2015年10月5日月曜日

20150810 対話形式のブログおよび映画について

A「どうも、最近ブログはじめましたよ。」

B「そうですか、では今度是非拝見します。」

A「まあ、今のところ大概書籍からの抜粋ですが、もしよければ見てください。」

B「書籍の抜粋が多いのですか・・で、どんなジャンルからが多いですか?」

A「考古学、民俗学、歴史、小説・・といったところで、こういった好みはBさん御存知の通り、昔からあまり変りません・・。
多分Bさんと議論している時に私が出した著作、著者も多く入っていますよ・・。
あと、それら書籍の出版社、アマゾンのサイトURLなども掲示してますので出典は明確にしてあると思います。
それと自身の文章の場合、最近マイブームで対話形式を使っていましてね、これがまあ今のところ比較的書き易いのです・・。」

B「そうですか・・それで対話相手は誰を想定して書いているのですか・・?」

A「一応何人かモデルがいますが、対話相手のモデルは、何人かのキャラクターを適宜複合、調整しています。
まあ、ノンフィクションではありませんし、それ以前に自身の職業でさえもありませんからね・・・皆様に御迷惑が掛からなくて、モデルが誰か足がつかない程度に好き勝手にやっています(笑)・・。だからそのモデルの一人にBさんも入っていますよ。」

B「うわあ!・・それは滅多なことは云えないですね・・()
と、それでしたらアドバイスって程じゃないですが、書籍の抜粋、引用の場合、出典元の掲示と共に「更なる理解の為に」といった感じで他の参考となる書籍を示したら面白いかもしれませんね・・。」

A「ああ!それは確かに面白いかもしれません・・。けれども実はそれと似た様なことはブログ内でやっていましてね・・私の中では複数の投稿がそれぞれ関連しあっているのです。・・あるいは少なくともそのつもりなのです。しかし、何れにせよ、結局それも私の主観、解釈ですからね・・だからそのことはあまり明示しないようにしています。しかし、今の御意見、是非今後の参考にさせて頂きます。どうもありがとうございます。」

B「ええ、検討してみてください。それで大体毎日どれくらい閲覧者がいますか?」

A「日によってマチマチですね、多い日はそこそこ多いですし、少ない日は5いかない日もありますよ。しかし不思議且つ面白いのは外国からの閲覧者が意外と多いことですね・・。」

B「そうですか・・で、多い日はどれくらいになりますか?」

A「まあ、多い日で三桁いったら御の字といったところです。こういう日はとても少ないですけれど・・。」

B「三桁ってことは100ですか・・それくらいでしたら結構多いですよ。でも、誰がAさんのブログを見ているんでしょうね?」

A「うん、これは以前ちょっと気になりましたね・・SNSの投稿の場合、例の「いいね!」とかで分かるのでしょうが、ブログの場合、そういうのがないから誰が見ているかわからないから怖いのもある反面、反応を気にしないで好きなことを書けるんですよ。
しかし、そういえばこの間、初対面の人と話している時、その話のネタ、内容から「この人は私のブログを読んでいるな・・。」って感じたことがありました・・。
まあ、これも自意識過剰だろうと思っていますけれどね・・(笑)。
あと、ブログで何か書いた後、知人から私はもう殆どやっていないSNSでの友達申請が来たり、あとは、よく考えてみるとブログに書いた内容に関与すると思われる人で滅多にSNSでの投稿がない人がSNS投稿したりするのを見ると「もしかしたらブログを読んでくれているのかなあ?」などと思うことがあります・・まあ、これも自意識過剰でしょうね(笑)・・・。」

B「ええ、そういうのは私も何となくわかります。あと、閲覧者数を増やすのでしたら、またアドバイスになるのですが、映画とかも紹介したらどうでしょうか?Aさん昔から映画も結構好きでしたよね・・。」

A「映画とかの評価は色々なサイトに既にあります。それに最近の映画に関してはそこまで思い入れがないのです。
あ・・!しかし先日、少し前ですが見た映画でいいのがありました。
これはDVDで出てツタヤに置いてありますので、是非見てください。これはなんと、紀州、南紀の多分新宮の辺りが舞台なのです。原作は中上健次の小説で題名は「千年の愉楽」というのですが、まあ、お時間ある時にでも・・。
あとはこれと関連すると思われるので、ちょっと古いですが「祭りの準備」ですかね、これは確か舞台が高知でした。
それと日本の組織の悪い部分を最大まで濃縮した状態を描いたものとして「ゆきゆきて神軍」があります。
あれは太平洋戦争末期の南方戦線がどういうものであったかを知るために大変良い映画であると思います。

終戦(敗戦)記念日の815日にでも観たら良いかもしれませんね、グイグイ揺さぶられて観た後はしばらく欝になる感じの映画です・・・出来るだけ一人で観てください。
あと、これは多分テレビで放映できる類の映画じゃないでしょうね。加えて感性が柔軟な若いうちに観た方が良い映画だと思います。

それと、主人公の過剰、異常といってもいい程の怒りは司馬遼太郎等の太平洋戦争経験者の著述家達の旧軍指導部を含めた当時の政府組織一般に対する怒りと発現の仕方などは違いますが同じ様な原因であるのではないかと思います。

あとは一連の寅さんシリーズは最近面白いと思うようになりましたね・・。
これは喜んでいいものやら、よくわかりません。私としては「もういい加減にしてくれよ・・。」といった感じです。」

B「そうですか。では今度、仰った映画チェックしておきます。しかし、寅さんに関しては私も何となくわかりますね・・少し前にけっこう観ましたから、そこで不図思いついたことなんですが、いきなりバタ臭い意見になりますけれども、寅さんってのは西洋的なものに置き換えると遍歴の騎士とかそんな感じになるんでしょうかね・・。」

