2019年7月28日日曜日

20190728 「プラハの墓地」読了そして1200記事到達・・実感はナシ(苦笑)

今回の記事投稿により、総投稿記事数が1200に到達します。とはいえ、ここ最近は、日毎の記事投稿は行っていないことから、あまり達成感や感興が湧くことはなく、はぼ、ここ最近の普段通りに記事作成に取り組んでいます・・。

さて、先日来より読み進めていたウンベルト・エーコ著「プラハの墓地」は一昨日読了しました。この物語全般を通じ、そうであるとは云えますが、特に物語最後の部分に関しては、我々現代の日本人が読んでみる価値が少なからずあるように思われました。興味のある方はご一読をお勧めします。

また、この著作読了後に思い起こされた映画作品が1997年米公開、バリー・レビンソン監督「ウワサの真相 ワグ・ザ・ドッグ」(「Wag the Dog」)であり、この映画作品は、先日投稿の当ブログ記事にて言及した2015年夏に亡くなった親戚から教えて頂いたものであり、当時(1998年)も興味深く観た記憶があります。

この「ウワサの真相 ワグ・ザ・ドッグ」(「Wag the Dog」)は、かなり豪華なキャスト陣であったと思われるのですが、どうしたわけか、現在ではそこまで優れた映画作品であるとは評価されていないようです。とはいえ、こちらの映画作品もまた、さきのウンベルト・エーコ著「プラハの墓地」同様、現在であるからこそ、より興味深く、そして多面的に観ることが出来るような作品であると思われます。

くわえて、今週末はテレビでニュース番組を観る機会が幾度かありましたが、そこで観たいくつかのニュースからもまた、さきの「ウワサの真相 ワグ・ザ・ドッグ」(「Wag the Dog」)にて描かれている「ある種のメカニズム」を想起することが出来るとも思われますので、興味のある方は是非一度観ることをお勧めします(笑)。


Wag the Dog - Original Theatrical Trailer

さらに、これは蛇足であるかもしれませんが、去る四月末から読み始め、同六月末に読了した司馬遼太郎著「翔ぶが如く」ですが、この作品にて描かれている「ある種のメカニズム」もしくは「生の枠組み」もまた、現在、我が国社会を賑わわせているニュースとの関連にて考えてみますと、いくらか興味深いようにも思われます。



さて、ハナシは変わり、さきのウンベルト・エーコ著「プラハの墓地」を読了に至る少し前、久しぶりに文系の師匠からお葉書とメールが届きました。相変わらず、お元気で、さまざまな活動をされていることが伝わってきましたが、我がことながら面白かったのは、頂いたお葉書、メールを読んだのち、今週末訪れた都心部の書店にて偶然に手に取り、立ち読みした作品が中路啓太著「ロンドン狂瀾」上巻であったことです・・。そして現在、この作品を読み進めていますが、戦間期の国際関係および我が国社会を扱った作品として大変面白くまた、史実を考証・検討し書かれていると思われますので、戦間期について興味を持たれている方、または具体的に、これまで当ブログにて何度か取り上げた野上彌生子による「迷路」、武田泰淳著「貴族の階段」あるいは山本薩夫監督による映画作品「戦争と人間」と同時期を背景とした作品を探されている方々にとっては、特に面白く読むことが出来ると思われます。



当記事の投稿にて1200記事に到達しますが、ここまで書いてみても、冒頭に述べました通り、達成感や感興は皆無であり、そこから、今後もしばらく記事作成を継続することになると思われます。



そして、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。






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2019年7月21日日曜日

20190720 歴史の進行を左右するものについて

本日は22:30頃、東京から徳島に戻りました。帰りの飛行機は徳島上空が視界不良のため、上空にて待機した後、滑走路へ進入し着陸したため普段よりも到着が遅くなりました。
また、上記の理由により、飛行機に乗る時間が長くなり、気圧の違いのためか胃や耳が不調になり、着陸後しばらくはグッタリしていました・・。

とはいえ、今週についても週末くらいはブログ記事を作成しようと思い立ち、さきほどから記事作成をはじめた次第ですが、案の定特に記事主題を決めているわけではありません・・(苦笑)。

