2020年4月19日日曜日

20200418 詩人の持つ特性と人文社会科学分野の価値

本日は先日投稿のブログにて名前が挙がったトーマス・マンによる「トニオ・クレーゲル」が何故だか気になり、引越し荷物の書箱をいくつか開けてみましたが、なかなか見当たらないため、今回は諦めて、自身の文章にて記事作成を行うことにしました。

この「トニオ・クレーゲル」は、鹿児島在住時代に読んだ記憶がありますが、その時はむしろ若干の反感すら覚え、当著作で描かれている所謂「芸術家」には、自分はなるまい、と強く思いました。また、当著作を読んだきっかけは、以前に同著者による「魔の山」を読み、さらに、北杜夫による「どくとるマンボウ」シリーズにて、たびたび影響を受けた作品のひとつとして書かれていたためであるのですが、現在考えてみますと、そこには、大変興味深いことが書かれているのではないかと感じられるのです・・。

北杜夫が「どくとるマンボウ医局記」にて書いていましたが「詩人とは、自分自身のことだけを述べて、それがそのまま全世界のことを述べていることになる人のことだ。」というのがありますが、これについては、読んだ当初は反発に近い感情を抱きましたが、現在になり、このコトバを考えてみますと「なるほど、たしかにそういった「感覚」はあるのかもしれない・・。」と、あらためて考えさせられ、あるいは「それは我が国で云うと、柳田國男が述べていた「予言力」というものに近いのかもしれない・・。」とも考えさせられ、さらには、そうした詩人のある種、特性とも云えるものは、迷信やオカルティズム方面のものと認識せず、また他方で、あまり科学的・数値的な分析なども行うことなく、自然に伸ばしていくことが、国や地域を活性化することに繋がるのではないかと思われます。

そしてまた、おそらく、そうした「感覚」や「特性」は、さまざまな文章や出来事に触れ、そこから得られたものが、油絵の描写や、鍾乳石の生成ように凹凸を形成することにより生じるものであり、少なくとも、一朝一夕には行かないものであると思われ、さらに、その意味において、古くからの人文社会科学系分野の、他には替えられない価値といったものがあるのではないかと思われるのです・・。

そして、そうした視座から考えてみますと、現在の我が国をも含む高度に工業化された社会全般では、あまり、そうしたことに留意していないようにも思われます・・。また、それは、我が国社会の場合、近代以降の一つの(大きな)特徴ではないかとも思われるのですが、さて如何でしょうか?

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
日本福祉大学


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