A「ああ、そんな立派なものではないと思いますが、確かに枠組みは似ているかもしれませんね・・。
そうするとセルバンテスドン・キホーテと寅さんは案外被る部分が多いかもしれませんね・・。
それで最近思うのですが、まず、ああいう放浪キャラクターはよくわかりませんが、また昨今流行りつつあるのではないかと思います・・。
しかし、あくまでも個人的な見解ですが、少なくとも寅さんの方がアイコンとしてよく街で見受けられるムーミンでの放浪キャラクターよりずっと重厚であると思うのですけれどもねえ・・ああ、実に残念だなあ・・。」

B「最後のは寅さんのマネですか・・?とにかく、峠は過ぎましたがゆるキャラの人気でお分かりの通り、今の御時勢、リアル過ぎるのはあまり受け入れられないのだと思います。
リアルな方面で受け容れられるのはビジュアル系のバンドとか中性的なジャニーズのアイドルとかなんかじゃないんですかねえ・・・?
そういう方には是非究極の体育会系映画、デヴィット・フィンチャー監督の「ファイトクラブ」を見て頂きたいですねえ、あれは実にいい映画ですよ・・。」

A「ああ、あれはいい映画でしたね、あと私は同監督作品でしたら「ゲーム」を観てかなり感心した記憶があります。あれもいい映画でした・・。」



20150817 石造りの魔神像について

B「どうも、そういえば先日の「ゆきゆきて神軍」観ましたよ。」

A「はあ、どうでしたか?」

B「ええ、仰る通りかなりショッキングな内容でした。
20代に観ていたらもう少しショックを受けていたかもしれません。しかし、当時実際にあんなことはあったんですかね?」

A「一応ほぼノンフィクションらしいです。
それにあの迫力は素人が演技でできるものではなく本物の迫力だと思いますよ。
あと別の南方戦線、確かフィリピンを舞台にした大岡昇平原作小説の映画で「野火」というのも似たようなテーマを扱っています。確かあれは最近リメイクされたらしいですよ。
あと、それとは別に同著者の従軍経験を扱ったもので「俘虜記」がありますが、あれはかなり秀逸だと思います。
あとはアメリカ側からの視点でこれまた別の南方戦線、ガダルカナル島の戦いを描いた映画で「シン・レッド・ライン」がありますがあれも何だか考えさせる不思議な映画でした。
それと最近のものでしたら「ザ・パシフィック」というシリーズものがありましたね。
原作は確かユージーン・スレッジという人が書いた「ペリリュー・沖縄戦記」で、これは講談社学術文庫から邦訳が刊行されいています。
数年前に読みましたが「アメリカ軍兵士から見た太平洋戦争はこういう感じだったんだろうな。」と思いました。

B「そうですか、また機会がありましたら是非・・。
あと、最近巨人が人間を襲うという内容の漫画を原作にした映画が上映されるらしいですね。
ああいうのも何かしら世相を映しているんでしょうかね?」

A「ああ、ポスターとかは街で見かけます。
それでああいった巨人ものはウルトラマンの怪獣、ジブリアニメに出てきた巨神兵、そして前世紀末に大ヒットして現在も人気があるあのアニメに出てきた使徒なんかがその原型にあるのではないでしょうか?
よくはわかりませんが・・。」

B「なるほど、巨神兵は確かに似ているかもしれません。
しかし、ああいう巨人の怖さというのは圧倒的な破壊力を持ち、人間に形は似ているけれど意思が通じないということです。しかし、そうなると、それはゾンビミイラ男フランケンシュタインなどにも共通する要素であるかもしれませんね。」

A「なるほど、それは確かにそうですね。あと、それでしたらゴーレムもそうかもしれません。あれは確か元々土人形で呪文によって生命、魂を得て動くのだそうです。
そしてそれを工業社会における有用性にて抽象したものが鉄人28であり、おどろおどろしい古代的要素にて抽象したものが大魔神であるかもしれませんね。」

B「はあ、なるほど、そういえばAさん古墳時代詳しかったですよね?」

A「いや、そこまででもないですが、少しなら分かると思いますが・・。」

B「あの大魔神は日本の神話やら伝承がベースにあるのですか?それがちょっと気になりましてね・・御存知でしたらお聞きしたいなと思いました。」

A「ああ、それでしたら確証はないですけれど、あの大魔神の甲冑の形は多分東日本、関東のものです。
それに加えて持っている刀は蕨手刀というもので比較的短寸で柄の形状が特徴的なものです。そしてそれも主に東日本、関東において特徴的なものです。
ですからあの形状に忠実に考証してゆくと自然と東日本がその舞台になると思います。
しかし、大魔神は確か形は本来焼き物である埴輪ですが、あれは石像ですよね。
そうなると、それと酷似したものは東日本をはじめ国内外では見当たりません。
一方、大魔神をより一層抽象化した様な、つまり外見上あまり似ていない石造の武人像等は九州北部、山陰東部などで発見されています。
ですから大魔神の持つ要素全てを兼ね備える埴輪、石像が存在する地域とは国内および海外にもありません。
そのことから、多分大魔神はたくさんのウルトラマンの怪獣が創られた同時期に創造されたキャラクターではないかなと考えます。」

B「はあ、なるほどです。大体事情はわかりました。それでしたら大魔神はもう少し形を変えれば九州北部あたりを舞台にしてもおかしくないのですか・・?」

A「ええ、具体的には福岡県南部、熊本県あと大分県それに鳥取県あたりでしたら大丈夫ではないかと思います。
しかし、それでしたら大分県、宮崎県、鹿児島県の仁王像も良いモチーフになると思います。
ああ!あと今思い出しましたが、大隅北部の方で見られる大人弥五郎どんは大魔神のキャラクターと、かなり被るのではないかと思いますけれども・・?」