そういえば、現在読み進めているウンベルト・エーコ著「プラハの墓地」はその後450頁過ぎにまで至り、残り100頁に満たずして読了に到ります。この著作をはじめ欧州の近現代を舞台として史実に沿った内容の著作を読んでいますと、社会における個々人が持つ考え、思想の意味合いが、歴史の進展において無視できない程に重要なものであることが分かります。

その理由は、さまざまな考え、思想を持つ登場人物達が作中
にて会話、議論する、あるいは著者が作中にて独白するさまは、まさしく、著作舞台となっている時代の様相・時代精神を表すものであると同時に、ある程度巨視的に見た場合、それらの背景にある「生の枠組み」のようなものの普遍性をも見出すことが出来ると考えるためです。

そして、こうした様相・時代精神そして生の普遍的な枠組みを読者に対して的確・明瞭に伝える・訴える著作(それは論文、物語、詩と如何なる文章の形式であろうと)こそが、時代を通じて読み継がれるものであると考えます。

そうした視座から、古くから、そして多くの国々にて読まれている著作には、たとえ現時点の自分では理解できないにしても、やはり何らかの価値が少なからずあると考えることが出来ます。

また、ある程度読書習慣を持たれている方々は、概ね、上記のことは理解・体得されていると思われますが、恥ずかしながら、自身も含め我々の社会には、そのことを忘れ「(現在の)自分では理解出来ない、分からない著作には特に払うべき価値はなく、また、そうした意見が世間一般において多数を占めていると思われる場合は、尚更、そのように判断しても構わない」といった割合強い傾向・性質があるようにも思われるのです。

その一方で我々が併せ持つ「即視覚的な要素については、かなり感受性が鋭い」という傾向・性質は、今後の世界規模のパラダイム・潮流において、どのように作用するのであろうか、そして、その先にどのような展開が期待されるのかと考えることは、思いのほかに重要であり、また同時に、それはさきに述べた様々な社会の様相・時代精神そして生の普遍的な枠組みをあらわした諸著作を読むことによって為し得ると思われるのですが、どのような理由に因るものか、我が国の社会全般には、書籍を読む文化は根付いているものの、こうした読み方の習慣については、さきのものほど根付いていないように思われます。

そして、出来るだけ多くの人々が自然と、それを行うようになるためには、教育の仕組みや制度の改革などよりも、やはり「そうしたことを教える人」が重要であるのではないかと自身の経験は語るのですが、さて、いかがでしょうか・・。


今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。





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2019年7月15日月曜日

20190715 ホセ・オルテガ・イ・ガセット[著] 木庭 宏[著・訳] 松籟社刊「オルテガ 随想と翻訳」pp.42-45より抜粋引用

ホセ・オルテガ・イ・ガセット[著] 木庭 宏[著・訳]
松籟社刊「オルテガ 随想と翻訳」pp.42-45より抜粋引用
ISBN-10: 4879842761
ISBN-13: 978-4879842763

オルテガの大学論の中心テーマの1つは、教養の意味の闡明と教養学部創設の提案にある。そこでまず、《一般教養》と真の教養の意味についてオルテガが述べるところを引いてみよう。以下の引用文中に「教養(文化)あるいは「文化(教養)という括弧つきの概念が出てくるが、それは、教養と文化の両義を持つスペイン語の語彙 cultura を表現し得る単語がドイツ語にも日本語にもないためである。

