2023年1月17日火曜日

20230117 銅鐸について①

我が国の銅鐸の直接的起源とされるものは朝鮮式銅鐸といわれる装飾性の乏しい10~20㎝程度の小型のものである。

この朝鮮式銅鐸は、これらまでに朝鮮半島中西部の忠清道より4個、半島北西部の平壌より6個、そして半島南東部の慶尚道より4個出土している。

そして玄界灘を挟んだ九州北部地域においても、朝鮮式銅鐸と同様、比較的小型(20~50㎝)で装飾性の乏しい銅鐸が複数出土している。

また、九州北部における銅鐸祭祀は1世紀頃には廃れて、それに代わり武器型の銅矛が祭器として用いられるようになった。

こうして九州北部を起点とした我が国の銅鐸を用いた祭祀は東漸し、その過程において、意匠や寸法に変化が生じ、伝播の先端に近づくほど、装飾が華美なものとなり、寸法が大型化していった。

とはいえ、銅鐸の起源は朝鮮半島、中国での家畜につける鐘鈴であった。そのため、本来は、内部に舌を垂らし、揺らして鳴らし、音を出すためのものであったが、東漸の過程で、さきに述べたように寸法が大型化(100㎝以上)し、装飾も華美なものとなり、揺らして鳴らすという本来の目的から離れていった。

この大型化した銅鐸は近畿、四国の東南部と東海地方から多く出土しており、西側の近畿・四国東南部から出土したものの多くは、前述のように華美な装飾で、その意匠は、縄文土器に多く見られる繁縟さをいくらか継承しているようにも見受けられるが、これらを総称して近畿式銅鐸と云う。

対して、東側の東海地方にて主に出土する独特の意匠を持った大型の銅鐸は、さきの近畿式銅鐸と比較すると、その形状が、より縦長気味であり、その意匠は直線的で模様が明確であるといった特徴があると云えるが、これらを総称して三遠式銅鐸と云う。

これまでの流れを要約すると、朝鮮半島から齎された、元来、家畜の首につける鐘鈴が起源であった銅鐸は、伝播当初の地である北部九州地域において祭器として用いられ、そして東漸する過程において、徐々に土着的要素が加味され、大型化、高装飾化し、それぞれ独特な意匠を持つ近畿式銅鐸、三遠式銅鐸となっていく。

これら二種の大型銅鐸について、近畿式はおそらく大和、河内、摂津地域にて作られ、三遠式は濃尾平野にて作製されたものと考えられている。

また、それぞれの出土分布について、近畿式は近畿圏一帯を中心として、東は遠江、西は四国東部、山陰地域において出土している。三遠式は、東は信濃、遠江、西は濃尾平野一帯を一応の限界とし、例外的に伊勢湾東部、琵琶湖東岸、京都府北部において出土している。

くわえて、大変興味深い例外として、近畿式銅鐸出土の東端である遠江から、さらに東に位置する、かつての概ね駿河国に属する静岡県沼津市にて、近畿式銅鐸の破砕された一部、鰭飾部のみを装飾品として加工したものが発掘された事例があるが、その背景には、どのような事情があったのか気になるところである。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

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