくるという夢です・・。

もちろん夢の中の自身はそれを怖がり、ドアを閉じて、逃げるのですが、しばらく時間をおき、再度その部屋のドアを開けてみますと、また同じようにその人形が左手暗がりから現れるのです・・。
この夢の印象とは最近では珍しい程に鮮烈であり、起床後すぐに、寒さとは別に少し震えていることに気が付いたほどです・・。

そうしたことから、後になりインターネットにてその夢の意味を調べてみますと、さまざまな解釈があり一概には云えないようですが、どうやら、そこまで悪い意味ではないようでした・・。

また、その日の夜半には、かなり久しぶりに師匠にお目に掛かり、しばらくハナシをしましたが、この時の会話により、さきの夢の印象とは大分ボヤけたようにも思われます・・。

久しぶりにこの師匠と会話をしますと、自身でも驚くことに、アタマの中のどこにしまってあったのか不思議に思うほど、さまざまなかつて知った知識、記憶が甦り、そして展開するのです・・。

これらのことから人間の記憶とは、さきの夢について述べたように後の経験、記憶によってボンヤリとすることもある一方、久しぶりに会った師匠との会話にて、何時知ったのかも忘れてしまっていることまで甦り、展開することもあるという随分不思議なものであるようです・・(笑)。

加えて、そこでの会話においても、先日のブログ記事に書いた大学への求職活動を再開する旨を師匠にお伝えすると、特に『良い』とも『悪い』とも評することはありませんでした・・。

また、それとは別件ではありますが、本日伺った歯科医院院長のお母様へ、以前の会話にて関連があるのではないかと思い、後日お持ちした書籍を『大変面白く読ませて頂きました。』との感想を聞くことができました。

こうした世代の異なる、しかもどちらかというと感情を率直にあらわす傾向のご婦人から、自身の選んだ書籍を喜んで頂けたことは、あまり経験がないことからか、なかなか嬉しく感じられた次第です・・(笑)。

また、書くまでもないことであるかもしれませんが、このご婦人がその書籍を楽しく読んで頂けたことは、その細やかな女性らしい感性による興味を持たれた記述内容に対する説明からも理解することが出来ました・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

去る2016年、熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生した地震によって被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」


2017年3月28日火曜日

20170328 スーパーで並んでいて不図思ったことから・・

昨日投稿した記事は思いのほか多くの方々に閲覧して頂けました。また、それに対しての大変興味深い反応も見られました。どなたであるか分かりませんが、大変興味深いご指摘どうもありがとうございます。

くわえて、そこからも自身の考えが大きくはブレていないことを理解して頂けたのではないでしょうか・・(笑)?

さて、ハナシはそこから変わり、本日帰宅間際にスーパーのレジにて並んでおりますと、偶然、大変人気のある某海賊マンガに登場する男女キャラクターが描いてあるポスターが目に入りました。

特に意識することなく、そのポスターを漫然と眺めておりますと、不図、このポスターに描かれているキャラクター達が以前に読んだ別の某漫画家の描くそれに似ているのではないかと思われたのです。

おそらく双方漫画家間に実際の接点、面識はないと思われますが、一方、それと同時に面白いと思ったことは、前作者が熊本県熊本市出身であり、後作者が鹿児島県鹿児島市出身であることです。

とりわけ両者の描くキャラクターにて美形・ヒロインとして描かれる女性キャラクターの顔貌の造型が類似しているのではないかと思われました。

また、これは私見ではありますが、その類似性とは、現代のさまざまなアニメヒロイン造型間において指摘される類似性とは、その根本が異なるものであると考えます。

さて、そこから自身の在鹿、福岡時代を想起してみますと、たしかに、さきに述べた双方キャラクターに共通するモデル、あるいは最大公約数的ともいうべき実在の女性はいたように思われます。

しかし面白いことに、こうした女性とは、あまり関東、首都圏といったさまざなな地域の出身者が混淆し居住している地域では見受けることがないことから、おそらく、こういったタイプの女性は、在地社会に根付いていく傾向が強いのではないかと思われます・・(とはいえ、先日その著作を読んだ白洲正子が少し似ているのではないかとも思われましたが・・)。

もとより、これも観察のN数が少ないため断定は出来ませんが、それでも現段階においてはそのような仮説が妥当ではあるまいかと考えます・・。

ともあれ、ハナシを元に戻し、以上のことから、さきに述べた両マンガヒロインの造型の類似性と、両作者の出身地が熊本、鹿児島であることには、科学的・数値的には判断できないものの何かしらの関連性があるのではないかと考える次第です・・(笑)。

また、こうしたこと(地域における顔貌などの類似性)を考えはじめた九州在住期後半(2012~)とは、それまでに読んでいた谷川健一金関丈夫などの著作の影響からか、さきに述べたような土着の女性、また、それに加えて外部から移り住み、さまざまな苦労をしているであろう女性に対しても同様に、あくまでも『自分なりに』ではありますが、しかし内発的に、どちらかというと敬うようになっていきました・・(苦笑)。

そして、そうした変化のことを文系院時代の知人等に話しますと、感心されるよりさきに疑念(割合真剣な)を持たれました・・(笑)。

しかし、そうであっても、これはあくまでも内発的な変化であり、その変化に至るまでのさまざまな心象の蓄積とは、その土地で自身が経験したこと、あるいは傍観者として眺めた光景などによるものであり、それはいわば、そこに住む人々によって形成されている地域性に自身が(経時的に)反応した結果であるともいえるのです。

そして同時に思うことは、まさしくその時期(2012~)とはD2病の全盛期であり、また最も文章を滑らかに書くことが出来ていた時期でもあるのです・・(笑)。

・・いずれがタマゴかニワトリかは今となっては判然としませんが、それでも、いや、それ故にこそ、そうした時期における自身に対する慎重な対応とは極めて重要であるように思われるのです・・(苦笑)。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年に熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生地震により被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。








2017年3月27日月曜日

20170327 消極的な書き出しから希望にて終わる(ブログ記事作成について)

A「本日の首都圏は午前中に雨が降り、また1日を通して気温が上がらず、大変に寒い1日でした。また、自身も少し体調がすぐれない1日でした。

もうじき、この冬めいた気候も終わり、春が訪れるのでしょうが、もうしばらくは防寒衣料が手放せない日々が続きそうです・・(苦笑)。

さて、本日も前述の体調により、ブログ記事作成を断念しようと思いましたが、幾ばくかの閲覧者があったことから、本日、今現在こうして記事作成を開始した次第です・・。

とはいえ、あと残り20数記事の作成によって600記事に到達することから、あまり無理をしてまで記事作成をすることもないのですが、その一方で、どうも何かしら書いておかないと落ち着かない自身がいるようです・・(苦笑)。

さて、昨日作成の記事に書いた通り、今後また求職活動を再開する所存ですが、これまたどうなるものか分かったものではありません・・。

また、特に昨今の大学職種とは、全般的に任期付きが多いことから不安定とも思われるところですが、それでも自身に関しては、これまでの経験から、そうした職種こそが最も全力で取り組むことが出来るのではないかと考えるのです・・。

また、かつて大学職種に就いた時期がありましたが、もしもそのまま大学の職に就いていたならば、おそらく、このようなカタチで、これまでの期間(1年9カ月程度)継続的に文章を書き、そして、その書かれた文章が20万人以上の方々に閲覧されるといった経験は得ることができなかったのではないかと考えます。

それ故、これに関しては特に大きな後悔はしておりません・・。

やはり、自身に関しては、こうしたブログ(文章)作成を継続するという行為においても、ある程度不退転の決意を後押しする『契機』が必要であったのではないかと思われるのです・・。

もっとも、こうしたことは何も自慢出来るようなことではないのですが・・(苦笑)。

それでも、これまで継続的に記事作成を行うことが出来たことは、自身にとって少なからず得るもの、進歩があったと考えます・・。
何故ならば、当記事冒頭の『どうも何かしら書いておかないと~』といった消極的な書き出しから、ここまで、どうにか一気呵成とまでは行きませんが、あまり逡巡することなく書くことが出来ておりますので、それは、おそらくブログ記事の継続的な作成以前の自身では出来ないことであったと認識するからです・・(笑)。

以前、ミクシィに登録していた際には、一週間に一度程度、こうした記事を作成していた記憶がありますが、その内容とは、残念ながら登録情報を全て削除したため、現在となっては見ることが出来ませんが、あるいはその中にも見るべきものがあったのではないかとも思われます・・(苦笑)。

いや、それでも特に無理をして書くわけではありませんが、おそらく作成された記事全体として考えてみますと、現在作成しているブログ記事の方が、多少は面白い、見るべきものが相対的に多いのではないかと思われるのです・・。

そしてまた『今後、如何なるカタチでこれまでの記事作成の経験が生かされるのであろうか?』とは、なかなか自身としては楽しみにしているところでもあるのです・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます!

