2022年6月20日月曜日

20220619 中央公論新社刊 高坂正堯著「海洋国家日本の構想」 pp.84-87より抜粋

中央公論新社刊 高坂正堯著「海洋国家日本の構想」
pp.84-87より抜粋
ISBN-10 : 4121601017
ISBN-13 : 978-4121601018

もちろん、現在の国際政治において、軍事力は使えないものとなったという議論には当然反論が予想される。現に、アメリカ、ソ連をはじめとして、世界各国はすべて強大な武力を持っており、おそらく、平和時において、これだけ強力な武力が地球上に存在したことは、歴史にその例を見ないであろう。まったく、各国の強大な軍備をながめるとき、兵営国家という名前がそれに与えざるをえない思いがする。しかし、現代の兵営国家は過去の兵営国家とはひとつの大きな相違を持っている。それは、過去の軍備は「積極的」な効果をもたらしたのに、現在の軍備はなんら「積極的」な結果をもたらさないことである。ここで私が「積極的」というのは、価値判断をまったく含めずに、力の闘争において、軍事力がより多くの力を獲得する手段となりえたことを指すものである。すなわち、過去の軍備はそれによって侵略をおこない、その結果としてより多くの力を獲得することができたし、紛争の解決に際して、その後押しとすることができた。ところが核兵器の破壊性はあまりにも大きいので、それを政策遂行の手段とすることはできない。

 しかし、国際社会においては依然として紛争が存在するし、人類は武力の使用または威嚇なしに紛争を解決する方法を見出していないので、紛争解決のためには武力の後押しが要求される。国際紛争の解決は理性と交渉技術だけによってもたらされたものではなく、協調が利益だという確信と、頑固にふるまった結果に対する恐怖とが結びついたからであった。したがって、軍事力が合理的な政策遂行の手段ではなくなったことは紛争の解決をきわめて困難ならしめる。このジレンマを解くことこそ、制限戦争論に始まる戦略理論が目指したところであった。制限戦争論の創始者キッシンジャーは、朝鮮戦争やインドシナ戦争の経験から、核手詰まりは全面戦争を不可能にしたけれども全面戦争以外の形では武力を使われうることを指摘し、アメリカとしてはその大量報復力によって相手方の大量報復を抑えつつ、軍事力の限定的に使用しうる体制を作り上げるべきだと主張したのであった。また、フランスを中心として展開した革命戦争論も、全面戦争以外の形で戦争が起りうることを認め、革命戦争こそ現在もっとも起る可能性の大きい戦争であると考えた。

 そして、その後の戦略をめぐる激しい議論の結果、現在の国際政治における軍事力の役割については、核兵力を盾とし在米兵力を槍とする考えが一般的に認められている。すなわち、核兵力は相手方の核兵力の発動を抑制するという役割を持ち、実際の軍事行動は在米兵力によっておこなうのである、事実、アメリカやソ連という核所有国は、ただたんに巨大な核兵器を所有しているだけでなく、同時に強力な在来兵器を持っている。またキューバ封鎖を考えてみても、米ソの核兵力がそれぞれ盾となり、在来兵力は槍の役割を引き受けたが、カリブ海ではアメリカの槍の方が断然優勢であったため、アメリカの行動が成功したのであった。ハンガリー事件においても、ソ連の軍事行動が予定した目的を達成し、それに対してはアメリカは、ハンガリー革命を助けることはできなかったが、それはヨーロッパにおいては、とくに中東欧においてはソ連が在来兵力において圧倒的に優勢であったからである。

 しかし、たとえ制限戦争であっても、明白な戦闘行為は、しだいに発展して全面戦争に危険をつねに持っているし、戦闘行為が世界のどの部分で発生しても、米ソの均衡が作用し、世界世論の反対を受けるから、容易におこないえないものである。実に、第二次世界大戦後から今日までの間におこなわれた武力行使のうち、意図された目的を達成することができたものは、ソ連のハンガリー反乱鎮圧と、アメリカのキューバ封鎖の二回に過ぎないのであり、そのいずれの場合も、文字通り「積極的」な結果をもたらしたものではなく、いずれもステータス・クオ・アンテへの復帰を目的としたものであったことに注目する必要がある。また、このいずれの場合も、ソ連とアメリカの勢力圏の中心に位置していたという事実が忘れてはならない。そして、より重要なことは、このいずれの場合にも、軍事力の使用は問題を基本的に解決したものではなく、したがって、問題の解決は政治的・経済的方法にかかることになったという事実であろう。

 さらに、この核手詰りの状況とならんで、より重要でさえあるのは、軍事力についてはきわめて大きな格差のある先進工業国と低開発国との関係においても、先進工業国はその武力を用いて「積極的」な効果をあげること、すなわち、侵略することや介入することによってその権益を守ることが困難になったことである。これは道義のレベルにおいては旧植民地の人民の覚醒によって反植民地主義が強まり、とくに国際連合などを通じて強い世論を構成しているという事実と、力のレベルにおいては、あらゆる紛争が世界化し、米ソがともにその紛争に関して発言し、したがって米ソの均衡が作用するから、大規模な軍事行動をとることが困難であるということと、人民戦争という形における抵抗がきわめて有力であるということにもとづいている。