2015年12月30日水曜日

20151230 大岡昇平「俘虜記」およびその他について

A「一時期、収容所ものの著作をよく読んでいたと以前、ブログにて書いていましたが、その中でどの著作が面白く、また、お勧めですか?」

B「・・ええと、それでしたら大岡昇平の「俘虜記」が面白かったですね・・。それと同著者では他にもいくつか従軍経験を基にした著作がありますが、どれも興味深く読めると思います。」

A「はあ、それで具体的には、その著作「俘虜記」のどこが面白かったのですか?」

B
「・・ええ、それは主人公が米軍の捕虜となり、収容所での生活の記述とは、現代日本社会に通じる部分が多くあると思います。そしてその具体的記述の部分とはAさんが読まれた時に分かるのではないかと思います・・。加えて収容所での生活を描いた他の興味深い著作は、会田雄次の「アーロン収容所」、山本七平の「私の中の日本軍」などが挙げられます。
また、これらの著作を忠実に再現した映画など映像作品がありましたら、それはかなり効果的な現代日本社会に対する警鐘になると思います。
しかし、何故だかこれまでにそれらの著作が映像化されたことはありませんので、おそらく今後もないのではないかと思います・・。また、大岡昇平の従軍経験を扱った他の著作であり、これまでに二度映像化された「野火」は、どちらかというと個人の倫理、道徳を扱ったものであると思いますので、前に挙げた著作とは若干テーマが異なると思います。
そしてこの「野火」と類似したテーマを扱ったものとしてドキュメンタリー映画の「ゆきゆきて神軍」が挙げられます。
これは以前ブログにて記しましたが、もし興味がありましたら是非一度観てください。
ともあれ、こうしたことは、おそらく日本社会が決して良い状態とはいえない現在であるからこそ、より際立ち、そして理解できるのかもしれません・・。
まあ、その点において「俘虜記」も同様であるのかもしれませんが・・。
ただ、それらが大きく異なる点は「野火」「ゆきゆきて神軍」が過酷な戦場という極限状態でのことを主として描いているのに対し「俘虜記」は主人公が米軍捕虜となり収容所において衣食住が一応安定した状態となった後の生活の記述の方が多く、そこに描かれている収容所内での様々な様相、出来事とは、拡大、縮小してみても現代の我々の大小組織、社会において類似、共通することが多いのではないかと思います。
そして、その具体的記述とは、読者となった方が各々の感性で認識されるのではないでしょうか?
他の著作では、その具体的記述を抜粋、引用してみても良いかなとも思いましたが、この著作に関してはどうもその気が起きません・・。
その理由とは、おそらく抜粋、引用していくうちに気が滅入ってくるような要素が多分にあるからではないかと思います・・。
しかし一方、そうした要素こそが文学、小説といった一般的に有益でもなく、また実用性が少ないとされるものが持つ最大の価値ではないでしょうか?
そして、そうしたどちらかといえば人を内省的にさせる要素とは、おそらく欧米文化に起源を持つ価値観であり、それ故異なった文学、小説の歴史、文化を持つ我が国では、あまり馴染みのないものではないかと思います。
しかし、だからといって決して我が国の文学、小説の伝統が欧米に劣るものであるとは思いませんが・・。
ただ、そうした彼我の歴史、文化の相違とは、私も含め我々日本人は昔からあまりよく呑み込めていないのではないかと思うのです・・。
その意味において、この「俘虜記」とは欧米的要素を持つ、あるいは少なくとも欧米的な手法を用いた著作であると思いますね。
しかしながら、現在の我が国の小説、マンガといった読物一般とは、こうした著作が刊行された当時に比して劣化しているのではないかと思うのです。
あるいは、これが現在の国風文化のの流れなのでしょうか?
これは特に最近のマンガなどにおいて時折感じることなのですが、哲学用語・画数の多い漢字などを散りばめたものが多く見られるということです・・(苦笑)。
また、これは商品のポスターなどについても同様のことがいえるのではないかとも思いますね。
しかし、こうした難解な用語、漢字を用いたがる傾向とは、前にも記しましたが、何かしら社会におけるあぶない傾向と付随して生じるものなのではないかと思います。
また、そうした傾向と安直な反知性的、排外的な傾向が社会において併存することは大変興味深く、幕末期において興隆した国学、攘夷運動、幕政組織に対するテロが生じた我が国、あるいは戦間期における古代ゲルマン文化の復興、ユダヤ人排斥、近隣諸国に対する示威、威圧行為を行ったドイツとも類似しているのではないかと思われるのです・・。
ともあれ、こうした傾向とは、自然に発生したものではなく、様々な形での外圧からの反応としてあらわれたものではないかとも思いますが・・。
そして、この「俘虜記」の著者である大岡昇平は、こうしたことを全て知っていたのではないかと思うのです・・。
そうした知的背景における共通性が、この時代の作家、著述家、研究者の大きな特徴であり、またそういった知的背景あるいは土壌があったからこそ、様々な分野との知的交流が活発に為されたのではないでしょうか?
また、それは、当時刊行された書籍の面白さが、その状況を的確に示すのではないかと思います・・。」

A「・・・はあ、なるほど、そうですか・・では今度「俘虜記」読んでみます。どうもありがとうございます。」