昨年の熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」








20170326 経験によって分かること、自身の性質、能力などについて

本日の首都圏は降雨そして真冬並みに気温が低下し、大変寒く感じられる一日でした・・。

一方、昨日書いたブログ記事は投稿翌日の割には多くの閲覧者を得ることが出来ました。

これは記事前半の『シン・ゴジラ』を扱った部分によるものか、あるいは後半部分の対話形式によるものであるか分かりませんが、何れにせよ、読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

また、改めて実感したことですが、対話形式にて文章を作成する場合、その文章、文量とは独白形式のそれに比べ、ある程度容易に書くことができるようです・・。

しかしながら、この対話形式の場合、その多くを実際の記憶に依拠しているため、何といいますか『自身の有している会話の記憶』と『それを文章として書き起こす際の文体』の歯車が上手く噛み合うまで、多少時間がかかってしまうようです・・。

一方、ほぼ創作にて対話形式の文章を作成した場合、どうもウソっぽくなってしまうと考えるため、完全に創作としての対話形式の文章とは未だ書けないでおります・・(苦笑)。

また、今後もそういった文章を書くことは難しいのではないかと思われます・・(苦笑)。

あるいは、こうしたことも自身のこれまでの『文体』によるものであるのかもしれませんが・・。

とはいえ、今現在の段階としては『創作としての対話形式の文体』に対し、あまり大きな魅力を感じることもありません・・。

さて、そこからハナシは変わりますが、今月にて現在勤務している場所に入り丁度一年が経過し、また、この一年間でさまざまな経験をさせて頂きました。

そこから、やはり自身としては大学にて研究支援職、コーディネーターなどに就く方が自身をより生かすことが出来るのではないかと考えるに至りました・・。

もっとも、このことは、以前投稿のブログ記事に書いた通り、かねてより考えてきたことではあるのですが、それでも『現在の職務において何らかの爪痕を残さないことには実に不甲斐ない』と考え、自分なりに慣れないことも含めを懸命に行ってきた次第です・・。

やはり人間とは、ある程度年齢を重ねますと、職務を通じ、自身の得手不得手といった性質、能力がより明瞭に見えてくるようであり、そうしたことを通じて自身の『限界』といったものを感じることは往々にしてありました・・。

しかし、これを別言すれば『自身の得意なことがより明瞭に分かった』ということでもあり、これは今後の求職活動および就いた職種においても生かすことが出来るのではないかと考えます・・。

また、それを具体的に書けば、その職務が『ある程度の時間を費やせば出来るか、そうでないか』が感覚的に理解出来たということではないかと考えます・・。

これは『当たり前のことではないか?』と思われる方も多いのではないかと考えますが、しかし『では、そうしたことを理解された経験とは、どの程度の自身の実体験から得られたのでしょうか?』と今一度考えてみますと、それらの多くは一般的な言説などに依拠している部分が多く、殊自身に関しては不明瞭である部分も多いのではないでしょうか?

そしてまた、こうしたことも帰納法と演繹法による知見とのすり合わせにより、より精確な知見を得ることが大事であるのではないかと思われます・・。

加えて、自身の場合、あまり一般的とは云えない学問分野の変遷を遂げて来たことから、より、そのあたりが不明瞭であることから、自身の活動によって、それを明らかにして行かざるを得ないのではないかと考えます・・(苦笑)。

また、こうした変則的な経路を歩んできた自身に対して接触を保ち続けてくださった方々がいらっしゃることは自身にとって大変な励みとなっており、またそれにより、これまでどうにか自意識に押し潰されることもなく、またブログ記事の作成を継続することが出来ているのではないかと考えます・・。

さらに、どなたであるか分かりませんが、作成したブログ記事に対し、さまざまな興味深い反応を継続的にされる方々がいらっしゃることもまた、同様に大変な励みとなっております。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨2016年に発生した熊本、山陰東部そして福島県周辺での地震によって被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。












2017年3月26日日曜日

20170325 『シン・ゴジラ』を観て思ったこと、別件からの対話形式

昨日レンタルした『シン・ゴジラ』を視聴しました。
はじめに強く思ったことは「こうした作品とは大画面で見るべきである。」ということです。

また、面白く感じたことは、作品途中にてゴジラが変態することであり、これはオリジナルの第一作にはなかった要素です。

この要素とは「同監督が以前に制作した某アニメ作品からの影響ではないだろうか?」思いましたが詳細については不明です。

さらに作品内の我が国政府の対米姿勢とは自嘲気味に描かれておりましたが、果たしてそれが現実に近いのかどうかは分かりかねるところではありますが、ともあれ、少なくとも現在の我が国の様相から考えてみますと、案外適当なところではあるのかもしれません・・(苦笑)。

さらに、この作品では会議、話し合いの場面が比較的多かったように思われますが、それらの場面で各々俳優によって為される会話が全体的に端的、早口である割には話した内容が一度できちんと相手に伝わっている様子が逆に少し不自然ではあるまいかとも感じられました・・。

それは何といいますか、作品全体に決然たる雰囲気そして、そこから生じる悲壮感らしきものの演出を狙った、いわばゴジラの出現という天変地異が生じた際のリアリティーを追求した結果であるとは思われますが、元来、我々が用いる日本語とは、そのような会話には向いていないのではないかと思われるのです・・(笑)。 

また一方、それに対し別の見方をすれば、こうした作品内での会話の傾向(早口、端的)とは、ライン、ツイッターといった比較的短文(端的)でのやり取りに慣れている方々、世代に対しての効果を狙った演出であったのではないかとも思われます・・。

ともあれ、作品全体としては途中退屈することもなく、最後まで楽しく観ることができました。

さて、昨日分の記事を投稿した後、どうしたわけか昨年5月18日作成記事『最近不図思ったこと・・三重県県名の由来など・・』の閲覧者が増加しました・・。

その為、あらためてこの記事を読んでみますと、少しは面白いことが書いてあり、殊に末尾に近いお師匠から伺ったハナシとは我ながら悪くないオチではあるまいか?と思った次第です・・(苦笑)。

そこで以下に、そのハナシを題材にした対話形式の作成を試みます・・。
~2009年の年末が舞台です~

A「おい、コーヒーが入ったから、一旦実験を切り上げてこっちに来い!」

B「あ、はい、分かりました!この最後の試料切片が切れましたら、超音波洗浄にかけて、そちらに行きます!」

(講座休憩室にて)

A「それで、お前の実験、試料作製は上手くいっておるのか?」

B(手拭いで手を拭きながら)「・・ええ、まあ最初の頃よりかは安定した数値が出てるとは思うのですが、それでも先行研究に書かれている値に比べますと、かなり全体的に低いので、基材の薄さや焼成後に得られる基材の表面粗さのできるだけの均一化が案外重要ではないかと最近は考えています・・。」

A(コーヒーを飲みながら)「・・そうか、まあ進捗しているんならそれでええ・・結構、結構。
それで新しく入ったダイアモンドカッターはええやろ、しかし、あれであまり焼成後の試料切ったらアカンで、せっかくの吹き付けたダイヤモンドがすぐにワヤになってしまうからなあ・・。
・・・ああ、研磨の講義で習ったやろ、あれと同じ理屈や。
まあ、それはええ、それでオマエは年末クニに帰るんか?
わしゃ**日に帰るから、もし年末年始に実験に来るんやッたら火元に気いつけいよ。」

B「あ、はいわかりました!
年末年始は**先生も時折実験でいらっしゃるそうですが、もちろんわたしも火元に気を付けます。
それでA先生は飛行機で帰郷されるのですか?」

A「ああ、飛行機が一番早いからな、それでもお前、わしも院生の頃はバイト代で買うたカブに乗っていてな、お前が今乗っているののもっと古いタイプやけどな、あれでお前、名古屋から大阪まで乗って帰ったんやが、途中伊吹峠で吹雪に遭うて、いきなりやぞ!あれはホンマエライ目に遭うたで・・。」

B「・・先生、今のお話しと似たようなことを『古事記』で読んだことがあります!
あれはたしか景行天皇の御代のことですが、その皇子である倭健命(ヤマトタケルノミコト)が東征からの帰路、伊吹山の麓でそのような状況に遭遇したのです・・。
また、その時に倭健命は憔悴して亡くなってしまうのですが、その際に云ったコトバが現在の三重県の名前の由来になっているとのことです・・。」

A「・・お前はホンマそういうしょうもないことをよう知っておるなあ・・それでヤマトタケルは三重のことを何ていうてたんや・・?」

B「たしか「とても疲れて足も腫れ上がり三重に曲がってしまった」という意味のことが書かれていましたが、この『三重に曲がる』とは棒状の餅をひねって現在のパンのツイストみたいな形状にした当時の菓子を連想しているのではないかと思います・・。」

A「はあ、なるほどなあ・・。
そういや、わしは毎年初詣には北野天満宮に行くんや、お前あそこは知っとるか?」

B「ええ、やはり菅原道真公、学問の神様をお祀りしている神社ですので・・しかし、それでしたらここ九州の太宰府にも有名な太宰府天満宮がありますが・・?」

A「ああ、あそこも**大学で学会があった時に何度か参拝したなあ・・そやけどお前、わしが北野天満宮に初詣に行くんは、菅公さんが学問の神様だからだけやないでえ・・。
菅公さんのおっかさんはなあ、わしの御先祖様の家の出なんや・・。」

B「はあ、そんな理由があったのですか・・しかし、そういった考えとは関西、近畿文化圏あたりでは、わりかしポピュラーかもしれませんが関東、首都圏ではあまり聞きませんね・・わたしとしては、そうした関東、首都圏の文化はどうも味気ないとは思うのですが・・。」

A「そやな・・よっしゃ!そうだ、お前、来年わしが戻って来たら開聞岳に一緒に登るか?この季節のあの山頂は空気が澄んで遠くの屋久島の宮之浦岳まで見えるんや、気持ちええぞお。」

B「あ、それはいいですね!是非お供させてください!」

A「よし!この調子で年末年始の実験もがんばれい!」

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

去る2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺にて発生した地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」














2017年3月25日土曜日

20170324 心境、趣味の変化・・脱然貫通?