B「弥五郎どん?というのがあるのですか・・?。」

A「そうです。私も詳しいことは勉強不足でよくはわかりませんが、確か11月の頭に大隅北部の数箇所で、いかめしい顔で刀を差し竹の骨組みで着物を着た大きな人形が街中を廻る祭りです。
いやあ、これはもう少し勉強しておけば良かったのです。
ともあれ、確かこれは古代隼人を抽象化したキャラクターだということです。
それは隼人らしく古代朝廷に対する反骨精神の表れであるのか?
あるいは朝廷からの指示、あるいは今のゆるキャラの様に当時の流行により、そういうキャラクターが創造され祭りとなったのかはわかりません。
しかし何れにせよ私は大魔神と弥五郎どんはかなり被るのではないかと考えます。
ですから、よりリアルな伝承、伝説に基づいた巨人の映画を作るのでしたらこれこそ格好のキャラクターではないかと思います。」

B「そうですか・・いえ、今の時代に古代的な文化装束のゆるキャラっぽくない巨大な存在が何かの拍子に目覚めて動き出し、堕落した文化全般、組織等に鉄拳制裁を加えるなんていうのがあったら面白そうかな・・などと思いましてね。」

A「はあ、何だか物騒な話ですね・・それとも最近モーツァルトドン・ジョバンニでも観ましたか?」

B「いえ、特にそういった含みはありません。
しかし今、ドン・ジョバンニを出されたのは面白いですね。
あれは確か映画アマデウスでもそういったシーンがありましたが、そう云われると今現在ああいう巨人ものが流行しているのは、同じ様な背景があるのかもしれませんね・・。

A「同じ様な背景とは何ですか?」

B「つまり何と云いますか、強烈な父権あるいは否定できない伝統的且つ男性的な権威とでも云いましょうか、つまり現代、いや戦後の日本社会全体が徐々に喪失した要素であり、また現在の学生を含む若者世代全般が対決を挑む対象みたいなものではないでしょうか・・?そういった要素は多分我々の世代と較べても彼等は消毒されている反面、欺瞞的、なし崩し的なルートを知らぬ間に歩まされている気がするのです。・・まあ観念的な話ですが・・。」

A「うーんそれは私にはよく分かりませんが、Bさんが仰るのでしたらそういった一面はたしかにあるのかもしれませんね。しかしそういったものはその構造をすぐにどうにか改変できる類でもないと思いますけれどもね・・。」

B「ええ、それは私も十分分かっているつもりですので、つい怪力乱神に頼り、先ほどの大魔神の話に興味を示した次第です。しかしまあ少なくともそういったことを考えるきっかけにはなるかもしれないと思いますが・・。」

A「ああ、なるほどです。」

20150821 ウナギについて・・

A「どうも、その後お元気ですか?」

B「ああ、最近少し元気になったよ。そういえば今年君はうなぎを食べたかい?」

A「いえ、残念ながらまだです。しかしつい先日あなごの天丼を食べました。」

B「君、うなぎとあなごは大分違うだろう・・。」

A「ええ、まあ、そうなのですが、うなぎは英語でeelですよね。そしてあなごはconger eelと云います。
ですから英語圏の感覚ではあなごはうなぎの一種であると考えられているようです。その様な理由で先ほどの様な言動になりました・・。」

B「ふーん、それは初耳だね。
それで、そのcongerとはどういう意味なのかね?」

A「辞書で調べてみたのですが、どうやらcongerだけであなごの意味がありましたが、多分語源的に密集、凝集とかいう意味があるのではないかと思います。
頭にconが付く単語は、そういう意味のものが多いのですが、これはあなごが海底で密集して突き出てユラユラしているところから、そういう名前が付いたのではないかと思います。」

B「ほう、なるほど!それは何だか合っている気がするよ。うん、多分合っていると思うよ。
そういえば、向こうの動物の名前の付け方も我々からすると妙に面白いのがあるよね。A君ドイツ語でコウモリって何ていうか知っているかね?
「Fledermaus」フレーダーマウスというのだけれど、これは直訳すると「飛びネズミ」ってなるけれど、顔は確かに似ているからね「なるほどねえ!」ってなるよ。
そういえば後の方のヨハン・シュトラウスのオペラで同じ題名のがあったよね?」

A「ええ、このオペラの序曲は有名で、確か数年前に購入した並行輸入版CDのワルツ・ポルカ名曲集でこの題名を見たと記憶しています。
そういえば、南アフリカ出身でイギリスの作家のローレンス・ヴァン・デル・ポストが作品の中で日本人の神々のことを飢えたコウモリの様であると記していました。
この作品はBさん既に御承知とは思いますが、大島渚監督の映画「戦場のメリークリスマス」の原作にもなっています。
我々日本人からしたら、あまり嬉しい譬えではありませんが、あの当時の状況、経験からは仕方ないのかもしれません。
また、現代だって果たしてそこから良い方向に変化したかどうか分かったものではないと思うこともあります・・。」

B「うん、そういうことは考え出したらキリがないからね。しかし、それでも考え続けなければならないところが難しいところなんだろうね・・卑屈になっても、開き直っても、それ一辺倒を続けると、どうもダメなんだろうね我々日本人は・・しかし、ここらへんは君、色々な意味でイソップ童話のこうもりの話を少し髣髴とさせるね・・(笑)。」

A「ええ、それは仰る通りであると思います。そしてそこに人文社会科学系学問全般の重要な存在意義があるのではないかと思います・・。」

B「うん、そうだね・・。そういえば話はうなぎに戻るけれど、君はうなぎの名産地に住んでいたわけだけれど、実際あっちのうなぎはどうだったのかね?」

A「たしかに鹿児島はうなぎの名産地ですが、それでもどちらかと云えばごちそうの部類ですから、在住期間中数度しか食べたことがありません。
それで、少しお持ちください、今当時書いた日記で、うなぎを食べた日付、感想を見てみます。」

