2016年7月18日月曜日

20160718 揺れる心と呪術、科学について・・

A「書き忘れておりましたが、昨日の投稿した記事で投稿総数が360に到達しました。
これまでに1年1カ月程度ブログ記事を作成してきましたが、その間に何か大きな変化はあったのでしょうか?

記したブログ記事に関しては、特に大きな変化は見受けられないのではないでしょうか?

いや、むしろ、初期に記した記事の方が内容的には(相対的に)深い洞察に基づいているものが多いのではないでしょうか・・(苦笑)?

それ故、今後無事に366記事に到達しましたら、ある程度日数の間隔を置き(実験的に)ブログ記事を書いてみようと思います(笑)。

そちらの方が良い記事が書けるという保証はどこにもありませんが・・。

しかしその一方において「366記事に到達し、一度休んでしまうと「怠け癖」のようなものが生じ、ブログ記事の作成自体を面倒に感じるようになってしまうのではないだろうか?」といった危惧もまた心の何処かに存在しています・・(苦笑)。

そして、始終緊張している方々とは、案外こうした考えにとらわれていることも少なからずあるのではないでしょうか(笑)?
とはいえ、こうした考えを心底から笑うことができないのもまた事実です・・。

さて、このようなことを記しておりますと、不図シェイクスピアの「マクベス」「ジュリアス・シーザー」そして「ヘンリー五世」内のこうした「揺れる心」を表現したセリフを思い起こさせます(笑)。

それ故、シェイクスピアの劇の面白さの一つとは、こうした「揺れる心」に(世界規模で)普遍性が存在するからではないかとも思われますが如何でしょう?

そして、こうした心とは、通常の場合、その後に好ましい展開を望む傾向があり、それが、フレーザー著の「金枝篇」に描かれている古今東西様々な呪術、風習などとして古来より縷々発露しているのではないでしょうか・・?

その意味において、果たして現代の我々とは、この「金枝篇」に描かれている様々な呪術、風習が存在していた時代を超克しているのでしょうか?
私見として、それは超克されていないと考えます。

ただ、その呪術、風習を為さしめていた、背骨となっていた宗教など諸観念が科学に取って代わられただけではないかと思います・・。

しかしながら、こうした意見もかなり以前から言い古され、陳腐化したものではあるのですが・・(苦笑)。

とはいえ、この科学とは、ある程度データに基づき、かつての宗教に比べ、より多くの人間に適応可能であるとされることから、より広範囲に拡散、定着することが出来たといえるのかもしれません。

その意味において、我が国において本格的な西洋的近代化(科学技術面を主とする西洋化)がはじまった直後、九州を中心として勃発した「神風連の乱」、「西南戦争」などは興味深い出来事であるのではないかと思います・・。

また、それと同時に複数の史家、戦史研究家が指摘する太平洋戦争末期の南方戦線での帝国陸軍の(悲惨な)動向と西南戦争時、薩軍の九州内での敗走の動向が酷似することとは、何かしら現代を生きる我々にも示唆する要素があるのではないかと思われますが如何でしょうか・・?
あるいは、このようなことこそ「歴史からの呪詛」ではないでしょうか?
それ故、歴史を表層で祭り上げ、深層においてはその逆を態度をとるといった、いわゆる「如才ない」態度をとることは、かなり危険なことではないでしょうか?
そして、進化とは一体何でしょうか?

さる四月に発生した熊本を中心とする大地震により被災を受けた地域における出来るだけ早期の諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。
また、ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。」