2021年2月1日月曜日

20210131 記事作成時の脱主体化(没頭)と「時代と繋がっている」というについて

 未だ【架空の話】の書き進め方について踏ん切りはつかず、これを書き進めることは出来ませんが、他方で、こうした散文形式の記事であれば、今現在、こうして特に問題なく作成出来ているのはなかなか面白いところです・・(苦笑)。

しかし、以前の2015年の頃は、こうした散文も作成が困難な状態であり、同時に「何か書かないとおかしくなっていまいそうだ!」といった強い焦燥感がありました。

現在考えてみますと、それは「病的」と云っても良い状態であり、思い出したくもない程度に苦しいものであったと記憶しています。そして、私のそうした状況を察しておられたのか、丁度この時期、何人かの方々にブログの作成を勧められました。

当初は「ブログなんて・・」と考えていましたが「同じ時期に互いに面識はないと思われる複数の方々から勧められることにも何かしら意味があるのかもしれない・・」と感じ、当ブログをはじめたのが2015年の6月でした。

そこから現在に至るまで5年8カ月ほど、どうにか続けてきましたが、その間に、こうした公表を前提とする散文は、どうにかスムーズに作成出来るようになったとは云えます。

当初は、それすら困難であったことから考えますと、今後もスランプの波が訪れるとは思われますが、それでも「自身としてはそれなりの進歩」であったと云えるのではないかと考えるところです。

また、以前に作成した、いくつかの記事を読んでみますと、それらは当時生じた出来事・事件などから着想を得て記事作成を行っていたことも看て取れ、そこには自身が作成したものであることから、ある種主体的とも云えて奇妙な感じもするのですが「時代精神」のようなものが感じ取れると云えます。

この「時代精神」は、これまで当ブログにて何度か取り上げたコトバではありますが丁度、昨日から読み始めました新書本の「はじめに」にて、このコトバが取り上げられており、また、その用い方が大変上手いと思われたことから、ここで不図、思い起こされた次第です。

ともあれ、このように自身がかつて作成した文章に「時代精神」を感じられるということは、異言しますと、そこで自身が外界の出来事に対し、何らかの意見を表明したため、そのように感じ取れるのだと云えます。

その理由は、もしも、それが自身内面での想念の記述に終始していたものであるのならば、過去の外界の出来事を想起させる要因には、相対的になり難いと云えるからです。

そして、そこに何と云いますか、こうした公表を前提とするブログなどの「意味」といったものがあるように思われるのです。

その意味とは、自身の外界に生じている何らかの大きな出来事を認識し、それについての自分なりの評価を文章にて著し、公表し続けることにより、少し劇的とも云える表現になりますが「自分が時代と繋がっている」といった感覚が生じるということです。

こうした感覚は、現在となっては、ほぼ所与に近くなってしまったと云えますが、思い返してみますと2016・2017年頃、暗中模索とも云える状態にて(寝落ちしそうになりながら)書き続けていた時期は、そうした感覚を得ることも少なかったと云えます。

その後、昨年あたりから、どうしたわけか、こうした感覚が徐々に生じてきたと記憶していますが、それは考えてみますと、ある種の「脱主体化」であるとも云えます。この感覚は文章作成時の没頭している際の感覚でもあるとも云えるため、ここ「公表を前提とした外界の出来事について述べた文章」には、更に深い(個別的であるのか普遍的であるのかも分からない)「何か」があるように思われますが、それをまた言語化するためにも、今しばらく記事作成を継続する必要があるのだと思われます・・。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!





ISBN978-4-263-46420-5

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