B「君、そんなことを日記に書いているのかね?!」

A「いえ、あの当時はなんと云いますか過緊張か何かで少しおかしくなっていた様で・・そんなことをしていた様です(日記の頁をめくりながら)。
あ!ありました。うなぎを食べたのは2013年8月4日の日曜日の昼頃ですね。食べたのは天文館にある有名なお店で、うな丼の松竹梅の竹です。感想はこう書いています。いいですか・・「鹿児島のうなぎは関東で食べるものと若干異なるようである。具体的には、身の締まり方が違う様に思われる。関東で食べるうなぎの方がうなぎの身の締まり方が少し固い様に思われる。これは調理、処理の仕方によるものであろうか?しかし味は大変良かった。久しぶりに美味しいものを食べた。」まあ、こんな感じです(笑)。」

B「どうやら向こうのうなぎも美味しい様だね。あと西郷隆盛もうなぎが大好物だったらしいね、そういえば当時も調理法は蒲焼もしくは白焼きが主流だったのかね?」

A「詳しいことはわかりませんが、蒲焼平賀源内の18世紀後半には、もうある程度一般的であったのではないでしょうか?
しかしそれ以前は、うなぎをぶつ切りにして棒を挿して、きりたんぽみたいにして焼いて食べていたらしいですよ。
昔読んだ本でその様に書いてあったと記憶しております。
あと、蒲焼の処理法では関東はうなぎの背から割いて、関西は腹から割くというのは割合有名な話ですよね。
あとは蒸しの有無ですかね。
あ!もしかしたら日記に書いてあるうなぎの身の固さはこれに関係しているのかもしれないです・・。
それはともかく、西日本にある程度の期間住んでいると分かるのですが、あちらは長い魚一般がよく獲れるのか分かりませんが、それらを好んで食べます。
南紀や高知ではうつぼをすき焼きみたいにして食べますが、これは脂の乗った白身で、とても美味しかったです。
また、瀬戸内ではで有名ですし、あと和歌山県のみかんで有名な有田市太刀魚の漁獲量が全国的に多いそうです。
有田川の橋の横に大きな太刀魚の看板があるくらいですから。
ともあれ、他にも多分色々あると思いますが、西日本は東日本よりも食用にされる長い魚の種類、量が多いのではないかと思います。まあ、あくまでも感覚的な話ではありますけれども・・。」

B「うん、周囲の海の環境が違うから獲れる魚の種類が東西日本で違うのだろうけれど、同時に同じ種類の魚でも味が違うような気がするよ。
私も**に数年住んでいたけれども、あそこで食べた魚は大抵関東で食べた同じ調理法のものより美味しかったな・・。
まあ関東でもある程度の金額を払えばあちらと同程度のものを食べられるのだろうけれど、その日常性での質でいったら、あちらの方に軍配が上がるね。
ところで太刀魚を私はあまり食べたことがないけれど美味しいのかね?」

A「ええ、太刀魚はみりん干し、御造り等で食べたことがあります。御造りは白身と青魚の中間の様であり身はコリコリして淡白で、もみじおろし、ポン酢で食べましたが、とても美味しかったです。
また、みりん干しは多分あちらの普段の朝食に出て来るような感じのものですがこれも独特の風味とみりんの甘みが調和して美味しかったです。
あと太刀魚は長崎県でも漁獲量が多く、また、海の向こうの韓国でもよく食べるようです。
釜山に行った時に海岸、岸壁近くの屋台が並んでいるところで干物の様に開いて干してある大量の太刀魚を見た記憶があります。ちなみに韓国で太刀魚はカルチと云いまして、カルは刃物、刀とかいった意味で、チは多分魚を意味します。ですから、これを直訳すると日本の太刀魚と同じになります。あと「カル」とは古代の日本語でも刃物、刀といった意味があったと確か金関丈夫の本に書いてありました。」

B「なるほど、しかしそれを英語にするとSwordfishでカジキマグロになるから、あっちの文化とは太刀魚に関してはどうも違うようだね(笑)。」

A「ええ、どうもその様です。」

20150924 「Read between the lines.」、「眼光紙背に徹す」・・

A「Bさんのブログの投稿もついに100回を超えましたね。」


B「ええ、お陰さまです。
それでもまだ抜粋してみたい文章、書いてみたいことが多くあるような気がします。
しかしその一方で「一体私は何をやっているのだ?こんなことをやっているのなら、ダメもとでいいから、就職活動を、応募書類の発送をした方が良いのではないか?」と思うことが多々あります。
しかしそういった気持ちは応募職種の内容を読み本当に自分に適した職種であるかどうか慎重に判断することにより、以前に比べ大分抑えられています。」


A「色々なスポーツの試合の流れみたいなものが多分こういうのにもあると思います。
ですから、ここは慎重でいいと思います。それにBさんみたいな人が活躍できる場所、職種はあると思いますし、また、そういった情報は自然に入ってきます。」


B「そんなものでしょうかね・・?
しかし、どうもありがとうございます。
その様に云ってくれる方々がほんのわずかでもいることが現在の私をどうにか支えてくれています。
しかし、ここ最近どうも胃が痛むようになってきました。
元々体は頑丈な方なので、多分これはストレスによるものだろうと思います・・。
それにしても今年に入ってから本当に色々なことがありました。
最近では自分の専門分野、研究内容が何であるのかさえよくわからなくなってきました・・。
しかし私の場合、得たものも多くありましたので、それはそれでいいのかもしれません・・。」


A「ええ、それでもBさんは元々は多分文系だと思います。
ですから***でのレジュメを箇条書きで持って来られた時には「一体何が起きたのか?!」って思いましたよ()
ですから、今の感じでブログを続けて色々と考え続けていけば、たとえまた理系の環境に入っても、ある程度そこに浸かっていればまた馴染んでいくことができると思いますよ。」


