2024年3月13日水曜日

20240312 株式会社岩波書店刊 岡正雄論文集「異人その他 他十二篇 大林太良編」pp.159‐161より抜粋

株式会社岩波書店刊 岡正雄論文集「異人その他 他十二篇 大林太良編」
pp.159‐161より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4003319613
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4003319611

日本民族の文化的社会的展開の道筋

 私は、日本民俗学が対象とする基盤的生活文化を、西欧近代文明渡来までに成立した生活文化と、いちおう限定するが、種族的混成が国家の創立によって、いっそう促進され、それがどんな過程を経て、江戸時代の社会的・文化的構造を展開するまでにいたったかという、あらましの展開の道筋をここで考えてみたいと思う。

 さきに述べたように、石器時代以来、日本列島にはいくつかの種族が渡来し、それらは隣住し、多少とも独立の種族的生活を営んでいたが、しかし時の経過のうちに相互に交流し、接触し、あるものはすでに混合の過程が進んでいたであろう。最後に渡来した天皇種族は、これらの先住農耕種族や漁労種族を征服し、国家を創建し、時とともに政治的権威を強大にし、領土を拡大し、かくして国家広域社会が形成されるにいたった。先住の諸種族はその種族としての独立性を失い、国家広域社会内に組み入れられることになり、だんだん階層化して被支配層となり、あるものは農民層となり、あるものは漁民層となり、あるものは手工業者層と変貌し、またさらに支配者種族自身も種族としての独立性を喪失し、階層化して支配層となり、また貴族層となり、王朝制を確立するに至った。種族としての独立性を失った諸種族の社会的結合力は必然的に弱化し、これら種族固有のさまざまな社会的規制は徐々に弛緩し、たとえば種族内婚的通婚性は崩れ、通婚圏は拡大し、混血の過程は急速に進行した。このばあい、種族の種族としての社会的な枠組みは、まず壊れたが、しかし種族社会を構成していた核社会としての村落共同体、小社会集団、親族構造、社会制度、それにまた生活様式、とくに生産様式は、比較的に長く存続したであろう。種族としての社会的枠組すなわち内婚制は消滅し、通婚圏は広まり、経済生活圏も拡大し、異種族との通婚による混血は文化の交流・混交を促し、かくて身体形質の遺伝、文化伝承の場はその範囲を拡大した。文化の地盤であり容器であった種族の解体は必然的にまた種族文化の統体性の解体を促した。この解体がすすめばすすむほど、その文化要素は母胎社会集団から遊離し、浮動し、伝播し、異系文化要素と混合し、結合し、癒着し、さきに述べた通婚による文化の交流、混交の現象とともに、雑多な新しい形態の宗教、儀礼、社会制度、習俗を生み出すにいたった。伝播や交流は時とともに広範囲に広がり、混合分布の地方差はあっても同じような文化要素が日本列島にほとんど一般化し、ついに雑多で、しかも等質とも見られるような日本文化を生み出すにいたったのである。これはまた身体形質の混合がその度合いの相違はあっても、日本全島に一般となるにいたって、現在見られるとうな雑多なしかも同系等質らしくみえる日本人の人類学的相貌といわれるものが結果するに至ったことにも並行する現象である。しなわち混合の一般化、融合化が等質らしさを生んだのである。この等質らしさはまた事実の等質化への進行を意味する。生物学的遺伝、文化的伝承の場は時とともに拡大し、かくて共同出自の観念は一般に浸透し、言語は統一化し、信仰、儀礼、習俗などは、さまざまな結びつきあいの混合で、広く散布しているというような形で一般化し、等質化しかくて日本民族という新しい大きな単位体エトノスが徐々に形成されるにいたったわけで、しかもエトノスの可変的=過程的性格からもいえるように、この日本民族という民族単位体の一様化・等質化は現在もなお進行しているのである。