〈一般教養〉。この愚劣で俗物的な響きは、その不実さを示唆している。家畜や穀物ではなく、そもそも人間の精神に関わる教養は一般的でしかありえない。人は物理学や数学で〈教養〉を積むことはできない。せいぜいこの領域で知識を身に付けるくらいである。一般教養という言葉が用いられるとき、その意味するところは、学生に何がしかの装飾的知識を、彼の性格ないし精神に漠然とした教育的影響を及ぼしそうな知識を与えるべし、ということである。こうした漠然とした目論見のためなら、技術的要素が比較的少なく、厳密性の乏しい科目ならば、科学であれ歴史学であれ社会学であれ、何でも用いることができるのである。
 しかし私たちがいま一跳びして中世へ、つまり大学発祥の時代へと立ち返ってみると、現代まで存続するこの残存物が、実は、もっぱら当時の大学の本来の内実をなしていた物のささやかな名残であることに気付くだろう。
 中世の大学は研究を行わない、職業教育もほんのわずかしか携わらない、すべたがただ・・「一般教養」-神学、哲学、いわゆる人文科学なのである。
 それはしかし今日「一般教養」と呼ばれるようなものではなかった。決して精神の飾りでも、また人格修練でもなかった。いな、その逆である。それは、あの当時の人間が自らのものと呼んでいた、世界と人類に関する諸理念の体系であった。つまり実際に自らの存在の指針となる様々な確信のたくわえだったのである。生は混沌であり、原生林であり、錯乱である。人は生の森のなかで道に迷う。寄る辺のない世界での挫折感、この感情に対して人間精神が、生の森のなかに「小径」を、「道」を見出さんとする努力で応えるのである。「道」とはすなわち、宇宙についての明快かつ確たる理念のこと、世界とは何か、事物とは何かという問題についての積極的な確信のことである。これら理念の総体、その体系がしかし言葉の最も真なる意味での教養(文化)なのであり、それゆえ装飾物とは正反対のものである。教養ろは、生という大海のなかで座礁せぬように我々を守ってくれるもの、無意味な悲劇に終わったり、汚辱にまみれたりするのない生の営みを可能にしてくれるものなのである(148頁)

「一般教養」という「愚劣的な響き」を表現するのに、日本の学生たちの間で用いられているジャルゴン、「パンキョウ」(般教)以上に露骨なものはない。ここから、学生たちが一般教養なるものをあってもなくても良い価値低きものとして、蔑視していることがよく見て取れよう。さて、右の引用文であるが、その第1節では、たとえば日本の大学の旧教養学部における一般教養の曖昧さが鋭く指摘されているといえる。そして、第2、第3節において中世の大学制度に遡及し、そのあと、最後の第4節で、教養とは「世界と人類に関する諸理念の体系であった。つまり実際に自らの存在の指針となる様々な確信の貯えだった」ことがきわめて明快かつ論争的に説明されている。教養は、上流社会の取り澄ました人々が上着にぶら下げるような装飾物などではない。かつて我が国で喧伝され、今ではすっかり廃れてしまった、あの(岩波)教養主義とか教養人とか言われる類のものではないのだ。そしてここで、オルテガが教養について敷衍する箇所をさらに2つ引いておこう。いくらか重複しているが、それぞれ違った表現で、違ったアスペクトから描かれているので、引用は不可欠である。

教養(文化)とは、それぞれの時代が所有する生きた理念の体系である。もっと適切に表現すれば、教養とはある時代がそれをもとにして生きる理念体系である。逃れるすべはない。人間はつねに特定の理念群をもとにして生き、そしてこれら理念が彼の存在に依拠する基礎となっているのだ。それらの理念ー私はこれを「生きた理念」もしくは「生の糧となる理念」と呼んでいる―は、世界とは何か、私たちの同胞とは何かという問と、そして、事物と行為に与えられる価値のヒエラルキー、すなわち、何が尊重さるべきか、何がさほどでないか、に関する、私たちの実際的な確信の蓄積であり、それ以上でも以下でもない。(160~170頁)

啓蒙と文化(教養)は幾人かの有閑人が自らの生の上着にぶらさげる装飾品に過ぎぬとする曖昧な考え方は、いかなる種類のものであれ、断固排除さるべきものである。これ以上ひどい曲解はないだろう。文化(教養)は生と切り離せない必然である。それはちょうど手が人間の一部であるように、私たちの存在の本質に属するものなのである。[中略]自らの時代の高みに生きない人間は、自分の実際の生に見合う水準以下にとどまっている。つまり、自らの生を偽り、歪めている、十全なる意味で生きていない、ということなのである。(173~174頁)

教養に備わっていた本来の生きた意味を人びとの記憶のなかに呼び起こし、それを活性化させんとするオルテガの目論見とその議論にはたしかに説得力がある。もしも教養、文化がそのようなものであるのなら、大学で教養を教えることは不可避のこととなり、またそうした思想は当然ながら学部創設の基本理念ともなりうるのである。』


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2019年7月14日日曜日

20190714 新たな考え・意見について【抽象的なものの重要性?】

これまで1200近くのブログ記事を作成してきましたが、それら記事の中で「これまでになかった新たな考え・意見はあったのか?」と考えてみますと、それはなかなか難しいものがあります。たとえば、投稿記事のなかで、自分では新たな考え・意見を述べたと思ったとしても、それらの大半は、たとえ無意識に近いものであったとしても、これまでに自分が読んだ複数著作に書かれている意見を自分なりに解釈し、そして、それらを組み合わせたものであると云えることから、それらは厳密には新たな考え、意見と評価することは出来ないと考えます。