本日は帰宅の際にレンタルCD・DVD点に立ち寄ったところ『シン・ゴジラ』がレンタルに出ておりました。

これは人気の最新作ということで、レンタル料も高く、立ち寄った時点にてわずか数本がレンタル可能な状態であり、迷わずその中から一本を一泊にてレンタルしました・・(笑)。

もちろん未だ現在これを観ておらず、おそらく当ブログ記事を書き終えた後に観ることになると思われます。

とはいえ、かなり久しぶりに映画作品のDVDソフトのレンタルにて高揚しました・・(笑)。

しかし思い起こしてみますと、自身はかつて、かなりの映画(レンタルを含め)好きでありましたが、どうしたわけか鹿児島在住時の後半、2012年あたりから以前ほど、それらを楽しむことが出来なくなりました・・。

この原因は未だ自身でもよくわかりませんが、おそらく何かしらの変化が内面に生じたのではないかと思われます・・。

また一方で面白いと思うことは、それまでどちらかというと批判的であった某アニメスタジオ(和製)一連の作品を2013年の春過ぎあたりから突如面白いと感じ、また感激するさえするようになったことです・・(笑)。

まさか、こうした心境、趣味の変化が30半ばで訪れることは、自身でもいささか驚きました・・(笑)。

それに加え、同アニメスタジオ作品ではありませんが、上記の変化を更に実感すべく?この時期偶然にレンタルした昭和30年代の瀬戸内西部を舞台としたアニメ作品では図らずも泣いてしまいました・・(笑)。

おそらくこうした心境・趣味の変化が一旦内面にて生じると、その効果、影響とは広く速やかに精神、内面全体にまで波及するのではないかと思われます・・(脱然貫通)。

また、上記経験から抽出された実感について考えてみますと、以前、当ブログにて二回に亘り抜粋引用した岩波書店刊 井筒俊彦著『意識と本質 精神的東洋を索めて』記述内容に、あるいは関連があるのではないかと思われるのです・・。

また、そのように考えてみますと、我々の精神、内面の構造とは12世紀、20世紀の中国、日本の思想家間においても(少なくともそうした面においては)あまり大きく違わないのではないかとも思われるのです・・。

そしてまた、それらの方々の考えを(現在)読み、そして理解しようとすること、あるいは理解出来たと実感できることこそが、一面における文系諸学問の大きな存在意義であるのではないかと思われるのです・・。

また、かつてそうした考え、思想があったということを各個人の経験、実感を通じて認識、理解出来ることは昨今よく取り上げられる人工知能(AI)でも不可能なことであり、同時に、たとえ多少、的はずれであったとしても、そうしたことを述べる、書くこと(こそ)が、我々の持つあらゆる考え、思想を『血の通ったものとして』進化、創造していく際の極めて重要、不可欠な過程ではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。
去る2016年に熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生した地震によって被害を被った地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そして、その後の復興を祈念しております。」






2017年3月23日木曜日

20170323 『脳裏を流れる文章』と『著す文章』あるいは『口語』と『文語』との相違から・・

ここ数日は比較的温暖な日が続き、このブログも600記事到達まで残り30記事を切りました・・。

しかしながら、本日に関しても特に記事題材となるものは未だ脳裏に浮かばないまま、つい先ほど記事作成を開始した次第です・・(苦笑)。

こうした状況にて作成した記事とは、これまでの数多くあり、またそれらを後になって読んでみますと、それなりに面白いものとそうでないものがあります。

そこから『こうした違いとはどこで生じるのであろうか?』とも考えてみるのですが、それぞれの書かれた状況とは、大きく見ればあまり変わりないですし、一方細かく考えてみますと、それこそ日々の記事を書く際の内面の状況とは大きく異なっているといえます・・(苦笑)。

とはいえ、内面の状況が何といいますか『ノッていれば、ハイであれば良い、面白い記事が書けのるか?』と考えてみますと、必ずしもそうではないようであり、むしろ、そういった状況とは『気分の高揚』と『文章の作成』双方の歯車が上手く嚙み合わずあまり文章作成が捗らないことが多いように思われます・・。

しかし、こうした内面の状況においても脳裏にコトバ、文章らしきものは流れているのです。

そうしますと脳裏のコトバ、文章の流れを上手く掴み、実際の文章として著すことが大事であるのですが、実はこれがなかなか難しいのではないかと思われます・・。

そして、これを効果的に行うことが出来るようになれば、ブログなどの場合、ある程度の記事数を作成することなどは特に難しいことではないのかもしれません・・(笑)。

しかし、そこで同時に重要であると思われることは『洗練され、流れ込むようにその内容が頭の中に入ってくるような文章(だけ)が良いのか?』ということであり、このことは先ほどの『脳裏を流れる文章』と『著す文章』との関係性に密接に関与しているのではないかと思われます・・。

あるいは、この関係性とは『口語』と『文語』との間に見られるものを異なった言い回しにて表現しているだけであるのかもしれません・・。

とはいえ、私見ではありますが、まさしくここに、全ての『学ぶ』という行為の意味が凝縮されているのではないかと考えます。

また、その発露の様式が短歌、誌、散文、論文あるいは数式であっても本質的には全て同じではないかと自身は考えます・・。

そして、そのように考えてみますと思い起こされるのは『古事記』と『日本書紀』の相違であり、たしか前者は712年、後者は720年に編纂されたものです。

また、その内容とは、双方共に基本的には神話からはじまる皇室を基軸とした年代記です。

おそらく、それ以前の時代における、こうしたいわば『歴史』とは、口承により代々語り継がれていたのですが、平城京への遷都を機に、こうした『(口承された)歴史を文章化して遺す』試みが国家的プロジェクトとして為されたのではないかと考えられています(7世紀末頃より企図されてはいたが)。

さて、『古事記』と『日本書紀』の編纂年代はおよそ8年異なります。

そして、この8年の間にその記述される文章(漢文)は洗練され、後者(『日本書紀』)の書かれた漢文とは大陸でも記述内容が概ね理解出来るものであると評価されております。

一方、前者(『古事記』)の書かれた漢文とは、和文の音に漢字を置く一方、通常の漢文的表現も見られたりと混淆しており、おそらく6世紀あたりの古墳から出土した鉄剣に刻まれた銘文のような感じであったのではないかと思われます・・。

それ故、後代になり、徐徐に話される言語(口語)が変化してきますと、その内容を理解することは困難になり、後世、ようやく18世紀半ば過ぎに本居宣長によってその内容が註釈、翻訳されたとのことです・・。

18世紀後半とは、いくつかの学問分野にて、そうした註釈、翻訳作業が熱を帯びた時代であったのかもしれません・・。

ともあれ、これら記紀双方にて、より口承された内容に近いものはおそらく『古事記』であり、それをさらに、漢文としての文語の方向に洗練させたものが『日本書記』であると云い得るのですが、双方の微妙な内容、表現の相違が、前述の『脳裏を流れる文章』と『著す文章』あるいは『口語』と『文語』との相違に何かしら関連、相似するのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

去る2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震によって被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」





2017年3月22日水曜日

20170322 外部・既存の考え・思想と『能動的に考える』について・・

A「総投稿記事数も570に達し、あと30記事未満の投稿にて600記事へ到達することになりますが、そういった自覚といったものは、実際のところあまり感じることはありません・・。

しかし、思い返してみますと、記事作成を開始した当初とは『公にする文章を作成する』というプレッシャーを強く感じ、あれこれと考えた結果、順調な記事作成が困難な状況となっていました・・。

そこで自分なりに試行錯誤し対話形式の記事、書籍からの抜粋引用を行うことによってどうにか記事数を増やしていました・・(苦笑)。

そして300記事あたりから徐徐に自身の作成記事割合が増加していき、おそらく現段階においては全体の70%程度は自身の作成した記事であると思われます・・。

とはいえ、現段階においても作成記事に対して『ワキが甘い』といった指摘を知人から受けることも時折ありますので、今後も自身の内心に正直に且つ必要以上に周囲を刺激しないよう心がけ記事作成を継続していこうと考えております・・。

しかし一方、面白いことに自身は作成記事の内容によって思想的に左右両方の傾向を示すようであり、人によって『**君の考えは少し左寄りではないかね?』と云われたり、一方『全体的に見て**さんの考えは、その地金は右寄り、あるいは保守的ではないかと思います・・。』といったご意見を頂戴することがあります・・。

自身としては何れであれ結構であり、また記事題材が変わることにより、得られる考え、思想も変化するのであれば、それは、それこそが『自身の考え』ではないかと思われるのです・・。

無論、(既存の)思想とは大事であり、それにより扱う題材に対する視座、軸が得られ、そしてまた文章を書くことが出来るのですが、しかし、あくまでも(既存の)思想とは、我々の外部に存在するものであり、機に応じてそれらを発し、用いることが出来ることこそが、我々生きている人間の為す創造的な行為と云えるのではないでしょうか・・?

また、昨今は特に自身のコトバにて記事を書くことを大事にしておりますので、ここに既存の思想からの援用、運用が必要以上に多く(過多)なりますと、自然、自身の考えといったものを書くことが困難になってくるのではないかとも思われるのです・・。

これは以前、書籍からの抜粋引用を多用していた時期に考えたことです・・。

また、それに慣れてしまいますと、今後は更に一層、自身の文章を書くことが困難になるのです・・。

そのことから『自身の文体を持つ』ということが大きな意味を持ってくるのではないかと考えます。

とはいえ、以前よりブログ記事に書いている通り、開始当初に比べた場合、自身の文体とは、ある程度明瞭にはなっているとは考えますが、それでも未だ『自身の文体を得た』という自覚、実感は得ておりませんので、それが今後如何なる経緯を辿り文体を得るのかとは興味深い事柄です・・。

そういえば、先日岩波新書刊 竹内洋著『丸山眞男の時代』を再読しましたが、そこで述べられている昭和初期の思想家である蓑田胸喜に関しての部分とは、昨今のさまざなな社会での出来事を考えるうえで参考になるのではないかと思われました。

果たして我々とは、その時代(昭和初期)から、如何なる進化が為されたのでしょうか?

あるいは如何なる経験を経ることにより思想、考え方の進化、深化とは為され(定着す)るのでしょうか?

とはいえ、こうしたことは物理化学(理系諸学問)のように普遍化することは困難であるのかもしれません・・。

しかしながら、それでも各々我々が能動的に考えていくこと以外、その善処の方法とはないのではないかとも思われます・・。
そしてその際に既存の思想とは極めて有用であると考いえます・・。

しかし、であるからといって既存の考え方、思想に徹頭徹尾、現実の出来事、事象を適合させていくといった考えは一見『能動的に考える』に見えるのかもしれませんが、そこで微妙な齟齬が生じ続け、結句、帳尻において『間違い』ともいえる結論に至ってしまうことも少なからずあるのではないかとも思われます・・。
こうしたことは思いのほか、我が国の近現代史を考える上で示唆するものがあるのではないでしょうか?

