2016年10月31日月曜日

20161031 小説、物語とその映像化作品について・・

A「昨日は不図「ブログ記事の作成を止めておこう・・。」と考え、どちらかというと意図的に記事作成を止めました。

その理由とは、昨日は休日ということもあり、また目標とする500記事まで年内に到達することが可能であるならば、多少の小休止もまた合理的な判断ではないかと考えたためです。

加えて1日意識的に休むことにより、如何なる影響が自身の記すブログ記事に生ずるのかを確認することもまたできます・・。

とはいえ、こうしたことをこの程度長々と記しますと「それはただのサボりの言い訳ではないのか?」と思われる方々もいらっしゃるかもしれませんが、たしかにそれは穿った見方として間違いではないと思われますし、意識しなくとも、あるいは、文字に記さなくとも、おそらくそうした心情とは、正直なところないとは言い切れません・・(苦笑)。

とはいえ、一方において、これまで多少の断続はありながらも、どうにか継続的と云える程度にはブログ記事を作成してきましたので、その見地にて考えて頂ければ、たとえサボりの部分が多少あったとしても、それは今後のブログ記事作成を円滑に行う為の小休止であったと認識、見做して頂くこともまた出来るのではないでしょうか・・?

そして、それすらもまた「言い訳ではないのか?」と追及されるのであれば、そこから先は私も何もその点に関しては記すコトバがありません・・(苦笑)。

さて、この点はこのくらいにしまして、先日、これまで投稿しましたブログ記事において度々取り上げた作家北杜夫の小説が映画化されていることを知りました。

この小説につきましては、これまでに読んだことがありませんが、とりあえずは、以前ブログ記事に記しました、かねてよりの企図にしたがい同著の「楡家の人びと」を読んでみようと思います。

また、長編小説といえば、今春~夏にかけて読みました野上彌生子著「迷路」の次となりますが、この「楡家の人びと」もまた、さきの「迷路」と時代背景が重なるため、なかなか面白く読むことが出来るのではないかと考えております・・(笑)。

しかし、そう考えてみますと、どうも最近の私は、この時代(戦間期~戦中、戦後)を舞台にした長編小説を好んで読んでいるようです・・。

さらに加えて、それ以前(2007~2008)に読んだ大西巨人著「神聖喜劇」もまた、主に戦中を舞台(この著作は主人公の作中での回想あるいはかつて読んだ著作からの想起により、描かれる時代が実に多岐に渡る。)としていることから、あるいはこの時代(戦間期~戦中、戦後)とは、おそらく我が国の近代文学がある程度成熟した、それに加え、認識し得る我が国の歴史の中で最も波瀾に富んだ時代(の一つ)であることから小説、物語などに対し格好の時代背景を提供するのではないかと思われます・・。

とはいえ、そうしたかつての我が国社会の一面を「活写」したと思われる著作とは、これまでに映像化されたということは(少)ないようです・・。

これはなかなか面白いことであると思うと同時に、おそらく現今の我々の社会においては技術的云々よりも、それを演じる方々のそれら小説、物語の登場人物への同期化した行動、言動つまり演技が困難であるのではないかと思われます・・(時代精神との同期化が困難・・?)。

その点においてやはり、かつて製作されたこの時代(戦間期~戦中、戦後)を舞台にした映像とは、舞台となった時代と製作された時代が比較的近い(当事者が存命)ことから、何といいますか、無理なく、その舞台となった時代として製作された映像を観ることが出来るのではないかと思われます・・。

あるいは、こうした現象とは、我が国の映像作品にのみ当てはまるものなのでしょうか・・?

とはいえ、こうしたことからもまた、おそらく国民性の一端らしきものは看取、認識することが出来るのではないかと思われますが、さて如何でしょうか・・?

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる四月の熊本における大地震、昨今の山陰東部における大地震によって被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」