これは当ブログに比較的多い、何かについて考え・意見を述べたような記事においては、特にその傾向が強く、また同時に、それは当ブログのみならず、刊行されている書籍大半に対しても当て嵌まるのと考えます。

そうしますと「では、どのような記事が新たな指摘・意見を述べている可能性があるのか?」と思うところであり、それに対して、これまでブログ記事を作成していて思うことは「これまでに何度かあった、パッと閃くように、ある意見が脳裏に現れ、それを表現、文章化することが出来たと思われる記事は、いくらか、そうした可能性があるのではないか。」といった感覚的な返答になります。

このパッと閃くように考え・意見が脳裏に現れることは意識による操作、制御可能なものではなく、まさしく「所構わず」であり、また同時に、人によってもその現れ方が異なると思われることから、普遍的な(万人に共通する)意味での効率化は困難であるように思われます。

とはいえ、そのさらに基層にあるものに関しては、ある程度共通して「意識が何かに集中、向かっている時」であると思われ、その中で意識が緩んだ際に「パッと閃く」ようにして考え、意見が浮かんでくるといったメカニズムがあるように思われます。

このようにして得られた考え、意見は、その背景が、さきに述べたように「意識が何かに集中、向かっている時期」であることが多く、この意識のフィルターを経て現れたものであることから、何と云いますか、意識上にあるものに対し、自由な解釈が為され、抽象度が高いものと云えます。

この抽象度が高いということは、異言しますと「新たな考え、意見」に結節し易い状態といえ、こうした言説の状態・様相から、他の何らかの具体的な事象が思い起こされることは、それはそれで一つの共通性、通底する何かを見出したことになり、さらに、その過程を文章化しますと、それはそれで価値があり、あるいは新たな考え・意見ということになるのかもしれません。

自身のこれまでのブログにて比較的明瞭に、そうした過程を経て作成された記事を考えてみますと、それは2年前の投稿記事「20170506 昨日の端午の節句にて思ったこと・・靫・矢屏風から」であると思われます。

また、確証はありませんが、ここで述べている「靫と矢屏風に共通する破邪あるいは境界性の強調といった呪術的な意味合いが、古墳時代から近世まで継続されてきたのではないか。」という考えは、これまで読んだ書籍になく、また、人から意見として聞いたこともありませんでしたので、新たな考え・意見である可能性があり、且つ、歴史を考える上で、そこまで荒唐無稽な意見でもなく、あるいは実存した(する)価値観、観念を示したものとして検討の余地があると思われますので、今後、機会があれば、さらに関連する書籍などを読み、深めてみたいと思います。

さて、現在読み進めているウンベルト・エーコ著「プラハの墓地」は、その後350頁を越え普仏戦争パリ・コミューンの頃を描いていますが、当著作のように、舞台となる時代背景に入り込み、価値観等を含めて、その当時の人々になり切り、物語を進めていくスタイルは簡単なようでありながら、かなり難しいのではないかと思われます。こうした特徴は同著者による「薔薇の名前」も同様であり、またロバート・グレーヴスによる「この私クラウディウス」もまた、そうした名作であると考えます。

そこから、果たして現代の我が国に、これら著作に匹敵するような(シェークスピアに対する木下順二のような意味でも)作品はあるのだろうかと考えてみますと、あるいは、丁度こうした史実の再現性と登場人物のリアリティー、同時代性を共存させるような世界の構築といった作業は、我が国の場合、マンガ・アニメといった即視覚の世界に集約化されていってしまったのではないかとも思われるのですが、さて、如何でしょうか。

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2019年7月7日日曜日

20190707 「プラハの墓地」を250頁程度まで読んで思うこと

引き続き、先日の九州南部を襲った大雨による被害が軽微であったこと、そして、その復旧が速やかに為されることを願います。

さて、驚くべきことに昨日、ブロガーにて投稿分の記事が、かなり多くの方々に読んで頂けていました。これを読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

とはいえ、この昨日投稿分の記事は、内容がどちらかというとマニアックであることから「この記事の閲覧者数はシケるだろう・・。」と考えていました・・(苦笑)。

そうしますと「この記事の何が、この閲覧者数に結びついたのだろうか?」と疑問に思うところですが、正直なところ、その理由はイマイチよくわかりません。しかし、おそらくこれまでの日本語で書かれたWeb上での言説にて「プラハの墓地」作中150頁周辺と映画「山猫」の同時代性を指摘したものは初めてであったと思われますので、これが多少効いたのではないかと推測するところですが、さて如何でしょうか?