それでも、こうした抽象論とは、どんなに書き続けてもあまり意味はないのかもしれませんが・・(苦笑)。

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

昨年に生じた熊本、山陰東部、福島県周辺における地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧および、その後の復興を祈念しております。」










2017年3月21日火曜日

20170321 570記事到達 ブログ記事の継続的な作成の効果とは・・

一昨日の記事投稿により総投稿記事数が570に到達しました。これにより目標とする600記事まで残り30記事となりました。

また、現在のペースにて記事作成を継続することにより、おそらく来月中には600記事まで到達することが出来る可能性がある程度示唆されました。

とはいえ600記事とは、相対的に見てどの程度のものであるのか分からず、また特に分かろうとも思いませんが、到達の場合、とりあえず『やったぞ!』といった程度の感慨は生じるのではないかと思います・・(笑)。

そして、その後、当ブログ記事を継続するか否かに関しては、これまた何も考えておりません・・(笑)。

また、これを継続する場合、次の目標は700記事ということになりますが、その場合も自身が『やる気』さえ持てば、どうにか達成可能ではないかと、以前ほど背伸びをせずに割合気楽に考えられるようにはなりましたが、一方『果たしてブログ形式にて書き続けるのが良いのか?』とも考えるようになりました・・。

しかし、その場合『では他の如何なる形式に依って書き続けるのか?』と考えてみますと、あまり良い案も浮かばないことから『まあ、良い案が浮かぶまで、少しブログ記事およびこうした文章の作成を休んでみるのも悪くない・・』とも考える次第です・・(笑)。

しかし
、こうしたことが慢心につながることも往々にしてあると考えますので、とりあえずは目先の目標である600記事到達を目指すことに専念することにします・・(笑)。

そういえば、ここ数日の間に久しぶりに文系、理系双方のお師匠との何らかのカタチでの接触の機会がありました。

こうしたことは、大変珍しく、また、今月頭に参加した文系院時代の勉強会も加味して考慮してみますと、それらは自身が企図したものではないため、何だか面白い偶然が重なっているようにも思われた次第です・・(笑)。

そして、以前こうしたことを強く感じた時期を想起してみますと、それは2012年春~冬にかけてであったように思われます。

また、その時期とは、かねてより当ブログ記事にて書いている通り『D2病』の最も勢いのある時期であったのではないかと考えます・・(苦笑)。

当時の自身とは『多分にその勢いに任せていた』と思われ、その反動が翌年晩春頃に生じた危機の直接的な原因となったのではないかと思われるのです・・(苦笑)。

それ以後もまた、さまざまな失敗を続け、また同時にこうした危機も経験はしてきましたが、果たして自身はそこから多少は学んでいるのでしょうか・・(苦笑)?

しかし同時に、思うことは、これまでのそうした時期においてはブログ記事をも含め公表を前提とする文章を継続的に作成していなかったことです・・。

これは自身としては大きな違いであり、また、これ(継続的な文章の作成)が無ければ、自身はその自意識に押し潰されていたのではないかと思われるのです・・。

そして、自身のそれとは案外大したものではないのかもしれませんが、何れにせよ、こうしたものは実際に味わってみないと分からないのではないかと思われます・・(書いても決して伝わるものではない・・)。

あるいは、それ(自意識に押し潰される)を味わうことが無いように常時他者を貶め続ける行為とは、短期的に見れば大変効果的であるのかもしれませんが、そうした行為を続けることが出来なくなるほど気力・体力の衰えが訪れた場合(早晩そうした時期は訪れる)の反動とは、かなり大きなものではないかと思われます・・。

また、さまざまな現世的な処世訓あるいは宗教などもまた、そうしたある程度人類に普遍的に生じている現象を見抜いて、その善処、良い解決のため考えだされたのではないかと思われることがあります・・。

ともかくも、ハナシを戻し、そうした意味からも文章作成を勧めてくださった方々は感謝に値するものと考えております・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。


おけげさまで570記事に到達することが出来ました。

昨年(2016年)に熊本、山陰東部そして福島周辺にて発生した地震により被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。














2017年3月20日月曜日

20170319 サムライについて『ところ変われば・・』

日本の男性に対する美称として『サムライ』というコトバが国際的にも認知されているようです。

もっとも、このコトバは戦前の特に太平洋戦争期の旧帝国陸海軍士官に対しても用いられていたとが、いくつかの書籍からうかがうことが出来ます・・。

時代によっても『サムライ』の示す意味とは微妙に異なっているのかもしれません。

とはいえ、国内に限定して考えてみますと語義的に『サムライ』とは、主に江戸時代の武士階級を示すものでありながら、国内地域によっても、これまた示す意味が微妙に異なっているのではないかと思われるのです・・。

これは自身が幾つかの地域に在住した実感に基づくものであり、特に学術的な見地によるものではありませんが、自身はそのように考えます。

中でも大阪南部、和歌山といった地域に関しては、江戸期、幕藩体制以前においては、複数の地侍(国人)集団(党)が協同合議して統治を行っていた傾向が見受けられ、その中には律令制以前より土着していた国造家といった豪族が含まれていることもあります。

また、そうした地域における統治の構造・形態の淵源を考えてみますと弥生・古墳時代までに遡ることが出来るのかもしれません・・。

そして同時に、こうした構造は、古代大和朝廷の基盤となった勢力の統治構造を考える際において示唆する要素が少なからずあるのではないかとも考えられます。

さて、ハナシを戻し、さらにこうしたことを考えてみますと、古くから在来の統治構造が保持されてきた地域に、新たな幕藩体制による統治組織(藩)が封じられた場合、当然、在来の統治構造と新たな統治組織の間で緊張関係が生じることが多いと云えます。

そこでの地域統治が上手く行かないことから改易、取り潰しになった藩も複数存在します。

それに関連して司馬遼太郎著『功名が辻』、『竜馬がゆく』などの小説にも書かれていますが、土佐藩の場合、新たな幕藩体制下の統治者として山内家と共に入国した家臣団が上士、それに対し在来であり滅ぼされた長曾我部家の遺臣団が概ね郷士という扱いになったハナシは割合有名です。

もっとも、こうした経緯も全て平和裏に行われたものではなく、相当の流血があっのだという・・。

それ故、幕末期に土佐藩の郷士(幕藩体制以前の長宗我部家の家臣)から多くの勤王(倒幕)の志士が現れたことは、ある意味歴史の必然であるとも云えます。

他方、紀州徳川家の場合、重臣の中にも在地特有の苗字が複数見受けられること、地侍(国人)集団(党)の軸となった古来から続く寺社が幕藩体制下においても尊崇を受けていたことから、新規、在来間の統治組織のすり合わせ、癒合は割合上手くいったのではないかと思われます。

その点において薩摩、大隅(鹿児島)は珍しく、鎌倉期にこの地に守護職として補任された島津氏が鎌倉期、南北朝、足利期、織豊期そして江戸期を通じ、一貫して、この地域を統治してきました。

無論、その間には幾度もの他国との抗争、国内での内乱があったが、それでもなお、この薩摩、大隅における島津氏の統治は崩されませんでした。

おそらく徳川幕藩体制としては、それまでの経緯からも、こうした統治の類例は認めたくなかったのではないかと思われるが、この僻遠の地(関東、東海から見て)に派兵し、無理にでも支配下に置き、そして改易とした場合に生じる危険性の方が大きかったのではないかと思われます。

ともあれ、それ故、薩摩・大隅(鹿児島)には、良い悪いは抜きとして古来からのさまざまな文化と共に『サムライ』と称するものも原初に近いカタチにて存続してきたのではないかと思われます。

そして、この原初からの『サムライ』が保持された薩摩、大隅(鹿児島)の勢力が、幕末期における時代変革の主要な推進力の一つとなり、同時に、それにより誕生した明治政府に対する最大の叛乱を起こした地域勢力でもあったことは、この『地域』(鹿児島)そして『サムライ』というものを考える上で何かしら示唆するものがあるのではないでしょうか?

また、以上のことから、あまり『サムライ』というコトバを安易に氾濫させること、それに加え、来たる2018年の大河ドラマの題材を西郷南洲翁(隆盛)とすることには、どうも漠然とした危惧をおぼえてしまうのですが、如何でしょうか・・?

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年、熊本、山陰東部そして福島周辺にて発生した地震によって被害を被った地域の早期の諸インフラの復旧、そして、その後の復興を祈念します。




2017年3月19日日曜日

20170318 書店にて思ったこと(装置と芸術の違い・・?)

A「気がついてみましたら、投稿記事数も570に近づいておりました・・。

この調子にて記事作成を行っていきますと、来月中には以前に書いた目標通り600記事に到達することが出来るのではないかと思われます・・。

とはいえ、これは未だ先のハナシですので、この先もただ、出来るだけ毎日何かしら書いていこうと思います・・。

そういえば、本日久しぶりにある程度の時間を書店にて過ごしました。

大型の書店に行きますと、いつものことですが、知らないこと、読んでいない書籍、知らない分野の多さに愕然とします・・(苦笑)。

さて、本日赴いた某書店内に掲示されていたポスターから再認識したことであり、また同時に自身は視聴していませんので、そのストーリーは分かりませんが、今年の大河ドラマは織豊・江戸初期の井伊家が題材となっているようです。

そして、そこから以前に投稿した昨年の大河ドラマ『真田丸』を扱ったブログ記事内において、偶然にも、わずかながら井伊家のこと(井伊の赤備え)を書いていたことを思い出しました・・(笑)。

また、それに加えて、これまでに投稿したブログ記事にて数度取り上げている野上彌生子著『迷路』に明治以降、華族となった井伊家当主兄弟をモデルとした人物が重要な役柄で登場することも思い出されました。

この登場人物については、加藤周一著『日本文学史序説』下巻においても解説されており、その部分はブログ記事として抜粋引用を行った記憶があります・・。

考えようによれば、これらもなかなか面白い偶然であるのかもしれません・・(笑)。

ともあれ、ここまで書いていて不図思ったことは、この野上彌生子著『迷路』を大河ドラマに限らず映像化してみるというのは、なかなか面白く、且つ、これまで為されていない試みではないかと思いますが、如何でしょうか・・?

また、以前には山本薩夫監督『戦争と人間』という、部分的には多少史実と異なるものの重厚な長編映画がありましたので、同じ戦後期、現代とはいえ、数十年程度の単位にて文化水準といったものは大きく変化する性質のものであるとも考えられます・・。

その意味で、おそらく自身を含め現在の我々とは、小説も映画もドラマも『手軽に感激することを目的とした装置』のように認識しているのではないかと思われます・・。

一面においてそうした認識は間違っていないとは考えますが、しかし、本来それらが、芸術である所以とは『そこから有無を云わせない何かを提示され、考えさせられること』ではないかと考えます。

異言すると、そうした芸術作品とは、感激は残さずとも、不可解ではあれ『何かしら強い印象』を心に残すものであると思われます。

そして現在、そうした意味での重厚な作品とは、かつてに比べ少なくなっているのではないでしょうか?