B「ええ、どうもありがとうございます・・。
それは確かに自分でもある程度はそうではないかと思います。
そして、その先に多分、自分にしかわからない、自身の能力の限界みたいなものがあるのではないかと思います。
そうした中で応募要項などを読み、応募の可否を判断するのが
なかなか難しいです・・。」


A「ああ、そういうのはわかります。
Read between the lines.」や「眼光紙背に徹す」みたいな感じですよね。」

B「ええそうです。
そしてそれに関連して、またブログの話に戻るのですが、毎回ブログを投稿しますと、その投稿したブログに関連する内容を記した既に投稿したブログに+1を敢えてつけてきたりすることがあるのですが、これは見ていて「こいつやるなあ!」って思いますが実はこれAさんのしわざではないでしょうか?」


A「いやあ、私はそこまでやりませんよ・・()
しかし、そこまで読んでくれている人がいるというのはありがたいかぎりじゃないですか?」


B「ええ、それはおっしゃる通りです。
その様なよく分からないけれども面白い反応にも支えられて、どうにか投稿数3桁までいくことができたのだと思います。ただ、こういった反応ができるのは、果たして運用できる知識の量に基づいているのか?
あるいは論理的な思考能力の高さに基づいているのか?
はたまたその双方によるものであるのかイマイチよくわからないのです。
案外単なる自意識過剰、幽霊の正体見たり枯尾花というような感じかもしれませんが、なんといいますか、あのモビルスーツのテレビアニメ初代の主人公が相対する敵の動き、反応などを見て、感じてそれが因縁の宿敵であると了解するようなものかもしれません・・()


ABさん、それは面白いですけれども中二病全開の発言ですね()
それでも楽しんでブログを作成されている様子がよく伝わってきますよ。」


B「いやいや、それは少し違いますよ(笑)。
ブログを作成している根本の理由とは、あくまでも今の私の状況では、そういったことを何かしらしていないとどうも落ち着かないといった理由からであり、たとえて云いますと、一応好きで入った部活でも雨の日で練習が中止になると嬉しいみたいな感じではないでしょうか?
しかしそれでも、ブログを続けていきますと、先ほどの様な反応の発見があったり、さらに抜粋文章を見ておりますと、そこから何かしら小さな発見を見つけることもあります。
たとえば林屋辰三郎著の「日本の古代文化」での抜粋で示した斧鉞とファスケスの間における意味合いの類似などはこれまでに書籍で読んだことがありませんので、もしかしたら初の発見、指摘であるかもしれません。
もちろん別に違っていても一向に構わないのですが、二つ目として同じ抜粋内における紀生磐の朝鮮半島における行動と和歌山県和歌山市の大谷古墳から出土した馬冑とは何か関係があるのではないかとも考えさせられます。
三つ目は谷川健一著「古代学への招待」での抜粋が挙げられますが、これは読んでいただければお分かりになると思います。そのような自分なりの発見があることから続けていくうちに楽しくなってきた部分は少なからず確かにあります。」


A「うーん、はじめの方のたとえはあまり上手いとは思えませんがニュアンスは伝わってきました。
また、その後におっしゃたことはよくわかります。そして早いところ良い就職口が見つかり、その後、Aさんのブログの更なる洗練を楽しみにしてます。」


B「ええ、私も早いところ自身が納得のできる職に就きたいところですが、そうなったら、このブログは止めるか、あるいは更新は少なくなると思います。
就いた職を本業とするわけですから・・現在のこのブログ作成は健康維持、精神衛生のために行っているようなものなのです・・。」


A「それでもBさんの声は以前とあまり変らずお元気そうですね。」


B「ああ、声といいますかAさん達と話す時に用いる言語体系が多分、私にとって使い心地が良いので多分そうなるのではないかと思います。
しかし現実では笑顔を出すのも以前に比べ自然にできなくなってきたと思います・・。
この様なことは一見よくわからないかもしれませんが、以前ブログで投稿した中井久夫著「アリアドネからの糸」に書かれており、また以前より読み続けている著作の中においても最近見つけましたので、今度その抜粋を投稿しようと考えております。
あとは前に確かCさんが仰っていたのですが「指導教員が留学生を相手に英語で話している時にはどうもテンションが変わる」というのと類似した現象がここで起きているではないかと思います。
あるいはこういったものは昔の映画の「マイ・フェア・レディ」の主題にも近いかもしれませんね・・。
いや、あの映画の場合、言語体系というよりも、より表層に近い発声、発語のあたりに重点を置いているかもしれません。
ああ、あと、それでしたら、ウンベルト・エーコ原作の小説あるいは映画の「薔薇の名前」がそういった言語体系とか笑いを主題にしていましたね。
この著作は多分私がはじめて挑んだ海外作家のある程度難解な長編小説でした。」


A「マイ・フェア・レディ」は観たことがありませんが「薔薇の名前」は以前観ました。確かショーン・コネリー出演の中世末期修道院を舞台にした推理ものですよね。私はあれを観るとどうも「インディ・ジョーンズ」の「最後の聖戦」を思い出してしまいますが、小説の方は面白いのですか?」


