2016年6月28日火曜日

20160628 刺激と息抜きおよび思想について・・

A「先日久しぶりに頁を開いた人文社会科学系の書籍(岩波文庫)を多少読んでみたところ、また多少自分なりに書いてみたいことが出てきました。

そういえば、そのような何か書籍を読んでみたことにより、何かしら文章を自分で書きたくなるといった経験とは以前にもありました・・。

現在ほど、そうした「思い」が明確化はされないものの、確かにそういった経験はあると思いますがこれを読んでいる皆様は如何お考えでしょうか?

また、本質的には、こうした心の動きを制度化したものが、論文ではないかと思います。

しかしながら、人によっては論文をはじめ自分の文章を書くことが、どちらかというと苦痛であると考える方々も少なからずいらっしゃるかもしれません・・。

そうした時には、現在自分の書かなければならない主題と関係のない分野の書籍を読み、そこからの着想を何かしら遊び半分で書いてみるというのも悪くはないのかもしれません・・。

さて、ここまで書いていて不図思い出すことは、研究分野での文章を何かしら書く際、それに多少煮詰まるとオーパーツ関連の書籍を好んで読んでいたことです・・(笑)。

オーパーツなどは非科学的であると思われるマジメな方々も少なからずいらっしゃるかもしれませんが、それらの中にただ一つでも、歴史的事実に裏付けられたものがあるとすれば、それはそれで価値があるのではないでしょうか・・(笑)?

また、そこからは多少マジメ(?)になりますが、私の場合、同様に煮詰まった場合、もう一つの傾向として、当時の研究分野とは全く関係のない分野での比較的マジメな書籍、論文などを読むことでした・・。

とはいえ、こうした傾向とは現在自身の表向きの専攻分野がない状態においては、比較的並列的であり、あまり「これが本職のもの、これが余技、趣味のもの・・」といった区別が為されていないように思います・・。

こうしたことは、見方によれば悲しいものであるのかもしれませんが、それと同時に、この先将来、どのようなカタチであるかは分かりませんが、何かしら役に立つこともあるのではないかと考えさせられます・・。

また、これまで作成している一連のブログ記事も同様に、そうした自分本位の(学問的)興味によって継続されているのではないかと思います。

無論、その一方で、それを読んでくださっている方々がいらっしゃるからでもありますが。

そして、そういったところでハナシはまた振出しに戻ってきました・・(笑)。
しかし、結局のところ、この話の振出しから、現在の一行前(上)までが、ここで述べたい内容であるのかもしれません。

そして結句、これまでに作成した一連のブログ記事とは、そうした要素が(不整形に)連続して積み重なったものであるかもしれません・・。

おそらく、これらを通読してみても、何かしら明確な思想らしきものは見えてこないのではないかと思います・・(苦笑)。

しかし、それと同時に、明確且つ均整のとれた思想あるいは観念の連合のみが正しいというわけではないとも思いますが如何でしょうか?

いや、むしろ明確且つ均整のとれた思想あるいは観念の連合のみが良いとされる考え、価値観こそ、人間そのものを裏切るようなものではないでしょうか? 

ともあれ、ここまで読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
また、九州南部にて大雨が降ったと聞き及びます。
どうぞ御無事で、また、この大雨により、さる四月の大地震によって被災された地域での復旧活動に支障が生ぜず、さらにその後の復興が速やかに為されることを祈念します。」