そして、たしかにそうした作品がかつてに比べ少なくなっているのであれば、その大きな理由とは、小説、映画、ドラマといった、モノガタリを人に提示する様式全てが『マンガ』を基準とすることが最も効果的な集客、販売につながると考えられるようになったからではないかと思われるのですが、如何でしょうか?
何でも分かり易ければ良いというものでもないらしいです・・。)

そしてそこから『(経済的な意味での)有用性の限界』および『文化水準とは何であろうか?』と考えさせられます・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

去る2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺にて発生した大地震によって被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」














2017年3月18日土曜日

20170317 言語による現象の精確な描写から普遍的認識へ・・☆☆☆

ここ数日間の首都圏は日中と日が暮れてからの温度差が大きいように感じます。

また、季節が春へと移行するこの時季とは、そのようなものであるのかもしれません・・。

さて、昨日投稿の記事も投稿翌日にしては多くの閲覧者を得ることが出来ましたが、現在この(昨日投稿)記事を読み返してみますと、恥ずかしく思うところもあります・・(苦笑)。

そして、そこから『このようなことを書いて果たして意味があるのだろうか・・?』と考えてしまうのですが、そうしますと、一連の作成記事の大半(あるいは全て)の意味を疑問視せねばならなくなりますので、出来るだけ、そうした『思い』に(継続的に)捉われず、書き続けることが重要ではないかと考えます。

そして、多くのこうした散文的なものとは、書き続けることにより、何か新しい着想に至ることが多いのではないでしょうか?

また、こうした文章に対する姿勢とは、感覚的ではありますが理系、文系学問間において相違があるのではないかと思われます。

当たり前のハナシではありますが理系学問とは、その内容の普遍性、再現可能性がその根幹に存在します。【存在しなければなりません。】

そのことから、その内容とは、誰が、何回行った場合においても、同様の傾向、結果を得られる性質のものでなければなりません。

そして、上記の前提思想に基づき作成される文章とは、文章そのものが重要であるのではなく、そこに書かれている方法、結果、考察が『現実に生じた現象を精確に描写していること』が重要であるといえます。

また、それを異言すると、その文章を読んだ他者一般が、そこで得られた認識に従い、同様の方法を用い、同様の結果が得られ、書かれた考察が妥当なものであるという認識に至ることが重要であるともいえます。

つまり、この場合、文章を構成する個々言語の『役割および目的』とは、実際に存在する『何か』の様相【その大きさ、様子はどうであれ】に対しての『普遍的認識に至るため精確に描写すること』であるといえます。

また、こうした言語の使用法とは、おそらく言語本来の原初的な用途でもあり、極めて重要であるといえます。

さらにまた、一般的に、ある学問分野において、一定の知識を有していることが理解され得るのは、その学問分野における専門的な言語群を用いた発言、文章等により(分野における)普遍的認識を得ることが出来ることから為されることが多いのではないでしょうか?

そしてそれは、さらにある程度複雑な文脈を有する使用法により一層精確に理解され得るのではないかと思われます・・。

このことは特に理系学問分野において、その傾向が著しく、その点、文系学問分野においては、一つの言語に対する認識において、その主体、学派等の持つ思想的背景により意味合いが微妙に異なることが多く、さらに、それら言語を含んだ、ある程度複雑な文脈の使用により、一層その主体、学派の持つ思想的背景は明瞭化されるのですが、同時にそれは、理系的な意味での普遍的認識とは幾分異なるのではないかと思われるのです・・。

とはいえ、であるからといって、どちらが良い、悪い、上、下というのではなく、ただ当記事冒頭にて述べたように絶えず双方が接触、交流し続ける経験を通じ、何か新しい着想、創造に至ることが肝要なのではないでしょうか・・?【果たしてこれは普遍的認識であるのでしょうか(笑)?】

また、今回の記事とは、そうしたことを題材として一つの着想が得ることが出来たものと思われます(笑)。

そして今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

去る2016年に熊本、山陰東部そして福島周辺において生じた地震によって被害を受けられた地域の出来るだけ早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」








2017年3月16日木曜日

20170316 先日の勉強会後の会話にて想起された2年前6月のこと・・

A「2015年6月、さまざまな事情から帰郷することに決め、大阪から自動車にて出立の晩、兵庫県東部在住の知人と会うことになり、大阪北部の某所にて待ち合わせ、食事を摂り、時刻も遅くなったことから自動車にて御自宅まで送ったことを先日参加した勉強会後の会話にて思い出しました。

また、出立の日は生憎の大雨であり、途中道路が混雑し、待ち合わせの時間に遅れてしまい申し訳なかったのですが、車中での会話が大変面白く、途中給油しなければならないことを忘れ、ガス欠で危うく立往生するところでした・・(苦笑)。

そして、この車中の会話にて『ブログを書き続けると良いのでは・・』という意見を頂き、またそれから数日後の入院していた叔父を見舞った際『何か書き続けなさい・・』と云われたため『そこには何かあるのかもしれない・・』と考え、現在までどうにかブログ記事の作成を継続してきました。

そして、その後のことを考えますと、たしかに、このブログ記事作成を行っていなければ、何か更に自身としては恐ろしいことになっていたのではないかと思われるのです・・。

こうしたことは科学的根拠を示すことが困難であることから、その見解の正しさとは分からず仕舞ではありますが、それでも自身の感覚としては『間違いない』と云い得ます・・。

また、それに類似する経験とは、多くの方々が経験されているのではないでしょうか?

そして上記のことを思い出す契機となった勉強会後の会話にて、
『なぜ、あの時、わたしにブログを書くことを勧められたのですか?』とその知人に尋ねてみたところ
『いや、当時の**さんは5月に***の喫茶店で話した時と同様、何か吐き出せずに溜め込んでいる感じがしまして、ああいった状態が続いてしまうと、とんでもないことになると思ったからです・・。』
とのことでした。

自身としては、そのような知恵、知見がなかったことを痛感した次第ですが、ともかく我々とは、こうした会話を通じて、さまざまな『人間に関する知恵』といったものを学んでいくことが多いのではないでしょうか・・?

また、ここから少しハナシは飛躍しますが、このようなところにも文系学問の重要性、存在意義があるのではないかと思われるのですが、如何でしょうか?

しかし一方、私見としては、その知人の示した見識とは、理系学問での実験を伴う研究における『現象を捉える視点』とも共通する何かがあるのではないかとも思われるのです・・。

そして、そこからさらに抽象を試みますと寺田寅彦が述べた
『物理学を理解するにはギリシャ神話を理解しなければならない』そして河合隼雄が述べた
『心理学にて用いる概念とはギリシャ神話をモデルとしたものが多い』といったコトバが想起されるのですが、さて、こうした想起の背景には『共通する概念の存在』が、ある程度は認められるのでしょうか・・(笑)?

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

去る2016年、熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生した地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」












2017年3月15日水曜日

20170315 600記事に到達した後について考えたこと・

A「本日の首都圏での気温は、日中においてもあまり上がらず、また時折小雨、霙?も混じり大変寒く感じました。

これも三寒四温の一過程であるとは思いますが、そうは思っても、やはり寒い日は今一つ活性が上がりません・・(苦笑)。

本日に関しても、こうした状況のため、ブログ記事作成を断念しようと考えましたが、直近の投稿記事に関連すると思われる既投稿記事の大変興味深い指摘が見受けられたため、記事作成へ方向転換し、現在このように書いている次第です・・(苦笑)。

ともあれ、記事を書いている自身よりも(少なくとも場合によっては)記事を深く読んで頂けていることは、やはり嬉しいことではありますが・・(笑)。

しかし一方、昨日投稿の記事および指摘された既投稿記事を読んだ後考えたことは、とりあえず600記事までは継続的に記事を作成するものの、その後は現在のようなブログというカタチを採らず、何かしら書いていく方が良いのかもしれないということです。

このことは今後さらに考え、その答えを見出していこうと思いますが、ブログというカタチを採ることを疑問に思った要因とは、このような弱小ブログではあるものの、その直接、間接から生じる影響を多少真剣に考えてみますと『それは必ずしも良いものとは云えない・・』と考えたことに因ります。

しかし、こうした考え、および、そこに至る視点とは、畢竟、自意識過剰の所産であり、実のところ、そこまで考える必要性がないことであるのかもしれません・・(苦笑)。

一方、これまで記事を作成し、こうしたカタチでの『自身のブログに対する考え』の分水嶺らしきものを感じたことはありませんでしたので、そこには何かしら意味があるとも考えられます・・。

何れにせよ、今後600記事に到達するまでは記事作成を継続するつもりですので、このことはしばらく棚上げ、保留することにしますが・・(笑)。

ともあれ、さきに書いた通り、自身のブログより生じる影響がごくわずかであることはさて置いても、我々の互いに対する『気くばり』あるいは異言すると『相互監視』により生じる皮相、表層的な真似の応酬とは、自身も全く身に覚えがないわけではありませんが、もう少しその『意味』『深層』といったものを意識し考えた上で為される方が良いのではないかと思うことがしばしばあります・・。

また、そうしたことは国内に限らず、昨今のインターネットによるさまざまな情報の共有化を通じ、世界的に知れ渡っているということ、それに加え『我々が近隣の幾つかの国々の特性を批判めいて指摘する際、実はそうした特性の多くが実は我々においても強く認められるのではないか?』と考えてみることは、まんざら無益ではないものと考えますが如何でしょうか?

そして上記のことは、さきの600記事への到達後、ブログ記事作成の継続について考え『それは必ずしも良いものとは云えない・・』へと至った経緯と、その規模は大きく異なるもののモデルとしては類似しているとも云えます・・。

そして『出来る限り正直』に文章を書くということは、時として、こうした考えに至ということでもあり、それは必ずしも良い、健康的、精神衛生上良いものではなく、むしろ出来る限り避けた方が良いのではないかと思われます・・。

それ故、そうした状態に『自らの意志にて』(ここが大事です)どっぷり浸漬する時期とは、たとえそれが『三十路過ぎのいい大人』であったとしても、その精神が一時的にでも荒廃し、疾患気味に陥ることが少なからずあるのではないでしょうか・・?