B「ええ、確かに「最後の聖戦」を思い出しますね()
それで「薔薇の名前」の小説は面白いですよ。
今でも本箱の中に入っているはずです。
ちなみに私はそれを読んだのと前後して岩波文庫版ニーチェ「ツァラトゥストラかく語りき」を読んだのをよく覚えています。「薔薇の名前」に関しては学問・研究の成果そして真理の保存およびそれら真理の進化、発展と笑いとの関係が重要なテーマとして扱われていると思います。
いずれにしても笑いとは、様々な進化、発展の成果の硬直化を防ぐために大事な要素であるとは思いますが、同時に今度はそれが勝ち過ぎた社会とは、これまたニヒリズムに陥り、先ほどのニーチェの「ツァラトゥストラかく語りき」と関係あるのかもしれませんが、スタンリー・キューブリック監督の映画「時計仕掛けのオレンジ」の様な社会になってしまうのかもしれません。
ちなみにこの映画は大分昔に制作されたものですが、現在こそ観るべき価値のあるものではないかと思います。
内容に関してはただ大変興味深いとしか云いませんが、スタンリー・キューブリックはまた、音楽の使い方が大変上手いと思います。「時計仕掛けのオレンジ」ではベートーベンの第九交響曲が多用されています。
そして同時にほんの少しですが、ロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」序曲終幕の「スイス兵の行進」という曲が同映画内で使われています。
ベートーベンの第九の第四楽章合唱の歌詞シラーの詩が基にあり、同時にロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」もその基がシラーなのです。
こういうよくわからない共通性は果たして制作の際に監督が意図したものであるのか、あるいはそうでないのかよくわかりませんが何れにしても面白いものです。」

A「ええ、今度「時計仕掛けのオレンジ」を観てみます。
私も同監督作品の「博士の異常な愛情」という作品を先日観ましたが、あれも現在なお面白い映画ですね。またおっしゃった映画内の音楽についてはよければブログの中で示してください。後日拝聴します。」

B「ええ、了解しました。」









20150918

A「ブログの投稿数もだいぶ増えてきましたね。」


B「ええ、あともう少しで3桁に達します。
それで最近思い出すのは、以前ミクシイやフェイスブックでも結構な数を投稿してきたことです。
フェイスブックの投稿はそのまま放置してありますが、ミクシイに関しては完全にアカウントごと削除してしまっているので、これは今考えてみると多少惜しいことをしたかもしれません・・。」


A「そうだったのですか・・ちなみにミクシイでの投稿はどんな内容だったのですか?」


B「ミクシイでの投稿は大体自身の書いた文章でした。
しかし同時にその内容は今考えてみると、かなり恥ずかしいものが多かったのではないかと思います(笑)。
いや、それでも現在と比べると間違いなく勢いみたいなものはありましたが・・。」


A「はあ、複雑ですね。まあ、何れにしましても、そういったものは最悪でも笑いのタネにはなると思いますので、やはりとっておいた方が良かったのではないかと思います。」


B「笑いのタネですか・・・そう考えると、現在のブログでの投稿は書籍からの抜粋が大半なのですが、これは以前ミクシイなどで投稿していた時期に比べ勢いが衰えたことと、ネット社会で自己を守りつつ、何かしら発信するためにそうしている、あるいはそうなったのかもしれません。
さらに自身の文章の場合、対話形式を用いているのも直接的な発信を避けた結果であるのかもしれません・・。
しかしそれと同時に対話形式の文章とは、意見、思考の成立過程の一面を提示することができるのではないかとも考えます。
加えて、これまでに書いた対話内容は、感覚的ではありますが、七・八割は過去の実体験に基づいていますから、まあ、そこまで非常識なことは書いていないのではないかとも思います。
ただ実際の会話はもう少しくだけた調子ですけれども・・()。」


A「はあ、何だか現実と対話内容の世界の境界がややこしくなってきましたね()
れでしたら、この会話もブログのネタになる可能性があるのですか?」


B「ええ、この会話内容は結構面白いと思いましたので、全部ではありませんが、多少内容をボカし、個人特定につながる要素を除いて書いてみようと思います()。」


A「それでしたら、この会話内容に関係あるのではないかと思ったものを丁度先日読みましたので、その部分のコピーかPDFファイルを今度お送りしますよ。
しかし、それはそうと誰がAさんのブログを読んでいるのでしょうか?
Aさんのブログは多分、全部が全部面白くて読み易いということはないと思うのですが・・?」


B「なかなか手厳しい御意見ですが同時にその通りであるとも思います・・(苦笑)
それでもつい先日***時代の同級生からクラス会の連絡をかなり久しぶりで頂きましたよ。
しかし現在私は求職活動中の身であり、且つ多くの人と陽気に話せる状態でもありませんので、残念ではありますが、欠席にさせて頂きました・・。
あとは、ブログを書いた後に、知人から批評めいたメールが届いたり、SNSにて殆ど投稿しない人が投稿しているのを見つけますと「あれ、読んでくれているのかな?」と思ったりしますが、これは先日書いたブログでも記しましたが、まあ自意識過剰でしょうね・・()。」


A「うーん、どうでしょうか・・まあ、Bさんが感じたもののうち半分くらいは自意識過剰であると思います。しかし同時に不思議なことも起きたりしますからね・・。」


B「ええ、それは確かにあると思います。
偶然であるとは思いますが、先月久しぶりにCさんから電話があった直後にDさんから電話がかかってきましたよ。
二人がしめし合わせているということはないと思いますので、ああいうのは不思議ですね・・。
どういった偶然が働いているのでしょうかね?」


A「ああ、そういうことがあったのですか・・それでCさんとDさんはお元気でしたか?」


B「お元気そうでしたよ。どちらかと云えば私が話を聞いていた様な感じでしたが・・。」


A「それじゃあ、相変わらずですね()。」


B「それでちょっと思い出したのですが、前に読んだ北杜夫の小説の中で「不思議な事に躁気味の時に躁気味の人から連絡がくる。」っていうのがありましたけれど、これは先程の現象と何か関係あるのかもしれません・・。
こういうのは科学的には多分解明できないと思いますが、何かあるのかもしれません。
ただ、前の電話の件については、私が躁気味ということはないと思いますよ。
しかし、お陰さまでか電話で話した後に少し元気になったかもしれませんね・・()。」


