2020年2月13日木曜日

20200213 先日投稿の記事がランク・インして思ったこと・・

本日の徳島は気温が20℃まで上がり、春のような1日でした。また、この陽気は今週中は続くとのことですが、来週になりますと、また冬日に戻るとのことです。このようなことを書いていますと、不図「三寒四温」というコトバを思い出しましたが、このコトバはおそらく、丁度、今の時季を指すものであるように思われます・・。

くわせて、先日の投稿記事にも記しましたが、陽も以前に比べ長くなり、そうしたことから、季節が徐々に春へと推移していることがうかがわれます。

さて、おかげさまで、先日投稿の「ブログ掲載情報についての対話形式」がアメーバブログにて人気記事にランク・インとなりました。正直なところ「この記事の閲覧者数はあまり伸びないだろう。」と考えていたため、これには多少意外の感があります。そしてまた、「こうした内容の記事も寛容に受け入れて頂けるのであれば大変ありがたい。」というのが、このランク・インに対する率直な感想と云えます・・。

ともあれ、こうした内容の記事を書く自身ではありますが、子供の頃から変わっている、あるいは周囲から浮くことも少なからずあるためか、たびたびイジメられました・・(苦笑)。そしてまた、おそらく今後もそのような感じではないかと思われます・・。また、イジメられる悪影響としては、なかなか自然に自信を持てなくなることであるように思われます・・。

以前に比べますと、そうではなくなりましたが、それでも、権柄ずくな態度をされたり、こちらの意見を全く聞かずに勝手に罰ゲーム的に何かを押し付けてくるようなことをされますと、かなり腹立たしくなるのと同時に凹み、滅入ってきます・・。

また、それに加えて、イジメの後遺症によるものか、自然に自信があるように振舞えないことから、小中高から現在に至るまで異性にモテないことも、現在まで尾を引いていると云えます・・(苦笑)。

とはいえ、このようにモテなかったことから、いくつかの分野での知識や経験を積むことが出来たとも云えますので「自分にとってどちらが良かったのか?」と問うてみますと、「これはこれで良かったのではないか・・?」と思える時もしばしばあると云えます・・(苦笑)。

そしてまた、こうした「メゲない」のか「いいかげん」であるのか分からない(多分、これらはかなり親和性があるのではないかと思います・・(笑))自身が、ロスジェネ世代のど真ん中であることは、偶然であるのか、あるいは何らかの必然であるのか、これもまたイマイチよく分かりませんが、面白いところであるようにも思われます・・。

さらにここで、ロスジェネ世代と書いていて不図、岩波書店刊行の、だいぶ以前に読んだ記憶のある「きけわだつみのこえ」という著作が思い出され、少しだけ目頭が熱くなってきました・・(苦笑)。

20200213 創造や生産のジレンマについて・・

当記事を含めて、残り58記事の投稿により、総投稿記事数が1300に到達します。本日から毎日1記事の投稿を行いますと、来る4月の半ば前には達成出来る目算が立ちますが、さすがに毎日の投稿はキビしいと思われるため、出来るだけ毎日に近く続けていこうとは思いますが、それでも2日に1記事程度の更新となっても、そこまで悪くはないように思われます・・。

さて、昨日は文章が書けなかった時期のことについて書きましたが、この時期は現在思い返してもみても暗く、鬱々とした日々であり、またそれは、現在においてもなお、完全に晴れているわけではないのですが、いつか、これが晴れ渡る日は来るのでしょうか・・(苦笑)。

しかし、あるいはまた、こうして暗く、鬱々とした気分を現在に至るまで、いくらか引き摺っているからこそ、ブログ記事の作成を継続することが出来ているとも云えるのかもしれません・・(苦笑)。

何故ならば「人は完全に安楽・快適な状態になると、そこから逃れるための創造をしなくなるからだ。」とも云われるからであり、これに関しては多少悔しくはあるものの、全くの的外れではないように思われます・・(苦笑)。

しかしながら、他方で、より多くの創造をするように、外部からの働きかけ・圧力によって出来るだけ安楽・快適な状態にならないように仕向け続けていると、遅かれ早かれ、いつか内面に破綻が生じるのではないかと思われます・・。

そして、おそらく、こうした一種の創造性や生産性についてのジレンマのようなものは、古来から存在し、あるいは、こうした様相・メカニズムについて、より良い解決をはかるための仕組みが、宗教であったり、さまざまな思想であるようにも思われます。

また、こうした宗教や思想が、何処で、どのようにして発生し、その後どのように伝播・発展していったかについて考えてみますと、さまざまな国や地域における宗教や思想といった所謂、形而上的なものに対する親和性・相性のようなものが分かるのではないかと思われます。

そして、それに対して、さきの創造性や生産性についてのジレンマをより具現化したものと云える、国・地域における支配・被支配の構造、そして、それらの歴史についてを重ね合わせて考えてみますと、宗教や思想といったものが、どのような条件下において繁茂し、また逆に、衰弱・枯死してしまうのか、ということが、ある程度理解出来るのではないかと思われるのですが、さて、その意味で、現在の我が国は、いかなる状況と云えるのでしょうか・・(笑)?

いや、あるいは我が国は元来、宗教や思想といったものからは縁遠く、古くからのリジッドな支配・被支配の構造が現在に至るまで続いているのでしょうか?こうしたことは多少本を読んだ今になってもイマイチよく分かりません・・(苦笑)。とはいえ、であるからこそ、やはり歴史は面白いのだとも云えるのかもしれません。