また、こうしたことは実際に経験してみるのが最も確実な理解への方法であるのではないかと思われます。
そして、それはそれで各自にとって大変意義深いものになると確信します・・(笑)。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

去る2016年、熊本、山陰東部そして福島県周辺において生じた大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」


2017年3月14日火曜日

20170314 再び時間をかけて読んでみたい著作などについて・・

A「今回の記事投稿により総投稿記事数が565となります。
そして600記事まで残り35記事ということになり、この調子にて記事作成を継続すれば来月中に目標とする600記事に到達することが出来るのではないかと思います・・。

しかし600記事に到達した場合『その次はどうしようか・・?』といった先のビジョンは、これまでと同様、特に考えておりません・・(苦笑)。

また、その一方で先日の勉強会への参加から強く思ったことは『何か硬質な書籍』を通読、精読してみたいといったことであり、具体的にはバートランド・ラッセル著『西洋哲学史』全三冊に再チャレンジしてみたいと思います・・。

この著作は修士課程院生時代に知り、院修了に至る時点においても読んでいたのですが、結局読了には至ることが出来ませんでした・・。

とはいえ、この著作とは当時の感覚にて大変面白く、また、そのいささか断定的ともいえる高い見地からの論述には魅了され『このラッセルという人は天才であろう・・』と思い、また現在においても『少なくとも、こうした才能を持った人物は稀であろう・・』といった認識は保持しております・・。

今後、再度この書籍を手にして読んだ場合、一体どのような感慨が湧き、そして読了にまで至ることが出来るのでしょうか・・?

また、自身の感覚として、この著作に類似するものは加藤周一著『日本文学史序説』全二巻であり、これは幾度か集中して読む期間がありましたが、読了に至ったのは2013年冬であり、その後も折を見て読んでおりますが、それは当ブログ記事の特に初期の記事にて、そこからの抜粋引用が多いことからも理解されるのではないでしょうか・・?

この著作もまた、今後随時、再読、更なる精読を試み、また、この著作に関しては、特に英訳本での読了に至りたいといった願望もあります・・。

さらに、硬質な書籍として、小説ではありますが大西巨人著『神聖喜劇』全五巻が挙げられます。

この著作は文系の師匠に勧められたものでしたが、読了後、師匠にそのことを話しますと『君はあれを全部読んだのかね?』と多少驚かれた記憶があります・・(笑)。

この著作はその文体により、大変魅力的ではあるのですが、同時に読み進める速度が遅くなってしまい、読了に至るまで、半年程度の月日を費やしたことが思い起こされます・・。

(ちなみに、もし、この著作が英訳にて刊行されたら、それはそれで問題であるかもしれません・・。)

そして、私見として、この著作から内容的に類似したものを感じさせるのは作家ではありませんが南方熊楠金関丈夫です・・。

ともあれ、現代の我々日本人の中で、これら方々の著作と比肩する程度の内容の緻密さ、独創性、博識さを示す文章を書くことが出来る人は果たして存在するのでしょうか・・?

しかし一方、かつては時代もまた現代に比べ、多少はのんびりしていてさまざまな著述には良かったのかもしれませんが・・。

また、そこから人間の創造的行為という点に関して考えてみますと、それは多少の負荷があるものの、全体的にはゆったり、のんびりしていた環境の方が長期的視野に立つ良い仕事が出来ることが多いのかもしれません・・。

そして、その意味から『近代以降、東京出身の長編を書ける作家が少ない』という意見の確からしさが再考され得るのかもしれません・・。

さらに、そのように考えてみますと、現在、自身が継続しているブログ記事の作成に対しては果たしてどのような分析が為されるのでしょうか・・(笑)。

また今後、記事を書く環境が変化した場合、書かれるものにどのような変化が生じるのでしょうか?

ともあれ、ただ自身が願うことは、ブログあるいは文章を書く時間を出来るだけ減じることなく、長い著作を精読さらにそれに付随する調べものが出来る環境を手に入れることでしょうか・・(苦笑)。

もちろん、困難であることは承知しておりますが・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。


昨年に熊本、山陰東部そして福島周辺にて発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」











2017年3月13日月曜日

20170313 ある地域に見られる特徴・パターンについて・・

違う地域に久しぶりに訪れますと、その地域の人々の顔、身体的特徴にある種のパターン、傾向があるのではないかと思うことがあります。

また、現代ほど人々の行き来が多くない過去の時代での異邦人とは、より一層そうした地域のパターン、傾向を感じることが多かったのではないかと思われます。

かつての毛人、蝦夷(エミシ)といったコトバも、そうした身体的特徴を古代らしく即物的に表現したものであるとも云われております。

自身の場合、知っている限り主に東海地方の混血であると聞いておりますが、そこには長身、細身といった現代にウケる要素は皆無であると密かにコンプレックスを抱いております・・(苦笑)。

そしてまた、その身体的特徴(鹿児島弁では『横ばいのこじっくい』というらしいです・・)とは、意外と古くからのものではないかと、以前に見たご先祖が写されたいくつかのモノクロ写真から思うこともあります・・(苦笑)。

それ故、こうしたことはコンプレックスに感じても仕方のないことであるのかもしれませんが・・(笑)。

それはともかく、こうしたことは、さまざまな地域においても同様に存在すると思われることから、冒頭に書いた地域における最大公約数的な顔、身体的特徴のパターン、傾向といったものが存在するのではないかといささか短絡的ながら考える次第です(笑)。

そういえば、こうしたことは明治政府のお雇い外国人医師のベルツも何処かで述べていたかもしれません・・。

また、自身としては、それぞれ滞在した地域における在地、土着の人々のそうした特徴は関西、九州共にどちらかというと憧れの対象ではあったものの、在地、土着の所作、コトバ使いをはじめとする文化全般をなかなか真似できないことに対し苛立ち、次第に開き直り、結句、自前の所作、コトバ使い(関東弁)で押し通すようになっていきました・・(苦笑)。

そしてその結果、さらに自身を異邦人であると強く感じ、その地域を殊更に客体化して見てしまうという姿勢が身に着いてしまったのではないかとも考えられます・・(苦笑)。

また、そうしますと、今度は首都圏へ帰郷後、今度は首都圏の文化に対してもまた、そうした姿勢を身に着けてしまったようにも思われるのです・・(苦笑)。

あるいはこれは滞在期間に幾ばくかの書籍を読んできた結果によるものであるのでしょうか・・?

ともあれ、こうした経験の後にはじめて上京を歌ったさまざまな歌など意味あい、感覚がわかるという実感もまた湧いてくるのです。

しかし一方『そうしたことを現在こうして文章にて書き著している自身とは一体何者であるのだろうか?』と考えてしまうのです・・(笑)。

あるいは、こうしたことは明確な結論が出そうにないものであることから『出来れば考えることがない方が幸せ』であるのでしょうか・・?

しかし、そうしますと、そうしたことをマクロの視点で考える『歴史』の意味、価値もまた、よく分からなくなってきます・・。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年、熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生した地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。


金関丈夫著『日本民族の起源
岡正雄著『異人その他ー他十二篇










2017年3月12日日曜日

20170312 学問分野の違いから思うこと、今後の社会について・・

一連のブログ記事を読んで頂いている方々に『どのような記事を面白いと感じるのですか?』と尋ねてみますと
『院生時代の出来事を扱った記事に比較的面白いものが多い。』とのことであり、その理由とは『知らない分野での院生の様子が垣間見られるから。』とのことでした・・。

たしかに分野が異なりますと、院生達がめいめいの所属する分野にて、どのように研究が為され、また、どのように毎日を過ごしているのかといったことはなかなか分からないようです・・。

私も人文社会科学系の博士課程院生がどのような生活を送っているのかとは、知人等からのさまざまなハナシを聞くまでは見当も付きませんでした。

しかし、実際にハナシをしておりますと、やはり各々専門分野での知識がより深化、洗練されていることが感じられ、それは以前の修士課程在籍時での議論と比べますと、より本質的、突っ込んだ議論になっていることが実感されます。

その点、自身は修士、博士課程間で専攻が大きく変わり、それに伴い研究進行の仕方も人文社会科学系のそれとは大きく変化したため、しばしば、そこからの質問を受けることがあります・・。

自身の場合、そうした質問に対し、精確ではないにしても、大きな分野間の背景文化の相違に関しては、概ね的外れとは云えない返答をしているのではないかと考えます・・(笑)。

そうした中でもっとも疑問に思われることは『研究が行われる過程』についてです。

多くの理系学問分野の場合、研究の進行に際し、さまざまな実験、分析機器を扱う必要性が生じます。

また、そうした機器は必ずしも所属する講座に全て設置されているものではないことから、何処か他の講座、研究室、大学等で機器を使用させて頂いたり、あるいは試料の機器分析を依頼することになります。

そうしますと、その一連の実験とは、主体一人で為されるものではないことから、その発表に際し、協力頂いた方々の名前を連名することになります。

そして、それらを監督、統括するのが指導教員であることから、その顔の広さ、人脈とは、講座所属の院生達の研究進行に対し、少なからぬ影響を及ぼす要素であると云えます。

さらに講座所属の院生達は各々研究テーマがあるのですが、それらも部分的に重複していたり、あるいは機器分析の手法が類似していたり、または先行研究論文の抄読会、発表用のポスター、スライド作成、予演会に同席することから、概ね必然的に同じ時期に講座に在籍していた院生の研究テーマの内容に関しては理解を得ることが多いと云えます。

そして、そうした環境、背景文化とは、やはり同じ『院生』とは云っても、分野毎に大きく異なり、また文系、理系の間では、そう簡単に相互理解をはかることが出来る性質のものではないのかもしれません・・。

また、その意味から自身は『大変面白い経験をさせて頂いた』と云うことが出来るのかもしれません・・(笑)。

しかし同時に、そこで強く思うことは、院生時に自身の所属する分野とは異なる『興味を持てる』分野にて、ある一定期間研究に従事するというのは、研究に不可欠な創造性を養う上でかなり効果的ではないかということであり、さらには、出産休暇、育児休暇のように、企業等に在籍している状態を保持し、企業から一時的に離れ、大学にて研究に従事することが出来れば、大学、企業双方に加え、社会全体にとっても(中・長期的に見れば)有益ではないか思われるのですが、如何でしょうか?

