2022年12月21日水曜日

20221221 ダイアモンド社刊 P.F.ドラッカー著 上田惇生編訳 【エッセンシャル版】「イノベーションと起業家精神」pp.86-87より抜粋

ダイアモンド社刊 P.F.ドラッカー著 上田惇生編訳
【エッセンシャル版】「イノベーションと起業家精神」pp.86-87より抜粋 
ISBN-10 ‏ : ‎ 4478066507
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4478066508

必要な知識のすべてが用意されない限り、知識によるイノベーションは時期尚早であって、失敗は必然である。イノベーションが行われるのは、ほとんどの場合、必要なもろもろの要素が既知のものとして利用できるようになり、どこかで使われるようになったときである。1865年から75年にかけてのユニバーサル・バンクがそうだったし、第二次世界大戦後のコンピュータがそうだった。

 もちろん、イノベーションを行おうとする者が、欠落した部分を認識し、自らそれを生み出すこともある。ジョゼフ・ピューリッツァー、アドルフ・オクス、ウィリアム・ランドルフ・ハーストは、近代的な広告を生み出すうえで主役を演じた。そこから、今日われわれがメディアと呼ぶもの、すなわち情報と広告の結合としてのマスコミが生れた。ライト兄弟も知識の欠落、特に数学的な理論の欠落を認識し、自ら風洞をつくって実験することによって欠落していた知識を手に入れた。

 このように、知識によるイノベーションは、そのために必要な知識のすべてが出そろうまでは行われない。それまでは死産に終わる。

 例えば、当時飛行機の発明者となることが期待されていたサミュエル・ラングレーは、科学者としてライト兄弟よりもはるかに力量があった。しかも当時、アメリカ最高の科学研究機関だったワシントンのスミソニアン研究所の責任者として、アメリカ中の科学的資源を利用できる立場だった。

 しかし彼は、すでに開発されていたガソリンエンジンを無視し、蒸気エンジンにこだわった。そのため彼の飛行機は、飛ぶことはできてもエンジンが重すぎて何も積むことができなかった。パイロットさえ乗せられなかった。実用的な飛行機をつくるには力学とガソリンエンジンの結合が必要だった。

すべての知識が結合するまでは、知識によるイノベーションのリードタイムは始まりさえしない。