2022年2月12日土曜日

20220212 株式会社光文社刊 大西巨人著「神聖喜劇」第一巻 pp.554-557より抜粋

株式会社光文社刊 大西巨人著「神聖喜劇」第一巻
pp.554-557より抜粋

ISBN-10 ‏ : ‎ 4334733433
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4334733438

「うう、負け戦のことは、もうええ、とにかく、そういつもいつも柳の下に泥鰌はおるめえちゅうことよ。階上班の古年次兵どもが、わがたちもアメリカ遠征軍になったごたぁる気色でしゃべっとるとを聞いてみりゃあ、サン・フランシスコに敵前上陸した暁にや、その足で脇目も振らじにハリウッド目がけて突進して、それこそ「逢うときに笠をぬげ。」じゃ、いっち上物(美人)からやり始めて順繰りに、わが身の破甲榴弾(男根)が続く限り、金髪女優たちを総嘗めにしちゃる、なんち吹きまくっとる。そのうちに貴様たちも思い当たるじゃろうが、これが座興の駄法螺でもあり長い目で見りゃ正真正銘の本心でもあるちゅう所が、軍隊のー戦争の摩訶不思議よ。まあ駄法螺にしろ本心にしろ、どっちみち勝手な熱でも上げとらんことにや、こげな守備地の兵隊もやり切れめえけん、そりゃそれで構わんじゃろう。ばってん、敵もおなじ頭で日本の女子たちを狙うとるちゅうことは、覚えていたほうがええ。」

私は大前田の言いぶりに淫猥軽薄の気を感じなかった。かえって、ある根源的な恐怖をもって、私は謹聴した。大前田が、語り続けながら西むきになって、火砲の北側を砲口のほうへ動き始めると、彼の、それまではいっそ切々として私語のようでもあった語調が、そこいらから嘈嘈たる急雨のおもむきを持った。

「ええか、ハリウッド女優を組み伏せる夢は見放題じゃが、やがて階上班の連中やらお前たちやらが持って行かれる先は、遠い海の向こうは向うでも、サン・フランシスコでもロス・アンジェルスでもありゃせん。」野砲の向こう勝手、車輪の脇に達した大前田が、東にひらりと身をひるがえして、動きを止めた、「南方じゃ、歌の文句で皆さんご承知の「赤道直下なんとか群島」の見当じゃ。おぉ、人事じゃない。おれもおなじよ。日本も、「乗りかかった船」で、今更こっちから止めもなるめえし、なおさら負けるわけにはいくめえ。その熱帯の島島で、新手の大軍を向うにまわして、これから先が本物の大がかりな殺し合いよ。敵も味方もトツケモナイ死人の山じゃろう。この前の大陸じゃ運よういのち拾いをして帰って来られたが、今度はおれもたいがい助からんと覚悟しとる。お前たちもそう心を決めとけ。うう、おたがいさまに、行きとうして行く南方でもなけりゃ、しとうとしてする人殺しでもないぞ。しかし行ったからにゃ、内地じゃ人一人殺した覚えもないこのおれが、敵の毛唐どもをならべといて、榴散弾・曳火信管の零距離射撃、水責め火責め、一寸試し五分刻みに、支那でやった数を上まわるぐらい、思う存分たたき殺してやる。敵と名のつく奴たちにゃどいつにもこいつにも仮借はせん。そうこうしよりゃ、いずれこっちが反対に打ち殺されて、煮つけにされた魚のごたある目を剝いて南方の赤土の上にひっくり返らにゃなるめえばってん、おれも目ん玉の黒いうちは、当たるをさいわいに、ありとあらゆる方法で、殺し散らかしてやるぞ。また国は、軍は、そうさせるつもりでおれたちを行かせるとじゃろうが?殺す相手は、日本人じゃない、毛唐じゃろうが?敵じゃろうが?殺して分捕るが目的の戦争に、余計殺して余計分捕ったほうが勝ちの戦争に、「勝ちゃ官軍、負けりゃ賊軍。」の戦争に、殺し方・分捕り方のええも悪いも上品も下品もあるもんか。そげな高等なこと言うとなら、あられもない戦争なんちゅう大事を初手から仕出かさにゃええ。いまごろそげな高等なことは、大将にも元帥にも誰にも言わせやせんぞ。」

