2016年4月3日日曜日

20160403 背景となる文化について・・

A「我が国をはじめ、主に欧米諸国以外の国々においては、何かしら欧米文化的な要素を自身の内部ないしは背景に持つことにより、その重要性を高めるような傾向があるように思われます。

また、そういったものは血筋、出生地、学歴などにおいてよく見られるのではないでしょうか?

それはアメリカ合衆国の亡くなった著名な某黒人歌手の動向(特に容姿について)においても同様に見受けることが出来るのではないかと思います。

ともあれ、こうした傾向とは、我が国においては特に都市部においては類例が多く、個々事例の価値を大体見当、評価することが出来るのではないかと思います。

その一方において、現在は事情が変化しているのかもしれませんが、地方の場合、こうした欧米的な文化要素が(一面において)過度に重視されているような傾向があるように思います。

また、そのような欧米的な文化要素とは、往々にして都市部においては既に過去のものとされたものであることが多く、そして、それに基づき独特の地方文化に発展する事例も少なからず存在するのではないかと思います。

そうした地方に流入した欧米文化と在来(地方)文化の混交により創造された地方独特の文化、事物が、首都圏などの都市部文化により発見、吸収され、そこ(都市部)から国内外に向けて(再)発信されることにより、それが全国的なものとして認識されることが我が国の様々な流行、文化事象において少なからず見受けられるのではないでしょうか?

そしてここまで書いていて想起する具体例とは

・欧米、海外文化を背負う、低音の心地よい声で話すコメンテーター的存在

・宮家を名乗り盛大な結婚披露宴を開催し祝儀を騙し取った詐欺事件 2003

・和洋折衷の物語背景を持つ欧米的な体型を持つ登場人物が活躍する海賊(?)マンガ

・明治維新直後に生じた国粋的な思想、神道に基づく思想から欧米、西欧的要素の排除を目指した反乱

もしかすると、これらの背景には、一見相反するようでありながら何かしら共通する心的傾向があるようにも思われますが、如何でしょうか?

そして、その場合、現在となっては半ば無意識的となった都市、首都圏文化こそが優越したものであると信じる首都圏住民の無邪気な傲慢さこそが大きな問題であるようにも思えます。

また、それに加えて、こうしたメカニズム、図式とは、国際社会あるいは国内における地方社会の内部においても同様に見受けることができるのではないかと思いますが如何でしょうか?」

以上のことは全て、私自身が感受、共感できる要素が内面に存在すると考えたため記した次第です。

ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。