A「それじゃあ結果的には良かったということですね?」


B「ええ、そうです。それでまあ、さらにこのトピックの追加なのですが、小林秀雄がどこかで「会話を通じて生きた知恵ってものが火花の様に生じるんだ。」と云っていたのですが、先ほどのCさん、Dさんとの会話であれ、現在のAさんとの会話であれ、その際に生じた火花から発生した要素の蓄積により、その後、不思議な出来事が生じるのかもしれません。
ですから人との会話であれ、読書による著者との対話であれ、そういったことの繰り返しにより徐々に知恵、知識が蓄積していくのではないかと思います。
ただ、こういった考え方はどちらかというと文系的であり、理系に関しては少し違うのかもしれません。
あるいは以前ブログでも書きましたが、帰納、演繹の考え方の違いについても云えるのかもしれません。
そして、これを言い換えますと一般的に文系とは、多くの書籍の熟読玩味を通じ、内部からその本質に迫る方法であるのに対し、理系は、はじめにその本質を把握し、そこから個別的事例への応用に至るという学問的方法が採られるのではないかと思います。
それに多くの理系の場合、規模の大小はあれ、実験が付きものですから書籍に対する価値観が文系とは異なるのではないかもしれません。」


A「はあ、そんなものですか・・そういえば確かに私の理系の友人もそんなところがありました。
自分の研究に必要な論文の部分だけをジャーナルから抜き取りファイルしているのを見たことがありますが、あれは特に古い文献、古典を扱う文系分野から見ると「スゴイことしているな!」って思いますね()。」


B「ええ、確かにAさんは書籍を大事にしていますよね。
その点今の私は現在本棚も置けない様な住環境ですので、書籍は畳の上に直積みしています。
ですから、何か不図思った時に即座に本棚から所望の書籍を取り出せる様な住環境は心底希望していますね・・。」


A「ええ、それはよくわかります。Bさんは色々な所から話を引っ張ってくるところが面白いのですから。」


B「どうもありがとうございます。
ともあれ、書籍の置かれた物理的な環境とは、ある意味自分の脳の延長上であり、それがある程度整理されていることが大事であることは最近痛感しました・・。
とはいえ、あくまでも私は有機的混沌の方が好きですけれども・・そういった環境、状況こそが面白い、新奇なことを呼び起こすのではないかと思います。」

20150905 国民性について小説、映画などから・・

A「どうも、久しぶり。その後お元気ですか?」


B「どうもありがとうございます。しかし、最近どうも無気力で何をするのも億劫といいますか、とても面倒くさいのです・・もしかしたら鬱気味かもしれないなどと、少し不安に思うこともあります。」


A「しかし、その割にはブログの更新は割合マメに行っているようですが・・?」


B「そうです。
といいますのは「こういう落ち込んだ状態でブログでも更新していなかったら一体どうなってしまうのか?」という不安で更新している部分も多いのです。
あと、書籍の抜粋、自身の文章であれブログの文章を書いている時はそういうのをキレイに忘れているので、それはそれで良い効果があると思うのです・・。」


A「ええ、それはよくわかります・・しかしまたそういう時期も必要ではないかとも思います・・。」


B「どうもありがとうございます。それも自分でもよく分かっているつもりなのですが「この落ち込んだ感じからどうにか脱出できたらいいなあ・・。」とはつくづく思います。まあ、Aさんは既にこういった経験をされていることは重々承知はしていますが・・。」


A「いえ、それは別にいいのですが・・ともかく、ああいう時期はなんとも云えないものがありました・・。
よくわかりませんが、丁度、収容所で生活している様な感じに少し似ているのではないかと思います・・。」


B「ああ、それは確かにあたっているかもしれません。・・そう云われると私は収容所ものの著作や映画が好きなのもそれに何か関係しているのかもしれない・・(苦笑)。」


ABさんのオススメの収容所ものの作品って最近は何がありますか?」


B「収容所ものでしたらたくさんあります・・オススメでしたら書籍では会田雄次の「アーロン収容所」ですが、これはもう御存知だと思います。
あと、映画でしたら「第十七捕虜収容所」、「大いなる幻影」などでしょうか?
あと太平洋戦争中の日本軍の捕虜収容所を扱った映画は少なくて、サントラが有名になった大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」とあとは「太陽の帝国」ぐらいじゃないでしょうか?
そういえば、最近アメリカの有名女優が監督して制作されたのがあるらしいのですが、これに関しての詳細はまだわかりません。
ともあれ、先ほどの「戦場のメリークリスマス」ですが、これは音楽も良いのですが、映画内容の方も日本人を考える際に参考になるものが多くあるのではないかと思います・・。
この映画で特に考えさせられたのは、主人公の一人で日本文化に詳しいイギリス人捕虜が日本兵(監守側)に向って「また殺しておいて礼を捧げるのか!?」って叫ぶシーンがあるのですが、そう云われると「日本人とは敵対相手を死をも含む無抵抗な状態にしておいてから自分なりに礼を捧げる、神格化する様な傾向があるなあ。」って気付かされましたね・・。

我々日本人とは、古来より政争にて敗れた個人、中央に反抗した部族、現代の冤罪や過剰報道などにより死に至らしめた人々に至るまで、どうしても、どうしてもその様にしか対応できないのではないかと考えさせられます。

さらにこれは学校、会社等の組織におけるいじめにも同根の部分が多いのではないかなとも思います。

また、こういったものの起源に近いものの具体例として魏志倭人伝の中に出て来る倭人の風習の持衰(じさい)が挙げられますが、そこからあまり変化していないのかもしれません・・。

