2017年9月6日水曜日

20170906 記事主題の着想がないままにて記事を書くと・・見通しについて

A「気が付いてみましたら700記事到達の後、40記事近く作成しておりました・・。

そして、この調子にて記事作成を行っていきますと、今月中に750記事に特に無理なく到達することが出来る目算が立ちます。

750記事への到達と考えてみますと、1000記事を目標とした場合、その四分の三に到達したことになりますので、以前667記事到達の際の1000記事を目標とした三分の二への到達よりさらに一歩、一段階進んだことになります・・。

普段、ブログ記事作成の最中は、あまりこうしたことを考えませんが、それでも時折は記事作成前に、これまでに作成した記事を眺めてしばらく考えてみることもあり、そうしますと何かしらさきに書いたような思い、感慨といったものが浮かんでくるようです・・(笑)。

とはいえ、そうした思い、感慨とは、あまり創造的なものではなく、こうした記事の導入部としては悪くないのかもしれませんが、そこから先のの更なる創造的な展開には必ずしも結節し易いというわけではないようです・・(笑)。

それ故、こうした導入部における記述から、次への展開を促すコトバとして『さて、』あるいは『そうえいば、』といったもの(コトバ)が用いられるわけですが、これらのコトバとは一種文法上の徳政令あるいは、それまでの展開をあまり考慮しなくても良いという免罪符的な効果を持ち、自身は文章作成の力量不足のためか、恥ずかしながらこれらを多用している次第です・・(苦笑)。

さて、気が付いてみましたら今月に入り既に五日以上経ちました。

また日中の陽気も先月後半からの本来のこの季節に似つかわしくない冷涼さをそのままに継続し今月に至り、このまま本格的に季節は秋になってしまう様相さえ感じ取れます・・。

そして、ブログ記事に関しては、本格的に冬が訪れる前、年内にどうにか800記事まて到達することが出来れば良いとは考えておりますが、更にその先のブログ記事作成については、漠然と1000記事まで到達したいと考えていますが、今現在の段階では、この1000記事とは、そこまで現実味を持っているわけではありません。

ただ、800記事までに関しては現実的にどうにか到達することが出来るかもしれないとは考えておりますが・・。

普段、特にブログ記事作成の折には、こうしたことを考えることはあまりないものの、何らかの機会にそうしたことを不図考えてみますと、なかなか面白いことに自身のある方面(ブログ記事作成)での目算がどの程度先まで具体的に立てることが出来るかが分かり、これはこれでなかなか面白い感覚であるといえます・・(あくまでも感覚的なことではありますが)。

また、この感覚を具体的なことにたとえてみますと、水面から水中を覗き込み、どの程度の水深まで見通すことが出来るかのかと似ているのではないかと思われます。

しかしながら、こうした思い付き、発想も、特に創造性に基づくというわけでもなく、こうしたブログ記事のつかみ程度には良いのかもしれませんが、更にその先の文章の展開においては寄与するところがあまり大きいとも思われないのです・・。

そのため、本日投稿分のブログ記事においては残念ながら、これといった主張・主旨といったものがないままにて終えるのことになりそうですが、よくよく考えてみますと、これまでほぼ毎日のように作成している一連のブログ記事において、毎回確たる主張・主旨があったとも思われないため、また、昨今より続いているスランプの影響も考慮し、時折はこうした記事であっても差支えないこととします・・。

とはいえ、見方を変えてみますと、こうしたことを主題もないままにて書き連ね、ここまで書き続けることが出来たというのも、自身としては上出来の部類であるのかもしれません・・(笑)。

おそらく(ブログ記事の継続的な作成)以前の自身であれば、こうした状態にあった場合、何も書かなかったのではないかと思われます・・。

今回も、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

昨年から現在に至るまでに発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被災された地域でのインフラの復旧・回復そして、その後の力強い復興を祈念しています。」











20170905 探求のはじめにある感覚とはどのようなものか・・?

A「昨日投稿分記事の最後に書いた銅鐸に関してですが、その興味への起源を思い返してみますと、それは和歌山県での在住期間であったと云えます。

くわえて、その伏線となった経験とは、祖父母の家があった伊東市に滞在の折、とある用事にて出向いた沼津にて当地の自然が発する大気を(当時の自身は)何やら異様なものとして感じたことであったのではないかとも思われます・・。

とはいえ、自身が、この沼津の自然が発する大気を異様なものとして感じた原因とは今現在になってもよく分かりません・・。

ただ、その時に反応として思ったことは割合明瞭に憶えていて、それは『本当に日本とは私なんかが知らない自然を持つ国なんだ・・』といったことであり、おそらくそのことをどこかで反芻していたがために、その後も結果として割合長く西日本に滞在することになったのではないかとも思われるのです・・。

そして、当地和歌山での在住にて包括的な自然風土にも慣れてきた頃、おそらく6月頃であったと記憶していますが、当地域特有の南方的な強い雨が降る日、勤務を終え帰宅し、翌日が休みということもあり、本箱に入っていた書籍を何冊か代わる代わる手に取り眺めておりますと、一つの書籍(古代史の概説書)に銅鐸の写真と共に『和歌山県**市出土』と記載されており、それが当時在住していた場所と目と鼻の先と評しても良い程に近かったという一種の親近感からか、その銅鐸の写真を眺めておりますと、屋外の雨の音と銅鐸の写真画像が混然一体となったイメージ・イマージュとして刷り込まれていったように思われるのです・・。

無論、こうした経験とは(今現在の科学では)科学的なものとして分類されないと思われますので、あくまでも私見ではあるとして書きますと、それまでツルツルと滑って何処から、どのようにして手をつけて良いか分からないある種の知識体系にたいして挑む最初の効果的な一撃とは、往々にしてこうしたものではないかと思われるのです・・(笑)。

ともあれ、こうしたある種の内的な経験を経ることにより、何やら視界が啓け、さまざまな遺跡、遺物出土地に対して、さながら釣りに行くような心持ちにて出向き、その地で偶然に遭遇した方々に声を掛けて、お話を伺うといったことも出来るようになっていきました・・。

そして、後になり、その地域に関する文献をあたってみますと、大変面白いことに、さまざまなカタチにて当地にて聞いたお話と反映し合っていることが多いのです・・。

こうした感覚とは、おそらく実際に経験してみないと分からないと思われますが、自身の場合、こうした感覚を信じ続けたことによって、いくつかの我が国の古代史に属することをどうにか分かり得たと思いますし、また、それに関連させるカタチにて当地域の雨乞い祭祀もまた、自分なりの認識を得ることが出来たのではないかと思われるのです・・(また、それはあながち間違いでもなく一応学問的な信頼性もあるのではないかとも考えています・・。)

そして、その基層部には自身の場合、(自身が感じた)その地域の『自然風土』といったものがアーチの楔石として存在すると考えるのです・・。

また、それは自身の記憶のなかにある九州においても同様であるのです・・。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年から現在までに生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った地域での諸インフラの復旧・回復そして、その後の復興を祈念します。」