こうしたことは医歯薬看護分野においては、比較的それに近い状況にあると云えるのかもしれませんが、文系分野については、あまり(短期的に見て)実質的な効果が望めないことから、ほぼ為されていないように思われます・・。

『専門職大学院は?』と考えられる方々がいらっしゃるかもしれませんが、そうではなく、より『古来よりの文系』つまり思想、哲学、歴史学分野といった(到底)実利的とはいえない分野にて、それを学び、研究することを自ら(内発的に)望む方々が増えることが、社会に対し何かしらの良い変化、影響をもたらすのではないでしょうか

あるいは医療系専門職にして、上記の文系分野にて本気で知見を深めたいというのは、大変意義のあることではないでしょうか・・?

また一方において、昨今さまざななハナシを聞いておりますと、今後は医師、歯科医師免許を持ったミュージシャン、学位を持った芸術家といったものが以前に比べ多く出てくると思われますので、それは多少期待が持てるように思います・・(笑)。

その意味でも森鴎外夏目漱石斎藤茂吉金関丈夫安部公房山田風太郎横溝正史北杜夫加賀乙彦辻邦夫手塚治虫加藤周一なだいなだなどは先駆者であったと云えるのではないでしょうか・・?

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年熊本、山陰東部そして福島県周辺において生じた大地震により被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」






20170311 先日出席した勉強会から思ったこと・・議論、正反合、創造

A「先日久しぶりに関西に赴き、勉強会に参加させて頂きました。

そこで行われる議論とは、かつては日常的に行われていたものでしたが、現在になりあらためて思うことは『そうした場での経験を通して創造とは為されるのではないだろうか・・。』ということです。

そこで参加者各々が真摯に自分のコトバで意見を語り合い、議論の紆余曲折を経て、正反合として『新しい考え』に至るのではないでしょうか・・?

またそこから弁証法(Dialectic)と対話(Dialogue)の語源が同一ではないかと思い至るのですが、少なくとも双方に相通じる要素はあるのではないかと考えます。

一方、かつてのブログ記事に書いた通り、我が国には伝統的に『議論』という文化が乏しく、何かしらそれを乱暴な口論と見做すようなところが多分にあるのではないかと思います・・。
(我が国の場合、女性が参加することが困難、躊躇する文化、遊戯等は、それを軟化させるか排除するかの二択であると云える。)

『議論では何も変わらない』というのは、よく聞くコトバですが、それは少なくとも、自国を(文化的な意味でも)先進国と見做している国においては『如何なモノか・・?』と思われます・・。
(実は議論によって何か変えられることが怖くて仕方がないのかもしれない・・誰が・・?。)

とはいえ、たしかに我が国における議論では抽象的、観念的である場合が多い議題、論点に対する各々の考えを述べることよりも、直接的な議論参加者そのものをイジル能力が長けた人間が注目され、それが『優れた人物』と見做されるといった悲しい風土があるように思われます・・。
(それは昨今のテレビ番組をいくつか観てみればわかることではないでしょうか?
また、希望的観測によると昨今テレビがネットに押されつつある現状とは、こうした風土が見透かされてきたということかもしれません・・。)

いや、もとい、こうした風土とは、昨今の世界でのさまざま出来事を見た場合、ある程度世界共通のものとなってきているのではないかとも思われます・・。

そうしますと、現代社会とは、全般的に以前に比べ、議論そのもの自体に変化が生じているのではないかとも考えされられます

また、それは現在では概ね古本となっている時代(1960~1990年代周辺)に刊行された対談集を数冊読んで頂きますと、その意味が分かって頂けるのではないかと思います・・。

そしてそこには、昨今よく聞く『活字文化の衰頽』といった現象がある程度関与しているのではないかと思われるのです・・。

また、そうした一連の同時代の現象をより大きな視点にて捉えてみますと、時代精神といったものが透けて見えてくるのではないでしょうか?

さらにここまで書いており不図想起されたことは、かつてどこかの喫茶店で話していた折に聞いた『しばらくその人とハナシをしていると、その人が普段から本を読む人か、どういった本を読む人か、あるいはカッコつけてわざとそうしたコトバを使っているだけかが大体分かってしまうのです・・。といったことで、これには少し考えさせられました・・。

とはいえ、いや、それだからこそ、こうしたことを書き、あるいは読んでみたとしても、実際にそうした対話の経験がなければ、それはあくまでも事実を基点、核とした創造ではないことから結果としてその創造された文章とは内容のないものとなってしまうのではないかと思われるのです・・。
(であるからといって経験さえあれば内容のある文章が書けるわけでもないようですが・・(苦笑)。)

そして、それ故に苦しみ且つ楽しんで真摯に対話をすることが出来る環境をどこかである程度以上の期間持つことが大事なのではないかと思われるのです・・。

また、こうしたことはトーマス・マン著「魔の山」の一つの大きな主題ではないかと思われます。

そしてまた、社会における大学が存在する根源的な意味とは、一つにこういったところにあるのではないでしょうか?

今回もここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

2011年の東日本大震災から6年が経過しました。この大地震および、去る2016年の熊本、山陰東部にて発生した地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」






2017年3月11日土曜日

20170310 保守は右翼、革新は左翼・・?

昨日の投稿記事は投稿翌日にしては思いのほか多くの閲覧者数を得ることができました。
これを興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

しかし本日に関しても昨日同様、今現在、記事作成を開始した時点において、その主題とは定まっておりません・・(苦笑)。

しかしそこで不図思い付いたことは、先日投稿のブログ記事にて扱った関西での小学校開設を巡る問題についてです。

さて、現在の我々が日常的に用いる言語の『右翼』・『左翼』の意味についてですが、その淵源とは、フランス革命後の議会の保守、革新両派議員の議会での着席の様相から名付けられたものであるとされております。

そして上述の原理的な語義に従いますと保守は右翼、革新は左翼ということになりますが、これをかりそめに我が国の近代以降の政治情勢に当て嵌め考えてみますと、ことはそう単純には割り切れないということになるのです・・。

つまり『国権、国体に対して肯定、保守的な政治勢力が右翼であり、それに対し、否定とはいかないまでも、その変革、革新を望む政治勢力が左翼であると云えるのであろうか?と考えてみますと、それは150年程度の我が国近代の歴史においても、その時代、状況によっても随分と異なるのではないかと思われるのです・・。

具体的には明治政府誕生直後といえる1870年代に九州を中心として発生した一連の明治政府に対する叛乱を起こした勢力とは、現行(当時の)政府に対する変革を要求するものであったにもかかわらず、その思想的背景の主たるものは、概ね保守よりもなお一層強い反動に近い、あるいは国粋的なものであったと考えられております。

そして、それら一連の叛乱の鎮圧後、明治政府の土台は盤石なものとなり、一方、叛乱を起こした勢力の思想を受け継いだ人々は、政府に対して議会の場で議論を以って変革を要求する自由民権運動、あるいは国粋主義を基調とした国権拡張勢力などで活躍の場を見出していくようになりました。

その後、これら両勢力(自由民権派・国権拡張勢力)は随時さまざまな勢力を吸収、拡大していき、後世、前者の中で急進的と云える勢力が左翼、後者が全般的に右翼と称されるようになったのではないかと思われます。

そして、両勢力共にその後の日本近現代史において少なからぬ役割を果たすのですが、こうした経緯の前兆とは、土佐出身の自由民権運動家である中江兆民(篤介)著『三酔人経綸問答』から見出すことが出来るのではないかと考えます・・。

そしてハナシははじめに戻り、以上の経緯から近代以降の我が国における本来の語義的な意味からの『保守は右翼、革新は左翼』といった認識が多少困難になるのではないかと思われるのです。

あるいは、明治初期とは、自由民権、国権拡張といった思想的要素を基軸として分化する以前の、ある種混沌としたエネルギーが社会に満ちていた時代であったのかもしれません・・。

また、そうした視点から現代我が国の様相を考えてみますと不図、どうも『何かが違うのでは・・?』と思ってしまうのですが、その理由とは一体何でしょうか?
あるいは『何も違わなくない』のでしょうか?

とはいえ、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

去る2016年に熊本、山陰東部そして福島周辺において発生した大地震により被害を被った地域の出来るだけ早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」




オッペケペー節




2017年3月9日木曜日

20170309 つかみの文章・情熱(基点・核として)

A「今回の記事投稿により総投稿記事数が560に到達します。

投稿記事数に関しては、つい先日、555への到達の際にも書いたばかりですので、今回の560において、また書くことに対して多少、躊躇しましたが、記事題材の着想が思わしくない現在の状況において、ある程度区切りが良い記事数(560)への到達とは、少なくとも都合の良い『ツカミ』にはなるのではないかと思われるため書いている次第です(笑)。

そして、面白いことに、こうしてある程度文章を書いていますと、そこを基点、核として、新たな関連する題材、記事の主題となるものが想起、着想することが少なからずあるのです・・。

おそらくこれは文章を書く際の技術である以前に我々が会話などの際に自然に行っていることではないかと思われますが、如何でしょうか?

そして、そこからあらためて『口語より文語が発生する』といった、ある程度普遍的ともいえる言語の発展の仕方のモデルを推量することが出来るのではないかと思われます・・。


また、そのことから文語体による硬質な文章である論文などもまた(全て)本質的には口語的に表現することが出来るのではないかとも考えます・・。

とはいえ、それらが『はじめから』口語的に表現されることにより、より多くの理解を得ることをはかれば良いのであるかというと、必ずしもそうではなく、口語的に表現されることにより、その『意味』が曖昧になってしまい、そのことから誤解が生じやすくなるものとも云えます。

それ故、内容の厳密さを重視する科学的な文章とは、文系、理系を問わず、用いる言語とその意味が厳密な対応関係にあるとされる(硬質な)文語により編まれるのではないかと考えます・・。

そして、そうしたことは先日行った(異分野間での)議論などの経験によって強く認識するところであり、実際思い起こしてみますと、かつて修士課程在籍時の自身の一つの大きな目標とは『自身の専攻分野および周辺分野の学術書、論文などを(理解しながら)日常的に読むことが出来る状態にまでもって行く』ということであり、これに関しては、ある程度成功したのではないかと思われます・・。

また、それ故、その後の歯科材料学の分野においても、どうにかなったのではないかとも思われるのです・・。

しかし、これはあくまでも主観的な認識であり、おそらく他者がそれを評価する際においてはまた偏差があるものとも考えますが・・(苦笑)。

それでもまた、こうしたことは、大きく捉えますと『書かれている事柄の内容を正しく理解、認識し、それを運用出来ること』であるとも云えます。

そして、そこに至るためには、自身の経験、観察によりますと才能、処理能力よりもむしろ、あまり合理的、カッコいいものとはいえない『ある種の能動性(情熱)』が必要不可欠であるのではないかと思われるのです・・。

そしてまた、そこを基点、核として、さまざまな創造行為が為されるのではないでしょうか・・?