 ゆくりなくも私の心は、「保元物語」における「梟悪頻リニ聞コエ、狼藉尤モ甚ダシキ」鎮西八郎為朝の「武士たるものは殺業なくては叶はず。それに取っては、武の道非分の者を殺さざるなり。依って為朝合戦すること二十余度、人の命を断つ事数を知らず。されども分の敵を討って非分の者を討たず。」という言葉を呼び出していた。たしか「内地じゃ人一人殺した覚えもない」にちがいなかろう大前田文七の「殺す相手は、日本人じゃない、毛唐じゃろうが?敵じゃろうが?」は、「幼少より不敵にして、兄にも所をおかず、傍若無人なりし」八郎御曹司の「分の敵を討って非分の者を討たず。」に相当する言い分ででもあるのか。

 大前田軍曹は、みたび左手で逆につかんだ帯剣の柄を前下に押し下げ、つと横に差し伸べた右手を車輪の上方輪帯に掛けて、凛然と胸を張った。

「この野砲のことが、『操典』になんと書いてあると思うか。「各種活目標ヲ殺傷シ」と書いてある。『各種活目標』ちゅうとは、馬なんかもそうじゃろうが、主に人間のことじゃ、敵国人のことじゃ。火砲の榴散弾は、たくさんの「活目標」を一纏めに吹っ飛ばすために出来とる。毒ガスの使用は国際条約で禁止されとっても、戦争がありよる以上、どこの間抜けな国がそげな条約を守るか。各国が作って持っとって、ここぞというときにゃばら蒔くちゅうことは、公然の秘密ぞ。殺人光線か電気砲か知らんが、相手方の戦争員も非戦闘員も一緒くたにして、いちどきに何万人も何十万人も皆殺しにしてしまうごたぁる新兵器でも早う拵えて、早う使うたほうの国が勝とうちゅう戦争に、殺し方のよし悪しを詮議しとる必要はない。なにがなんでも、『各種活目標ヲ殺傷シ」の一本槍で進むまでよ。」

 それで大前田の長広舌も、ついに終わったとみえた。片手に火砲の車輪をつかみ片手に帯剣の鞘を逆立てた勇壮な姿勢のままで、大前田は、両唇をしっかり結んだ。また静寂がわれわれを訪れた。

 大前田演説の全体は、多くの鮮烈な印象を私に刻み込んだが、この静寂の間、私は、ほかのことを考えなかった。日に照る三八式野砲を片えにした大前田の(いかにも「歴戦の勇士」という評判にふさわしい)屈強な立ち姿を眺めながら、私は、これも「保元物語」の為朝初登場場面を頭の奥で暗誦していた。そこは、「保元物語」の中で、私の好きな箇所の一つである。

 為朝は七尺許りなる男の、目角二つ切れたるが、紺地に色色の糸を以て、獅子丸を縫ったる直垂に、八竜といふ鎧を似せて、白き唐綾を以て縅したる大荒目の鎧、同じき獅子の金物打ったるを著る儘に、三尺五寸の太刀に熊の皮の尻鞘入れ、五人張の弓、長さ七尺五寸にて釻打ったるに、三十六差したる黒羽の矢負ひ、兜をば郎等に持たせて歩み出たる体、樊噲も斯くやと覚えてゆゆしかりき。謀は張良にも劣らざれば、堅き陣を破る事、呉子孫子が難しとする処を得、弓は養由をも恥ぢざれば、天を翔る鳥、地を走る獣、恐れずといふ事なし。上皇を始め進らせて、あらゆる人人、音に聞ゆる為朝見んとて挙り給ふ。