ついでに云いますと、これはその根源においてはマレビト信仰にも親和性があるのではないかと思います。

もちろん海外にもこういった理屈のつかない風習、習慣いや、社会のメカニズムと云っていいものは多くあるとは思います。

しかし、日本の場合、そういうのが議論やら審議などの手続きをあまり経ずに変にスムーズに行われる様な気がするのですが?」


A「ええ、確かにそう云われるとそうかもしれませんが、そういえば、海外の小説でしたらカフカの小説で「審判」ってのが確かそういうのを彷彿とさせる内容でしたね・・。
まあ、この作品の怖さの真髄とは、裁判の審理過程が不明瞭で、いきなり死刑の判決が下り、執行、殺されることであって、これは期せずしてか後のナチス・ドイツによるユダヤ人迫害を予言していたのかもしれません。
カフカはチェコのユダヤ人ですし・・。
あとはジョージ・オーウェルの「1984」も大枠で見るとそんなニュアンスがあるかもしれませんね・・。」


B「なるほど、そうですね・・それらの著作から共通して抽象されるのは多分、全体主義国家、管理、監視社会でしょうね・・。
何でも定量化、数値化して考えるようになった社会とは、施政者側から見た、より最適な状態に、なし崩し的に持って行こうとするのかもしれませんね。」


ABさんは多分、社会、組織のそういった傾向、特徴を書籍や映画を通して見る、いや見抜こうとする癖があるのかもしれません・・。
しかし同時にそれらは杞憂である場合も多いと前提にした方が精神衛生上いいかもしれないし、また、現在の社会においてはある程度の管理、監視は必要であるかもしれませんよ・・。」


B「なるほど、犯罪等を未然に防ぐと云った意味では確かにそうかもしれませんね。
あるいはこれを自分自身に当てはめて考えると、無気力や落ち込んだ状態の時にそういった考えに囚われる傾向があるのかもしれません・・。
要は原因を自分の外側に見ようとするのかもしれませんね。これはあまり良い傾向ではありませんね・・。
しかし実際のところ一体どうなのでしょうか?
つまり我々が考える対象である歴史、社会などは解釈程度でその本質が変るものではないはずです。
歴史、社会での出来事は全てパラレルワールドで生じたものでなく各々一回きりのものですよね?
それを解釈により、その出来事が持つ意味、比重を変えてしまうと昨今よく見かける明治維新陰謀論みたいなものに行き着いてしまうのではないでしょうか?
その様な歴史観とは、歴史をある一つの大きな目的なり観念でまとめ上げる様な嗜好、志向により生じた、あまり良い意味でない演繹的な発想によるものではないかと思います。
こういったことについては、確か竹山道雄がどこかで書いていた「演繹的な発想、つまりある大前提に基づき、個々の事例の解釈、意味付けを行っていく方法を歴史に対して用いると、それは必ず間違った結果に結びつく。」ということでしたが、それは確かに自身の経験で照らしても合っていると考えます。
それ故、本来、歴史などの世界とは、様々な思想、思考、先ほどの陰謀論をも含み乱立するガラパゴス、カオス、混沌な状態で良いのだと思います。
そういう状態とは、言い換えれば帰納法の要素が沢山ある状態ですからね。
ですから、少なくとも歴史を学ぶ、社会を考える際においては効率性みたいなものをある程度度外視して行う必要があるのではないかと思います。
そういった、いわば雑然とした状態から取り掛かると当初は確かに雑然として作業は難航するかもしれませんが、逆にそういう状態から始めなければ結果的に自分なりのクリアな歴史、社会像へピントを合わせることが難しくなってしまうのではないかと思います。
そしてその意味で理系的な方法論とは、その時の取っ掛かりの一つとして適しているのではないかと思います。
また、それに加えて、自分が扱う歴史、事物に関連する具体的な物に触れる、作製するなどをして、その本質に自分なりに触れるといったことが大事ではないかと思います。
こういった作業は3-Dプリンターの様な便利な機器が出てきた現代だからこそ、それに逆行して行う、つまり効率性を無視して行うことに大きな意味があるのではないかと思います・・。
このことを端的に云いますと学問、研究に対し身体性を付与するということではないでしょうか?
その意味で、昔の学者、研究者とは、便利な周辺機器が発達していなかったという時代状況もあり、無論、個々人の多大な努力が前提ですが、今では考えられないような知の巨人が生まれたのではないでしょうか?
具体例として南方熊楠牧野富太郎柳田邦男金関丈夫宮崎市定加藤周一あたりがそうではないでしょうか?
また、それに加え、戦争経験等により身体性を自身の思想、知識体系に否応無く取り入れざるを得なかった方々もいます。
これは全体的にもう少し年代が下り司馬遼太郎、会田雄次、山本七平大岡昇平などの方々がそうではないでしょうか?
これらの方々は平時であれば、そのまま当時の研究者、会社員などとして平穏に過ごすことが出来たのですが、まあ、そういう時代に当ってしまった方々です。
また彼等の文章は読んでいて、やはり戦後世代の著述家のそれよりも全体的に内容が重厚であり、その思想の射程は長く、より多くの普遍性を有するのではないかとも思います・・。」


A「しかしそういう特殊な経験を経た著述家は現代においてはもう既に絶滅種に近いもので、その読者も現在では価値観を共有できないことから今後徐々に離れていくのではないかなと思いますが・・。」


B「それは悲観的過ぎる意見であると思います。
どのような作品であれ、本当に良いものは歴史を越えて生き残るのではないかと思います。
外国の話になりますが、例えばカエサルの「ガリア戦記」なんて二千年以上前に書かれた文章ですよ。
あれは英訳で読んでみても、文章の運び方などから「古代ローマの人間とはこういうものだったのだろうな・・」というのを強く感じさせますね。」

B「なるほど「良いものは歴史を越えて生き残る」ですか、本当にそうでしょうか・・?私は逆に「歴史を越えて生き残るのが良いもの」であるのではないかと思いますが、こうなるとまたニワトリとタマゴの話になって更にややこしくなってくる様な気がしますね・・。」