また、これこそが人工知能(AI)が発達しつつある現今においてもなお、我々生身の人間のみが普遍的に持ち得る優れた要素ではないでしょうか・・?

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

去る2016年に熊本、山陰東部そして福島県周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」




2017年3月8日水曜日

20170308 久しぶりの関西での議論から思ったこと・・

A「つい先ほど久しぶりに訪れた関西より戻りました。

この時季の関西とは、日中の日差しが若干首都圏よりも強く、温暖であるように感じられ、同時に街の空気も首都圏に比べ澄んでいるように思われます・・。

そうした環境にて、かなり久しぶりに(長時間)議論を行いますと、どうもアタマのなかが空っぽになるような感じを受けます・・(笑)。

思い返してみますと、この感覚とは、以前は議論の度に感じていたことであり、いわば懐かしい感覚であると云えます・・。

また、同時にこれには『頭の芯から痺れる』といった感覚をも伴うものであり、その後の睡眠とは一種独特の深いものとなります・・(これも久しぶりでした)。

自身が何かに対しての意見を主張し、また複数相手の意見を聞き、それに対し質問を受け、することを続けておりますと、自然、その主張の特徴もしくは弱点などを見出されることになるのですが、それらは日常においてあまり自覚、意識しないものであることが多いことから、大変新鮮且つ有益であると考えます・・。

そして、こうした議論を日常のように行うことが出来ていた時期とは、やはり自身の創造性、思考の深化などに大きな影響を与えていたのではないかと思われるのです・・。

しかし一方において自身は、こうした議論において、しばしばその論証よりも、着想した仮説あるいは類似すると思われる『モデル』または『モノガタリ』の説明に重点を置く傾向があるようです・・。

これは理系学問分野における文系的な主題に基づく議論、駄弁りにおいても時折指摘されたことでもあることから、割合強い傾向であるように思われます・・(苦笑)。

しかし、同時にこの傾向とは、これまでのブログ記事作成を継続出来た大きな要因であるとも認識しますので、これを抑えることによって撓めるよりも、むしろ『三つ子の魂百まで』あるいは『**は死ななきゃ治らない』であると幾分開き直り、そうした提示できる仮説、モデル、モノガタリの質量の向上、充実をはかる方が良いのではないかと思われるのです・・(笑)。

また、それによって特に頭脳明晰であるとはいえない自身の性質を特徴付けることが出来るのではないかとも思われます・・。

それは見方によれば、必ずしも学術的な視点であるとは認識されないかもしれませんが、同時にそれもまた、ある種の着想つまり創造性によるものであることから、学術的な視点の基礎になり得ることも(少なからず)あるのではないでしょうか・・(笑)?

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

去る2016年に熊本、山陰東部そして福島県周辺にて発生した大地震により被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」







2017年3月5日日曜日

20170304 久しぶりに読んだ著作から思ったこと・・

A「昨日の投稿記事は風邪気味にて作成したわりには多くの方々に閲覧して頂いたようです。

この記事を興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

さて、明日より数日間、記事の更新を休もうと考えております。
おそらく来週後半あたりから再開しようと考えておりますので、どうぞよろしくお願いします。

そういえば、昨日の記事を作成、投稿した後、どうしたわけか久しぶりに山本七平著「私の中の日本軍」を再び読んでみたくなりました・・。

山本七平をはじめ太平洋戦争に従軍された研究者著述家による著作とは、どれも一種独特の迫力があり、たとえ用いている言語が同一であっても、現代のそれらとはどうも『次元が異なる』のではないかと思うことがあります・・。

果たして書かれた文章から、その著者の経験とはにじみ出てくるものなのでしょうか・・?

ともあれ、この「私の中の日本軍』末尾に著者と司馬遼太郎との対談が掲載されているのですが、そこで語られている内容、指摘とは、現代の我が国においても通用する大変興味深いものが多いのではないかと思われました。
興味がある方は読んでみてください。

また、対談といえば、先日、当ブログにて複数回取り上げた「俘虜記」の著者大岡昇平と「神聖喜劇」の著者大西巨人との対談を掲載した書籍を古本屋にて見つけ、立ち読みしましたが、これもさきと同様、大変興味深く、いずれ機会を見つけ購入し精読したいと考えております・・。

以前のブログ記事にても書きましたが、これら世代(太平洋戦争従軍経験を持つ)に属する著述家、研究者等がここ20年間で次々と亡くなっていくに伴い、我が国の書籍全般とは、徐徐に手頃で扱いやすい方向に、つまり軽く、そして薄くなっていっているのではないかと思われるのです・・(笑)。

また、このことを書いて想起することは、以前、長年大学にて教鞭をとっている(いた)複数の知人から『今世紀に入った頃から明らかに学生の何かが変わった』という意見を聞いたことでした・・。

また、その変わった内容として印象的であったのは『感覚的にはなるけれども、多分一人暮らしであれ、実家暮らしであれ、そもそも家に書籍が、本棚がない環境ではないかな・・。』であり、これはおそらくPCの普及とも何かしら関係があるのではないかと思われます・・。

また『ゆとり世代についてはどうか?』と尋ねたところ『ゆとりを重視した教育環境でも勉強をしようと思う人については、それ以前とあまり変わっていないのではないか?ただ、全体としては、やはり影響があるように思う。』でありましたが、これもまた昨今『ゆとり教育』から大幅に国の教育方針が軌道修正されたとのことです・・。

何も知らないまま、ある世代に勝手に組み込まれ、教育され、そこからさらに勝手に評価されるのは、どうもおかしいのではないかと考えさせられます・・。

これは仕方がないことなのでしょうか?

ともあれ、そういった点からも我が国とは『ヒトが制度を作り、その後は制度がヒトを作る』とは本質的に製造業の工作機械のようにはいかないということを『敢えて知ろうとしない』のではないかと考えさせられるのです・・。

そしてイヤな見方をすれば、それが我が国の理系学問分野での優秀さの、まさしく残酷な側面であるのかもしれません・・。

また、こうしたことは、さきに挙げた方々の著作を通じ、否応なく認識するところではあると思うのですが、それでも現在のような状況であることは、その根本において一体どのような原因が作用しているのだろうかと考えさせられるのです・・。

あるいはここまでで循環論法となっているのかもしれません。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年、熊本、山陰東部そして福島県周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」




2017年3月4日土曜日

20170303 風邪気味で記事を作成すると・・昨今の事件から思ったこと

昨日の投稿記事もまた割合多くの方々に閲覧して頂きました・・。
また、その記事内容に関連すると思われる既投稿記事の指摘も大変興味深いものでした。

ご指摘頂きどうもありがとうございます。

さて、本日に関しては昨日以来の風邪気味であり、今現在特に服薬はしておりませんが、頭の中にボーッと霧がかかったような状態です・・(笑)。

そのため、本日は本格的に記事作成を断念しようと考えましたが『こうした状態にて記事を作成するのもまた一興である・・』と考え、こうして現在記事作成を行っている次第です・・(苦笑)。

それ故、この記事を読んでくださっている皆様、当投稿記事に関しては(特に)その内容が通常に比べ粗雑であるといった感想をお持ちになるかもしれませんが、それは上記のような事由によるものであると心得て頂きたく思います・・(笑)。

一方、こうした状態にて作成された記事が通常とあまり差異が認められない、あるいは余程面白いというのであれば、それはそれで問題であるのかもしれませんが・・(苦笑)。
とはいえ、先を続けます。

そういえば昨今、ある省庁での組織的、慣例的な天下り、関西方面での学校設立および建設を巡る問題が取り沙汰されておりますが、こうしたことは戦前あるいは戦後しばらくまでの社会であれば、当然の如く行われており、学校の建設に関しては不明ですが、その設立に関しては、官側の威光とは相当な効果を持つものであった(ある)と思われるのですが如何でしょうか・・?

そしてまた、こうしたことが問題視されるのであれば、我が国の国公私立全学校の相当数が脛に傷を持っていることになるのではないでしょうか・・?

一方、その設立される学校について『何が問題であるのか?』と考えてみますと『その学校敷地(国有地)の買収および、その土地整備を巡って政治家を介した、ある種の工作により、事態を不正且つ有利に進めようと謀った疑いが強い』といったことではないでしょうか?

また、こうしたことも前述の時代においては、あまり表に出ることなく、ごく自然に為されていたのではないでしょうか・・?

そのようなことを書いておりますと、不図、伊丹十三監督の「マルサの女2」を想起しますが、現実の件においては、この映画作品ほど政治家は(積極的に)関与してなく、どちらかというと報道される学校法人側の辣腕振りの方から、多少表現が悪いかもしれませんが『えげつな~』といった印象をも受けます。

また、それと多少関連するかもしれませんが、ある省庁官僚の組織的、慣例的な天下りに関しても、これまたごく自然に為されてきたことではないでしょうか・・?

また、そうした事例が慣例化されていたということに関して、特に2010年夏頃、九州内某大学歯学部に対しての対応を大学側に指示(忖度の要求・仄めかしも含む)した某省庁の方々に関しては多少思うところがないわけでもありません・・。

また、このことを書いておりますと、眉間にシワが寄り、手の平を額、目の辺りに当て、うつむいてしまいます・・。

・・とはいえ、これでも随分良くなった寛解した方であり、こうして、あからさまではなく、あまり感情的にもならずに文章にすることが出来ておりますので・・(笑)。

いや、あるいは風邪気味であるからこそ、こうしたことを書くことが出来ているのかもしれません・・(笑)。

そうしますと、こうした状況にて記事を書くことも、あながち悪いことばかりではないのかもしれません・・(笑)。

ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

昨年の熊本、山陰東部および福島周辺において発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
三酔人経綸問答