2022年5月21日土曜日

20220521 岩波書店刊 近藤義郎著 「前方後円墳の時代」pp.150‐153より抜粋

岩波書店刊 近藤義郎著 「前方後円墳の時代」
pp.150‐153より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4003812824
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4003812822

この奈良盆地の諸集落のすべてが、かつての盆地内の二、三の前期初頭集落からの分岐集団であったか、あるいはその一部は周辺地域からの移住によるものであったかは、必ずしも明らかでないが、中・後期の土器は共通の大和としての地域色をそなえているといわれるので、集団移住が中南河内など盆地外からもおこなわれたとしても、親縁な部族的結合にあった氏族からのそれであろう。すなわち盆地内諸集団のほとんどは、かつての少数の集団が示す氏族から分岐したものか、あるいは部族的結合にあった中南河内の諸集団などの分岐・移住がそれに加わったかのいずれかであろう。その分岐の過程で部族もまた分岐し、それぞれのうちにいくつかの氏族を包括していったと考えられる。これをさらに広く畿内全般について推していくと、摂津・北河内・山城を含む北部畿内と、中南河内・和泉・大和から成る南部畿内との関係、その共通性と相違性は、この地方における弥生社会誕生の時点において存在あるいは形成されていた、南北二者の部族あるいは部族群が、その後の農業生産の発達➡人口増大➡集団分岐をへて形成されていったものであり、全体として畿内的共通性をもつとともに、北と南の違い、さらに各々における小地域の特色を現象させたということになる。

 銅鐸に示される共同体祭祀の範囲については、その機能とともになお不明な点が多いが、その実際の保有主体は部族内の特定氏族にあったとしても、その祭祀はこのようにして形成された部族を単位としておこなわれたものと思われる。田中琢は、銅鐸祭祀集団の範囲を大和・河内・和泉において指摘し、その集団範囲の不均等性を農業生産力の差に基づく集団差に帰している。この指摘を参考にして紀伊中部の銅鐸出土を検討してみると、山または海に画され、小河川が貫流する狭小な平野を単位に、二ないし四の銅鐸出土が知られている。これらの狭小な地域は、のちに前方後円墳が築造されなかったほどの地域であることが多いが、それらの地域における銅鐸出土地点の分散傾向は、各地域が一個の氏族というより、いくつかの氏族から成っていたことを想定させる。同じことは、徳島県における銅鐸分布状況からも想像できる。しかしすべての氏族がこれを保有していたわけでないらしいことは、畿内の銅鐸発見状況から推定できるのであって、部族内の特定氏族による保有ないし保管の下にあったと考えてよいであろう。

20220520 当ブログを始めた一つの契機について思い出したこと

以前にも何度か当ブログにて述べたことではありますが、ある程度の期間、(どうにか)ブログ記事の作成を継続していますと、不思議なことに、時折、世の中で生じている出来事と、私の作成したブログ記事との内容が、何かしら関連しているように感じられることがあります。

また、このことを文章とする際に想起されたのが、2012年の公開作品「桐島、部活やめるってよ」のラストシーン近く、スポーツ万能でイケメンの同級生から「何で映画を撮るの?」と聞かれ、オタクキャラで映画部員の高校生が「時々、自分たちが作っている映画と、好きな映画とが、どこかでつながっていると感じることがあるんだ。」と返事をするシーンであり、果たして、このシーンと、冒頭の私の経験との間に、ある程度、普遍的に通じるものがあるのかと考えてみますと、その科学的な証明は困難であると思われるものの、他方で、感覚的には「全くないとは云い切れない。」といった感じをも受けます・・。

そして、この映画作品「桐島、部活やめるってよ」が思い出されますと、それに次いで、DVD化された当作品を観た頃の記憶が想起されてきますが、それは鹿児島在住の最後の時期であり、また、精神的に滅入っていた時期でもあります・・。しかし、そうした時期であっても、週末の天文館から宇宿までの散歩は行い、また、しばしば映画作品をDVDでレンタルして視聴していました。それでも、あの時期に、そうした「気晴らし」のようなものがなければ、おそらく更に大変であったのではないかとも思われます・・。

ともあれ、この「桐島、部活やめるってよ」は、滅入っていた当時の私に何故だか響いたようで、これを観て以来、また徐々に色々と動くようになり、そして、どうにか学位審査にまで辿り着く出来ました・・。いや、しかし、この滅入っていた時期のことを思い出しますと、それ以外にも思い出される出来事がいくつかあり、具体的なそれらは、2012年の秋から2013年の春くらいまでの期間でのことであり、また、そのうちの一つは、当時の自分としては、それなりに衝撃的な出来事であったのですが、しかし、ここまで文章を連ねてきて、あらためて思い出されたことは、これまで(どうにか)継続している当ブログの出発点の一つは、この出来事にあったのではないかということです・・。

そう、去る2015年頃に相次いで周囲の方々から「何か書いてみてはどうか?」と勧められても、何かしらの文章を作成するためには「どこに対して書くか」といった、いわば、文章作成の「視座」が前提として必要であると云えますが、私の場合、その「視座」となるものの原型が見出されたのが、さきに述べた衝撃的な出来事からであると云えるのですが、しかし同時に、そうした出来事とは、客体化した文章として著すのが著しく困難であるように思われるのです。とはいえ、ここまで文章として作成することが出来たこともまた、以前と比べますと、それなりの進歩ではあると云えることから、今後もまた、機会を見つけては、これを主題としてブログ記事の作成を行いたいと思います。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
順天堂大学保健医療学部


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ISBN978-4-263-46420-5

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