2023年10月10日火曜日

20231009 株式会社新潮社刊 新潮選書 池内恵著「サイクス=ピコ協定 百年の呪縛」 pp.115‐117より抜粋

株式会社新潮社刊 新潮選書 池内恵著「サイクス=ピコ協定 百年の呪縛」 pp.115‐117より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4106037866
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4106037863

トルコ人とアラブ人、ギリシャ人とアルメニア人と並んで、オスマン帝国の崩壊の後に国家を成立した民族に、ユダヤ人がいる。イスラエル建国とユダヤ人の移住もまた、難民問題に大きく関係した問題である。イスラエルの建国は難民問題への解決策だった。ナチスドイツによる強制収容と虐殺を逃れ、さらに各地の迫害や差別を逃れて、ユダヤ難民が西欧や東欧諸国からイスラエルに向かった。イスラエルはこれらヨーロッパ系ユダヤ人(アシュケナージあるいはアシュケナジーム)が主導して、その欧米での政治力に依拠して成立した国である。しかし、イスラエルにはオスマン帝国各地のユダヤ人も多く移民・難民として移り住んだ。オスマン帝国には、エジプトやイラクなどに古代から住み続けてきた中東系ユダヤ人(ミズラヒーム)や、スペインでの異端審問を逃れてオスマン帝国に渡来したスペイン系のユダヤ人(セファルディーム)など多くのユダヤ教徒がいた。これらのユダヤ教徒は、東欧でのシオニズム(パレスチナへのユダヤ国家樹立運動)の発展や、第一次世界大戦中のバルフォア宣言を必ずしも歓迎していたわけではない。バクダートは旧約聖書に描かれるユダヤ人虜囚が解放された土地であり、エルサレムよりも宗教上の価値が高いとする見方もある。サロニカやエジプトのアレクサンドリアのように、東地中海の交易路で重要な位置を占める都市で、ユダヤ商人は確固とした地位を築いており、パレスチナにユダヤ人の民族主義に基づく国家を創設することは、中東のユダヤ人にとって必ずしも歓迎すべきことではなかった。

 1948年イスラエルの建国によるアラブ・イスラエル紛争の開始は、中東系ユダヤ人の一部にとっても災厄となった。アラブ諸国では、反イスラエルをイデオロギーの支えの一つとする民族主義が勃興した。アラブ世界に代々住んできた、アラビア語を話すユダヤ人は、アラビア語を話すという意味で「アラブ人」でもある。このアラブ系ユダヤ人が、故郷を追われ、イスラエル、あるいは米国などに居を移すことになった。もちろん、イスラエルの建国と戦争は、新たにパレスチナ人難民を大規模に発生させた。

 イスラエルの建国は、ヨーロッパのユダヤ人の間にシオニズムの民族主義思想が広まったのを受けて、第一次世界大戦中にイギリスがユダヤ人指導者に対して与えた、パレスチナの地に「民族の故郷」の建設を支援するという約束によって促進された。フランスもまた「民族の故郷」をある「民族」に与えている。フランスは1920年に、サイクス=ピコ協定で統治領・勢力圏としたエリアから、アラビア語を話すキリスト教マロン派が主体となり、ギリシャ正教やローマ・カソリック、プロテスタントなどここでは少数派のキリスト教諸派と合わせてスンナ派やシーア派のイスラーム教徒に対して支配的になるように、レバノンの領土を切り分けた。フランス委任統治領シリアでは、ラタキア近辺のアラウィ―派や、シリア南部のドルーズ派など、イスラーム派など、イスラーム教シーア派の中のさらに少数派の諸派に独立の国家を与えようとする計画もあったが、実現しなかった。

 オスマン帝国支配化の諸集団には「民族」という概念はまだ未分化だった。それが西欧列強の介入が及び、社会の近代化が進むにつれて、言語の相違や、宗教・宗派による共同体のつながりが、国民国家を構成する民族という観念の核になった。民族意識の高まりには地域や集団によって差がある。また、ギリシャやアルメニア、イスラエルやレバノンのように拠点となる領域・国家を確保できた場合と、そうでない場合との相違は、外部の大国の支援を取り付けられるかどうかに大きく依存していた。

 オスマン帝国の崩壊はいくつもの「民族の故郷」を実現したが、クルド人のように国家を得られず、独立への希求を後世に託した民族もあった。ギリシャやアルメニアのように、獲得を望んだ領土のほんの一部しか独立国家の領土とし得ない場合も多かった。それらは「民族の故郷」への大量の難民を生み出すとともに、独立した領土の中で少数民族と化した人々を逆に難民として放逐することになった。

 イスラエルの建国は、ヨーロッパの難民・移民を受け入れることで成り立ち、それがまた、もともとそこに住んでいた人々を押し出して、パレスチナ問題を生み出した。

 オスマン帝国の崩壊は、ある少数民族の国家としての独立が、領域内の別の少数民族を生じさせる「入れ子状の紛争」の口火を切った。これは多民族を支配する帝国の崩壊に共通して生じた現象とも言える。ハプスブルグ帝国や、ロシア帝国あるいはその後継者となったソ連の崩壊は、同様の問題を各地で生じさせ、今でも完全に解決はしていない。