さて、先日来の「プラハの墓地」は、今週末で漸う250頁程度まで読み進みました。ここに来てまた新たな展開となり、次の舞台は1860年代のパリになります。ともあれ、このように同一の主人公が同時代での各地の出来事に関与していくスタイルは、エルジェによる「タンタンの冒険」に近いものがあるのではないかと思われます。そういえば、この「タンタンの冒険」の1作品「ユニコーン号の秘密」は2011年にスティーヴン・スピルバーグ監督によって映画化されていますが、同様に「プラハの墓地」も、同監督によって映画化されると、大変興味深く、面白い映画作品になるように思われるのですが、さて如何でしょうか?

ともあれ、こうして、ある著作を読み進めていく中で、それに関連すると思われる著作、映画作品等が半ば不随意的に思い起こされることは、自身としてもなかなか面白いものがあり、おそらく、こうした習慣のようなものは、その多くは、文系分野での師匠からの影響であると思われますが、同様に、まだまだこの師匠の足元にも及ばないとも思いますので、今後も引き続き、無理をしない程度に、こうした日常的な取り組みを続けて行きたいです。(いずれ何かの役に立つことがあるのだろうか・・?)

ちなみに昨日の記事投稿以来、ブロガーにて「20180108 岩波書店刊 トーマス・マン著『魔の山』上巻pp.264-268より抜粋引用」を読んで頂いていたことは大変興味深く、こうした反応があるからこそ、惰性にはなりつつも、記事作成を止めようとは思わないのかもしれません・・(笑)。

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2019年7月6日土曜日

時代の変革期を描いた作品について

先日の九州南部を襲った大雨による被害が軽微であったこと、そして、その復旧が速やかに為されることを願います。

 今回の記事投稿により、総投稿記事数が1195に到達します。そうしますと、残り5記事の投稿により1200記事へ到達することになります。以前にも述べましたが、この1200という数字も、そこまでキリの良いものではなく、今後、たとえ首尾よく到達することが出来たとしても、それは1つの通過点と見るべきであり、今後も記事作成を継続した方が良いのか、あるいは、キリが良くなくとも、このあたりで当ブログの更新は止めるべきであるのか少し考えさせられるところです。もちろん、こうしたことは最終的には自身で決めることではあるのですが、他方で、こうして、思ったことを文章化しておくことは、少なくともブログ記事数カサ増し以上の価値はあるのではないかとも考えています・・(笑)。

さて、先日から読み進めているウンベルト・エーコによる「プラハの墓地」は、今週、比較的読書に充てる時間が少なかったことから、その後、漸う200頁まで至りました。今週末は出来る限り読み進めようとは考えていますが、果たして、どの程度まで進めることが出来るでしょうか・・(苦笑)。

ともあれ、ここまで読んでいて不図思い起こされたのはルキーノ・ヴィスコンティ監督の「山猫」という映画作品です。この作品の舞台、時代背景がおそらく「プラハの墓地」150頁あたりと同じであり、また、この映画作品は当時の時代精神、雰囲気がよく再現されていると思われますので、興味のある方は是非ご覧ください。こうした、まさしく「重厚」な映画作品は、ここ最近かなり少ないように思いますので、かえって楽しく観ることが出来るのではないかと考えます。
ルキーノ・ヴィスコンティ監督「山猫」

また映画「山猫」にて、すぐに思い起こされるのは、以前にも当ブログで取り上げました映画「大いなる幻影」(『La Grande Illusion』)・「日の名残り」(『The Remains of the Day』)であり、これら映画作品を起点として、あるいはそれぞれ作品内容の関係性から、近現代史あるいは国際関係論なども概説程度は学ぶことが出来るのではないかと思われますが、さて、如何でしょうか。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

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